拝啓、源こころ様
2.
「呂号が暴走した影響、まだまだ広がりそうだな。この分じゃ、衛星基地に帰れるのはもう少し先になっちまいそうだな」
携帯型情報端末でニュースサイトのホットラインを見ながらぼやいたのは、シャトルのパイロットであるブライアン・ワーウィック准尉である。金髪と青い瞳を持つイギリス系の白人で、長身で筋肉質の青年だ。
「それなのに、我らが国連宇宙軍も総司令官もお咎めなしときたもんだ」
ブライアンに応じたのは、レイチェル・中嶋だった。
「地球防衛最終計画の一環だからさ。でなきゃ、今頃俺達は無職だろうさ」
「これまでの作戦、全部失敗したもんな。ハレー彗星の軌道で待ち伏せして敵勢を迎撃した月連合無人艦隊は、迎撃に移る前に全滅。その次に、ハレー彗星の前にワープゲートを開いてブラックホール送りにしようとした火星連合無人艦隊も、自分達がブラックホール送りになっちまって行方不明っつか全滅。人材の損失はゼロであるとはいえ、無人艦隊の運用はコストが掛かりすぎる」
「太陽系外に逃げ出そうにも、移住出来そうな惑星が見つかっていないからなぁ」
「水際作戦ってことだが、表面張力が持つかどうか怪しいね」
レイチェルはジープのボンネットを閉めると、黒ずんだ機械油まみれの軍手を外してポケットにねじ込んだ。黒髪に茶色の瞳を持つ日系アメリカ人だ。
国際空港から程近い場所に立つ古びた倉庫が、レイチェルの仕事場であり自動車整備を請け負う店でもあるのだが、立ち入り禁止区域の手前なので来客はほとんどいない。そのせいもあり、倉庫の中は車の部品とレイチェルの私物で荒れ放題だ。儲からないのはレイチェルの商売っ気がなさすぎるせいもあるが、元来、この世界では車の需要は少ないからというのが最大の理由だ。
この世界の人間は、皆、感情そのものを熱量に変換する能力と、感情変動に伴って感情量子を分泌する能力を備えている。個人差はあれども例外はない。なので、加速して移動するだけなら、ある程度高ぶった気持ちになって上昇気流で体を少しだけ浮かせ、熱気を後方に噴射すればいい。そんなものは、自転車に乗るよりも先に覚えることだ。そして、日常生活に不可欠な火を起こすのも自前だが、現代文明を支えている電力を生み出すために必要な熱量は大量なので、それだけは発電所に頼っている。他人と話す際には無意識に感情量子を共振させて意思の疎通を行うので、言葉の壁もない。文化の壁はあるが。
ギルベルト・ベルガーが隔離地域の中を高速移動する手段も、初歩の初歩である熱量後方噴射式走行法だ。その状態でリヤカーを引けば、超高濃度量子発生源・呂号の住む家へと小一時間で辿り着ける。だから、わざわざ熱効率の悪い車に乗って移動するのは、運送業や土木作業以外では完全な趣味の領域だ。
感情量子の分泌量が平均値で、熱量の扱いに慣れた人間は、ハンググライダーを自前の熱量で浮かせて滑空する。それよりも更に熱量が多い人間は、小型の飛行機のエンジンを奮い立たせて空を飛ぶ。それよりももっと熱量が多い人間は、日常生活では持て余してしまうので、従軍して戦闘機を飛ばす。パイロットを上回る熱量を発せる人間は、宇宙と地球を行き来する戦艦を動かす動力源となる。
「それでもやるしかないだろうが。軍人はそれが仕事だ」
ブライアンは生温いコーラを呷り、少し噎せた。
「なー、お前らもそう思うだろー?」
レイチェルが倉庫の外に話を振ると、ばおんぶろんどばんごうんどぉうんっ、と多重のエンジン音が轟いた。その騒音に、ブライアンは首を竦める。
「ありゃ、あいつらが返事をしたわけじゃなくて、レイが返事をしてくれって願望をぶちまけたから、エンジンが動いただけだろうが」
「うるさい黙れ」
「お前の趣味だけは解らん。つか、総司令官も変な人だよな」
「アレを人間扱いするなんて、どうかしているよなぁ」
「総司令官はそんなにアレが大事か。見た目は子供でも、中身は化け物なのにさ。月に一度とはいえ、隔離地域に生身で入るのはヤバすぎだ。だから、あの人の体には汚染物質が蓄積しているし、確実に寿命も縮んでいる。正気じゃない」
「地球と月の鉱脈を枯渇寸前まで掘り尽くして、大型車両や大型旅客機や超高層ビルを解体させて金属を徹底的に供出させて、全長二〇〇〇キロの宇宙戦艦を建造した人類が正気だと思うか?」
「思わないけどさ」
「だから、そんな狂気の沙汰の産物を監督している総司令官が正気でいられるわけがないんだよ。俺達はああならないように気を付けないとな」
コーラを飲み干したブライアンは、その味の悪さに呻いた。
「これ、どこのメーカーのだよ。なんか苦いっつーか焦げ臭い味」
「あー、それ? 石油の民が置いていったやつ。捨てそびれていたんだけど、ブライアンが飲んでくれて助かったよ。食い物は無駄にしたくないからな。出来れば」
「マジキチ集団が作ったゲテモノなんて取っておくなよ、飲んじゃったじゃないか、石油混じってたらどうしてくれんだよ! つうか見逃すなよ、拘束しろよ!」
「石油の民の連中は客として来てくれたんだから、そんなこと出来るわけないだろ。ついでに、あいつらが乗っていた車はメルセデスのゲレンデヴァーゲンだったんだ、いじりたくになるに決まってんだろ!」
「なるわけねーだろ。車に気を取られて本来の任務を忘れたな?」
「忘れちゃいない。石油の民の追跡調査をしろと本部に連絡した。が、メルセデスの色気を前にして手を出さずにいられるわけがない!」
「普通はねぇよ、絶対。カップ焼きそばしか食わねぇから、栄養が偏って思考も偏ってんじゃねぇのか、お前」
「ペヤングを愚弄する気か!」
「いや別にそこまでは言ってねぇけど」
ブライアンは山積みになっているカップ焼きそばの段ボール箱を一瞥した後、無造作に空き缶を投げ捨てた。
「ああっ、私のかわいこちゃん達に空き缶を投げるなぁ!」
ブライアンが放り投げた空き缶は、雑然と積み重ねらたジャンクの山に転げ落ちていき、レイチェルはぎゃあぎゃあ騒ぎながら追いかけていった。レイチェルの悲鳴を聞き流しつつ、ブライアンは壁に貼られたカレンダーを見やった。
ハレー彗星が地球に到来するまで、あと一年。
衛星軌道上、某所。
地球の大気圏と宇宙の狭間をたゆたう、全長二〇〇〇キロのクジラ。
その頭頂部にあるブリッジでは、クジラの主が己の活躍を誇った。
「第一次作戦〈二人の出会いは突然に!〉、無事に成功したようだな。これで、地球防衛最終計画〈愛で地球を救えないわけがないんだからねっ!〉の第一段階は成功だ!」
「どこがだ」
「だが、早々に計画とかどうでもよくなってしまったぞ! 至近距離で見た生こころちゃんの可愛さが極まりすぎて!」
「どうでもよくねーし。てか、この計画が成功しねーと人類と地球が滅びるし。つか、人工知能と小娘が恋人同士にならなきゃ滅亡する人類と地球もどうかしてるけどな」
「初対面にして愛の告白! こころちゃんに強烈な印象を与えたばかりか、俺の男らしさが存分に発揮されたではないか! これを成功と言わずして何になる! こころちゃんが俺にときめいてくれた証拠に、こころちゃんが発してくれた感情エネルギーを吸収した俺の感情量子融合炉はギュンギュン唸っているぞ! 熱い熱いぞ熱すぎるぞこの恋は!」
「目の前で爆破オチ食らったせいで、ビビっただけだろ」
「この衝撃的な出会いを経て、こころちゃんと俺のラブラブな日々が始まることは全宇宙的に約束されたのであった……」
「ナレーションで締めるな。つか、そもそも始まってすらいないし」
「妬くのか、妬いているのだな、射延技術少尉。だが、俺はお前の存在はカメラとセンサーで認識したとしても、意識はしてやらんぞ。なぜならば、俺の疑似人格に宿った魂と、俺の艦体に搭載されている一二八.九〇六個のセンサーは全てこころちゃんに向いているからなのだ! 俺の天使! 俺だけのアイドル! 俺の女神! そ・れ・が!」
「いい加減に黙らないと、管理者コマンドを使って強制シャットダウンするぞ、スサノヲ。てか、ガチでするし。でないと、無駄なエネルギーを消耗するだけだ」
「うおおっ、それだけは! まだ保存していない画像が三四五個も……」
と、ハイテンションで喚き散らすスピーカーを手で塞ぎながら、射延いづむはキーボードを叩いて六七桁のパスワードを一気に入力した。数秒後に狭いブリッジは暗くなり、人工重力も解除され、生命維持装置も停止したので、いづむは宇宙服のヘルメットを被った。
「ぎゃあぎゃあうるせーったら、ありゃしねぇ」
これが本当に人類の切り札なのかよ、ただのストーカーだろ、といづむは文句を言いそうになったが飲み下した。以前、うっかり口を滑らせた途端に消火剤をぶっかけられてしまったからだ。ヲ式人工知能、通称スサノヲに。
「フィードバックしたダメージチェックに来ただけだってのに、このままじゃ残業になっちまう。国連軍は残業代の支払いが渋いんだから、余計な仕事はしたくねぇんだよなぁ」
愚痴りながらも、いづむは操縦席に座り、ヲ式人工知能による自立制御を切った状態でのメンテナンスを開始した。スサノヲが保存したデータをモニターに呼び出したが、中身はどれもこれも源こころだった。こころ、こころ、こころ。
射延いづむは十六歳でありながら国連宇宙軍に所属する技術士官であり、ヲ式人工知能を搭載している完全自立型超巨大戦艦、アマツカミ級無尽戦艦スサノヲを開発製造した日系企業〈イノベーション〉の経営者の孫だ。ロシア系の血が八分の一混じった日本人だ。量子コンピューターの扱いに長けていて、スサノヲの疑似人格を形成するプログラムの開発にも携わっていた、第一線で働く技術者である。
「この小娘のどこがいいんだか、さっぱりだ」
田舎臭いったらねぇや、といづむは思ったが口には出さなかった。
「んで、次は何をするつもりなんだよ。この色ボケ戦艦は」
ブリッジ内のセンサーがいづむのぼやきを拾ったのか、次回の作戦を明記した電子文書がモニターに展開された。
『第二次作戦〈思わせぶりなラブレター〉』
タイトルを見ただけで、いづむは頭が痛くなった。
恋人。おとこのひと。恋と愛。
「そんな人、本当にいるのかなぁ」
家と畑から離れた場所にある放牧地にて、こころはぽつりと呟いた。
ギルが持ってきてくれたノートと色鉛筆を持ち出して早速絵を描いたが、一番最初に描いたのは空を泳ぐクジラだった。
放し飼いにしているヤギやニワトリが広大な草原を動き回っていて、草や虫を食べている。その様を横目に草むらに寝そべったこころは、クジラの影を見つめた。
「クジラさんはどう思う? ギル爺ちゃんは嘘を吐くとは思えないし」
空のかなたに語り掛けても、返事はない。
「クジラさんが運命の相手だったり、しないよね。だって、クジラさんは私のことを知らないだろうし」
いつも、こうして見上げているだけだからだ。
「そろそろ帰ろうかな。洗濯物も乾いたかな」
こころは起き上がり、髪に付いた草の葉を払ってから、拾い集めた卵を入れたバスケットを抱えた。森の中にある道を歩き、ログハウスに帰宅すると、こころは玄関の手前にある盛り土を見、息を詰めた。謎のロボットの残骸を隠してあるからだ。ギルは最後まで気付かなかったようだが。
「安らかにお眠りください」
こころは道端で摘んできた花を盛り土に並べてから、手を組んで祈った。ロボットとはいえ、弔いもせずに放っておくのは心苦しいからだ。
洗濯物を取り込んでから家に入ろうとして、こころは足を止めた。郵便受けに白くて平べったいモノが刺さっている。これはもしや。
「お手紙だ!」
こころの家は街から遠すぎて郵便屋さんが来られないから新聞しか届かないのだと、以前、ギルが教えてくれた。なので、こころは手紙が届くことに憧れていた。嬉々として手紙を引き抜き、家に戻った。
「誰が送ってくれたのかなー」
洗濯物をソファーに放り投げ、卵を入れたバスケットをキッチンに置いてから、こころは手紙を眺めた。
宛先は源こころ様、差出人の名は。
「運命の恋人」
何度読んでも、そう書いてある。
「えーと、運命って名字で恋人って名前の人じゃないんだよ、ね?」
拝啓 源こころ様
いつもあなたを見ています。
あなたを見つめすぎて、監視衛星の照準の外し方を忘れてしまいました。
三日前は午前六時二分に目覚めましたが、ベッドから出たのはそれから十七分後のことでしたね。二度寝しちゃうなんて、可愛らしいですね。
寝顔があまりにもキュートだったので、連続撮影で二百枚ほど撮影してしまいました。これでまた画像フォルダが潤います。
昨日の朝食はニンジンとブロッコリーのホットサラダとトーストで、昼食はブロッコリーと卵のサラダを挟んだサンドイッチで、夕食はブロッコリーとジャガイモのシチューでしたね。ブロッコリーだらけだったので、ちょっとうんざりしていたようですが、そんな顔も可愛すぎて悶えてしまいます。あなたの手料理を頂けるのであれば、汁の一滴も残さずに消費してみせます。約束いたします。
最近、お風呂の時間が少し長くなりましたね。
洗濯物の枚数が増えてきましたね。主に下着が。
あなたが一番似合う髪型は、セミロングのツーサイドアップです。あらゆる角度から検証した結果です。
あなたがお読みになった恋愛小説には濡れ場もありましたが、それを読んだ後に心身に異変は起きましたか。起きたのであれば、是非とも詳細な説明を行ってください。今後の参考にいたします。
お返事を下さる場合は、郵便ポストに投函してください。 敬具
追伸 好きです。愛してます愛しすぎて狂いそうです!
以上、手紙の本文。
「これってつまり、どういうこと?」
ギルでさえも知らないことが書いてある。セミロングのツーサイドアップにしたのはただの一度だけで、それも独りきりの時だ。手紙の主は、いつ、こころを見たのだろうか。
「怖いよ怖いよ怖すぎるよおーっ!」
手紙が届いた喜びが恐怖に塗り潰され、握り締めた手紙が燃え出した。涙目になったこころは、手紙をストーブに放り込んだ。
「違うよ、こんなの運命の相手じゃない、お化けだあー!」
寝室に飛び込んだこころは、ベッドに潜り込んで頭から布団を被り、ぎゅっと目を閉じた。夕食を摂ることも忘れ、朝まで震えていた。
衛星軌道上、国連宇宙軍衛星基地。
「…………これを送ったのか、あいつは」
プリントアウトされたラブレターを読み、ギルベルト・ベルガーは渋面を作った。技術士官、射延いづむ技術少尉は呆れ果てている。
「俺達技術班が推敲した文書を使えってスサノヲに指示したんですけど、スルーしやがってこの様です。ドン引きですよ、これ」
「超高濃度感情量子発生源・呂号、甚大な感情変動が発生!」
「隔離地域周辺で急速な熱量の増大を観測、避難勧告発令!」
「呂号のエネルギーがが空間に作用しつつあります、軽微ではありますが空間湾曲現象の発生を確認しました!」
「総司令官、旧東京地区の知事が異常事態の説明を求めています!」
「周辺地域へ供給する電力が平均値を割りました、電圧が低下していきます!」
「横浜新興区のゆずりは……いや、高濃度感情量子発生源・伊号は」溜め息を収めてからベルガーが問うと、すぐに返ってきた。
「経年劣化で廃棄処分されました」
「報告書は上がってきていなかったが?」
「先日、急速にエネルギーの出力が低下したため、イノベーションが隔離地域から回収したそうです。現在、横浜新興区にエネルギーを供給しているのは、北関東農耕区を維持している高濃度感情量子発生源・由号です」
「ならば、横浜新興区のエネルギーを旧東京地区に回せ。前回の暴走のダメージが治りきっていないところで都市機能を麻痺させるわけにはいかん」
「了解しました!」
指示を受け、すぐさまオペレーターは旧東京地区と横浜新興区のインフラに関わる部署と連絡を取り始めた。
「で、これが二通目なんですけど」
いづむはプリントアウトした紙を差し出してきたので、ベルガーはそれに目を通したが、その内容は一通目よりもひどくなっていた。こころがトイレに行った回数と所要時間までもが書いてあったからだ。
「添削するしかなさそうだ」
「総司令官御自身でですか?」
「どうせ、私は判断して指示を下すだけだ。君達よりは暇だからな」
ベルガーは軍服のポケットから赤インクのペンを取り出し、スサノヲのラブレターに修正を加えた。が、修正個所が多すぎたので、紙面は真っ赤に染まった。
翌日。
誰かに監視されているのかもしれない。
そんな不安に取りつかれたこころは、びくつきながら家を出た。森で枯れ枝を拾い集めていると、獣道に金属製の赤い筒が立っていた。
「あ、これ、絵本で見たことある」
記憶が確かならば、これが郵便ポストだ。
「あの手紙の返事、この中に入れたら届くってことだね」
生まれて初めてもらった手紙は思わず燃やしてしまったが、文面は頭に焼き付いてしまった。あまりにも怖すぎたからだ。
だから、一言文句を言ってやろうと返事を書いてみたのだが。
「切手を貼らないといけないんだけど、郵便局がないから切手が買えないんだよね。どうしよう」
あの手紙にはリターンアドレスが書いていなかったので、運命の恋人様、という宛名しか書いていない。ついでに言えば自分の住所も知らないので、リターンアドレスには名前しか書けなかった。だが、手紙をもらったからに返事を出さなければ。
意を決し、こころは投函した。
郵便ポストの内部には、極小の空間超越式物質転送装置が設置されている。
いわゆるワープゲートを生み出す装置で、こころが手紙を投函したと同時に極小のワープゲートがポストの中に展開し、瞬時にスサノヲ艦内へと転送される。
そんなものを配備したのは、スサノヲ本艦であることは言うまでもない。
国連宇宙軍が内容を大幅に編集した情報統制済みの朝刊を、毎朝のように届けているのもスサノヲで、これもやはりワープを用いて転送させている。
それを知らないのは、こころ本人だけである。
そして、十秒と経たずにスサノヲ艦内にこころの手紙が転送された。
途端にスサノヲは隔壁を閉ざして転送ポートを封鎖し、こころの手紙を超強化プラスチックケースで囲んで密封した。
「開封しねーの?」
再びスサノヲのブリッジを訪れたいづむが不思議がると、スサノヲはいきり立つ。
「解っていないな! 開封なんかしたら、こころちゃんが吐き出した空気に含まれていた水分子が外部に流出してしまうではないか! そんなもったいないこと、この俺に出来るわけないではないか!」
「んじゃ、どうやって読むんだよ」
「陽子線の透過スキャンを掛けて、色の濃い粒子の配列を検知し、そのデータを元にしてこころちゃんのエクセレント可愛いお手紙を再現するに決まっている!」
「知るか」
反論する気すら失せ、いづむは顔を背けた。
こんなことをさせるために、最先端の技術と兆単位の開発資金を投じて造り上げた陽子線センサーを装備させたわけではないのだが。
五分後、スサノヲ宛の手紙の内容が判明した。
うんめいのこい人さま
ちゃんとしたお名まえをおしえてください。
すごくこわいから、見はらないでください。
ブロッコリーは好きなので、へいきです。
ギルじいちゃんが持ってきてくれた小せつは、とてもすてきでした。
どきどきしました。これでいいですか。
切手をはらずにだして、ごめんなさい。
おばけだったら、出てこないでください。
おばけじゃなくても、出てこないでください。
こわいからです。
PS.こわいのはにがてです。
ドン引きなんてレベルじゃなかった。
本気で怖がられている。嫌われている。
ひらがなだらけの稚拙な文章から滲み出る怯えぶりに、いづむはこころに同情してしまった。が、しかし。
「ふおおおおおお……!」
スサノヲは感動に打ち震え、艦体までもを振動させた。
「可愛すぎてオーバーヒートする! 切手なんていいのにそんなものはいらないというのに! だが、気遣ってもらえるだなんて嬉しすぎて困る! あっ、左舷で配線焼けたかもしんない!」
「普通の子供の思考だろ! てか、なんでひらがなばっかりなんだよ、呂号は十四歳のはずだろ」
「情緒面を発達させすぎると暴走する危険性が高まるから、知識を必要最低限しか与えないと国連と射延技術少尉の実家の会社が決めたのではないか。それは射延技術少尉も知っているだろう」
「あー、まぁな。てか、主砲を無駄に出し入れするなよ摩耗するぞ」
「こころちゃんを俺色に染められる余白がたっぷりあることを喜ばずにいられるか!」
「あーそうかよ。んで、これが返事だから、ちゃんと出しておけよ」
いづむが投げやりに添削されすぎて別物と化した手紙を差し出すと、スサノヲはその手紙をセンサーでスキャンして読み、絶叫した。
「なんだこれは! ただの謝罪文ではないか! 総司令官の加齢臭まみれの文体だぞ! こんなものでは、こころちゃんに俺の愛を伝えられなではないか!」
「二度と返事来ねーぞ。あと、旧東京が再起不能になる。呂号がビビってメルトダウン起こしちまうかもしれないから」
「それは……辛すぎる……。こころちゃんから返事が来るという悦楽を味わってしまった身には、あまりにもひどい……」
「じゃ、総司令官のを出せよ」
「了解した」
力なく応じたスサノヲは、添削されすぎた手紙を封筒に入れて転送ポートに運び、こころの元に送り届けた。切手を同封したのは、小さな親切心と、こころが切手を舐めて貼るかもしれないという欲望の現われである。