学園祭、炎上
6.
学園祭の入場ゲートが燃え盛り、模擬店が焼け焦げている。
黒煙に包まれる校舎を前にして、こころは呆然と立ち尽くす。一体、何がどうなっているのだ。ココやレイチェルは、生徒の皆は無事なのか。
がらんごろぉんっ、と崩壊した鐘楼から赤く熱した鐘が転げ落ち、体育館の屋根を貫いた。灰混じりの熱風とガラスの破片が飛び散り、木々を切り裂いた。
「帰りが遅かったな」
一人と一艦の前に立ちはだかったのは、ガスマスク姿の女子高生の一人、乃4号だった。バイザーの奥で細められた目には、敵意が漲っている。
「我らを汚染された隔離地域に封じようとも、我らの信念と石油への情熱は衰えはしない! そして、この星から石油が湧き出る限り、我らの野望も枯渇することはない! 蜂起せよ、同志達よ! 燃え上がれ、その魂!」
乃4号が拳を突き上げると、地鳴りのような歓声が沸き上がった。
クラスメイト達が物陰から現れ、ココ、レイチェル、いづむ、ブライアンの四人を乱暴に転がした。彼女達は鎖で拘束されているだけでなく、両手足に細い金属棒を何本も撃ち込まれており、赤黒い血が制服に染み込んでいる。
「制御棒を撃ち込む場所は、何も中心でなくともいい。そして、制御棒の太さも一センチ以下でもいい。それがただの軍人であれば尚更だ」
乃4号が無造作に投げ捨てたのは、自作と思しき木製のボウガンだった。
「WR7ともあろう軍人がこの様とは、国連宇宙軍の練度も地に落ちたな」
「それについては弁解の余地もねぇが、いづむは戦闘員じゃない、技術少尉だ。俺達とは違う、制御棒を撃ち込まなくても拘束出来る。やりすぎだ」
ブライアンは気力で声を絞り出し、乃4号に抗議する。
「だが、その技術少尉は電熱誘導と称される能力を持っているではないか。熱を変換して生み出す電力を自在に操れる能力があるからこそ、ヲ式人工知能を任されていたのだ。その秀でた才覚が、我らにとって有益であるはずがない」
乃4号はガスマスクの顎に手を添え、ブライアンを見下ろす。
「そして、ワーウィック少尉の能力は変装変動。服装を変えることによって感情の起伏を激しくさせ、その際に生じる熱量を用いて超広域の通信が行える。すなわち、少尉自身が通信基地というわけだ」
「そこまで知っているのなら、なんで私達にまで手を出した? ブライアンに危害を加えれば、ブライアンが無意識に通信電波を放って国連宇宙軍に緊急通信が届くことは、解り切っているはずだ」
レイチェルの問いに、乃4号は誇らしげに両腕を大きく広げる。
「我らの崇高さを世界に知らしめんがため、そしてお前達の愚かさを知らしめんがためだ! お前達の失態は月にも火星にも一瞬で知れ渡ることだろう!」
「さすがは俺達のリーダーだ!」
「どこまでも付いていきます! だから、ここまで付いてきたんですけどね!」
「本当はちょっとだけ学園祭したかったかも……ああいえなんでもありませんっ、俺の青春は石油の民に捧げましたからいやマジで!」
「ありがとう、同志達よ」
すっと手を差し伸べて乃4号が制すると、石油の民達は静まった。
「というわけで、下準備は整った。では、本懐を遂げるとしよう」
「うあ……」
怯え切ったこころがたじろぐと、すかさずスサノヲが割って入った。
「俺の天使に近付くな、テロリストが」
「我らが信念をつまらんテロリズムと同列に扱われるのは不本意だ。我らが使命は、政治や宗教などという矮小な世界に収まるものではない。人類という種に変革と進化をもたらすための破壊であり、制裁だ」
乃4号はスサノヲにも手を差し伸べると、スサノヲは先程使用したレーザーブレードを握り、身構える。が、スサノヲは突如爆発した。
乃4号は、触れてすらいなかった。
「スサノヲさぁんっ!」
こころが動揺すると、乃4号はおもむろにこころの腕を掴む。恐ろしく熱い手だ。
「熱いっ痛いっ!」
「そうだ。その痛みこそが現実、苦しみこそが事実だ」
乃4号はこころの顎を鷲掴みにし、ガスマスクと額を突き合わさせる。焼けた石のような手がこころの薄い肌に食い込み、肌の潤いを蒸発させた。
「石油は誰にとっても平等だ。感情などという不安定で不確実な力に比べ、誰が扱おうとも等しい熱と力を与えてくれる。故に、お前は理不尽の極みであり、不条理の具現化だ」
こころもまた、クラスメイトだった者達の手で拘束された。鎖できつく縛り上げられると、乃4号がこころの制服の胸元を握り、燃やした。黒く縮れた布地が乱暴に押し広げられ、胸が曝け出された。
「やだあっやだよぉっ」
こころは羞恥心で泣き叫ぶが、乃4号はこころの薄い胸を覆うスポーツブラをつまみ、上にずらした。膨らみかけの胸が露わになる。
「なるほど。お前の制御棒はこれ一本か」
乃4号の指先が、みぞおちに埋まっている金属棒に触れた。
「お前達、よく見ておくがいい」
乃4号はこころを部下達に向けて突き出し、制御棒を抜き始めた。
「この歪んだ世界を潰すには、こんなものを一本抜くだけでいいのだ」
痛みもなく、淀みもなく、細い金属棒が少女の胸から脱していく。
熱い。
胸の奥が、内臓が、神経が、骨が皮膚が髪が脳が眼球が脊髄が。
ゆらり、と陽炎が視界を過ぎり、そして。
衛星軌道上、国連宇宙軍衛星基地。
「旧東京地区の超高濃度感情量子発生源隔離地域にて、正体不明の熱源の発生を確認!」
「急激に温度が上昇しています! 二〇〇、二五〇、三八〇、五〇〇!」
「熱源の中心はタカマガハラ学園! ワーウィック少尉との通信、途絶したままです! 呼びかけ続けていますが、応答ありません!」
「ロズベルグ大佐、中嶋少尉、射延技術少尉の生命熱源反応、正体不明の熱源が発生させた熱波の影響で感知出来ません!」
「呂号専用隔離地域のタービン、緊急停止命令を受け付けません!」「その影響で、周辺地域の気温が急激に上昇!」
「アマツカミ級無尽戦艦の軌道に変化あり! 超高濃度感情量子発生源・呂号の感情量子が急速に増大したために熱暴走を起こしためだと思われます!」
「このままでは、スサノヲは地球へと落下します!」
「落下予測時刻は」
ギルベルト・ベルガーは、穏やかに報告を求めた。
「現在の落下速度は時速四万キロ、大気圏摩擦によって減速したとしても、時速二〇〇〇キロが限界です。アマツカミ級無尽戦艦のオートパイロットシステムもほとんど機能していませんので、地上に到達するまでは一分も掛かりません。そうなれば、地球と我々は、われわれはっ……」
徐々に女性オペレーターの語気が弱まり、恐怖に震えた。
「ここがスサノヲの男の見せ所だ」
ベルガーは司令室を一望する席にゆったりと腰掛け、地球へと迫りつつあるクジラを眺めた。その真下には、円形の壁に囲まれた隔離地域がある。
「それを見守ってやるのが、私の仕事だよ」
熱くない。暖かい。心地いい。
でも、胸は疼いている。淡い意識の中、こころが目を開くと、剥き出しの胸を誰かの手が守ってくれていた。爆砕したはずの人型ロボットの手だ。
その手が、制御棒を掴んで押さえてくれていた。
「あ……」
ゆらりゆらりと波打つ熱気に煽られ、髪が舞い上がる。鎖が柔らかくとろけ、外れて落ちた。だが、自分が発した熱が高すぎて眩暈を起こし、こころはよろめいた。
こころを受け止めてくれたのは、人型ロボットのスサノヲだった。
「なぜだ、私が爆砕させたはずだ! 艦体のエネルギーも下がっているのだから、スペアの転送も不可能だ!」
不愉快さを剥き出しにする乃4号に、スサノヲは怒りを宿した声で返す。
「何、簡単な話だ。俺は演算能力も高いが学習能力も高くてな、一度機体に受けたダメージをフィードバックさせて艦載機に改良を加える機能を持っている。言わば自己進化だ。よって、お前が生み出した熱量は、以前こころちゃんが俺に喰らわせた熱量よりも遥かに弱かったというだけのこと。もっとも、バッテリーだけは耐え切れずに爆発してしまったようだが、そんなものはどうでもいい」
スサノヲはこころを抱き寄せてから、乃4号を睨み付ける。
「石油の民よ、このまま引け。今は人間同士で小競り合いをしている場合ではない。俺は非殺傷設定により、人間に危害を加えられないが、それがなければお前に荷電粒子砲を浴びせかけていたところだ」
「人工知能に情けを掛けられるとは、思ってもみなかったな」
いやはや全く、と乃4号は首を横に振っていたが、指を弾いた。
直後、スサノヲ目掛けてガソリンが掛けられた。制御棒を抜かれかけたことで過熱したこころから放たれる熱がガソリンを気化させ、引火した。
またも、爆発が起きた。
――――クジラが衛星軌道上に戻っていく。
痛みと熱さと息苦しさの中、レイチェルは薄雲が漂う空を見つめていた。
油断していたわけではなかったが、相手の熱量が大きすぎた。
あの時、乃4号はレイチェルらを熱波だけで圧倒した。
ほんの一瞬の出来事だった。
スサノヲとこころを見送った後、校舎に入ろうと振り返った時に乃4号と鉢合わせした。その瞬間に膨大な感情エネルギーを浴びせられ、昏倒した。痛みと騒音で目を覚ましてみると、惨めな有様になっていた。
「う……ぐぅっ……」
手足に撃ち込まれた制御棒が疼き、神経が痺れ、熱を持った骨が軋む。浅く速い呼吸を繰り返していると、人影が過ぎった。
「騒がしいので見に来てみれば、いやはや、やりたい放題だね」
老紳士、パウエル・プロストだった。なぜ部外者がここに、とレイチェルが起き上がろうとすると、プロストはレイチェルを制した。
「あまり動いてはいけないよ、神経に傷が付いたら大変だからね」
「な、ぜ、ここに」
「その説明をするのは、この火事を片付けてからにしよう。延焼すれば大事だ」
「ですが」
「どうやって火を消すのかと言いたいのだろう? その答えは簡単だ、酸素の供給を止めてしまえばいいのだよ」
プロストはハットを押さえ、燃え盛る校舎を強く見据えた。
――風が断ち切られた。
熱風と灰が異物に遮られている。降り注いでくる灰が平たく張り付き、崩れたレンガが空中で放射状に砕けた。まるで、透き通った塀が立っているかのようだ。
「叡智圧伏……。先生の能力でしてよ」
ココの脆弱な囁きが、轟音に掻き消された。
一瞬にして、校舎が更地と化した。粉塵の混じった煙が幾筋も立ち上っているが、荒れ狂っていた炎は、酸素を絶たれたことで全て消え去っていた。プロストはハットを押さえながら、やや気恥ずかしげに説明する。
「その呼び名は大袈裟だ。私は感情エネルギーを熱に変換するのが不得手だから、どれほど訓練しても君達のようには出来なかった。だから、エネルギーを平たく広げ、壁を作れるように訓練したまでだ。何の役にも立たないものだと思っていたが、こうして役に立つこともある」
「先生ぇ……スサノヲ様と、こころさんは……」
ココが途切れ途切れに問うと、プロストは首を横に振った。
その後、四人は国連宇宙軍に救助され、制御棒の摘出手術と加温治療を受けた。
石油の民のリーダーである乃4号が放った高出力の量子エネルギー波と、スサノヲが地球に落下しそうになった際に発生した衝撃波で監視衛星の大半が破損してしまったため、こころの探索は捗っていなかった。
スサノヲはといえば、こころが無意識に放った膨大な感情量子と自身の感情変動から生じた過負荷でヲ式人工知能がダウンし、アマツカミ級無尽戦艦も同様だった。姿勢制御システムは復帰したので地球へ落下する危険は免れたが、朗報はそれだけだった。
隔離地域内に設置された国連宇宙軍臨時基地にて、二人の男が対面した。
国連宇宙軍総司令官、ギルベルト・ベルガー。
感情量子学の権威である元大学教授、パウエル・プロスト。
プレハブの簡素な応接室にて、ベルガーとプロストは向かい合って座っていた。テーブルには二人分のコーヒーが並んでいたが、どちらも手を付けていなかった。
「軍法会議に掛けるのであればハレー彗星が来た後にしてくれ、プロフェッサー。あれを見るために踏ん張ってきたのだからな」
「いや、そのつもりはない。ギルベルトのやり方は解っているさ、付き合いは長いからね。だが、さすがにあれは年頃の娘さんには刺激が強すぎたんじゃないかな」
「かもしれん。だが、刺激を与えなければ、こころの感情量子の分泌量は上がらない。分泌量が上がらなければ、スサノヲはフル稼働できない。スサノヲがフル稼働できなければ、人類と地球は滅ぶだけだ。なに、長引かせはせんさ」
「彼女達は寿命こそ長いが、最大出力で稼働出来るのは思春期の頃だけだからね」
「元々、こころはハレー・ビートルに対抗するために開発された個体なんだ。だから、絶頂期とハレー・ビートルが襲来するタイミングが合っているのは当然なんだが、肉体が成長していても精神が成長しなければ意味はない。アレの二の舞になっては困るんだ」
「国連宇宙軍総司令官としてかい?」
「個人としてもだ」
「だとすると、全て予測の範疇だったのだね、ギルベルト。隔離地域に僕が現れることも、教え子とその友人たちを救うことも、彼女が石油の民を率いていることも」
「だとすればどうする、プロフェッサー」
「流れに任せるまでだ。勝負は最後の最後まで解らないからね」
「お前はどちらの味方だ?」
「僕は生き残る者の味方だよ、ギルベルト」
そう言って、プロストはコーヒーではなく冷水を呷った。
「隔離地域を囲んでいる壁とタービンを壊したのは私ではないからね、先に言っておくが。だが、あれはデタラメに破壊したわけではなく、稼働に必要最低限な部品を外しただけだったよ。おかげで、すんなりと隔離地域の中に入れたわけだが」
あまり泳がせすぎるんじゃないよ。と、プロストはハットの鍔を下げた。
真っ白い湯気。暖かいお風呂。ぐつぐつと煮える風呂。
早く上がらないと、のぼせてしまう。
そう思っているのに、体が動かない。こころは熱すぎる空気を吸い込んで身を捩ったが、湯の中でがしゃがしゃとぶつかり合った。何か、硬いもので縛られている。手足だけではなく、首と胴体もだった。
「それはお前の熱では溶かせない。セラミック製だからな」
湯気の向こうに、人影が立った。
「冷却水が足りないようだな」
熱湯に浸かるこころを見下ろすのは、ガスマスクを被った女子高生だった。そのガスマスクに書かれている文字は――
「乃4号、さん」
「制御棒を抜きかけただけで暴走しかけるとはな。お前が未熟な証拠だ」
「みんなは、どうなったの」
「いずれ死ぬ。我らが殺さずとも、お前が殺すからだ」
「え……」
「自分の存在意義を自覚せずに生きてきたことが免罪符にでもなると思ったか? 不自然な環境を受け入れて、そういうものだと思い込んで疑問をやり過ごしてきたからだ。いいか、お前はただの子供でもなければ御姫様でもない。使い捨てられるだけの燃料だ」
この私と同じように。
そう言って、乃4号はガスマスクを外して投げ捨てる。
その下からは現れた顔は、こころと全く同じだった。