解剖、ヘリコプリオン科
皿に乗った巨大な頭は、見れば見るほど、変だった。
たしかに、ここの人々がこれを「サメ」と呼ぶのにやや抵抗感があるのも納得である。
頭の形はたしかにサメに少し似ているが、そもそも上あごが殆どはっきりしないし、チップソーみたいに並んだ歯をもつ下あごだけがにゅっと出ているようにも見えて、ややマッコウクジラのようなものを彷彿とされる。
チェーンソーみたいに輪状になった歯は、上顎のV状に並んだ歯列の間に、ややゆとりをもって納まるようにできている。上顎の歯列が中間で途切れていて、口蓋のてっぺんに大きな溝があるのだ。したがって、おそらくこの魚が泳いでいるとき、このリング状の歯はすっかり仕舞われて、外からはごく僅かしか見えないだろう。ついでに言えば、上顎の歯列の配置からして、やはりヘリコプリオンとは似て非なる魚のようである。ヘリコプリオンは石炭紀末期~ペルム紀とより後の時代の魚で、しかも上顎歯はほとんど退化しているからだ。
「じゃ、やろうか」
アリアがまず、手を付ける。
身離れはよく、ずるっと軟骨を露出させればよいのだが――今扱っているのがどの筋肉か、ということを考えながら外すには、いかんせん注意がいる。
剖出しながら撮影が必要なのは言うまでもなく、盛ってきておいたデジタルカメラがすこぶる、役に立った。
ナイフやフォークではいかんせん繊細さに欠けるため、ピックを2本、箸のように使いながら分解し――徐肉された分を皿によそうこととなった。
頭から身が外されるたび、会場の誰かがさっと持ち去っていく。よほどおいしい物らしいが、肝心の私自身が解剖に集中していて、全然食べられていなかった。
「とくに頭とカマは脂っこくて人気なのよ!」とアリアは言う。
にわかには、信じられなかった。
だって――軟骨魚類じゃないか。
「軟骨魚類に白色脂肪組織はないと思うんだけど」
げんに肉を取り外す際にも、皮下脂肪や筋節間の脂肪組織など、まるで見出すことはできない。これが脂っぽいとは、ちょっと信じがたい。
「屋台で食べたあれも、油使わずに焼いてたわ」
――しまった。まったく気にしていなかったが、確かにあれには油で焼いたようなコクがあった。
「確かにそんなこともありうるかも…」
そう言いながらちょっと口に含むと、確かに、濃厚とは言えないものの確かな、脂の感覚が舌にへばりついた。
「――たしかに、脂がある。どういうこと、これ?」
「ちょっと不思議なのよね!脂肪組織がないのに脂があるのよ。予想だけど、筋肉自体に脂質が含まれてるんじゃないか、って」
「そんなことって、あるかな。プレパラートにしたら脂肪肝みたいに筋肉がぷつぷつしてるってことでしょ?、あ、でももしかして…あー、うーん」
「何か思いついた?」
「いやぁ、昔北日本で食べられてたサメにアブラツノザメってのがいるんだけど、あれって肉の脂じゃないかなって話があって。当時の写真見ると肉が白濁してるんだよね」
「――今は?」
「まだ食べられてないんだよね…北方系の深海サメは地球温暖化に脆弱だし、妊娠期間が確か1年以上あった気がする。ただ、機会があったら試したいところだよね」
「案外地球の魚のほうが食べる体験が難しい、っと」
「そんなもんだよ。シロザケとかサンマとかスルメイカとか、かつて日本で食べられてたって魚、いまほとんどいないもん」
そんな話をしていると、軟骨が剖出されてきた。
スパイラル状に緩く巻いた歯は、歯根軟骨の上に並んでいる。歯根軟骨はとぐろ状に巻き、左右の下あごを作るメッケル軟骨に挟まれている。メッケル軟骨によって覆いきれないところをカバーするように唇褶軟骨が覆う。ちょっと、フェンダーのついたタイヤとか、ピザカッターに似ている――まあ、回転するわけではないのだが。
それにしても面白いことに、この魚、一生のうち一度も歯が生え変わらないらしい。歯は根元から生えては、くるくると巻いて顎の内側に、逆蚊取り線香みたいに溜まっていくというわけだ。まあ、ヘリコプリオンの化石を見たことがあれば、そうなることはわかり切ったことではあるのだが、
「化石で知ってはいてもものすごくヘンだよ、これ。」
といわざるを得なかった。なにせ、巻き込んだところにどう考えても食べかすが溜まって酷いことになりそうだからだ。そうならないことは――むしろ、生命の神秘の一つかのように思えた。ぜひとも、どうやって排除しているのか研究されるべきだろう。
メッケル軟骨の片側を外すと歯輪が明らかとなり、その巻きの緩さから、ヘリコプリオンそのものではないこともまたはっきりした。
「歯に摩耗がほとんどないわ」
「よほど柔らかいものを食べるのか――もしくは、そもそもほとんど噛まないで飲み込む、とか?」
「ベルトコンベアみたいに引き込むっての、どう?」
「いいね、あとこの斜めに曲がった歯、なんというか…えーっと日本のニンジャが持ってるあれ」
「シュリケン?」
「日本生まれなのに先に言われた、ど忘れ」
ただ――そんな類推はできても、恥ずかしいことにどうも、どの属なのかは釈然としない。
――さて、こんどは、上顎である。
上顎は極めて単純なつくりをしていて、脳を包む軟骨頭蓋と、2枚の方形口蓋軟骨によって構成されている。方形口蓋軟骨の内側には基底板の上に並んだ歯板がついていて、これもまた、なかなか脱落せずに歯が累積されていく仕組みらしい。
「ヘリコプリオンにこんなのあったっけ?」
「ないわ。サルコプリオンとかにはあるけど、こんなに巻いた歯と共存するのは聞いたことない。私が前食べたのも、上顎に歯はなかった」
「だよね、もしかして、、、ありうるかな?」
「ありうるけど、まずは他のチームが手を付けてないかね。」
方形口蓋軟骨と軟骨頭蓋はかなり強固にくっついていて、若干動きうるかどうか、程度である。厳密の意味でのサメに見られる、上顎まで飛び出すような極端な可動性はない。歯根がくっつくことも含めても、たしかにこれはサメというよりギンザメの仲間だといえるだろう。
というのもギンザメの仲間はおもに、上顎と頭蓋軟骨がよく癒合することと歯根および基底板がくっついて洗濯板のような歯板を作ったり、ロール状に巻くことを特徴としているからだ。
――はぁ。
何とか軟骨の全貌が見えたことに、ほっと一息つく。
たしかにイルカの骨に、雰囲気だけはちょっと似ていないでもなかった。
ただ、どこからどう説明するか、となるとやはりちょっと悩ましいところがあって、よく見るとどのパーツも全くといっていいほど、似ていなかった。
おそらくだが、この魚はこのように摂餌するはずだ。
突出した下顎前端で獲物を軽くホールドし、下あごの開閉によって輪状に並んだ歯全体が顎ごと弧を描いて動く。(ピザカッターのように歯輪がロールするわけではないので注意)するとロール状の歯に巻き込まれた獲物が剪断されつつも口の中に運ばれ、溝状の上顎を伝って食道に誘導される――というわけだ。
だいぶまどろっこしい食べ方だと思うけれど――これが石炭紀からペルム紀の外洋において最大級の頂点捕食者として君臨した、ヘリコプリオン科エウゲネオドント類のスタンダードな摂餌戦略と思われる。
ついでに言えば、この摂食法において上顎歯はほとんど貢献しないから、のちのヘリコプリオンで退化傾向にあることも納得がいく。
――まあ、より確実を取るためにもっといろいろ見なければいけないのだけど。
なお、そのあと神経頭蓋をばらして脳神経談議にふけったものだが、これがいったい何であるか、という種同定と神経解剖の詳細に関しては、執筆中の報文に譲りたい。
――さて、次の魚に手を付けねばなるまい。
こんどは、丸のまま煮込まれた、別のエウゲネオドント類である。
*作者あとがき
ヘリコプリオンはペルム紀を代表する奇妙な生物です。(意味は「螺旋のこぎり」。)日本からも数個見つかっており、分布域も生息域も極めて広大であったにもかかわらず…他のパーツを伴った例がほとんどなく、その復元は極めて多種多様なものが試みられてきました。ほぼ百鬼夜行。
石炭紀にいるのか?と思われた方も多いでしょう。実は幾つかの近縁属が産出しており、ヘリコプリオンそのものではないものの、とぐろ状の歯を持つエウゲネオドント類はいました。
しかし、ごく最近になって、このグループの復元はかなり解像度が上がってきました。メッケル軟骨と口蓋方形軟骨、唇褶軟骨が関節した標本が3DCTにかけられたこと、また近縁種に関しても再検討が進められているためです。(Edestus、Agassizodus、Sarcoprionなど)
ギンザメの仲間である、とされる根拠は作中に示したように上顎と歯の構造による面が大きいです。
ヘリコプリオン科の胴体復元はほとんど未知ですが、類縁のカセオドゥス科では全身を保存した化石がいくらか知られています。
次回はカセオドゥス科をみつつ、ヘリコプリオンとその仲間たちがいったいどんな姿だったのか、についてみていくこととしましょう。
訳語について:labial cartilage=唇褶軟骨を用いた。
今回の参考文献です。
Tapanila et al., 2020、Tapanila et al., 2013、Ramsay, et al., 2015、あとは最近でたBabcock, 2025(修士論文)あたりを見つつ書いたもの。筋学と脳神経についても描きたかったのですが、そこまで充実したことを書けるわけではまだないし、脳神経にしてもイニオプテリクス類や現生ギンザメ、サメ類などを参考に書くというちょっとデリケートな問題なので。
Tapanila, L., Pruitt, J., Wilga, C. D., & Pradel, A. (2020). Saws, scissors, and sharks: late Paleozoic experimentation with symphyseal dentition. The Anatomical Record, 303(2), 363-376.
Ramsay, J. B., Wilga, C. D., Tapanila, L., Pruitt, J., Pradel, A., Schlader, R., & Didier, D. A. (2015). Eating with a saw for a jaw: Functional morphology of the jaws and tooth‐whorl in H elicoprion davisii. Journal of Morphology, 276(1), 47-64.
Tapanila, L., Pruitt, J., Pradel, A., Wilga, C. D., Ramsay, J. B., Schlader, R., & Didier, D. A. (2013). Jaws for a spiral-tooth whorl: CT images reveal novel adaptation and phylogeny in fossil Helicoprion. Biology Letters, 9(2), 20130057.
Babcock, T. (2025). A Redescription of the Holotype of the Late Permian Sarcoprion edax Using CT Scans and 3D Modeling to Examine Jaw Morphology and Function (Master's thesis, Idaho State University).




