Traps④マレーズトラップ
トラップをかけるだけの話が続いてしまいましたがこれでトラップがけはラストです。
「じゃ、テントたてるから」
そう言って、町のはずれの、少し開けたスペースにコンテナが広げられた。
中にあったのは、網と支柱。
ペグを打って支柱を立てて…いわゆるテントである。
ただ、これもアホかといいたくなるくらいでかい。
高さが5mほどもあるので、設置のための支柱も大がかり。
3人くらい中に住めそうな、やけに背の高いテントが完成していた。
テントというより、もはや建物だ。
――先端に、戦利品収集のためのケースが取り付けられていることをのぞいては。
「ほんっとにこれ、設置許可出たんだよね」
その大がかりさに、私はつい、聞き返してしまった。
「え、これなら前もかけてるからダイジョブダイジョブ」
「数と規模も含めて、申請はちゃんと降ろしたから、心配は無用ね」
とリリィも補足する。
――ほんとに?
こんなもの配信して、真似しだす乱獲者が現れたら、どうするつもりなんだろう。
いやこんなに仕掛けてる時点で我々ももう十分乱獲者みたいなものだけど。
「というかこんなに大きくする必要、ある?支柱に支えられた末端のボトルもなんかあり得ないくらいでかいし。人頭大かそれ以上あるよ」
「あー、あれね?中生代では翼竜トラップに転用できるから」
「翼竜ってマレーズにかかるの」
「障害物にあたると上によじ登って滑空する習性があるからね~。地際すれすれを飛ぶ種には、とくに効果てきめん。翼竜狙いだと、上から粘着テープを垂らして、飛び降りたぶんもがっちりホールド。」
うーむ、やはりタイムトラベラ―の採集事情は、ちょっと想像しがたい。
あと、コウモリや鳥はふつうマレーズトラップにかかったりはしないので、なにか別の要因が絡んでいるような気がしてならない。網に引っかかってしまうのではなく、むしろつかまりやすそうな平面を探して飛び回っていて、網がすごく魅力的なランディング先に見える、とか…
さて――次は、ライトトラップか…
と思っていると、
「ライトトラップは港でやるから、積み降ろしが終わってから」
とのことである。
港の方角からは、まだ機械音が鳴り響いていた。
汽笛が鳴る。
「ま、その前にまずは、夕食会ね」
長い一日が、もうすぐ終わる。
―おまけ―
マレーズトラップに名を遺すルネ・マレーズは、エピソードに事欠かない人だ。
若いころの彼の遊びは、吹き矢でストックホルムの通りを歩く女性たちの羽飾りを射落として遊ぶことだったという。この時点で普通ではないのだが、やがて昆虫に興味を惹かれるようになった彼は、ロシア革命後、赤軍と白軍が衝突し混沌の極みにあったロシアへと渡り、カムチャツカを探検し、熊や狼、クズリといった猛獣と渡り合いながら3年を過ごし…マグニチュード8.4の1923年カムチャツカ地震ですべてを失った。クロテン漁師と同行して1923年中に何とかカムチャツカを脱出して日本に渡った彼は、8月に鎌倉にて関東大震災に見舞われ、カムチャツカに戻ろうとするも船に乗り遅れて帰れず、シベリア鉄道に乗って誕生間もないソビエト連邦を陸路で横断、モスクワ、フィンランドを経由してスウェーデンに帰国。
そして懲りないことに翌1924年にはまたカムチャツカへと旅立ち、カムチャツカでクロテンの養殖場を開いた。しかし1930年、今度はクリュチェフスカヤ火山が噴火して徒歩で避難、そののちも採集を続け、大量の標本とともにスウェーデンに帰り、結婚。そして1933年には妻とともにビルマ(ミャンマー)に遠征、現地の人々と親睦を深め、1930年代までで最大の、10万点を超える昆虫コレクション(うち7割以上が新種であったと目される)を収集することとなる。このときこのときテントに入った昆虫が上に登る習性に気づき、マレーズトラップを発明。1934年には試作品が実地テストされ、1937年には論文発表されることとなる。
さてビルマ遠征においてもエピソードがないわけがない。
武装されたアヘン密輸団に囲まれた彼は、銃を向けられながらも虫取り網を振り回し続け、無害な虫取り夫婦としてふるまうことで危機を脱出。彼は人々の暮らしへの造詣も深く、また持ち込んでいた医療物品を使って現地の人々を治療することで親睦を深め、膨大な量の民俗資料をサンプリングし、昆虫標本とともに持ち帰ることとなる。さてスウェーデンに戻った夫妻は冒険譚を語って有名になり、1939年にはスリランカ、インド、そしてヒマラヤを目指す・・・はずだった。
しかしそうはならなかった。
第二次世界大戦がはじまってしまったから。
スウェーデン自然史博物館に勤務し、採集と標本の整理にその後半生を費やすこととなる。戦争が終わっても、その後二度と彼が探検に出ることはなかった。
さて、彼は生物の分布の理由として、陸橋説を信奉していた。これは(当時まだ大陸が移動する理由がわかっていなかった)大陸移動による生物進化を扱う系統地理学に対しての反動としての面もあり、陸橋と地球収縮で分布を説明する点で19世紀にエデュアルド・ジュースが提唱したものに酷似している。そして、陸橋とアトランティス実在説を結び付け、当時の反感を買うこととなった。1964年、彼は突然研究活動から身を引き、かねてより続けていた美術品の収集に専念することとなる。
1978年に彼は世を去るが、ここまでエピソードの多い昆虫学者もそうはいないだろう。彼の残した莫大な標本や資料は、いまもスウェーデン自然史博物館やスウェーデン国立世界文化博物館に収蔵されており、個人の研究者が採集した昆虫コレクションとしては世界最大級でありつづけている。
なお、上記の記述は、Vårdal, H., & Taeger, A. (2011).から引用している。
Vårdal, H., & Taeger, A. (2011). The life of René Malaise: from the wild east to a sunken island. Zootaxa, 3127, 38-52.
次回からストーリー続きます




