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高濃度感情量子発生源・伊号

 7.

 きらきら、ふわふわ、ちゃぷちゃぷ。

 ――ああ、これはたまに見る夢だ。

 人魚姫になって、海の底を泳ぐ夢。

 銀色の小魚が渦を巻き、真珠のような水泡が弾け、海面が白く煌めく。

 こころは魚を追って泳ぎ出そうとしたが、水を蹴れず、沈んだ。

 両足が動かせなかったからだ。



 東シナ海、洋上。

 大型タンカーのデッキに仁王立ちしているのは、乃4号である。ガスマスクを脱ぎ、タカマガハラ学園の制服からセーラー服に着替えている。その視線の先にあるのは、海底油田の真上に建造されている掘削櫓、石油プラットフォームである。

「来るぞ」

 乃4号が低く呟いてから間もなく、石油プラットフォームの真下から炎が膨れ上がり、爆発した。濃密な黒煙と火柱が吹き上がり、ボーリングマシンが軽々と宙を舞った。それから程なくして、海面に石油が流れ出した。

「予想以上の成果ですね、リーダー」

 海面に広がった石油の帯に沿って炎が走ると、阿1号は仰け反る。「うおっ熱!」

「これぞ一石二鳥の作戦だ。ハレー・ビートルの狙いが地球の水資源であるとするならば、その水を汚してしまえばいい。そして、地球を見限って月と火星に逃げ出した者達に、故郷を捨てた罪を思い知らせてやるのだ」

 轟々と燃え盛る炎の熱を浴び、乃4号はうっとりする。

「石油の炎は美しい……。炭素が燃える匂いは芳しい。そう思うだろう、阿1号」

「仰る通りです、リーダー。なんかこう、腹の底から興奮しますよね。ところで、俺の本名はそれじゃないんですけど」

「どいつもこいつも常にマスクを被っているから、誰が誰やらでな。国連宇宙軍が番号を付けてくれたおかげで、やっと誰が誰だか解るようになった」

「あ、そうなんですか……」

 タンカーの傍に待機していた高速艇から、ダイバーが海中に飛び込む。十数分後、海底に没していた少女を引き揚げてきたが、海面から浮上した途端に膨大な蒸気が噴出した。 

 海面上で冷却剤をたっぷりと掛けられてから、大型タンカーのデッキに転がされたのは、裸身のこころだった。両手足には制御棒と同じ素材で出来た拘束具が填められ、両足には特に念入りに鎖が巻き付けられていた。

「制御リングを」

 乃4号が指示すると、こころの細い手足に太い金属環が填められ、更にその金属環に鎖が付けられ、海老反りの体勢で固定された。二重の意味での拘束具だ。

「延焼の範囲は広がっているな」

「はい、リーダー! 移動するなら今です!」

 双眼鏡を覗いていた宇2号が報告すると、乃4号は頷いた。

「全速回頭、太平洋上へ移動せよ!」

「それにしてもよく生きてますよね、これ。両足に重りを括り付けられて放り込まれて、海底近くまで沈んだのに内臓が潰れたような様子もないし。んで、自分自身の熱で水蒸気爆発を起こして海面まで一気に浮上してきたっていうのに、その爆発のダメージもないようだし」

 はあはあと喘ぐこころを見下ろし、宇2号は感心する。

 乃4号はグラスファイバー製の耐熱布を掛け、こころの肌を隠してやる。

「それは自己防衛機能のおかげだ。高濃度感情量子発生源は常に熱の薄膜を纏っているから、体に掛かるダメージを跳ね返せるんだ。状況に応じて熱量を変化させ、生命活動を維持することも可能だ。やりようによっては、生身で宇宙空間にも出られる」

「へー、凄いですねー」

「当然だ。科学技術の粋を集めた傑作だからな」

 乃4号は耐熱布で包んだこころを抱き上げると、船室に運び入れた。常人が触れると大火傷を負ってしまうからだ。耐熱素材で作った布団に転がし、制御棒と同じ素材で出来ている制御リングを増やすと、ようやくこころの熱量が下がってきた。それでも100℃近い温度なので、たちまち船室はサウナのように熱くなった。

「う……あ、がっこう、いかなきゃ……」

 自分の発する猛烈な熱に浮かされ、こころはうわごとを漏らす。

「もう少し寝ておけ」

 乃4号はこころの半開きの唇を開かせ、洋酒を使ったチョコレートを押し込んだ。こころは唇に触れた途端にとろけたチョコレートを舐め取り、喉を鳴らして飲み下すと、穏やかな寝息を立てて熟睡した。なので、口も拘束具で塞いでやった。

「眠らせるために薬を使わずに済むのはいいが、いくらなんでもアルコールに弱すぎだろう、これは」

 乃4号はチョコレートを一つ口に放り込んだが、やはりすぐに溶けてしまい、舐める前に液状化してしまった。しかし、眠気は訪れず、程良い甘さとリキュールの効いたカカオの香りが鼻に抜けた。

「遺伝子情報は同じでも、体質には個体差が出るんだな」



 国連宇宙軍、那覇基地。

 その敷地内からでも目視出来るほど、海底油田から上がった火柱は大きかった。

 潮風と共に押し寄せる黒煙を浴び、軍服姿のレイチェルは顔をしかめた。

「石油の匂いはそんなに嫌いじゃないが、クリーニングしたての軍服がきな臭くなるのは嫌だね」

 国連宇宙軍が想定した通り、こころを攫った石油の民は沖縄の石油コンビナートに現れた。これまでの石油の民の行動を顧みれば、テロ行為に及ぶとみてまず間違いないだろう。

 過去にも、石油の民(ペトロニアン)は石油コンビナートを襲撃しては破壊し、海に炎と石油を撒き散らしていたからだ。そのせいで世界各地の油田の生産能力が大幅に落ち、多くの労働者が失業したのだが、イノベーションはそういった失業者達を率先して雇い入れ、石油会社の損失も補填した。そうして雇われた労働者達は火星に連れていかれ、火星開発事業の礎となっている。企業とはしたたかだ。

「気の進まない作戦なのは俺も同じだよ、レイチェル」

 燃え盛る海底油田を見据えているブライアンは、語気に苦みを滲ませた。彼も、他の皆もかっちりとした軍服を着ている。

「制御棒を抜かれたこころさんが臨界を超えてしまえば、制御棒を何本使おうとも熱量を封じられなくなってしまいますわ。そうなれば、メルトダウンを起こし、こころさん自身が融解してしまうでしょう。そのような事態になれば、ハレー・ビートルに対する手段を失うばかりか、その熱で海底プレートに穴が開いてマントルが大噴火する可能性もありましてよ。だから、引き下がれませんわ」

 ココは軍帽を外して胸に添え、哀切な眼差しを業火に注ぐ。

「もっとも、俺らで源を止められるかどうかは別問題だけどな」

 軍帽に指に引っ掛けて回しながら、いづむは冷ややかに言い捨てた。

「それを言うな。皆、解ってんだからさ」

 ブライアンはブロンドの短髪を掻き上げ、整えていた髪をわざと崩した。

「で、さっきの会議で本決まりした作戦の概要はこうだ。タンカーを中心にして艦隊を組んでいる石油の民を地上軍と宇宙軍の合同海上部隊で制圧し、乃4号――もとい、高濃度感情量子発生源・伊号――を活動停止させ、源を活動停止させて回収する」

 な、簡単だろ。と、言い切ったいづむに、レイチェルは苦笑する。

「言うだけなら、どんなことだって簡単だ」

「ですけど、伊号さんって横浜新興区を支えておられた高濃度感情量子発生源なのでしたわよね? 資料の通りなら、製造日から四十五年経っておられるのでしたわよね。それが、なぜテロリストに身を窶してしまわれたのですの?」

「んじゃ、ざっくり説明してやるけどさ。伊号は活動限界を迎えたから廃棄処分されたんだけど、隔離施設の整備に出入りしていた下請け業者の中に石油の民の工作員が混じっていたんだ。んで、伊号も源と同じく世間知らずだったもんだから、ころっと言いくるめられて、廃棄処分されずに逃げ出して今に至る。というのが調査結果に基づいた結論だ」

「それは説明ですらないだろ」

 ブライアンが呆れると、いづむは腹立ち紛れに軍帽を振り回す。

「さっきの会議で、呂号の特性やらスサノヲの性能やらの説明を何度も何度もさせられたからうんざりしてんだよ! 口が疲れてんだよ!」

「活動限界を迎えたら、廃棄処分されるのでしたわね、あの子も」

 痛ましげに俯くココに、ブライアンは肩を竦める。

「何を今更。俺達は、ずっと昔からそうしてきたじゃないですか。古い時代には、ああいう多感な娘を巫女だの魔女だの聖女なんだのと祭り上げては感情エネルギーを一滴残らず搾り取って、活動停止したらモノとして葬ってきたんですから。あの子は人間の子供の形をしているから、妙な気持になるのであって、あの子が人間から懸け離れた形をしていたら、誰もなんとも思わないですよ。――クラスメイトだと思うべきじゃなかったんです」

「そう。そうなんだ」

 だから、罪悪感が生まれるし、気が咎めるし、やるせなくなる。

 アレは人間じゃない。少女でもない。ただのエネルギー源だ。レイチェルは躊躇いを振り払おうとしたが、こころの笑顔が脳裏を過ぎり、決意を揺らがせた。

 暖かな日差しが差し込む中庭で、ココとレイチェルとこころの三人でお弁当を食べたこと。慣れない授業に四苦八苦するこころを手助けしてやると、全力で感謝してくれたこと。学園祭が楽しみだとはしゃいだこと。それは全て偽りだ。

 けれど、共に過ごした時間は本物だった。



 石油の民(ペトロニアン)に悪用されないためには、こころを破壊するしかない。

 高速戦闘艇に乗り込んだレイチェルは、感情量子を効率よく放出するための装備に身を固め、深呼吸した。感情量子操作訓練で教わった呼吸法で精神を落ち着けると同時に血中酸素量を増やし、感情量子を活性化させる。

「上手くやれよ、雨のナカジマ」

 レイチェルと同じ部隊に配属されたブライアンに茶化され、レイチェルはその呼び方がむず痒くて毒づいた。

「生憎、今日は快晴だ。雨なんか降るわけないだろ」

「降るさ。すぐにな」

 ブライアンの根拠のない言葉に、高速戦闘艇を操舵する軍人達から笑いが上がった。それがやけに耳障りで、レイチェルは顔を背けた。

 波に乗って伸びていく重油の帯を摺り抜けた高速戦闘艇は、炎上している海底油田から離脱しつつある大型タンカーを追尾した。

 大型タンカーは国連宇宙軍の高速戦闘艇に比べて足が遅いので、追い付くのは時間の問題だ。だが、接近すれば当然相手も反撃してくる。

 銃撃の応酬が続いた。機関銃による掃射が途切れると、ロケットランチャーが放たれるが、それも決定打には欠ける攻撃で、互いに牽制し合っている。だが、あまり長続きさせて消耗戦に持ち込まれてはこちらが不利になるので、高速戦闘艇は大きく旋回してタンカーとの距離を開け、作戦を切り替えた。

「魚雷の用意、完了しました!」

 通信兵からの報告を受け、レイチェルはブライアンに確認した。

「中嶋、配置に付きます! んで、ブライアン、そっちの通信準備は?」

「いつでもイケる。チャンネルもフルオープンだ」

「その割に、迷彩服のままなんだけど? あんたの能力は異常性癖みたいなものじゃんか、着替えてもらわないと使い物にならないよ」

「この狭い船の中でストリップしろってのか?」

 猛烈な羞恥心に襲われているらしく、ブライアンの耳が赤らんでいる。ということは、まさか。レイチェルは彼の胸を凝視した。

「……何カップ?」

「頼むから聞くなよ、聞かないでくれよ。俺だって出来れば知りたくなかった、自分のブラのサイズなんてさぁ」

「アンダーは?」

「だから聞くなよ」

 隠されると余計に気になる。

 こいつは筋肉があるからトップは私よりもあるんじゃないのか、いやまさか、だが、とレイチェルが悶々と悩んでいると、戦闘区域に到着した。



 高速戦闘艇のデッキに出たレイチェルは、救命胴衣を着けて命綱を繋いでいた。最前線の高速戦闘艇は大型タンカーの周囲を挑発的に巡っている。

 レイチェルは息を詰めて感覚を研ぎ澄ませ、海中に放たれた機械の魚のエンジンを捉え、高感度センサーを多数搭載した12式短魚雷のタービンに点火する。ブライアンの変装変動を利用した通信網を経由しているので、いつもの遠隔点火とは手応えが違うが、やりづらいわけではない。むしろ、熱効率が上がっている。レイチェルとブライアンの感情量子振動数が近いから、相性が良いようだ。

 12式短魚雷は斥候だ。浅く潜らせ、友軍の下をくぐらせて大型タンカーに向かわせるが、タンカーまで五〇メートルというところで爆発した。信管が何らかの障害物に衝突した感覚はなかったことからすると、敵に誘爆されたようだ。

「うぐっ」

 爆発の余波が船体を持ち上げ、急降下させる。レイチェルは手すりを掴んで踏ん張り、荒い波乗りに耐えた。海水の豪雨の中、大型タンカーを睨む。

「こんな雨じゃ使い物にならないよ。もっと水分子の密度が濃くないと……」

 大型タンカーの船首に立つ少女が、すっと右手を上向ける。

 直後、間欠泉が吹き上がり、高速戦闘艇が真下から持ち上げられた。

 海水が局地的に熱されて沸騰したのだ。先程の衝撃波が児戯だと思えるほどの激震に見舞われ、レイチェルは前後を見失いかけた。濡れた手すりを掴んでいた手が滑り、外れたが、命綱が張り詰めてレイチェルの体を繋ぎ止めてくれた。

「やりやがったな、クソッ垂れがっ!」

 命綱を引っ張って態勢を整え、つるつる滑る甲板を踏み締め、レイチェルは再度集中する。海底で待機中の潜水艦から大型魚雷のMk54を射出したとの報告を受け、大型魚雷のタービンに熱を入れてスクリューを回転させる。だが、敵は早々に気付いたらしく、また新たな間欠泉が湧いた。

 機銃掃射を浴びせたかのように一列に吹き上がる間欠泉は、的確にMk54の軌道を追尾しているが、あと一歩というところで追いつけない。

「手を抜いているのか、それとも誘っているのか?」

 敵の真意を読み切れず、レイチェルは眉根を寄せる。Mk54さえ炸裂すれば戦況はこちらに傾く。魚雷の真価は爆発力ではない、バブルパルスだ。

 レイチェルが熱と共に指示を送ると、Mk54が炸裂して海面を丸く膨らませた。その爆発で生まれた無数の泡が膨張と収縮を繰り返し、繰り返し、バブルジェットとなって構造物を抉る。その構造物とは、大型タンカーの船底だ。

「シャワーを浴びる時間ですわ」

 別の高速戦闘艇の船首に、水着姿のココが立つ。鮮烈な赤のビキニで、細いストラップだけが大きな胸を支えている。戦場にはあまりにも場違いな光景だ。ココが合図を送ると、勢いを緩めた放水が降り注ぎ、ココの肌を潤すが、その傍から蒸発して霧が立ち込める。

「あはぁんっ」

 白い靄に包まれていくココは顔を火照らせ、腰をくねらせる。どうせ、またスサノヲがらみの妄想をしているのだろう。ココの能力である幸福融解は本人以外には非常に使いづらいが、簡単にスモークを作るには打って付けの能力だ。

 大型タンカーの周囲一帯がホワイトアウトすると、敵影は見えなくなったが、位置は捕捉済みだ。そこにミサイルを叩き込めば、勝負は決まる。

「赤外線ホーミング誘導を行う! 発射用意!」

『了解! 雨のナカジマならぬ霧のナカジマだな!』

「少し黙れ、集中出来ない」

 耳に掛けたインカムを通じてブライアンに言い返してから、レイチェルは深く息を吸い、止める。ココの作った霧は水分子の密度が高く、空気に比べて熱伝導率が高い。その水分子に熱の糸を走らせて目標に据えれば、ミサイルはその赤外線を追って命中する。それが、レイチェルが雨のナカジマと呼ばれる所以だ。

「――来た」

 後方から迫ってきた戦闘機が、一発のミサイルを射出する。

 そのミサイルの推進剤を遠隔点火して加速させつつ、目視出来ない赤い糸を辿らせ、その糸の先に立っている熱源に向かわせる。凶暴な火力の固まりがスモークを抉り、吹き飛ばし、甲板へと吸い込まれた。

 刹那、閃光と爆風が駆け抜ける。

 黒煙が渦を巻いて空へと吸い込まれ、大穴が開いた甲板が見えた。少女は船首から一歩も動いてなかった。熱い空気を渦巻かせていたが、手を払い、煙混じりの熱気を振り払った。無傷だ。甲板には黒々と焼け焦げが付いたが、少女の手前でくっきりと区切られていた。そこから後ろは綺麗なものだった。

「なるほど、プロスト先生の叡智圧伏(プロフェッサープレッシャー)と同じことをしたのか。器用なもんだ」

 だったら、攻撃を続けるまでだ。

 レイチェルは視線に力と感情を注ぎ、細く、鋭く、赤外線を紡ぐ。

 上空を行き交っていた戦闘機からミサイルが、機関銃が、高速戦闘艇からも弾丸の雨を撒き散らして大型タンカーに浴びせかける。その最中にも機雷で追撃を行い、バブルパルスで損傷個所を今一度痛めつける。

 蜂の巣にされて大穴を穿たれた大型タンカーは、タンクに入れていたバラストの海水を噴出しながら真中からへし折れ、沈没した。だが、乗組員は没さなかった。なぜなら、例の少女が作った上昇気流の丸い渦の中に浮かばせていたからだ。

「おいおいおいおい……! こんなのありかよ?」

 並みの熱量で出来る芸当ではない。レイチェルは唇を歪めながら、丸い渦の中でもみくちゃにされているガスマスク姿の女子高生達を見据える。その球体の中心に浮遊しているのは、こころを抱えているセーラー服姿の少女だった。顔立ちはこころによく似ているが、こころよりも少し背が高く、外見だけなら十七歳程度だ。はだけたブラウスの胸元からはみぞおちに開いた穴が覗いていたが、そこには何も填まっていなかった。

 あれが、高濃度感情量子発生源・伊号。俗称・(みなと)ゆずりは。

「どうした、これで終わりか?」

 遠く離れているのにレイチェルの脳内にゆずりはの言葉が聞こえたのは、ゆずりはがブライアンの通信網を絡め取ったからだろう。ブライアンの馴染みやすい熱が遠ざかり、その代わりにゆずりはの暴力的な熱がレイチェルを襲った。血管に熱湯を通されたような不快感が、集中力を乱す。

「う……っ、投降せよ、伊号! 呂号は遠からずメルトダウンする! そうなる前に手を打たなければ、そちらも無傷では済まない! 繰り返す、全員投降せよ!」

 だったら繋がった状態を活用すべきだ、とレイチェルは苦痛を堪えながら叫ぶと、ゆずりははどろりと濁った目で見返してきた。

「やかましい」

 高速戦闘艇が丸ごと突き上げられ、レイチェルも浮き上がる。

「うあっ!」

「我らの目的は、崇高にして偉大なのだ」

 冷淡で強靭な拒絶の意思により、ゆずりはとの通信は途絶した。

 転覆した高速戦闘艇に引きずられて海中に没したレイチェルもまた、意識を失った。覚えているのは、ゆずりはの声に宿る敵意だけだった。



 ――ここは、どこ。

 海に半身を浸しながら、こころは目を覚ました。

 頭ががんがんして、胸がずきずきして、体がじんじんする。至る所が熱く疼いて収まらない。止まらない。下がらない。

 上体を起こすと、髪に入り込んだ砂粒がぱらりと零れる。体を覆っている白くてごわごわする布を巻き直してから、こころは辺りを見回した。

 エメラルドグリーンの海に白い砂浜、濃い青空。

「ここって、もしかして、南の島?」

 いつのまに、こんなところに来たのだろう。

「えっと、私、あれからどうしたんだっけ」

 学園祭でキャンプファイアーをする時に必要だからとスサノヲと一緒に薪を集めに行って、それから、それから……。

「がっこうが、もえて」

 炎を背負いながら勝ち誇る、クラスメイト達。

「みんなが、うたれて」

 ココとレイチェル、ブライアンといづむの手足に金属棒が撃ち込まれて。

「それから、それから」

 スサノヲが、目の前で燃やされて。

「あ、あああああ」

 痛くて辛くて熱くて、頭が割れそうだ。

 こころは頭を抱えて呼吸を荒げると、下半身が浸っている浅瀬が沸騰し、白い湯気が昇った。夢の中と同じだ。いや、あれは夢ではなかったのだ。現実だった。

「くそ……量子濃度が落ちてきた……。一度に出し過ぎたかもしれんな」

 白い砂浜でうつ伏せに倒れていた少女は、焼け焦げだらけで穴の開いたセーラー服から薄い湯気を発していた。

「リーダー!」

「大丈夫ですか、俺達はリーダーのおかげで大丈夫です! ちょっと熱中症気味ですけど、水飲んだから大丈夫です! 海水だけど!」

「やりましたね、これで俺達は敵なしです! タンカーもなくしたけど!」

「そんなもん、どうにかなりますよ! 俺達にはリーダーがいるんですから!」

 少女を取り囲んだガスマスク姿の男達は、少女を起こそうとするが、少女はそれを制した。息を荒げながら起き上がり、咳き込む。

「少し黙れ」

「ん、大体計算通りだな」

 聞き覚えのある声にこころは振り向き、目を見張る。

「いづむ先生!」

「その呼び方はやめろ、やりづれぇなぁ」

 迷彩柄の戦闘服姿のいづむは重武装した戦闘部隊を率いていて、彼らは自動小銃を構えていた。その照準は、少女とこころに定まっている。

「クソッ垂れなテロリスト共が暴れたせいでちったぁ海流は変化したが、大したもんじゃない。だから、お前らが流れ着く場所は簡単に割り出せるし、待ち伏せも出来る。それだけ消耗していたら、いくらお前らでも勝ち目はない。とっとと降伏しやがれ、軍人共」

「え、え、えっ?」

 こころが困惑していると、こころの頭にぽんと手が置かれた。振り返ると、軍服姿のギルが立っていた。その背後の海面には蒸気の筋が漂っていて、熱量後方噴射走行法で海の上を渡ってきた証拠だった。

「ギル爺ちゃん……?」

「こころ」

「あの、あのねっ、わたしっ」

 泣きそうなほど嬉しくなり、こころはギルに近寄ろうとする。

 が、ギルは軍服の下から拳銃を抜き、こころに向けた。

「許せ、こころ」

「ふへ」

 なんで、どうして。

 問いかけようとしても唇が震え、体が竦み、こころは硬直する。

 乾いた銃声が弾け、赤い飛沫が白い砂浜に散った。


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