石炭紀の昆虫が大きいのって、なぜ?(4)
「まず、昆虫のガス交換について述べなければならない。人間の場合は肺で酸素を取り込んでるけど、昆虫の場合は空気の通るチューブとして気管が体中に張り巡らされていて、そこからの拡散で酸素がいきわたる。」
私は、もし気管を使っていなかったら昆虫がロブスターサイズになっていたかも、という喩えを持ち出そうとして、あれ、それを言い出したらまたなんでロブスターは怪獣サイズにならないんだという話になって混乱を招くと気づき、やめた。
リリィはきょとんとして、
「・・・それって、人間より全然効率よさそうよね?」
といった。
普通に考えれば、そのように見える。
例えば光ファイバーや電線が張り巡らされているようなものだと思えば。
しかし。
「肺やられると、血を吐くでしょ。肺って血が流れてることが重要なんだよ。」
――鰓もそうなのだけど、と思いつつ、それはややこしいので言わない。
「組織にも血が流れてるんじゃない?」
――ナイスツッコミ。血の滴らない肉なんて、思いつかないもんな。
「昆虫の場合、気管に頼っていて酸素運搬タンパクにはあまり頼っていないんだ」
「じゃ、本当に“その場”で使ってるわけね…ちょっと無理ある気がしてきたかも。」
うん、ここまで来たら議論についてこれるな、と私はうなづく。
「そう。人間の場合、酸素を使った後の血が肺に流れてきて、酸素をもらって、心臓でポンプされて全身にいきわたる。水中でのガス拡散速度は空中の1/9000~1/4000。気管から拡散した酸素は、大きければ大きいほど組織にいきわたらない」
「ってことは、大きくなるのに絶望的に不利ね。だったら気管をどんどん増やして…でも無理があるわ、だって距離が延びれば伸びるほどって、気管で体中埋まっちゃう」
「だから、そもそも酸素濃度が上がればちょっとは改善するんじゃないかって説が出た。窒素分圧そのままで酸素分圧を35%まで上げると拡散による酸素供給量は、理論値で67%増加する」
リリィはきょとん、とした。
「…67%だけ?」
「そうなんだよ、メガネウラみたいな、3倍サイズの昆虫を説明するにはちょっと力不足」
「体積比だから、長さにしてだいたい1.2倍が限度ね...酸素不足じゃ説明できない…」
(全く同じ形の昆虫の中に1.67倍の酸素を拡散させるとなると、長さは1.67の三乗根の1.19倍。
これは同じ濃度の酸素を入れるために一般1センチの立方体を何センチにするか、という問題になる。
供給量を、表面積×分圧勾配/長さ、に比例すると少しだけ厳密化できるけれど、こうなると1.67の2乗根で1.29倍。つまりどちらにしてもおおよそ1.2倍にしかならない…)
「うん。酸素濃度が35%の環境で得られる昆虫サイズの上限を、Meganeuropsisの71㎝と仮定してみる。酸素説で説明できるサイズ変化はせいぜい1.2倍とすると、現在の空を50~60㎝級のトンボが飛んでいなくちゃならなくなる」
「50~60㎝って、ここでもめった見ないわ」
「そうだね、その数字は石炭紀後期中期(モスコビアン期)から化石が知られている最大の昆虫*よりさらに大きい」
「見たことない数字だと思った」
「ここでひとつ、逆説的な仮説を紹介してみよう。酸素は毒か?問題」
リリィは大きく膝を叩きながら、ぐっと身を乗り出す。
シートベルトを着けたまま、ほとんど立ちそうになっていた。
「毒に決まってるじゃない!」
――石炭紀に住んでる人の発想が違いすぎて、思わず吹いてしまう。
「なんでも燃える、老化は速い、なんでも錆びる!毒ガスよ酸素なんて!」
「随分辛辣」
そりゃあんな、「対火災決戦都市」みたいな都市設計になってるわけだし…そりゃそうかも。
とおもって客席を振り返ると、みんな真顔でうなずいていて、笑いをこらえるのが辛かった。
「ごく小さな昆虫の場合、酸素濃度が高すぎると拡散によって大量の酸素が制御しきれずに組織にもたらされ、毒になってしまうから大きくなるしかなかった、という説があった」
「逆説的ね」
「ま、おかしいんだけどね。ショウジョウバエにしたって、石炭紀レベルの酸素で死んでしまうわけじゃない」
「なーんだ」
「気門のサイズを調節して、そのレベルであれば対応できちゃうんだよね。昆虫が死ぬレベルに酸素濃度が上がるより前に、何でもかんでも発火して山火事で酸素濃度が下がるほうが先。」
「そりゃそうよ、さらに酸素濃度が高い世界なんて――考えたくないわ」
「水にぬらした紙すら燃えるようになるからね、酸素濃度35%を越えると、もはや山火事による酸素濃度低下を抑える手段がなくなって、実質的な地球の酸素濃度上限を迎えると言われてる」
「じゃ、酸素濃度あげると、ショウジョウバエは大きくなるの?」
「…じつは、ならない」
「じゃあ酸素濃度説も間違いじゃない」
「でも、酸素濃度を下げた状態で大きな個体を選抜しても、大型化できなくなる。酸素が少ないと昆虫が小さくなるってことは、とりあえず示せる」
「ってことは、高い酸素濃度の中で進化してきた大きな昆虫が、酸素濃度の低下によって一斉にいなくなった、ってこと?」
「――そうとも言えるかもだし、低酸素耐性がある昆虫以外生き残れなかったから、というのは説得力がある。酸素説が今も一番有名な理由の一つ。でも、ペルム紀後期からもかなり大きなメガネウラの仲間が出てるし、怪しい面もある。ここまでさんざん述べてきたように、それが石炭紀の巨大昆虫をきれいに説明できるわけじゃない。」
「ほかにもっと…ないの?」
「水生昆虫の巨大化がしやすくなったとか、昆虫以外の気門を用いる大型節足動物もそうだとか、いろいろあるんだけど…さきに述べてきた時代的一致か、拡散vs循環の話に終始してしまいがち。昆虫の鰓も結局気管鰓だからね」
「水中の酸素拡散も67%しか増えないものね…」
「しかも、石炭が堆積するほど有機物が水底にあったら、水中はむしろ酸欠状態だよ。」
「ほかに、酸素が多ければ代謝や発生にも関与という説もある、体内に届く酸素の上昇は理論値でも67%増、3倍の昆虫にはやっぱり酸素がいまいち届き切らないから、やはり生理的変化をもたらすには不十分」
「じゃ、ほかの要因は?」
「外骨格や筋肉の収縮強度が石炭紀と現在で全く違うと考えるには無理がある。石炭紀と現在の環境差は一番大きい物でも酸素程度、のようで、それがもたらす差もせいぜい1.7倍だ」
「うぅ~ん…」
「いくつか、考えてるところはある。あくまでも、補助的なところだけど…酸素以外にも、石炭紀の巨大化を引き起こす要因は十分にあったように思うんだ」
隣で、傍観していたアリアが乗り込む。
「それ、気になる」
ふとアリアの端末を覗けば、ここまでの会話の文字起こしから内容を整理して、資料と紐づけながらまとめられていた。――迂闊なこと、言えないじゃないか。
Weis-Fogh, T. 1964: Diffusion in insect wing muscle, the most active tissue known. Journal of Experimental Biology 41, 229–256.
*体サイズの制限は拡散に依存する気管系によって課せられるとする説の初出
Dudley, R. (1998). Atmospheric oxygen, giant Paleozoic insects and the evolution of aerial locomotor performance. Journal of Experimental Biology, 201(8), 1043-1050.
Graham, J.B., Dudley, R., Aguilar, N.M. & Gans, C. 1995: Implications of the late Palaeozoic oxygen pulse for physiology and evolution. Nature 375, 117–120.
*酸素濃度の上昇による気管拡散説の解消で昆虫の巨大化を説明
Klok, C. J., & Harrison, J. (2008). Atmospheric hypoxia limits selection for large body size in insects. Nature Precedings, 1-1.
ショウジョウバエにおいて、サイズ選択をかけると常酸素および高酸素ではサイズ増加がみられたが、低酸素ではそれらと比べてサイズが低下した。低酸素が小型化をもたらすことと、常酸素と高酸素でのサイズ増加効果は確認できないことを指摘。
Harrison, J. F., Kaiser, A., & VandenBrooks, J. M. (2010). Atmospheric oxygen level and the evolution of insect body size. Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences, 277(1690), 1937-1946.
Verberk, W. C., & Bilton, D. T. (2011). Can oxygen set thermal limits in an insect and drive gigantism?. PLoS One, 6(7), e22610.
Nel, A., Fleck, G., Garrouste, R., & Gand, G. (2008). The Odonatoptera of the Late Permian Lodève Basin (Insecta). Journal of Iberian Geology, 34(1), 115-122.
ペルム紀後期のMegnisoptera 翼長20cmを越えるものも知られる
*なおショウジョウバエでは高酸素によるサイズ増加効果が見られるとする研究もあるが機序はよくわかっていない。単独で飼育すると効果が出ないなど謎が多いと。
気管サイズの増加によるサイズ制限説などに関しても言及
**昆虫の極端な巨大化は主にリンボク類主体の森が崩壊した(Carboniferous rainforest collapse)以降、おもにカシモビアンからペルム紀にかけて起きているようであり、翼開長40㎝を大幅に超える昆虫はそれ以前からは私の知る限り、1つをのぞいて知られていない。その例外がムカシアミバネムシ類のMazothairosだが、あまりにも断片的で同定形質となる翅を欠いているため、なんともいえない。
オオトンボ類ですらNamurotypusをはじめ、翼開長30㎝級までである。
ムカシアミバネムシ類の場合、Paraostrava stanislaviの翼開長25㎝以上、Anglopterum magnificumの30㎝といったところがカシモビアン以前の確実な最大値だろう。
よって、本作で描くモスコビアンにみられる大型昆虫はほとんどの場合、翼開長30㎝未満として描いている。翼開長60㎝とか70㎝とかいう話を聞いたらびっくりするわけである。




