第2話 清濁
「ディム……お前……随分と、その……高度だな……」
「勘違いだから! そういうのじゃないから!」
副艦長のオル……正しくはオルニエという名の彼が引きつった表情でそう漏らす。
即座に否定するが、果たして彼の耳に届いただろうか。
「副長、どうしたんです? 艦長に何かあったんですか?ちょっと……早く中に……ういぃっ……」
妙な掛け声らしきものを上げながら、オルを押しのけ、一人の女性が顔を覗かせる。
「うん? あっ、艦長……手伝いに来ま……」
とまで口にしたところで、表情が固まる。
「ちっ、違う。誤解だ。俺は何もやってない」
「……えっ、でも……その……二人ともなんか……しっとりしてますし……」
「し、してるけど、その、そういうのじゃないから……」
とにかく、しっかりと状況を伝えないといけない。
この密航者の扱いについて話し合わなければならない。
「と、とにかく聞いてくれ。ちょっと問題が……」
そう言いながら扉の方へ近付いていく。
「「くっさ!」」
二人して同じように顔をしかめ、同じように鼻と口を押さえる。
「うえうわおぉぉ~~ん! もうどこに出しても恥ずかしい女にされちゃったよぉぉぉぉ! びぅええぇぇぇ!」
「ちょっと静かにしてて!お願いだから!」
*
「はぁん……密航ねぇ……」
洗面室でひとまず顔と口の中を洗い流し、貨物室に戻って室内の換気窓を開け、ぶちまけてしまったものを雑巾で拭い取っていく。
密航者の女はラフナに先導されて浴室へと向かった。
被害が甚大だったからな。
オルは部屋の中に入らず、扉の枠に寄りかかりながら俺の話を聞いている。
手伝ってくれても……と思わないこともないが、まぁ、気持ちは分かる。
俺でもそうする。そうなる。
ほとんどを密航者の女が受け止めてくれたので、そこまで大惨事にならなかったのがせめてもの救いだ。
あくまで積荷についてだが。
「とりあえず密航の理由は聞いたんだが、ちょっとまずい事情があるみたいでな……」
「まずい事情?」
「ああ。えーっとだな……月のない夜は出歩けなくなるかもしれないが、聞くか?」
「あ、いや、いい」
「だよな……」
先の俺と似たような……いや、それ以上に過敏に素早く反応する。
情報も商品だ。
商品ならば当然、その中には禁制品に分類される物もある。
真っ当な商人ならそれに近付きたいとは思わない。
今回、俺は不運にもその禁制品を押し付けられてしまった形になる。
「で、どうするんだ?」
「次の検問で引き渡すさ。その話がなくても、盗みを働いてたらしいから理由としては十分だろう」
「ふーん、そうか。まぁ、あとでその密航者も交えて、もう少し詳しく話そうぜ。ちょっと興味ある。いや、その女にな。事情は聞きたくないぞ」
「……おう、わかった」
艦長と副艦長と言えば上司と部下という関係なわけだが、お互いに気さくな話し方に終始する。
と言うのも、俺と彼は古くからの付き合いだからだ。
商会に入ったのも1年しか違わない。
商会も俺たちの生い立ちを考慮して、連携のしやすさを意識してくれたのか、何かと同じ仕事に携わることも多く、昔となんら変わらない関係を保てた。
ちなみに商会に先に入ったのは彼の方だ。
それで俺が艦長で、彼が副艦長というのは世間一般から見ればおかしいのかもしれない。
その理由として一番大きいのは、我が故郷である王国の兵学校で学び、一応士官候補として航空艦の指揮について教育を受けいたからだろう。
俺の実家は小さな商店なのだが、壮健な兄がおり、後を継ぐ予定のない俺の存在は宙に浮いていた。
そういったことから、16歳の時に将来のことを聞かれ、軍に入ることに決めた。
なるべく高い給金をと願い、兵学校の試験を受け、どうにか合格し、2年の就学期間を経て、可も無く不可も無い成績で卒業し、正式に士官待遇で軍へと配属された。
後方での事務に始まり、続いていくつかの艦長の補佐などの任を与えられ、平和な時代の軍人らしく、ただなんとなく義務を果たしていたが、卒業から3年が経った21歳の時にオルと久しぶりに会って酒を酌み交わしたのが転機になった。
興味本位で彼の仕事について話を聞いてみると、自分の薄給さに驚かされた。
だが同時に、それもそうだ、とも思った。
すでに100年以上、王国が加盟するバネラクサネ同盟領域は戦火に晒されていない。
軍なんてただの金食い虫だ、という認識が蔓延していた。
当然、国からの予算も圧縮に圧縮を重ねる。
軍の士官以上の人間は漫然と居座り続け、誰かが引退して椅子が空くまでは昇進は期待できない。
ましてや昇給など、期待するのもおこがましく思えるほどだった。
そんな中で、オルの話を聞いたのだ。
軍は人手を持て余し、経済分野の関係各所は人手を求めていた。
職を辞する旨を上司に伝えたところ、すんなりと受け入れられたし、両親もこの選択を受け入れるどころか、むしろ諸手を挙げて歓迎してくれた。
話は円滑に進み、月をまたぐことなく、オルの口利きで商会へと入ることができた。
元々生家が商売に携わっていたためか、多くの部分で特に支障もなく業務を行えたし、大きな仕事を任された時も上手くこなせた。
というのも、そういう仕事の度にオルと一緒にやれたことが最も大きな要因だろう。
彼の実家は元々多くの商会に近しく、その内実を生まれた時から間近で見てきた彼の商才は俺なんかと比ぶべくも無い。
今は俺の副官という地位に甘んじてはいるが、やがては俺の上に立つことは間違いないだろう。
閑話休題。
掃除を終えた俺はバケツに雑巾を放り込み、トイレへと向かう。
汚水槽へと流すためだ。
前には随分と距離を空けてオルが歩いている。
この距離が、心の距離を現していないことを祈る。
まぁ、ニオイのせいだろう。
そうに違いない。
トイレのちょっと手前に浴室の扉が見えた。
その扉が開き、髪を下ろしてタオル一枚の姿で件の女が出てくる。
……何も思うところはない。
彼女は俺の姿を認めるとジトリと睨み付けてくる。
睨み返そうと思ったが、大きくため息をついて下を向く。
「いやらしい目で見ちゃって! えっち!」
「見てない! というより、見たくない! 色々思い出すから!」
「ふぇっ……まさか、思い出しながら頭の中でひどいことを……? いいよいいよ、その気概。その調子で――」
「さっきひどいことになったのを思い出しちまうんだよ!」
「仲が良いほど喧嘩するってか」
「冗談にしても程がある……」
「ははは」
オルの茶々が入るが、さっさとやるべきことをやってしまおう。
トイレは浴室のすぐそばだ。
流し終えたら、俺も浴室で奴に穢された身体を清めよう。
俺は何も悪くない。
汚水を流し、洗面室で雑巾を洗い終えて出てくると、同時に浴室から先ほどオルと一緒に貨物室に来た女性が出てくる。
彼女はラフナ。俺の事務仕事の補佐をやってくれている。
手にはタライを持ち、中には濡れて小さくまとまった女の衣服が入っている。
「悪いな」
「いいえ~。目の保養になりましたし、大丈夫ですよ~」
良い笑顔でそう答える。
綺麗に切り揃えられたボブスタイルの髪が、頭をわずかに横に振るのにあわせてゆらゆらと揺れる。
彼女が俺の下に来てから1年をちょっと過ぎた程度だ。
彼女についてはまだよく分かっていない。
歳は今年で……20だったか。
仕事にそつがなく、良くやってくれている。
代わるように浴室に入る。
「ディム、俺は艦橋に戻ってるからな」
「ああ、わかった」
「彼女は一旦、私の部屋に連れて行きますね。お着替えさせてあげないといけませんから」
「うん、頼んだ」
それぞれ別れる。
ああ、ようやくこの臭いから解放される……。
とても喜ばしい。
ふと床を見ると女性モノのショーツが落ちている。
これは……。
それを握り締め……浴室から出て女の後頭部に投げつけた。
「俺にどうしろと!」
ぺしーん!
「えっ!? なにっ!?」
*
「ああ~、空気が美味い」
嗅覚をつつき続けた嫌なニオイから解き放たれ、大きく息を吸い込む。
さて、改めて今後について話し合わなければならない。
検問まであとわずかな時間しかない。
取り急ぎ、オルと一緒に例の密航者をもう少し詰問し、善後策を話し合う必要がある。
場所は……下手な話が出てくるとまずいので艦長室でいいだろう。
ひとまず近場のラフナの船室へ向かって、女を連れ出そう。
ラフナの部屋の前まで来て、扉をノックする。
「ラフナ、俺だ。着替えは終わったか?」
……応答がない。
「いないのか?」
……やはり返事がない。
「うーん……」
……まさか、あの女に襲われてたりしないだろうな?
確認しなければならんな。
他意はない。
「失礼しまーす……」
と囁くような声量で言いながら扉を開けると……。
「ひっ! や、やっぱり、そういう事なんだな!」
女の声が耳に飛び込んでくる。
聞こえた方へと目を向けると、いまだタオル一枚で床に座り込んでいる女がいた。
自分の身体を抱き締め、何かに怯えるような目つきでこちらを睨んでいる。
「そういう事ってどういうことだ」
「どういうことって……君が一番よく分かってるでしょ!いちいちあたしに言わせないでよ!」
さっぱり分からない。
「ラフナは?」
「ラフナって……あの女の子? 服を干しに行くって出てったけど……」
「ああ……そうなのか」
まず服を着せてから行って欲しい。
目の毒だ。
あと鼻にも毒だ。
なんかにおってくる気がする。
俺は何も悪くない。
「あっ、そ、そうか。そういうことなんだな。服を着せるとまた脱がす手間が増えるからな。ラフナって子も、服を着せようとした時に何か悩んでいるような顔をしてたし……」
あ、一応着せようとはしたのね。
んー……色んなところですれ違っている気がする。
「捕まってしまったからには覚悟はできてる。ふ、ふふふ……いよいよか……」
「ああ、いよいよだ」
「やっぱりそうか! あたしはそんな簡単に屈しないぞ。修羅場はそれなりにくぐってきたからな! ふふふ……実際の経験は無いが、物の本でしっかりと学んでるからな! さぁ……」
「もうすぐ検問だ」
「……あ、うん」
「降りられるぞ。よかったな」
「……困りますぅ~!」
「ああああぁぁぁ~!」
何度目だ。
だが、大丈夫。
もう出るものはない。
ないが……やめてほしい。
「また出すぞ!」
「ひっ」
ピタリと動きが止まる。
激しく動いたせいか、彼女のタオルがハラリと落ちる。
同時に、扉のノブがゆっくりと回される音が聞こえた。
振り向くと、わずかに開いた扉の隙間からラフナの顔が見えた。
「……あの……せめて自室で……」
「違うんです違うんです誤解です」