第1話 商人と泥棒にゃん娘、出会う
本作は現地の民間人視点でのお話になります。
よろしくお願いします。
「優しく~繊細に~女性を扱うように~ふふふ~ん……よいしょ……っと」
長方形の四角い木箱を床にゆっくりと置く。
貼られているラベルを見ると、“ガラス・割れ物注意”と書かれている。
そのラベルの通り、中はガラス細工なので細心の注意を払う。
ちゃんと緩衝材の木屑は入っているが、結構繊細な作りをしているので、あまり粗雑には扱えない。
値段は……買値はそう大したことは無かったが、行くとこへ行けばそれなりの売値がつく。
今から向かう南のヘイルイゼク帝国では、まだこんなものを買う余裕がある人間がいることに感心する。
帝国は北の国と随分長くやり合っているし、西の方でも何やらきな臭いことになっているらしい。
生まれてまだ26年しか経ってないが、その間にあの国が戦争をしてない年があったなんて聞いた事がない。
俺の名前はディムロ・エフレクテリ。
バネラクサネ共和同盟に加盟する国の一つ、アンテルバフ王国はウィルラク商会に所属し、商人を生業としている。
満25歳だ。
だが、まだガラス細工の出番ではない。
今向かっているところはその北の国との国境にほど近く、もう少し南へ行かないとこれを買う余裕がある奴は少ない。
出番なのは、この木箱の下に何段にもなって積まれている麻袋に入った小麦粉だ。
『ディム~、もうそろそろ国境の検問所に着くぜ』
伝声管から男の声が聞こえてくる。
「了解。あー、悪いんだが、貨物室に人手を寄越してくれないか。整理してるんだが、俺一人じゃちょっときつい」
『はいよ。声かけて回るから、ちょっと時間かかるぜ』
「問題ない。頼んだ」
会話を終えると、再び積荷の方へと向き直る。
結構な量の貨物を、出港時間ギリギリまでかかって急いで積み込んでいたので、これから降ろす必要のあるものがあちこちに散らばっている。
これから向かう帝国の各地をまわって、それぞれの土地土地で、そこに存在する商会などから注文のあった品を降ろしていくのだ。
ここらへんでちょっと片付けておかないと、後々まで同じ手間を繰り返すことになる。
良い機会なので、大勢で整理してしまおうというワケだ。
この船は輸送艦なので、そう人手は多くない。
特に運航中は、国境通過や貨物の積み下ろしのための事務処理や、何かしらの緊急事態の場合以外は、艦長である俺は基本的に暇なのだ。
乗員は俺を含めても20名程度で、俺以外の推進機関部の調整や周囲の警戒、操舵等の担当する仕事がある人間の方が忙しい。
のんべんだらりと艦長室でくつろいでいるのも何か落ち着かないので、艦内を見回りながら備品などに問題がないかを確認したりする雑用係と化す。
そのついでに貨物室を覗いたら、ちょっと積荷の配置が気に食わず、触り始めたのが運の尽きだった。
とにかく、まずは余計な物をどけて、小麦粉の詰まった袋を降ろしやすくすることに集中する。
どけた木箱は貨物移動用の木製の板の上に載せて行き、適当な高さの所でロープを巡らせ、倒れないように固定する。
積荷によって遮られていた貨物室の壁が見えてくる。
室内の天井の中央あたりに照明は吊り下げられているが、まだ日中なこともあり、小さな窓から差し込むわずかな光で事足りる。
それでも、部屋の奥の方となると暗がりになっている部分がある。
その部分に何があるのかはここからでは見えないので、麻袋や木箱の上を這うように移動しつつ、乗っかっている木箱のラベルを確認していく。
奥の方へ行くほど、袋の上に乗っている木箱は少なくなっていく。
うーん……小麦粉の方が先に載せられていったのか。
大仕事になる予感。
ふぅと軽くため息をつくと、袋の上に何かが乗っている。
随分と形が歪だ。
んー……なんだろうか。
布に包まれているので、野菜か何かだろうか。
そんなものを積む予定はあったかな……。
あとで目録を確認しよう。
まぁ、とにかく、どけなきゃいけない。
手を伸ばし、掴む。
「んっ」
ん?
声が聞こえた。
「うっ……うぅっ……」
な、なんだ?
思わず固まっていると、ひとりでに布が取り払われていき、ガラス玉が日を受けて照り返すような、わずかな光が見える。
「……あ、おはよぉ……」
「……お、おはよう」
急に声を投げかけられ、通り一遍の挨拶を返す。
「んぅ……もうちょっと……」
「お、おう……」
…………。
なぜこんなところに人が……?
「あ、いや、いやいやいや、ちょっと待ってくれ。起きてくれ」
わずかに見えるようになった身体のラインのうち、おそらく肩だと思われる部分を掴み、ゆする。
「んんん~……やめろ~……」
やめろと言われても……。
「おい、起きろ。何してんだ、こんなところで」
「何って……」
寝返りを打ちながら不機嫌そうな声で答えを返してくる。
「……隠れてるだけだよ……」
…………。
「密航か!」
思わず大きな声を出す。
その声にビクッと震え、慌てたように起き上がる。
起き上がって……。
「あいだぁっ!」
高く積み上げられた荷物のせいで、すぐそばまで迫っていた貨物室の天井に頭をぶつけ、悲鳴を上げる。
「~っくぅ~っ……」
うわぁ、痛そう……。
ではなく。
「いつの間に入ってきた!」
「あ~……え~……ちょっと待って……」
「待たない! ……ちょっと、出てこ……いっ……」
脇と思われる部分に手を回し、引きずり出そうとするが――
「重っ……」
――この態勢ではかなり無理がある。
「おも……重いって言った!? あー! 失礼なんだ! 何考えてるの!? わきまえてよ!」
「お前が何考えてんだ! わきまえるのはそっちだろ!」
「ちょっ……くっ、くすぐったい……ふっ、ふひっ、ひひひ……は、離して……くふふっ……」
今さらになって気付いた。
女の声だ。
「……おい、従わないと、ひどいことするぞ」
「いっ!?」
急にそいつの抵抗が弱まる。
「……い、いつかこういう日が来るとは思っていたけど……いよいよか……」
「は?」
「……わかった。その手元にある首輪をつければいいさ。それと……ご主人様、って呼べばいいんだね?」
「手元にそんなものはないし、そんな呼ばれ方をしたいなんて言ってないぞ……」
「ああ! くそう! こんなところで、あたしの楽しい人生が終わるなんて! あ、でも、あたしはどんな状況でも楽しめる性質だから心配しなくていいよ! 新しい世界で楽しい人生の再開だね! ほら! さぁ! ハフハフ!」
「もういいからぁ! 出てきてぇ! おねがぁい!」
俺の悲痛な声が室内に響いた。
*
なんとか彼女を説得して、奥から出てきてもらう。
見た目は随分と可愛らしい。
室内に差すわずかな陽光のせいか、ところどころ黄金のように輝いて見える亜麻色の髪。
だが、その美しい色の髪の一部は寝ていたせいか、向かって右側が地面とほぼ水平になって突き出ている。
台無しだ。
肩よりもずっと下の方まで伸びているであろうそれは、動き易さを意識してか、後で一つにまとめられている。
相手の正体を推し量ろうと視線を巡らせると、若干の汚れが見えるが白い半袖のブラウスの上にライトブラウンのベストを羽織い、腰にはそれらの服が跳ね回らないようにか、薄黒いコルセットを着けている。
コルセットに押し上げられているせいか、胸元が開けた白いブラウスに覗く胸の谷間と、わずかに見える青みがかった下着が一際目を引く。
が、紳士たらんとする俺は彼女に再び鋭い眼光を向ける。
「で?」
「で?」
「…………」
どうにか引きずり出した後、お互い床に直接座り込み、膝を突き合わせて事情を聞くことにした。
が、出鼻を挫かれる。
思わずガクリとうなだれると、目線の先には、やはり動き易さを重視してだろうか、ダークブラウンのショートパンツにほぼ同色のショートブーツが目に入る。
脚には、おそらく元は黒かったのだろうが、日焼けしてしまって灰色に見えるレギンスに覆われてはいるが、線は美しく、しかし力強さを感じさせる。
いやいや、そんなところに感心している場合ではない。
「あー……それで……だ。それで、なんでこんなところにいるんだ」
「えっ、密航してるからに決まってるじゃん」
「それは分かってる!なんで密航なんかしてるんだって話だ!」
「うわっ、急に怒鳴らないでよ。あ、躾?調教ってやつ?すごいね、物の本で読んだ通りだ」
「何読んでんだ……」
いちいち会話を止めにかかってくるな……。
「いや、まぁ、とにかくだな……」
「うん?」
純真無垢そうな……いや、これまでのやりとりで無垢ではないことは判明しているが……そのくりくりとした大きな青い瞳で俺を見る。
不思議そうに首をかしげる仕草にあわせて、ポニーテールが揺れる。
胸の内にある考えを頭に届かせるためか、その白く華奢な指で、自らの唇を押し上げている。
「なんで密航なんてバカな真似したんだ?」
「なんでって……逃げるために決まってるじゃん」
「あー……うん……」
彼女のそのふっくらとした薄紅色の唇が困惑を示すかのように形を変える。
話が進まない。
仕方が無い。
彼女の話を一つ一つ確かめながら、詰めていこう。
「何から逃げるんだ?」
「んー……たぶん……民警から」
「民警からって……何か罪でも犯したのか?」
「まぁ……ね。色んなところから色んなものを借りてた」
「泥棒か……。で、拝借しすぎて、目立ってきたから逃げ出した?」
「ん……まぁ、そうだね。確かにやりにくくなってきてはいたね」
……なぜところどころ言い淀むんだ?
そもそも不審者なのだが、その不審さに不気味さを帯びてくる。
「……要するに、捕まりそうになって、慌てて逃げ込んだ先がこの船だったってことだな?」
「そういうことになるかな」
「…………」
こいつ……なんでこんな堂々としていられるんだ……。
「あー、もうすぐ国境なんだ」
「あ、そうなんだ」
「うん。で、だ。そこの検問所に着いたら、お前を引き渡そうと思う」
「そっか」
「うん」
素直なようで何より――
「困りますぅ~!」
「ああぁぁぁ~!」
――と思ったが、いきなり俺の両肩を掴んで思い切り身体を揺さぶってくる。
「こ、こっちの方が困ってるんだよ!とりあえず揺さぶるのをやめろ!話聞いてやるから!」
「わ、分かった」
うっ……なんか、気分が悪くなってきた……。
「じゃ、じゃあ、とりあえず、まず一つ、こっちから聞かせて。その検問ってどっち側?」
「どっち側って言うと……?」
「帝国側か、同盟側か、どっちかってこと」
「ああ……同盟側だよ。まだ回廊に入る前だからな」
「困りますぅ~!」
「あああぁぁぁぁ~!」
再び揺さぶってくる。
「やめっ……やめろ! 気持ち悪くなってきた!」
「やめて欲しかったらせめて帝国側まで連れてって! 帝国側でなら引き渡してもらっていいから! あ、やっぱダメ! 降ろすだけにして!」
「やめなきゃ吐くぞ! 吐きかけるぞ!」
「ひっ……」
結構強烈な脅しになったらしい。
瞬間的に俺を揺さぶるのをやめる。
「うっ……うぅ……」
「ご、ごめんね?」
「……はぁ……で、どうして同盟側じゃまずいんだ……?」
「あー、うーん……それは……」
「やることやったなら、しっかり裁きを受けたほうがいいぞ……。同盟側なら盗みごときで死刑になるような、前時代的な法じゃないからな。帝国の方はよく知らんが」
「うーん……そうなんだろうけど……ちょっと……」
なんなんだ。
はっきり言って欲しい。
「人でも殺したのか?」
「そんなことするわけないじゃん! あたしのモットーは“手早く、素早く、迅速に”だよ!」
……全部、ほぼ同じ意味じゃないか?
しかも人殺しをしない理由にはなってない気がする。
「……あのな、はっきり言ってもらわないと、こっちも判断のしようがないぞ」
「うーん……あたしもよく分からない“話”だったから、言っても上手く伝えられないというか……」
「“話”? なんだそれ」
「わかんない。でも、その……“話”をね?聞いたあとなんだけど、寝込みを襲われたんだ。盗みに入って民警に棒を振り回されながら追っかけられた事は何回かあるけど、ナイフを振り回されたのは初めてだったよ。あれ? でも、民警の制服じゃなかったな……」
「……どういうことだ?」
「知らないよ! こっちが聞きたいくらいだよ……。で、その場はなんとか切り抜けたんだけど、次の日からずっと誰かに尾けられるようになって。もう元の寝床に戻るのは怖いから、近くの森の中で野宿するようにしたんだ。でも、やっぱり何日か経った後にも襲われてさ」
「本当にその“話”ってのを聞いたのが原因なのか? 他に考えられることはないのか?」
「うーん……今までこんなこと無かったからなぁ……。いつも“お仕事”する時は顔を隠してるし……顔が割れるようなことはないと思うんだけど……。あ、寝込みを襲われたときに見られたかな……」
世の中には知らない方が良いってことは山ほどあるが、実際にそれに接する機会なんて滅多にない。
大過なく過ごす人がほとんどだろう。
しかし、これほど間が抜けたやつだ。
盗みに入るったって、民家や商会、商店程度が関の山だろう。
酒場で……聞かれちゃまずいこと話すバカはいないよな?
となると、商会で、何かやばい取り引きの現場でも見てしまったのか?
うーん……その可能性はあるな。
いや、もっと聞き出さないと確かなことは分からない。
「その“話”ってのはどこで聞いたんだ?」
「テキトーに歩き回って、テキトーに入ったとこ」
「要領を得ないな……。どんなところだった?」
「なんかねー、初めはぼろい無人の家だったんだ。『ちょうどいいや、寝床にしよう』と思って床の埃を払ってたら、外れそうな床板があって、それを開けたら地下室に向かう階段を見つけてさ」
あー……これは犯罪組織のアジト的なところに入ってしまった感じか。
「で、暗いからテキトーに歩き回ってたら、すごいキラキラしたところに出てね。すごいよ。廊下にはずーっと絨毯が敷かれてて、綺麗でおっきい大理石の像とか、絵も飾ってあったな。とても一人じゃ持ち運べないくらいおっきかった」
うん?
貴族の家か?
で、その地下室は脱出用の地下通路……いや、最近はそんなもの備えられるほど金回りの良い貴族家なんてあるのか?
第一、うちの国はそんなものが必要になるほど政情が不安定ではない。
「一番おっきかったのはねぇ、なんか杖を持って、金色の冠をかぶった偉そうなおじさんの絵だったよ。あたしの背の……倍くらいあったかな。あと、あたし達の国の国旗みたいな柄の布もあちこちにぶら下がってた」
……ん……?
「まぁ、そういうおっきい絵とか像ばっかりで、それ持って外に出るのはさすがに無理だから、手ごろな大きさのものを探して歩き回ってたの」
……もしかして……。
「あちこちに扉があったから、人気もなかったし、色々見て回ってたの。そしたら、ある部屋の前で中から話し声が聞こえてさ。なんか気になって、盗み聞きしてみたの」
お、王城……?
「なんて言ってたかな……。フラッシェルキ王国の……フラッシェルキって同盟の西側のおっきい国だよね?」
「……あ、ああ、そうだな……」
「その王国と……なんだっけ……。えーと、なんか約束したみたいな話で。そのあと、同盟の西の方の国の名前が幾つか出てきて。で、その国々とけっ……こん?じゃないな。んーと、け、け、けっ……たく?そう、ケッタクとかいうのをして……あー……」
まずい……気がする。
「で、フラッシェルキのー……かんたい?って言ってたかな。それを同盟に入れて、帝国に……」
まずい!
「あ! ああ! も、もういい! もういいよ! 分かった!」
「え!? ほんと!? 分かってくれた!?」
これは知らない方がいいやつだ!
「よかったー。じゃあ、帝国側まで送って……」
「次の検問で降ろします」
「……え?」
「降ろします! 引き渡します!」
「ぅえぇっ!? なんで!? どうしてさ!」
「どうしても!」
「なんでなんでなんでぇー!?」
「なんでも!」
再び俺の体を掴んで揺さぶり出す。
「連れてってよー! もう同盟側にはいたくないんだよぉー!」
「お前を……連れてたら……俺たちまでいられなく……お、おい……やめ……いい加減に……」
「いいじゃんかー! つれてってくれるだけでいいんだからさー!」
「い……いい加減にしろ!」
彼女の胸ぐらを掴んで声を荒げる。
元々開けていた彼女の服を引っ張ったせいで、より胸元が開き、その服の中がはっきりと見えるようになる。
……結構……オシャレな下着ですね……。
と思ったところで、急に頭を支えていた首が脱力し、その胸に顔を突っ込んで――
「ちょっ……っぎゃー! いきなり何して……」
「うっ……」
「う?」
「うぼえええぇぇぇ……」
――吐いた。
「…………」
「うぇっ、ゲホッ、うぅ……うおぇっ!」
「…………」
「はぁ……はぁ……」
「な、な、な……」
「うぷっ……あぁ……?」
何事かを喋ろうとする彼女を見上げる。
「何し……して……」
「何って……」
再び彼女の胸元を見る。
「うわ……」
これはひどい。
「これはひどい」
「うわわわわぁぁぁ~~ん!」
素直な感想を漏らした瞬間、彼女は大声で泣き出す。
「お、おい、ちょっと……」
「あああぁぁぁ~! 汚されちゃった~っ!」
「ちょっ……」
その時、貨物室のドアが開く音が聞こえた。
振り返る。
「艦長~、連れてき……」
「汚されちゃったよぉぉぉーっ! わうわおわぁぁぁ~ん!」
手隙の者達を連れてきた副艦長と一瞬目が合うが、彼の目は俺と彼女を行き来する。
そして、ゆっくりと口を開き……。
「やるじゃん」
何がだ。