計器飛行
研鑽と経験を積むのは大事だし、単位も必要だけど
――少しでも、リリィと(変な読み方で)呼んでくれる二人と旅を楽しみたかった。
けど、今夜は、飛ばさなきゃいけない。
夜間計器飛行の単位習得には、実地での修練が大事。
一回たりとて逃すのは、もったいない。
二人はどうせ、寝静まっているはず。
リーリアは機内アナウンスを終えると、ぐっと臍の下に力を込めた。
星空が、コクピットの中にまでしみ込んでくるみたい。
計器盤のちっぽけな明かりは、星の瞬きに混じるほど弱弱しく、今にも消えてしまいそう。
赤い灯が、ぽんと照らした時計の針、それくらいしか、頼れない。
高度、昇降、対気速度、そして方向・方角。
――ルートマップは、頭に入ってる。
なのに、リーリアにとって、どうもいやな動悸がやむことはなかった。
オートパイロットには、赤く、ばってんがかかっていた。
すぐ隣には、正パイロットが腰掛けて、じっと何かを覗き込んでいる。
だめだめ。
意識を向けたとたん、ハートレートがさらに上がった。
航空学校は、もう出たもの。
なのに――いまでも、プレッシャーがたまったものじゃない。
彼が見つめるモニター。
こちらからはまったくもって見えないようにしてあるけれど、合成開口レーダーがリアルタイムで作った立体地図が表記されているはず。
もし少しでもずれたら、眉間にしわがすこし寄って、言うに決まってる。
「I Have Control」
って。
そして、夜間計器飛行の単位は一回分、パー。
昇進のすごろくも、1コマお休み。
夜闇に目を凝らしても、人工光のない大地に見えるものなんて、ひとつだってない。
鉄道沿いに置かれた無線標識基地からの位置情報だって、ひどくおぼろげなように思えて、でも、確かと信じるしかない、道しるべ。
――そんな中、目の前には山脈が迫っている。
アルプス級の山脈が、2つ。
西に連なるのはマラソンーオアチタ山脈、東にあるより高いほうを、アレガーニー山脈っていうらしい。試験問題にもよく出たっけ。
――遭難する人が出ても、救助にも行けないからって。
無線基地局が置かれていない、沈黙する氷山だ、そう教官は口酸っぱく言っていた。
その間におよそ、幅百五十キロの回廊が走っている。
それを、真北に向かって、真っ直ぐ、歪みなく通過する。
今日のミッション。
この、夜闇の中で。
燃料と貨物は、満載。乗客だっている。
上昇限度は3割程落ちていることを思えば、冷たい機内で、汗が滲んだ。
「あのさ」
教官の唇が動いた瞬間、操縦桿を握る指が一瞬ぶれた気がした。
あっいけない! 額に冷たいものが触れたかも。
――隣にいるはずなのに、あの縦列複座の練習機に乗っている気がして。
あのちっぽけな飛行機。機体も教官も過激。
失速させてみろ、という指示が飛ぶことすらあった。
殺す気か、と思いつつぐいと操縦桿をひねると、ぞわりとした直感ののちに機体がコントロールを失い、それを冷汗かきながら回復させるしかなかった。もう最悪。
そして、安定させたとき、教官はこう言う。
「あのさ」
それで、何をやってもダメ出しのオンパレード。
それが、航空学校での日常。
でも今日は、機体はびくとも揺れなかった。
さいわいにも操縦桿の遊びの範囲だったのか、すでにコントロールを奪われていたのかも。
でも、教官の言葉の続きは、ダメ出しじゃなかった。
「昔の人は、星空を頼りに飛んだそうだ」
「やってみろ、ってことですか、先生」
しかし教官はすぐ、「やめておけ」といった。
静かな声だった。
教官は言った。
「よくあるバカ話がある――地球で習熟した熟練のパイロットたちが言う話だ。俺の教官クラスの話だな」
「バカ話、ですか」
「彼ら、夜空が気持ち悪くて酔うんだそうだ。あるいは、そのまま方角を見失うらしい」
「熟練しているのに」
「ああ、達人ほどそう言う。星の配置も、星座の形も、方位磁針の向きも――地球とはずれている。それをついつい地球の空にアジャストさせると、酔うらしい」
「――そうなの?」
メーターを見ながら、リーリアは相槌を打った。
進路は、ずれていないはず。
現在地の座標も――正確だと思う。
素人が言うのもなんだけれど。
計器飛行をしていると、X、Y,Z軸で構成された座標空間を移動しているような気がしてくる。
世界がもっと、純粋な法則に従う、なんて。
昼間、地面の――現実の地形を見て飛ぶ時より、すっと飛べる気すらして。
普段から、世界をグリッドが飛び交う空間に落とし込んで、それから飛ぶように、いつの間にか、なってた。空の上では、世界の具象は、処理を遅くするレンダリング。
トラフィックも地形も、クリーンな座標系におかれた、符号にすると、綺麗になる。
座標の中に基地局が、質量と大きさを持たない点として並んでいて、そのなかを、進んでいく1つの点――そういう感じ。
「地球にゃ、どこでもリアルタイムで座標と移動の速度と方角がぴったりわかるなんて、便利な観測機器があるらしい。それがないんで、さらに酔うんだそうだ。」
「…酔う、、、お言葉ですが、それ以前に彼らは、本当に熟練していたんでしょうか」
「いい質問だ。彼らも似たようなことを思ったらしい。本当にインフラがない空を飛べるのか?ってな。他の星に行けるかもしれん、って話が出てきたころだ。」
「超時空ゲートがいよいよできるって世代のこと?。」
「ああ、そうした文明の利器を敢えて排して飛んでみよう、という試みだった。結果が――それだ。慣れるってのは地球の具象に慣れるだけだったんだな。」
「具象…」
「今日乗ってるお二人さん、具象の人だろ」
「ええ、生物学者と、そのはしりだもの」
「で――どう思うんだ?どちらが偉いとかいうわけじゃねえが、俺は案外、ああいうのも悪くない、と思ってな。」
「それぞれいいと思う、けどバランスの問題ね」
「玉虫色の答えだな、玉虫見たことないが。どっちだ、と聞いている。お前はどこを飛んでいる」
――一瞬、間があいた。
「座標を飛んでいます。知覚しえないものは、ないと仮定して」
「満点だ。」
教官は笑った。
そして――星を見つめた。
「俺はつい、この星空を読もうとしちまう。もう地球にゃ、帰れねえ」
そう言うと、教官はまた、合成開口レーダーに視線を映した。
その後しばし、沈黙が続いた。
星空はただの光の点に過ぎなかった。
そこに意味を見出すのは、降りてからだけにしよう。そう、心に決めた。
――きっと、誰かが教えてくれるかもしれない。
しかしそれは、地上の話。
空の色が、変わっていく。
左右にあったはずの山脈はもう見えず
――広がる砂漠と、そのはるか向こうの海が見えた。
「パーフェクトだ。今日の夜間航行演習、終了。あとは自由だ、教えるこたあない。ご友人とでも楽しんでてくれ。あと3単位、だったな」
「はい。ありがとうございました。You have Control」
「Yes, I Have.」
―――
「地球には、北極星って言うのがあるって聞いたけど、ホント?すごくありがたいわよね、それ」
――そう、リリィは言った。
そう――3億年前の空は、今の空とはだいぶ違うのだ。
地球を含む太陽系は、銀河系をおおよそ、2億5000万年かけて周回している。
3億年前の地球から見る星空は、今の地球からは少しずれていて、かつ、まったくもって違うとは言い切れない程度には似ているように思えた。
これがもし、1億年前の白亜紀であれば、まったく違うと割り切れたろうに。
「たまたま自転軸にあった星がなかったら、人はあんなに発展できなかったかもね、海に迷って」
――そう唇が動いたけど、なんだかんだ、人は何とかしてしまうような気もして、少し反省した。




