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私立タカマガハラ学園

 5.

 ――――私立タカマガハラ学園。

 こころは青銅製の表札に刻まれた校名をじっと眺め、はにかんだ。

「今日から私はジョシコーセーかぁ」

 その場で一回転すると、赤いチェック柄のスカートがふわりと広がった。ツーサイドアップに結んだ髪を整え、こころは意気揚々と校門をくぐった。

 こころは一年あま組の生徒だ。どんなクラスメイトがいるのかな、と期待と不安に胸を躍らせながら、教室のドアを開けて挨拶した。

「おはようございまーす!」

 ガスマスク姿の女子高生の群れが、教室を埋め尽くしていた。

「ああっ、私、忘れ物したぁ!」

 こころは自分の顔に触り、慌てた。ガスマスクを被っていないからだ。

「皆が被っているのに私だけマスクを被っていないのは、校則違反だよ! どうしよう、でも、今から家に帰ると始業時間に遅れちゃうし!」

「いや、君はいいんだよ」

 ドアに一番近い席に座っていた、やたらと体格のいいガスマスク女子高生がこころをたしなめた。骨太の両脛には濃い体毛が生え揃っていて、喉仏もあり、声も低い。つまり、おっさんだ。

「だけど、学校って皆でお揃いの格好をする場所だし……。でも、うちに届いた荷物には入っていなかったし……」

 こころが戸惑っていると、ガスマスクの額に〈阿1号〉と記されているゴツい女子高生が腰を屈めて目線を合わせてきた。

「俺達はええとその、なんていうか、なんだっけ?」

「えーと……」

 と、口ごもったのは〈宇2号〉だ。細身で手足が長いが、やはりおっさんだ。

「花粉症なんだよ、そう、そういうこと!」

 阿1号に代わって説明したのは、〈比9号〉である。寸胴で小柄だが、こいつもやはりおっさんである。

「かふんしょう?」

 意味が解らずにこころが首を傾げると、ガスマスク姿の女子高生達はざわついた。

「ええっ、そこから説明しなきゃならないのか?」

「ここまで常識知らずだとは知らなかったけど、当然っちゃ当然か」

「だけど、マスク外して近づいたら致死性が一気に跳ね上がるんだよな」

「でも、見た目はちっこい女の子なんだよな……」

「なんかこう、困っちゃうよなぁ」

 などと、女装してガスマスクを被ったおっさん達が喋っていると、こころの背後に、出席簿を小脇に抱えた少年が立った。彼はガスマスクも制服も着ていなかったが、品の良いグレーのスーツを着ていた。

「出席取るから、席に就け! あと、見苦しいから足は隠せ!」

「ですが技術少尉……じゃない、射延先生、俺達が黒タイツを履く方が何百倍も見苦しくてキモいです! あと、股間の締め付けが苦しいんです!」

 少年に駆け寄って哀願したのは、〈()6号〉である。ガスマスク女子高生の中でも際立って体毛が濃く、スカートから伸びた足は黒々としている。

「じゃあ、せめて剃れ。ガチ公害だし」

「剃ったら剃ったで、剃り跡が青くてキモいんです!」

「そんなことを力説するな、いいからとにかく席に就け!」

 少年は出席簿でヰ6号を張り倒してから、教卓に立った。

「あの、先生? 私はどこに座れば」

 こころが少年に尋ねると、少年は出席簿で窓際の空席を示した。

「源の席はそこだ。後ろにロッカーがあるから、その中に荷物を入れてこい」

「はーいっ。で、ろっかーってなんですか」

「近くの奴に説明してもらえ」

「はーい」

 こころは自分の席に通学カバンを置いてから、教室の後ろにあるロッカーの使い方を教えてもらい、通学カバンを入れた。

「今日からこのクラスを担任することになってしまった、射延いづむだ」

 射延いづむ、と少年は黒板に名前を書いてから、教室を見渡す。

「仲良くいたしましょう」

 こころの前の席に座る女子高生が話しかけてきた。彼女はガスマスクを被っておらず、豊かな金髪と青い瞳に大きな胸が魅力的な美女だった。

「私、ココ・ロズベルグと申しますわ。以後、お見知りおきを」

「レイチェル・中嶋だ。よろしく」

 ココの右隣に座る女子高生もまた、ガスマスクを被っていなかった。長い黒髪に茶色の瞳を備えた、長身でスレンダーな女性だった。

「源こころです。よろしくお願いします」

 こころは二人に深々と頭を下げてから、自分の顔を指した。

「二人もあのマスクを忘れちゃったんですか?」

「いいえ、違いますわよ。私とレイチェルは花粉症を発症しておりませんから、マスクを被る必要がありませんの」

「そういうことにしておくさ、色々と面倒臭いから」

「なあんだ、そうだったんですか。よかったぁ」

 こころは胸を撫で下ろす。入学初日から忘れ物をしたわけではなかったのだ。

「大佐、じゃなくて、ココ。やはりこれはいい考えだとは言い難いのでは」

 レイチェルは声を低めてココに話しかけると、ココはにんまりする。

「あら、あの時はレイチェルも乗り気だったではありませんか」

「そりゃ、あの時はテンションがおかしくなっていたから、ココの思い付きに乗っちゃっただけです。石油の民に懲罰を与える代わりに社会奉仕活動として生徒になれ、だなんて。それにしても、よくもまあ総司令官が許可しましたね」

「ノリノリでしたわよ」

「二つ返事でOKしやがりましたね。以前から呂号のために学校を建てる計画は立てていて、校舎もスサノヲのフレキシブルプラントで製造済みだったけど、国連から許可が下りなかったから計画は宙ぶらりんになっていたけど、そのおかげで準備だけは万端だった、とか言っていましたけどね」

「丁度良かったからよろしいじゃありませんの。石油の民を巻き込んだおかげで、学校が賑やかになりましたわね。私達だけだと人数が少なすぎて、学校として成り立つかどうかも怪しかったんですもの」

「あの、ココちゃんとレイちゃんは、さっきから何の話を?」

 こころが不思議がると、ココは赤面して頬を押さえる。

「ちゃん付け!?」

「ココ、落ち着いて! 制服は超耐熱素材じゃないから燃えちゃいます!」

「そうでしたわね、私としたことが」

 ココは深呼吸して気を落ち着けたが、周囲の気温は若干上がっていた。

「生徒諸君。タカマガハラ学園に入学おめでとう。入学式と始業式は省略する。つか、やってらんねーから。んで、出席を取る前に、転校生を紹介する」

 いづむが投げやりにドアを示すと、人型ロボットが入ってきて教卓の前に立った。

「俺の名は、アマツカミ級無尽戦艦スサノヲ!」

 チョークを握るや否や、猛烈な速度で黒板に名を書き記す。

「地球と全人類を守る切り札であり、この学園の生徒会長にして学年トップにしてアイドルにして番長にしてその他諸々を総括する男だ!」

 チョークの粉が付いた人差し指を立て、こころを指す。

「そして、こころちゃんに全てを捧げている! さあ、こころちゃん、存分に俺にリアクションしてくれ! 心のままに!」

 スサノヲの演説が終わると、教室は静まり返った。

 あの爆発しちゃうロボットの名はスサノヲ、文通相手の名前もスサノヲ――

 ということは、つまり。

 ある事実に気付いたこころは青ざめ、半泣きで後退った。

「なんで生き返ってきたのぉ! てか、なんであのロボットが文通相手のスサノヲさんなの! それじゃ、今の今まで私はゾンビと文通していたの?」

「呂号にもゾンビの概念はあるんだ」

 レイチェルはどうでもいいことに感心した。

「大方、総司令官がプレゼントした本の中にゾンビものがあったのでしょうね」

 ココがどうでもいいことを捕捉する。

「ぬはははは、恐れることはないぞ、こころちゃん。俺は不死身だ、こころちゃんに尽くすためならば、たとえスクラップになろうとも復活してみせる! さあっ、この劇的な再会を祝して愛を交わそうではないか!」

 スサノヲは両腕を大きく広げ、こころに近寄る。が、こころは貧血を起こして倒れた。



 ひどい頭痛がする、視界がぐるぐる回る。

 目を覚ましたこころはぼんやりと天井を見上げ、肌触りがいい毛布の感触で少しだけ気持ちが和らいだ。クリーム色のカーテンに囲まれているベッドの中は心地良く、暖かい。こころがまどろんでいると、カーテンが開いた。

「少し良くなったか? ここは保健室だ。で、俺は養護教諭だ、一応」

 現れたのは白衣姿のがっしりとした青年だったが、タイトスカートを履いている。

「あの……その恰好……」

「先に弁解しておくが、俺にこういう趣味はない。この格好をしていなきゃならん理由があるにはあってだな」

「私、どうしてこうなったんですか?」

「急な環境の変化に付いていけなくなって、パニックになって気絶したんだ。まあ、スサノヲのせいなんだが」

「あの人、やっぱりゾンビなんですか?」

「ゾンビ? ……ああ、そういうことか。あれはスサノヲの分身の一つであって、過去に君が出会ったロボットもそうなんだ。ロボットだから命を持っているわけでもないし、墓の中から蘇ってきたわけじゃないし、あのタイプの艦載機は万単位で製造しているから、一つ二つ壊れたってどうってこたぁない。だから、そこまで気に病むことはないさ」

「でも」

 こころは毛布を抱き締め、悔やんだ。

 文通相手のスサノヲと転校生のスサノヲ。そして、二度も爆発してしまったロボットが同一の存在だったとは。こころはぼんやりした頭を働かせ、考えた。

 今度会ったら、謝ろうと思っていた。爆発した原因はよく解らないし、会うたびに訳の解らないことばかりを言うし、やかましいし、鬱陶しい。けれど、こんなにもこころを好きになってくれるのだから、スサノヲを無下には出来ない。だから、仲良くなりたい。

「せんせえ」

 こころがカーテン越しに話しかけると、養護教諭はカーテンを開けて顔を出す。

「ブライアン・ワーウィックだ」

「ブライアン先生は、どうやったらスサノヲさんと仲良くなれるか解りますか? 私、あの人に謝りたいし、出来れば仲良くなりたいんですけど……」

「えっ?」

「え?」

 ブライアンがぎょっとしたので、こころはきょとんとする。

「あの無茶苦茶なアプローチが成功したってことか? 信じられねぇ」

 ブライアンは机に向かって独り言を零していたが、こころに振り返る。

「とにかく、うん。あれだ。スサノヲを落ち着かせてやらないとな」

「でも、私、あの人が落ち着いていたところを見たことありません」

「俺もだよ。だが、やるしかないな」

 もう少し寝ていてもいいぞ、とブライアンが毛布を掛け直してくれたので、こころはその言葉に甘えて目を閉じる。すうっと意識が遠のき、熟睡した。



 こころが保健室を出ると、四時間目が始まっていた。

 気後れしながら教室を覗くと、ココが明るく出迎えてくれた。こころは自分の席に着いたが、隣の席に座るスサノヲに何も言えずに俯いた。先程、急に倒れたことを謝るためにも話しかけるべきだが、上手く言葉が出てこない。

「三時間目までの授業内容をまとめておきましたわ」

 ココがルーズリーフを差し出してきたので、こころはそれを受け取った。

「ありがとうございます、ココちゃん」

「それと、明日からはスカートの下にスパッツでも履いておいた方がいい。倒れた時に下着が丸出しになっていたからさ」

 隠してやったけど、とレイチェルが笑ったので、こころは赤面する。

「ありがとうございますぅ……」

 四時間目の授業は世界史だった。その内容はこうだ。

 有史以前から、人類は感情エネルギーを熱として活用していた。

 その使い方が飛躍的に進歩したのが、十八世紀半ばから十九世紀にかけて起こった産業革命である。技術革新によって機械の性能が飛躍的に発達したことにより、工場での大量生産が可能になった。だが、その工場を稼働させるためには、通常の感情エネルギーの数十倍から数万倍のエネルギーが必要になった。

 そこで発明されたのが、ボイラーに貯めた水を感情エネルギーの熱で沸騰させ、その蒸気圧でシリンダーを回転させてピストンを上下させる、感情式蒸気機関だ。それにより、一人分の感情エネルギーで数百人分の働きができるようになった。その技術の応用で生まれたのが、化石燃料を使う燃焼式蒸気機関である。

 しかし、文明が発展すればするほど機械が増えていき、都市が巨大化し、必要とされる動力機関も大型化する。そこで、大都市を支える動力源となる感情量子分裂炉が開発され、その炉心となる感情エネルギーの源泉、すなわち高濃度感情量子発生源が製造された。

「高濃度感情量子発生源ってのは、そのままだと感情陽子を破壊する磁気単極子をばらまく汚染源になっちまうんだが、心臓を抜いて制御棒を入れられるように加工して感情量子の分泌濃度を調整すれば、量子分裂炉の炉心になるんだ。融合炉となるとまた色々と変わってくるんだが、面倒臭いから割愛」

 いづむは、複雑な量子の構造式をすらすらと黒板に書いていく。

「量子分裂炉ってのは、すんげーざっくりと説明しちまうと、感情量子を感情陽子にぶつけて破壊させた際に発生する大量の熱を利用して、大量の電気を作り出すものなんだ。だが、炉心だけで成立するもんじゃない。その大量の熱を熱交換器に与えてタービンを回さなきゃ電気は作れないからな。だから、炉心の周りには、直径五〇キロ規模の発電設備が設置されている」

 いづむはチョークを持った右手を掲げ、ぐるりと一回転させる。

「高濃度感情量子発生源を外界から隔絶させておく隔離地域を囲む、全長約一五七万メートル、全高平均二〇〇メートルの外壁そのものがタービンになっているんだ。直径五〇キロのインペラー――要するにでっかい輪っかなんだが――そいつを浮かせて回転させるためには、まー、色々とややこしい技術が使われてまくっているけど、これも割愛。どうせ、説明したって解りゃしねぇだろうし」

 いづむは生徒達を見渡し、いきなり話を切り替えた。

「で、だ。人類はそうやって発展してきたわけだが、一年後に地球ごと滅亡するかもしんねーっていう危機に瀕している」

「先生、話の展開が急すぎます。打ち切り食らった連載漫画ですか」

 レイチェルが挙手すると、いづむはむっとする。

「仕方ねーだろ、要点だけ掻い摘んだらそうなるんだから。んで、その人類の危機ってのがハレー彗星だ。75.3年周期で地球にやってくる彗星で、次に来るのが来年なんだ。んで、そのハレー彗星にはイオンテールとダストテールっていう二本の尻尾があるんだが、その二本の尻尾に食らいついているモノがある。それがハレー・ビートルと呼ばれる異星体だ」

 いづむは黒板に写真を貼り出す。スズメバチに似た外見の虫が映っている。

「この写真は、ハレー彗星を観測した後に地球に戻ってきた宇宙有脳探査機――ジオット探査機に保存されていた画像を解析したものだ。んで、地球に墜落してきたジオット探査機にくっついていた、ハレー・ビートルの卵が海中で孵化して、人間を襲った。その当時の人類が総力を尽くしたが、一五〇匹を倒すのに三か月も掛かっちまったし、人的にも物的にも大きな被害が出た。んで、その後、一九七七年に打ち上げられて太陽系をぐるぐる回ってるボイジャー2号から画像が届いたんだが、そこに映っていたのはハレー彗星の尻尾に群がる虫の大群だった。その全長、推定五億キロ」

 いづむは黒板に彗星の絵を描き、名前も添える。百武(ひゃくたけ)彗星。

「太陽有脳探査機ユリシーズが偶然にもこの百武彗星の尻尾を通過したんだが、その際にハレー・ビートルと同種の虫が群がっていることを感知した。その後の長期的な観測によって、百武彗星の群れがハレー彗星の尻尾に移動したことも解った。ユリシーズが発射した発信機が虫に命中してくれた上に、故障しなかったからだよ。その幸運がなかったら、この危機には気づけやしなかっただろうさ。この虫共はオールトの雲に生息している生き物で、彗星の尻尾に含まれている水を欲して彗星にくっついているんじゃないか、ってのが最も有力視されている仮説。んで、そんなのが地球に来たらどうなると思う?」

 いづむがこころを指したので、こころはたどたどしく答えた。

「ええと、水がなくなっちゃう?」

「……まあ、そうだな」

 ペン回しの要領でチョークを回しながら、いづむは続ける。

「というわけだから、その危機に瀕した人類は、ありとあらゆる技術と資材と資金を投じて危機に対抗しうる兵器を開発した。が、富裕層はさっさと月と火星に移住しちまったから、地球に残っているのは貧乏な労働者共だ。んで、その富裕層が太陽系外に脱出するための移民船団も火星で建造中なんだが、完成するまであと一歩ってところだ。んで、その人類の最終兵器ってのが、我らが転校生のスサノヲだ。ただの変態に成り下がっちまったけど」

「そうだったんですか!? そんなの、うちに届く新聞には書いてありませんでした!」

「んー……。地方紙だからじゃね?」

「そういうことなら仕方ないですね」

 自分の話題が上がったことでテンションも上がり、スサノヲは高笑いする。

「ふはははははははは、そうだとも! 俺の素晴らしさに気付いてくれたのか、こころちゃん! ならば、今日という日は全世界規模で祝日としようじゃないか! そう、俺とこころちゃんの愛の記念日!」

「だったら尚更、スサノヲさんと仲良くなるのは無理だよ」

 スサノヲのはしゃぎぶりに気圧され、こころは身を引く。が、スサノヲは怯まない。

「なぜだ、俺はこころちゃんと接近する時は防御体制を解除しているというのに、人間的な言動を取って友好を示しているというのに!」

「だって、私は世間知らずの馬鹿だから。学校に来たのは今日が初めてで、世界が大変だってことも、スサノヲさんがなんだかよく解らないけどとにかく凄い人だってことも、全然知らなかったんだもん。そんなに凄い人と友達になろうだなんて、無理に決まっているよ。スサノヲさんが好きなのは私だけじゃなくて、私を含めた全ての人達なんでしょ? だから、私なんて釣り合うわけがないよ!」

 こころはスサノヲに背を向け、ぎゅうっとスカートの裾を握り締める。

「何が起きたのかは今でもよく解らないけど、二回もロボットの体をダメにしちゃってごめんなさい。文通してくれて、嬉しかったです。だけど、友達になんてなれそうにないから、ごめんなさい」

「違う、俺が愛しているのは!」

「ごめんなさい」

 それきり、こころは押し黙ってしまった。

「こ、こ、こ、こころちゃあん……」

 スサノヲはよろめきながら椅子に座り直したが、彼もまた動かなくなった。

「どーでもいいけど、授業再開するぞ」

 落ち込んでしまった一人と一艦を横目に、いづむは授業を続行した。

 重苦しい雰囲気のまま、初日の授業が終わった。



 学校生活が始まってから、一ヶ月が過ぎた。

 こころは授業に慣れ、ガスマスク姿のクラスメイト達とも仲良くなり、ココとレイチェルとは昼食を一緒に食べる仲になった。担任教師の射延いづむと養護教諭のブライアン・ワーウィックはこころのことを何かと気に掛けてくれるので、勉強にも通学にも不安はなかった。スサノヲのことを除いては。

「おはよう」

 登校したこころが挨拶すると、クラス委員の阿1号が応えてくれた。

「おはよう、源さん」

「今朝も早いね、阿1号さんは。綺麗なお花を持ってきてくれるし」

 こころが笑いかけると、花瓶に花を活けていた阿1号は照れた。

「いやあ、大したことじゃないから。それに、俺、昔は園芸部だったから」

「源さん、おはよう!」

 こころに駆け寄ってきたのは、乃4号である。小柄で華奢だ。

「おはよう、乃4号さん。この本、面白かったよ。貸してくれてありがとう」

 こころが通学カバンから本を取り出すと、乃4号はその本を受け取った。

「それなら何より。んで、どの辺が一番良かった?」

「宇宙人が風邪を引いて死んじゃうところ!」

「解ってくれたかぁ、嬉しいなぁ」

 乃4号は上機嫌になり、自分の席へと戻っていった。

 始業時間が近付くにつれて生徒の数が増えていき、席が埋まっていくと、予鈴が鳴る寸前に彼が現れた。スサノヲだ。

 登校初日以来、こころとスサノヲは言葉を交わしていなかった。

 プリントを回す時や連絡事項がある時は話すのだが、それだけで、スサノヲはこころと一定の距離を保っていた。こころは、さすがに言い過ぎたと思ってはいるのだが、これでいいのだと諦観していた。

 授業を終えて昼休みを迎えると、クラスメイト達はどやどやと食堂に移動していった。こころは弁当を作って持参しているので、いつものようにココとレイチェルと連れ立って中庭に行った。

「これでいいのか?」

 レイチェルは、食堂でランチを食べるガスマスク姿の女子高生の群れを見やった。彼らはガスマスクを外さずに、フィルターを填める部分を開け、その中にチューブを突っ込んで流動食と水を摂取している。器用なものだ。

「食品添加物と合成調味料と栄養強化剤とその他諸々を混ぜたモノがおいしいとは思えませんけれど、彼らがそれを選んだのですから、外野がとやかく言うことではありませんわ」

 ココはランチボックスを開け、ハムと卵のサンドイッチを頬張った。

「まあ、その手の宇宙用携帯糧食は単価が安いし、だぶついているから、経費が少なくて済むのは確かではあるんだが」

 レイチェルはカップ焼きそばをかき混ぜてソースを馴染ませ、麺を啜った。

「レイチェル、またそれを食べていらっしゃるの? 体に悪いですわよ」

「旨いモノは総じて体に悪いもんだ」

「あらまあ、開き直るなんてよろしくありませんわね」

「よくないよね、やっぱり」

 上の空でおにぎりを食べていたこころは、教室に一人だけ残っているスサノヲを見つめた。物憂げに窓にもたれて、彼の本体であるクジラを見上げている。

「でも、私、スサノヲさんと仲良く出来る自信がないんです」

「アレと解り合える自信が持てるのは、アレ以上の変態だと思うよ」

 レイチェルが苦笑すると、ココはとろんとした目でスサノヲを見つめる。

「ああ……アンニュイなスサノヲ様も素敵ですわぁん」

「だけど、どうしたらいいのか解らないんです」

 こころはスサノヲの寂しげな後ろ姿を見つめ、眉を下げる。

「あの俺様宇宙戦艦が、この程度のことで落ち込むだなんてなぁ。アレの感情プログラムがそんなにデリケートだったとは意外だ」

「勇猛でありながらも繊細であらせられるだなんて、ああ……!」

 ココがうっとりと頬を染めたので、にわかに気温が上がり、レイチェルはペットボトルのミネラルウォーターをぶちまけた。水が蒸発し、ココははっと我に返る。

「あらまあ、私としたことが」

「どうしたらいいのか解らないのは、スサノヲも同じなんだろ」

「そうなんですか?」

 こころはレイチェルの言葉を聞き返すと、彼女は残った水を呷る。

「生まれてこの方、あいつには不可能なんてなかったんだ。人類の科学技術と資金と資材とその他諸々を集めて造り上げた、万能の宇宙戦艦なんだからな。量子コンピューターで計算出来ないものはないし、分子レベルから製造出来る万能工場のフレキシブルプラントを使えば大抵のものは作り出せるし、人類と地球を救うっていう大義名分を背負っているから、大体の我が侭は通る。だが、あんたに限っては、それが通用しなかった。だから、困っているんじゃないのか?」

「有り得ますわね。プライドが高ければ高いほど、へし折られた時のダメージは甚大ですもの。この私も経験がありましてよ」

 ココはちらりとこころに目をやってから、ほうっとため息を吐いた。

「だったら、私の方から仲良くしましょうって言ったら、スサノヲさんをもっと困らせちゃうんじゃ……」

 こころが思い悩むと、レイチェルは励ましてくれた。

「そのうち、話しかけるチャンスが来るって。だから、そう思い詰めるな」

「そうですわね。でしたら、その機会を作りましょっ」

 私にいい考えがございますわ、とココは明るく笑んだ。



 翌日。

 唐突に学園祭の開催が決定した。

「また大佐の思い付きかよ」

「やってらんねー、とか思うけど言っちゃいけない空気だよな、これは」

 いづむがぼやいたので、ブライアンは心の底から同意した。二人が登校してきた時には、既に学園祭の準備が始まっていた。

 始業前に登校してきたこころは、すっかり様変わりした校内の様子に目を丸くしていて、ココはにこにこしていて、レイチェルは呆れ果てている。

 校内では、ガスマスク姿の女子高生達が忙しく動き回っている。模擬店を設営したり、入場ゲートや出し物の看板を作ったり、飾り付けていたり。

「俺達、なんでこんなことしているんだろう」

「青春を取り戻せるのは確かだが」

「俺、メイド喫茶やりたい! 絶対やる!」

「男だらけのフォークダンスか……」

「野太い悲鳴が入り乱れるお化け屋敷か……」

「それはそれでアリだな」

「えっ」

「えっ?」

 などと、生徒達は口々に言葉を交わしながらも手を動かし続けている。

「先生、私は何をすればいいんですか! がくえんさいって何をするのかがそもそも解りませんけど、でも、なんだかすっごく楽しそう!」

 目を輝かせてこころがいづむに詰め寄ると、いづむは上体を引いた。

「えーと……。何させりゃいい、ブライアン?」

「それは自分で考えてくれ、担任なんだから」

 ブライアンがいづむの背を押し返すが、いづむは言い淀んだ。学園祭の開催が決まったのは今朝であり、いづむも登校してくるまでは何も知らなかった。なので、こころに与える役割が思い付かなかった。

 すかさず、ココが挙手する。

「では、私から提案いたしますわ。こころさんは、スサノヲ様と二人組でキャンプファイヤーに使う薪を集めてきて頂けませんか?」

「それ採用」いづむは即座に便乗し、こころを指した。

「んじゃ、源はスサノヲと一緒に薪でもなんでも集めてこい。夕方までに戻ってくれば、それでいいから。じゃ、俺は仕事があるから!」

「俺もやることが出来たからな! 頑張ってこいよ、源!」

「私も唐突に展示物を作らなければいけない気がしてきたから」

「それでは、私も失礼いたしますわ。舞台で劇を演じなければいけませんので。演目はこれから考えますわ」

 いづむ、ブライアン、レイチェル、ココは口実を並べ立てて去っていった。一人、その場に取り残され、こころはぽかんとした。

「え、それって」

「なんだ、この騒ぎは」

 頭上から降ってきた電子音声に、こころはびくんとした。

 登校してきたスサノヲは、学園祭の準備で慌ただしい校内を見渡してから、こころを見下ろしてきた。目を合わせづらく、こころは顔を伏せる。

「あの、だから、えっと……学園祭があるんだけど……その……」

「明言してくれ。俺は一つの事例に付き二〇〇〇パターンの予測を行えるが、明言されなければ予測することは不可能だ」

「先生が、キャンプファイアーに使う薪を集めてきなさいって。スサノヲさんと二人で」

「ふおっ!?」

「嫌だよね。だって、私、スサノヲさんにあんなこと言っちゃったんだし。だけど、学園祭に必要な仕事だから」

「ぬあっ、な、ななっ、な、何トン必要だぁ!」

「丸太が一本あれば充分かな。焚き付けに使う枯れ枝も拾わなきゃ」

「ならば、準備をしてこい。制服のままだと汚れてしまうからな」

「うん。ジャージに着替えてくるから、ちょっと待っててね」

 こころは生徒達の間を摺り抜けて校舎に駆け込み、更衣室に入ると、ドアを閉めた途端にへたり込んだ。

「スサノヲさんと、普通に話が出来たよぉ」

 あれから、スサノヲが気になって気になってどうしようもなかった。

 何のとりえもない自分では釣り合わないし、好かれるだけの価値もないし、どれほど好きだと言われても、その気持ちに報いられないと気後れしていた。

 スサノヲと何度もやり取りした手紙を読み返すと、手紙をもらった当時は気付かなかったが、スサノヲはこころと親しくなろうと必死だった。暴力的な好意をぶつけてきたのは最初だけで、二通目からはこころと話を合わせようとしてくれた。そればかりか、下手なクジラの絵を喜んで受け取ってくれた。

 それが、嬉しくないわけがない。

「なんだろ、この感じ」

 ギルと一緒にいる時とは違う、ココとレイチェルとお喋りしている時とは違う、先生達に褒められた時とも違う、クラスメイトの皆と会った時とは違う。例の金属棒が刺さっている部分が、じんわりと熱くなる。

 なんだか、胸が痛い。



 着替えを終えたこころはスサノヲと連れ立ち、森に入った。

 すぐに程良い太さの丸太が見つかった。スサノヲはその丸太を片手で軽々と持ち上げると、無造作に放り投げ、光の刃を振るった。

 ――――一閃。

 赤い閃光が丸太を鮮やかに切り裂き、焼けた木屑が散る。それが地面に落下する前に、スサノヲ自身が飛び上がり、空中で光の刃を躍らせた。

「作業完了だ」

 スサノヲの両足が地面を踏み締めると同時に、十等分に断ち切られた丸太が柔らかな土に突き刺さった。切断面からはうっすらと煙が立ち上り、木が焦げる匂いが漂った。

「うわぁ……」

「どうした?」

 スサノヲに訝られ、こころは我に返った。

「なんでもない、なんでもないよ」

 まさか、その手際の良さに見とれていたとは言えまい。

「資料を検索した結果、キャンプファイアーとは丸太を井桁型に組み、その中心に細く切った薪を入れ、点火し、その炎を囲んでフォークダンスを踊るものだそうだな。よって、四等分には切り分けずに運んでいくべきだろう」

「うん、そうだね」

「丸太は俺が輸送する。こころちゃんは枯れ枝を束ねて運んでくれ」

「うん、そおだねっ」

「どうした?」

「なんでもないっ」

 こころはスサノヲに背を向け、ちょっと火照った頬を押さえた。

「あの」

「今度はなんだ」

 ちゃんと話をするのは、今しかない。

「す、すぅ」

 こころは意を決したが、気合を入れすぎて上手く言えなかった。

「だから、なんだ」

 今度こそ、しっかりと。こころは深呼吸し、腹に力を込めた。が。

「すさにょおしゃんはっ」

 噛んだ。

「あうううっ」

 恥ずかしい、情けない、逃げ出したい。

「いいぞ、いくらでも待ってやる。それがこの俺だ。そのためにはありとあらゆるリミッターを掛けていなければならないが、どうということはない。感情変動をセーブしすぎているせいで、艦体の稼働率が著しく低下してしまうがな」

「しゅ、す、スサノヲさんは、どおして私のことが好きなんですかっ」

 つっかえながらも、こころは一番聞きたかったことを口にした。

「よくよく考えてみたら、運命の恋人さんもスサノヲさんだったってことだし。でも、私がスサノヲさんに初めて会ったのはついこの間だし、だけど、スサノヲさんはずっと前から私のことを知っているみたいな感じだし……」

「そうだ。俺は君を知っている」

「じゃ、じゃあ、幼馴染ってこと?」

「いや、その語彙には当てはまらないな」

 こころとスサノヲは、背中越しに言葉を交わす。

「だが、俺は君との出会いを運命であると断言しよう。そして、君を愛したこともまた運命の一部だ。君がいなければ、俺は愛という概念を理解することは不可能だった。人間を守る意義もまた同様だった。だから、俺はこころちゃんと愛し合いたい。俺は宇宙戦艦である以前に男なのだ」

 それが俺が戦う理由であり信念だ。と、スサノヲは力強く言い切る。

「俺のこころちゃんに対する感情は、好きなどという短い言葉では表現し尽せない。愛という言葉ですらも、俺が感じた衝動には値しない」

 スサノヲはこころに向き直り、少女の華奢な肩に金属製の大きな手を伸ばす。

「言うならば――――」

 だが、その言葉は爆発音に掻き消され、スサノヲは手を止めた。

 爆心地は、タカマガハラ学園だった。


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