Traps ①
宿に戻り、コンテナから一抱え以上はある箱を取り出す。
大きさの割にはそこまででもないが、一人で抱えるにはちょっと大きくて、2人がかりでようやく担ぎ出す。
今回の旅で使う、トラップ類だ。
毎度トラップ類を出すたびに、その大仰さと面倒くささに辟易する。
正直いえば、まだしっかり陽がある、あと1時間半ほどは、トラップがけよりも観察に費やしたかった、と個人的には思ってしまう。
が、それでもまぁ、やらねばならない。
「ここまでで20種はとったけど、どれも別の種類だったんだから!」「絶対、まだいるはず。」「せめて雄雌は揃えないと始まらない!」
などと、アリアは息巻く。
はい、はい、と、私はなんとなく相槌を打っていた。
えぇ、戦果がしょぼそうに見えても、ここは調査が全く行き届いていない時代と地域、ちょっとでも捕まれば、なんでも新種なのだ。
ただ――現在に置いても新種だらけで既知種を探すほうが大変、という状況が続いている線虫類などと、どこが違うのだろう?と言われれば。
やはり見栄えという話になってしまうかもしれない、と思うのだ。
私がさっき、あちこちからリターを集めて回っていたのは、今夜、ツルグレンと培地にかけておいて何百種という新種を狙っているためである。
現代ですら未整理の面が多い土壌動物を、3億年前で調べれば――もう何でもありだ。
色々いるのは、さっき目視で十分に確認している。
それに、先行研究がないということは、あのぐちゃぐちゃした、誤同定と誤記載だらけの文献の山と戦わなくていいということだ。
ルイ・アガシーは「本から学ぶな、自然から学べ」といったらしい。
しかし、先行研究があまりにも不確実な場合、過去の記述のすべてを綿密に再検討する必要がでてくる。結局気づいてみれば自然に学ぶどころかいつしか主に本から学ぶようになり、結局全サンプルを再調査しなければならない…という地獄が待っている。
大学では土壌動物にかぎらずそんな、地味ゆえに無視され、研究史の混沌に巻き込まれ正体不明になった現代の生き物たちに、悩まされてきたわけである。
――まぁ、地味だし、地味だと言われるのにも慣れているのだけど。
新種しかいないこの3億年前の世界において、化石にも残らないほど微細だったり、よくよく観察しないと別種と気づけないほど酷似した生き物の世界は、いままで誰も研究しえなかったフロンティアなのだ。それは、大きくて目立つ新種の数十に匹敵するし、より大きな世界の入り口に立てるものだと思っている。
そう、困るのは私ではなく、私を追いかける後世の研究者なのだ、ははははは。
そんなことを思いながら、透明の衝突版を一つ一つ組み上げ、軽量化のために折りたたまれた採集ボックスを組んでおく。
すると、
「最初の12時間は保存液じゃなくて、返しと潤滑剤ね!生け捕りにするんだから」
と、注文が増えた。ええい、溜めるつもりで組んでいたが、なしだ、なし。
生け捕り用の組み立ては3ステップほど、多いぞ…。
さて、誤解されがちだが、昆虫採集において、必ずしもトラップのほうがいいという保証はないし、見栄えのする虫が大漁、というわけでもない。
優れた採集法かと言われれば、案外そうでもない。
現代の地球でトラップをかける際、一番辟易するのが、サンプル数が多すぎるということだ。大漁でいいじゃないか、と思うかもしれないが、実態は全くもって、違う。
現代地球においてトラップをかけた際、最も多くかかるのはユスリカ類をはじめとした双翅類と、微細な寄生バチのたぐいだ。この1~2㎜しかない昆虫は、たがいに酷似しているものが多く属レベルの同定にすら難渋することが多いうえ、それが何千匹ととれてしまうのである。同じ種の群れだからいいや、と見逃していると、遺伝子を調べてみたら属以上のレベルで異なる種が混じっており、慌てて仕分け直す、など、よくある話である。
そして虫自体が小さすぎて、DNAサンプルをとろうとすると虫体の破損が大きくなってしまうのも泣き所だ。
トラップの大漁は、しばしば悩みのタネなのである。
そうした“地味なやつら”を無視して、大きくて目立つ種をチェリーピッキングするならいい、のだけど。
飛び回る大きな虫には目視のほうが確実だし、やはり見まわして、狙ったものを追いかけてとる、というのにはメリットが大きい。
目で見てどう探してもいないものは、トラップをかけてもやっぱりいないのだ。
と、思い知らされることもなんと多いことか。
それに、トラップになぜかかかった、というだけでは、その生き物としての生体や性質の違いが判らないことも多く、結局その種を狙って再調査する必要が出てくる。
つまり、トラップはめちゃくちゃ、非効率なのである。




