離陸
エンジンの回る重低音、足元に響く振動――飛び立つ前から、興奮を隠すことは難しかった。窓からは、プロペラが透明な円盤のように回転するのが見える。
カメラを向けると、風車みたいにゆっくり回っているように撮れた。
機内に充満する振動、軋み、そしてわずかな油と金属のにおい。
機内では、配線や計器がむき出しのまま、無造作に突き出ている。
今の航空機は構造物の大半はフレームごと成形され、損傷があればモジュール単位で交換するが――こんな、映画のセットみたいにごちゃごちゃした機器がぶら下がり、カバーすらかかっていない飛行機に乗るのは、むろん、初めてのことである。
一つ一つの部品をむき出しにし、手作業で点検しながら飛ばすようなやり方は、もはや過去の遺物であり、昔の映画でしか見られないものだと思っていた。
だがこの機体は、まさにその遺物だった。
板金とリベットがあれば、何とかなる面も多いだろう。
無理なく作れて、無理なく直せる。
この辺境の惑星において、それほど頼もしいものはないのだろう。
エンジンがうなりを上げ、機体がきしみ音を立てる。
プロペラの回転音は次第に甲高い唸りへと変わり、機体全体が微かに震え始めた。
ただ、どうせなら昔ながらの、咳き込むようなエンジン音を聞きたかった、とも思う。
機体が、動き出す。
ギィギィと軋む音が耳に入るたび、心臓が心地よく高鳴っていく。
座席の下から伝わる細かな振動が、機体の“古さ”をはっきりと伝えていた。
――この機体は、いわば「復刻版」のようなものらしい。
「高度な生産・維持拠点がなくても無難に飛ぶ航空機」
として植民市向けに、20世紀レベルの古い設計図が流布したものである、と、アリアから聞いたことがあった。3Dプリントやスライド金型による複雑な一体パーツが当たり前、壊れたらモジュールごと交換して分解リサイクルするのが標準な今、改めて人力前提の設計ノウハウが失われてしまったためだという。
その設計のあまりの旧式かげんに、前から乗ってみたかったのだった。なにせ、博物館にも置いていないような旧式機に乗るのである。
恐竜に騎乗するのと、そう変わらないわくわく感だ。
機体は、大きく震えながら滑走を続ける。
ほんとうにこれが飛ぶのか、不安になるほどだ。
けれど数秒後、思いがけない軽さでふわりと浮かび上がった。
その基礎設計の古さからは思いもよらない。
――20世紀末、グラハムらはこう書いた――”窒素分圧は顕生代を通じてほぼ一定であったと考えられている。したがって、現在の大気濃度と比較して、酸素濃度が35%の大気では空気密度と気圧が21%高くなり、酸素濃度が15%の大気では13%低くなる。より密度の高い大気は、揚力を増加させ、レイノルズ数や境界層の厚さなどの特性を変化させることで、昆虫の飛翔の進化に好ましい影響を与えると考えられる。密度の変化は、換気機構から風せん断抵抗に至るまで、生物学的プロセスにも影響を及ぼすと考えられる。粘性、比熱、熱伝導率などの物理的パラメータも、低酸素大気と高酸素大気で変化する”
そう、この惑星の大気は、密度2割増しなのだ。
そして――揚力は空気密度と翼面積に比例、速度の二乗に比例するから、揚力もまた、2割増しである。
――本当に飛んじゃったよ。
貨物室と客室を隔てるのは、粗末な網一枚。中は繋がっている。
原始的だ。
だが、その粗野さこそが魅力だった。
旧世紀の人間たちが組み上げた、まさに「機械」としての質感。
振動のたびに、薄いシート越しに金属フレームの感触が背中に突き上げてくる。
決して快適とは言えない。
けれど、その不格好さが、今はたまらなく愛おしい。
そっと、座席の金具に指先を触れた。
まるで、誰にも気づかれないように、ひとり静かに愛でるように。
機体の震えが金属を通じて掌へ沁み込み、静かな歓声が胸の奥に湧き上がる。
――これも、数世紀前の人間たちが残した「技術」なんだ。
「ケイ、ほんと楽しんでるね」
リリィの声に、アリアは微笑みながら頷いた。そしてさらりと言う。
「そうなの。こういうときの顔、本当に、愛しいのよ」
リリィはその言葉に、小さく瞬きをした。
アリアの横顔を見て、それからケイへと目を移す。
「リリィ、なんかあった?」
リリィは、ふいに目を伏せた。
それは一瞬で、すぐに笑顔を作ったけれど――なにか、見えないほど遠いものを、ぼんやりと見ているかのようだった。
そして、ふっと静かに、息を吐いた。




