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世界中の誰もが私を愛してくれたなら

 11.

 翌日。火星、衛星軌道上。

 地球を離脱したスサノヲは、補給と修理のために火星の衛星軌道上に建造されたドックに入渠した。移民船団もここで建造されたものだ。

 その間、こころは精密検査やら何やらのため、スサノヲを降りて国連宇宙軍火星基地の防疫用隔離ブロックに移動させられた。流れ作業のように検査を終えると、やることもなくなってしまって暇を持て余した。存在自体が最重要機密であるこころは行動が制限されているので、初めて来た火星を見て回れるわけでもない。

「スサノヲさん、早く元気になってね」

 窓から見えるスサノヲは、近いけど遠い。

「私が作ったパンケーキを食べてくれたのは嬉しいけど、お腹壊していないかな」

 こころは手のひらを横にして、窓越しに見えるスサノヲを手のひらの上に載せてみた。そうすると、自分が大きくなったような気がする。

 すると、ドアのチャイムが鳴らされた。

「どちら様ですかぁ?」

 こころが三重のドアを開けて応対すると、ココとレイチェルが立っていた。

「いらっしゃい、ココちゃん、レイチェルちゃん!」

 思いがけない来客に歓喜し、こころは二人を部屋の中に誘い入れた。

「御元気そうで何よりですわ、こころさん」

 ココはこころの手を取って優しく握り、腰をかがめて目線を合わせてきた。

「初めての任務、大変でしたでしょう? ゆっくり休めました?」

「うん、大丈夫だったよ」

 ほれお土産だ、とレイチェルが満面の笑みで渡してきたのは、紙袋一杯のカップ焼きそばだった。

「無人島で二つも食ったんだってな? 旨かったからだろ? 旨いよな? だからもっと食べてくれ」

「あ、うん、どうも。大事に食べるね」

 こころは大きくかさばる袋を受け取り、愛想笑いを浮かべた。

 それから、二人はこころに報告してくれた。海王星でハレー・ビートルの群れを迎撃する作戦を実行するため、スサノヲが火星を出発するのは五時間後であること。スサノヲと共に旅立つのはこころだけであること。

「私とスサノヲさんだけ、ってえええええ!?」

 こころがあたふたすると、ココは切なげに目を伏せる。

「ええ……。スサノヲ様の殺人的な加速と空間超越の衝撃に耐えられるのは、超高濃度感情量子発生源であるこころさんだけですもの。地球と火星の間であれば、空間の歪みもそれほどではありませんから、常人でも耐えられるのですけれど、外部太陽系となると重力場の違いで空間の歪みも大きくなってしまいますのよ。ですから、ワープアウトした途端に細切れの肉片になってしまいますの」

「感情量子濃度の高さは耐久性にも比例するってことだよ。こうしてみると、こころは普通の女の子なんだけどなぁ」

 レイチェルはおもむろにこころの頬をつまみ、揉みしだいた。むにむにむに。

「うー、あー」

 痛くはないが妙に恥ずかしく、こころは赤面する。

 その後、こころは二人とお喋りに興じた。二人とも仕事があるので一時間もとどまっていられないと言われたが、それでも充分だった。作りすぎて余ったパンケーキとホットコーヒーを淹れて出したが、レイチェルはコーヒーには手を付けなかった。紅茶派なのかもしれない。

 他愛もない話題で笑い合っていると、急にレイチェルの口数が少なくなった。顔色も悪くなり、腹を押さえて座り込む。

「大丈夫ですの?」

 ココがレイチェルの背をさすると、レイチェルはココを強引に引き寄せ、そして。

「んうっ?」

 ――レイチェルがココの唇を塞いだ。

 これは一体どういうことだ。こころは慌てふためき、右往左往する。

「ああ、うっ、ええっと」

 不意にココの膝がレイチェルの下腹部に埋まり、レイチェルの背中が折れ曲がる。ココは更に蹴りを加え、レイチェルを軽々と吹っ飛ばして壁に激突させた。

 ココは床に異物を吐き捨ててから、口元を手の甲で力一杯拭った。

 半透明のぶよぶよとした球体。その中では、小さな幼虫が蠢いている。

「あの時、石油の民が私にしか手を出さなかったのは、そういうことでしたのね。そして、私は内熱系で彼女は外熱系。私に卵を仕込んでも、熱で死んでしまいますものね。だから、このようなことになってしまったのでしょうね」

 険しい面持ちのココは、うずくまっているレイチェルに近付いた。

「レイチェル、意識はおありで?」

「なんとか、な……。死ぬほど痛いが……腹の中の外も……」

 脂汗を滲ませているレイチェルもまた、半透明の物体を胃液ごと吐き捨てた。複数の卵がくっついている、卵群だ。

「ぎゃひっ!」

 虫の卵が気色悪く、こころは悲鳴を上げて後退る。

「どうした、何があった!」

 異変を聞き付けて駆け込んできたのは、こころを訪ねてやってきたブライアンだった。が、やはり、虫の卵を見て青ざめる。

「うおわぁっ、なんだこのブヨブヨしたのは!?」

「レイチェルの中に仕込まれておりましたのよ。エイリアンは人間に寄生するのがお約束ですけれど。さっさと焼却してしまいましょう」

 ココは顔を背けつつも、体温を高め、虫の卵を握り潰して炭に変えた。

「だが、俺達は宇宙に出る前に検疫を受けたはずだぞ? そんなエグいモノが腹の中に仕込まれていることが解らないなんてことは」

「その検疫に使う検査機器のプログラムが書き換えられていたら、とは考えられませんかしら?」

「またいづむの仕業か? いや……イノベーション全体の仕業かもな」

「火星に連れていく十二億六千万人を大人しくさせるためには、金をばらまくだけじゃダメに決まっている。だから、虫共の力を借りたんだろ。マリアナ海溝から掘り出してきたのかもな。そのままにしておけば、大人しく働いてくれる労働力にもなるからな。但し、虫の卵が孵化しないことが大前提ではあるが。ぅおえあっ」

 よたよたと洗面台に這いずっていったレイチェルは、盛大に吐いた。

「避難民全員が虫の卵入りってわけでもないだろうが、十二億六千万人を検疫し直して虫の卵の除去手術をするのはかなり時間が掛かるぞ」

「けれど、それをしませんと、火星でハレー・ビートルが繁殖するのは時間の問題ですわ。出来るだけ早く、かつ的確な処置を施しませんと」

 ぼやいたブライアンに、ココがぴしゃりと言う。

「でも、どうやりゃいいんだ……。あ、ヤベェ」

 レイチェルは吐き気の第二波に襲われ、盛大に吐き返した。こころは居たたまれなくなり、レイチェルの背中をさする。

「レイちゃん、大丈夫だよ。なんとかなるよ」

 開け放したままのドアがノックされたので、ブライアンが応対すると、プロストを伴ったベルガーが入ってきた。

「邪魔するぞ、こころ」

「ダメですよ総司令官、ここには!」

 ブライアンが身を挺してベルガーを阻もうとすると、プロストが諌めた。

「大方、中嶋少尉が吐き出した虫の卵があるのだろう? 僕達の目的もそれなんだ」

「外でも大騒ぎになっているんですか、もしかして。じゃあ、早く検疫して除去手術をしないと、火星も地球みたいになっちゃいますよ」

 狼狽したブライアンとは対照的に、プロストは落ち着き払っていた。

「案ずることはないよ、ワーウィック少尉。僕達は既に解決策は見出している」

「お土産だ、こころ」

 ベルガーがこころに差し出してきたのは、箱入りのチョコレートだった。そういえば、石油の民に捕まっている時に食べさせられていたような。

 その当時の苦しみを思い出してしまい、こころはやんわりと拒んだ。

「ギル爺ちゃんのお土産は嬉しいけど、チョコレートはちょっと……」

「いや、食うのはお前じゃない。中嶋少尉だ」

 ほら食べろ、とベルガーは強引にレイチェルの口にチョコレートを放り込んだ。

「んぐっ!?」

「ちゃんと飲み込め、そうだ飲み込め」

 ベルガーの大きな手で口を塞がれたレイチェルは目を大きく見開き、硬直していたが、喉を鳴らして溶けたチョコレートを嚥下した。

 その後、レイチェルは洗面台と抱き合う羽目になった。



 半死半生のレイチェルはソファーに横たわり、唸っていたが、顔色は先程よりも良くなっていた。その様を横目に、プロストが説明する。

「要するにだね、ハレー・ビートルはカフェインに対する耐性がないんだ。テオブロミンにもね。だから、卵を体外に排出させるには、チョコレートを始めとしたカフェインを含む食品を与えるといい。胃の内壁に癒着していた卵も委縮して死んでしまうから、上からでも下からでも排出されるのさ」

「そういえば、石油の民が売っていたコーラは炭で色を付けてあったが、カフェインも混ざっていなかったのか。だからクソ不味かったのか」

 ブライアンは納得したが、炭味コーラの不味さを思い出してげんなりする。「てぇことは、石油の民(ペトロニアン)も虫の卵入りってことになるのか。うげぇ」

「避難民に配布した非常糧食にはチョコレートがありますけれど、虫の卵が体内に入っている方は自分では食べないかもしれませんわね。現に、レイチェルはこころさんが入れて下さったコーヒーを頂きませんでしたもの。ペヤングの次に好きですのに、いつのまにか飲まなくなっていたから不思議に思っておりましたけど、そういうことでしたのね。かといって、避難民一人一人の口にチョコレートやコーヒーを突っ込むわけにもいきませんし……」

 頬に手を添え、ココは憂う。

「となれば、ギルベルトの出番かな。気は進まないが」

 プロストがベルガーを見やったので、こころは驚いた。

「ギル爺ちゃんにも、皆みたいな不思議な力があるんだ」

「そうと決まれば、ブライアン、力を貸せ。総司令官命令だ」

「え、あっ、うわあ!」

 ベルガーはブライアンの襟首を掴み、部屋から引き摺り出していった。

 十数分後、ベルガーに連れられて戻ってきたブライアンは、猫耳メイドと化していた。大柄で筋肉質な男の猫耳メイド姿は、おぞましかった。実際、ブライアンは鏡に映った自分の有様を見て吐き気すら催していた。だが、それが彼の能力と感情変動を引き出すトリガーなのだから仕方ない。増して、総司令官命令とあれば逆らえるわけがない。

「あんな服、この部屋にあったっけ?」

 こころが不審がると、プロストが捕捉する。「あれはワーウィック少尉が常備している服さ。いつでもどこでも能力が使えるようにと持ち歩いているのさ。拳銃と同じなのだよ」

「では行くぞ、しっかり受け止めて広めろよ!」

 ベルガーはブライアンの額を左手で鷲掴みにし、ぐっと力を込めた。

「うおぉうっ」

 額を掴まれた痛み以上に激しい熱に脳を刺激され、ブライアンは仰け反った。直後、ブライアンが放った超広域の量子通信は、国連宇宙軍火星基地の通信網を経由し、瞬時に移民船団に乗ってきた避難民全員に行き渡った。

 その内容は、ベルガーの能力を宿した熱の奔流だった。

悪辣遊戯ジョーク・ジェトロニック。それがベルガーの力なんだが、最悪なんだ」

 プロストは能力を行使するベルガーの背を見つつ、解説してくれた。

「能力の仕組みは中嶋少尉の遠隔点火と似たようなものだが、熱を加えられるのが機械ではなくて人間の脳なんだ。ほら、風邪を引いて高熱を出すと朦朧とするだろう? その症状を故意に起こさせ、〈絶対にしてはいけないこと〉をやらせてしまうんだ。大事なものを捨てたり、壊したり、他人に罵詈雑言を吐き付けたりとね。おかげで、学生時代にはひどい目に遭った。だから、ギルベルトがその悪辣な能力で虫の卵の保有者にカフェイン含有食品をたっぷりと食べさせてくれる。もっとも、こんな場合でしか使い道がない力であるし、二度と使ってほしくない力ではあるんだがね」

 恨みがましい面持ちで、プロストはベルガーの背を鋭く見据えた。

 どんな目に遭ったのかは聞かないでおこう。と、こころはひっそりと思った。



 ベルガーの作戦は功を奏し、虫の卵の保有者は一人残らずカフェイン含有食品を口にし、虫の卵を吐き出したが、十二億六千万人の大多数がトイレや洗面台に駆け込んだために移民船の排水溝が詰まってしまった。

 地球で全滅したと思われていたハレー・ビートルが人間に寄生して火星に入り込んだことで火星全体がパニックに陥り、スサノヲの補給と修理が滞り始めた。



 四時間後。

 スサノヲの補給と修理は予定よりも大幅に遅れ、資材の搬入すらも完了していなかった。それもこれも、イノベーションの社員である作業員の四割がハレー・ビートルの卵を宿していたからだ。

 出航時にこころが乗り遅れては元も子もないので、当初の予定通りにこころはスサノヲの艦内に収容されることとなった。その際、機密上の都合で空間断裂弾に入れられてスサノヲの艦内へと運ばれた。

 宇宙服を着せられてだだっ広い筒の中に放り込まれたこころは、モノ扱いされているのだと否応なく実感した。空間断裂弾は全長五〇メートル、直径六メートルのミサイルで、その中には多段式の推進装置とその燃料がぎっしりと詰め込まれている。こころが入っているのは固形燃料ロケットモーターが配置されている二段目だが、燃料は抜かれている。こころの熱で点火してしまったら、大惨事は免れないからだ。

 外が見えないので様子が解らず、不安だけが募る。

 こころは両手で握り締めていた通信機に、弱く話しかけた。

「スサノヲさん」

『どうしたこころちゃん!』

 一秒と間をおかずにスサノヲから返事があり、こころは安堵する。

「もうちょっとしたら、そっちに行くね」

『学園祭の準備をして待っているぞ、こころちゃん!』

「うん。楽しみ」

 一人と一艦だけの学園祭ではあるが。

 九ヶ月の間に学園祭を開催するつもりだったのだが、訓練やら何やらで余裕がなくなってしまい、出来ずじまいだった。だから、海王星までの旅路で学園祭をしよう、とこころはスサノヲと約束した。長旅の寂しさを癒すためでもある。

 空間断裂弾を輸送しているコンテナ船の振動が止まったので、スサノヲさんのところに到着したのかな、とこころは心が浮き立った。

 だが、その振動は空間断裂弾に襲い掛かり、大穴を開けた。爆発だった。

 悲鳴を上げる間もなく、こころは宇宙空間に吸い出された。目まぐるしく回転し、上も下も解らなくなる。だが、通信機だけは手放さずにしっかりと握り締めていた。

 火星、宇宙、火星、宇宙、時折スサノヲ、火星宇宙火星宇宙火星宇宙。

 景色が何度も入れ替わり、血液が末端に昇り、三半規管が乱れに乱れる。流されながらも懸命に手を伸ばし、ヘビのように宇宙空間を漂っていたワイヤーを掴んだ。釣られた魚のように大きくしなった後、こころはなんとか姿勢を保った。そのワイヤーを辿り、コンテナ船のデッキに至った。

「あ……あぁ……」

 けれど、コンテナ船のデッキは三分の一も残っていなかった。あの爆発で吹き飛ばされたのだ。搭乗員もまた外に放り出されていたが、皆、手足がバラバラになっていた。

 爆心地である燃料タンクの上に立つのは、セーラー服姿の少女だった。背から生えた虫の翅は、炎を浴びて妖しく煌めいている。湊ゆずりはに間違いない。

「この時を長らく待っていたぞ。呂号。餞別を送り届けに来てやったのだ、喜べ」

「え、あれ?」

 通信機を使っていないのに、直接頭の中に声が聞こえてくる。こころが戸惑うと、ゆずりはは積み荷のコンテナに舞い降りる。

「私の感情量子の振動を、お前の感情量子に働きかけている。要は量子テレポート通信を応用した通信だが、おかげでお前の感情が手に取るように解る」

 怯え。戸惑い。躊躇い。同情。悲哀。

「生憎だが、そのどれもが私には不要だ」

 ゆずりはは触角を片方曲げ、口角を挑発的に上げた。

 ――火星が震えた。

 こころの視界の隅で、火星の白い極冠が盛り上がり、砕けた。

「何!?」

 赤い砂と白い氷を大気圏内外に撒き散らしながら、虫の女王が星の頂に悠然と屹立した。それは、昨日、スサノヲが滅ぼしたはずの女王バチに似た外見の巨大生物だった。紛れもない、ハレー・クイーンだ。

「火星の極冠にはたっぷりとあるのさ。氷と固形化した二酸化炭素が」

 ゆずりはの背後で、女王が咆哮する。そして、再度火星が震える。

「そして、極冠は二つある。意味は解るな?」



 国連宇宙軍火星基地、司令室。

「火星の北極と南極にて、熱源体を観測! その熱量の大きさから、ハレー・クイーンであると断定! 全長約一〇〇キロ!」

「火星全土に緊急避難命令発令! ですが移民船団は、船団全体の動力源である高濃度感情量子発生源・牟号むごうが畏怖しているため、緊急発進出来ません!」

「オオクニヌシ級無人艦隊、出撃準備中!」「地上基地より弾道ミサイルにて迎撃、着弾! ……敵、損害ゼロ!」

「現時刻より、北極の個体をハレー・クイーンN、南極の個体をハレー・クイーンSと呼称!」

「火星各国より入電、状況説明を求められています!」

「オオクニヌシ級無人艦隊、オオナムヂ、ヤチホコ、アシハラシコヲ、イワオホカミ、ウツシクニタマ、ハレー・クイーンNが発射した荷電粒子砲を被弾! ぜ……全艦、轟沈されました!」

「オオクニヌシ級無人戦艦、スゼリヒメ、ヌナガワヒメ、タキリビメ、カムヤタテヒメ、トトリヒメ、ハレー・クイーンSが発射した荷電粒子砲により、全艦轟沈されました! 現存戦力、キノマタノカミ、シタテルヒメ、コトシロヌシ、アヂスキタカヒコネ! ですが、いずれの艦も赤色光線砲を受けて行動不能!」

「各国基地に兵隊級成虫が襲来、戦闘機の八割が損壊、出撃不能!」

 次々に飛び込んでくる情報を口述するオペレーター達は、懸命に恐怖と戦っていた。一難去ってまた一難、というには敵の数も被害も大きすぎる。

「道理で極冠の調査が出来なかったわけだ。資源管理だの環境保護だのなんだのと理由を付けていたが、真相はこれだったのか。イノベーションのクソッ垂れ共め」

「女王とその眷属を子飼いにしていたんじゃ、痛いところを探られるのは嫌だろうさ」

 怒りを抑えきれないベルガーを、プロストが宥めた。プロストは軍人ではないが、アマツカミ級無尽戦艦の開発に関わった科学者であるということで、ベルガーの権限で司令室への立ち入りが許可された。

「それでどうする、プロフェッサー」

「二体の女王を揺さぶり起こした感情量子の発信源は、ゆずりはさんだね?」

「それ以外に考えられるか。あいつを火星まで運んできたのもイノベーションだろうさ。あの時、ゆずりはがあっさり引いたのは、この時のためだったんだな」

「では、ゆずりはさんを止めなければ、こころさんも危ないね」

「ゆずりはの出す感情量子とこころの出す感情量子の振動数は全く同じだ。だから、スサノヲに攻撃させようにも、こころを誤射しかねない。そんなことをしてこころの信頼を失ってみろ、人類に明日はない」

「ならば、有効な兵器は一つだ」

 君の悪意だ。そう言って、プロストはベルガーに一冊の本を渡した。

 こころの愛読書である恋愛小説だった。



 二体の女王とその子供達が、火星に赤色光線の雨を降らせる。

 光の帯が地表に吸い込まれては膨らみ、破裂する。その度に居住区と多くの命が消し飛び、灰になる。数え切れないほどの人生が、時間が、蹂躙されていく。

「どうして、こん、な、ひどいことを」

 憤りと悲しみがない交ぜになり、こころは手足ががくがくと震えた。

「どうして? 愚問だ」

 ゆずりはは穏やかな眼差しで、虐殺を眺めた。

「私は狭い世界で終わりたくはない。お前のように、与えられるものを甘受するだけの退屈な人生はごめんだ。だから、私は外へ向かうのだ」

「だったら、一人で出ていけばいいじゃない! 他の人達にひどいことしなくてもいいじゃない!」

「そうしようと思ったし、そうしたさ。だが、私もお前も高濃度感情量子発生源であり、人体に有害な汚染物質をばらまく害悪であり、人類の文化と生活を支える基盤でもある。私達は生まれながらにして世の歪みを押し付けられているんだ」

「でも、それは」

「世の中のため? 誰かが喜んでくれるから? 必要とされている証拠とでも言いたいのか? だが、その喜んでくれる誰かは私達を恐れる。死に至る毒を持っていると拒絶する。反面、感情エネルギーの安定供給を要求する。馬鹿げた話だ、嫌われている相手に好意を示せるわけがないだろうが。世界中の誰もが私を愛してくれたなら、私も世界中の誰もを愛してやれたのに。死する瞬間まで、高純度のエネルギーを生み出してやったのに」

 ゆずりはは悔しさを吐露してから、こころを見つめる。

「お前もそうなのだろう? 呂号、いや――源こころ」

「私は……」

 ヘルメット越しにゆずりはと向き合っていると、こころの胸中が苦く疼いた。

 ゆずりはの言いたいことも解る。

 自分が何なのか、何のために生まれてきたのかを知った時は戸惑った。寂しい思いをしてきた理由は他者に尽くすためであり、子供の頃から一軒家で独り暮らしをすることを決められていたのも有害物資を振り撒かないためだった。

 けれど、南の島での一件で自分の恐ろしさを理解したから、そう扱われて当然なのだと知った。だから、ゆずりはの気持ちは解るが、共感もしなければ納得もしない。

 なぜなら。

「私は地球で生きていたい! だって、皆がいるから!」

「陳腐な漫画によくあるセリフだが、お前を取り巻く人間共は軍人であって、仕事で付き合っているだけだぞ? あのスサノヲもだ」

「そんなの解っているよ! だけど、それのどこが悪いの?」

 こころは震える足に力を込め、立ち上がり、ゆずりはと対峙する。

「任せられた仕事をきちんとこなす軍人さんは、それだけちゃんとした大人だってことだ! 私みたいな子供が好き勝手出来るのは、大人が仕事をしてくれているからなんだ! だから、私はあなたの我が侭には付き合わない! 人んちにいきなり入ってきて暴れ回る虫達とも! あなたとは友達になれないし、なりたいとも思わない!」

「なるほど下らん。ならば、人間ごっこをしながら果てるといい」

 不愉快そうに頬を歪め、ゆずりはは再び触角を曲げた。

移民船団が宇宙空間に廃棄した、虫の卵を多量に含んだ汚水が沸騰した。

 否。羽化した。

 孵化、幼虫、蛹の過程を経ずにほんの一瞬で。

 こんなの有り得ない。火星の空を埋め尽くしていくハレー・ビートルの群れに圧倒され、こころはよろめく。

「それが、あなたの力?」

陽子加速アトミック・スマッシャーと呼ばれている。効果は見ての通りだ」

 二体の女王が翅を広げ、薄い大気に反重力粒子を叩き付けて巨体を浮き上がらせる。総個体数五千万、と通信機からスサノヲが伝えてくれた。

 火星を覆い尽くす雲が、全て敵。

 その中の一匹と目が合ったと思った瞬間、こころの視界が真っ赤に染まった。赤色光線を照射されたとみて間違いないが、その割には温度が低かった。攻撃ではなく、照準を合わせるための光線だったのだ。

 五千万匹の虫が放つ赤色光線がこころの体を塗り潰し、影すらも赤く染める。

 光量と共に熱量が増大し、そして――――

 突如、全長二〇〇〇キロのクジラが喰らい付いてきた。

 その直後、こころに浴びせられるはずだった五千万発の赤色光線がスサノヲの積層装甲に命中し、凄まじい爆発と振動を起こした。

 こころとゆずりははコンテナ船ごと丸ごと飲み込まれた。クジラの口に相当する部分には主砲の砲身が備わっており、こころとゆずりははスサノヲが調整した人工重力によって、主砲の内側に引きずり込まれていく。

 恐ろしく深い筒の中に沈んでいき、沈んでいき、沈んでいき、終着点に到達する。

 分厚いレンズと超特大の粒子加速器が備え付けられた広大な空間、荷電粒子砲の動力源だった。粒子加速器に柔らかくぶつかり、跳ね返り、こころは回転する。

「うわあっ!」

「この振動から察するに、スサノヲは積層装甲の第一層から第三層まで損傷が及んだな? そこまでして守る価値が呂号にあるのかどうかは疑問だが、まあいい。スサノヲを落とすこともまた、私の目的の一つだからだ」

 ゆずりはは回転していたこころの足を掴まえ、逆さまにぶら下げ、握り締める。

「いた、いたいっ」

「もっと怯えるがいいさ。お前が感情量子を振り撒けば、それを追って虫達がやってくる。そしてスサノヲは壊され、出撃不能になる。お前のせいで地球は滅ぶんだ」

 爆音轟音衝撃波。スサノヲの艦内の至る所で爆発が起き、荷電粒子砲の内部も激しく軋んだ。爆発が起きるたびにこころの感情は波立ち、恐怖が強くなる。

 このままでは、スサノヲはハレー・ビートルと戦えなくなる。そうなったら、こころのせいで地球も火星も月も人類も滅んでしまう。それなのに、恐怖を押さえられない。

「そうだ、お前のせいだ! お前なんかに頼った人類が愚かだったのだ、愚かな人類は滅んで当然なのだ!」

 ゆずりははこころを激しく揺さぶり、狂おしく叫ぶ。

 いっそ泣きたい。でも、泣いてしまったら、スサノヲが。

「違う!」

 スサノヲの声が砲身内に響き渡り、こころの恐怖が薄らいだ。

「地球も人類も滅ぼさせはしない! たとえ俺が猛攻に屈したとしても、それはこころちゃんの責任でもなんでもない! 俺を造り上げた全人類の責任であり、俺に害虫駆除を任せた全人類の責任なのだ! ついでに、この程度の攻撃で俺を落とせると思うな、ついでに地球と人類を滅ぼせるなどと思い上がるな、伊号!」

 人型ロボットのスサノヲが、粒子加速器に仁王立ちしていた。その背中には、ホース付きのタンクを担いでいる。

「スサノヲさあああああんっ!」

 たまらなくなってこころが手を伸ばすが、ゆずりははこころの首を掴む。

「私に近付くな。これの首を折るぞ」

「何、俺はお前に近付きはせんさ。今の俺は、ただの無線通信の中継基地だからな」

「な」

 にぃ、と言いかけて、ゆずりはは硬直した。

 大きく目を見開き、唇をわなわなと震わせ、徐々に顔が紅潮していく。

「あ……あぁっ」

 ゆずりはの手が緩んだので、その隙に脱したこころはスサノヲの背に隠れた。

「スサノヲさん、一体何を」

「総司令官の能力を注ぎ込んでやったのだ。虫が多すぎてワーウィック少尉の能力も役に立たんから、暗号回線を経由して俺の通信機で受信した情報を送ってやったのだ。が、内容はよく解らん。俺には総司令官の能力自体が理解しがたいからな」

「いや、はひぃっ、あうぅっ」

 いきなり恥じらい出したゆずりはは顔を覆い、身を捩る。

「おっおまえは、私の書いた日記を読んだのかぁっ!?」

 ゆずりはの哀切な眼差しがこころを捉えると、ぎゅうっと瞳孔が窄まる。

「日記?」

 他人の日記なんて読んだことない。身に覚えがないので、こころはきょとんとする。

「そうだ、私の日記だ! ギルベルトが三十年前に私の元から持ち出していった、布張りで赤いバラの表紙の本だ!」

「あ、あのロマンチックな恋愛小説の本がそんな感じだったような。確か、ラストはヒロインの女の子が女王様になるんだっけ」

「そ、その日記に書いたことは現実だ、現実になるべきことなんだ、あれこそが私の現実であって物質宇宙の出来事の方が空想で妄想で妄執なんだ! ギルベルトが日記を持ち出しさえしなければ、私は今でも関東一帯を――いや、日本全土を支える動力源でいられたんだ! それなのに、ギルベルトが私を熱で浮かせて日記を渡させて、ぇうあああああっ!」

「あの本、小説じゃなかったの?」

「違う、あれが現実でこの世が妄想なんだ、嫌なことしかない物質宇宙は現実ではない、現実とは私の意識とそれを書き出した日記の中にある! だから、私は女王なのだ!」

 ゆずりはの感情の高ぶりに比例した熱が発生し、一気に一〇〇〇℃近くまで上昇した。

「――――ぃあっ!」

 一五〇〇℃に到達する寸前、ゆずりはは声にならない悲鳴を上げて失神した。自分自身が発した熱量に負けてしまったからだ。

「今だ!」

 すかさず飛び出したスサノヲはゆずりはの胸を開き、胸の穴に制御棒を滑り込ませた。

「ひぁあうんっ!」

 その瞬間、ゆずりはは喘いだが、意識は戻ってこなかった。スサノヲはタンクのホースを伸ばし、冷却剤をまんべんなく掛けると、ゆずりはは熱量が大幅に下がって沈静化した。

 だが、まだ危機が去ったわけではない。ハレー・ビートルの群れが残っている。

 しっかりしないと、落ち着かないと、泣いちゃダメだ。

「ううっ、はあ、ああっ……!」

 けれど、自分を律そうとすればするほど息苦しくなり、喉が痛み、涙が出てくる。こころは呼吸を整えようとするが、浅く速い呼吸になって余計に苦しくなってくる。

「思い切り泣いていいんだ、こころちゃん」

「でもっ、でもっ」

「その涙の一粒でさえも無駄にはしない。――攻撃に変えるだけだ」

 スサノヲはこころを抱き締め、宇宙服を溶かしかねない熱を余さず受け止める。

 そして、こころが発した莫大な熱量を感情量子融合炉に全て流し込んだ。



 同時刻。

 五千万匹のハレー・ビートルからの砲撃によって損傷したスサノヲは稼働率が八割に低下していたが、全砲門から最大出力で最大有効射程でプラズマ魚雷を発射した。

 その攻撃により、五千万匹のハレー・ビートルの半数以上が爆砕。

 オオクニヌシ級無人戦艦の応戦により、更に四分の一まで個体数が減少。

 ハレー・クイーンN、ハレー・クイーンSの損害は軽微、現存。

 ハレー・クイーンN、ハレー・クイーンS、スサノヲに荷電粒子砲を同時に斉射。

 スサノヲは艦載機を盾にし、荷電粒子砲を防御。艦載機、二〇〇艦が爆砕。

 重粒子機関砲を斉射。命中せず。

 同時に発射した空間断裂弾、同上。

 十数秒後、火星を一周した重粒子機関砲と空間断裂弾がハレー・クイーンNとハレー・クイーンSの後部に命中、炸裂。

 両者、空間ごと肉体を分断される。両者、撃破を確認。

 状況終了。


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