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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
南の寒い大地から(ゴンドワナ採集編Day2)
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トラップ回収 ≪登場古生物: ゴキブリに似て非なる昆虫(ローチオイド)、6枚翅のステム・トンボ類≫

朝っぱらから風呂に入ったせいで、今日という一日がもう終わってしまいそうな錯覚を覚えた。

しかし、本番はここからである。


空はもう、真っ青に晴れ渡っていた。

現代地球の約一・二倍も高密度な大気がなす空は、分厚いガラスの板を断面から覗き込んだみたいに深い色をしている。そこに擦れた雲が、糸くずみたいに散らばっていた。

ボロ宿を出て、大きく背伸びをする。

仄かな硫黄の匂いには、もうすっかり慣れた。

鉄錆と石灰、それにほんの少しの泥炭が混ざり合った、この町のにおい。

ここの空気は、胸を内側から、押してくる。ねばついたように、のどに絡む。

頬をなでる風も、どこか、質量をもっていた。

話す声も、どこか鈍く、こもって聞こえる。そんな気がした。

息苦しい、というわけではない。

酸素濃度が高いからといって、こんな感覚になるわけでもない。

首都パラーの空気は、もっと普通だったからだ。

この独特の匂いのせいだろうか。

あるいは、寧ろ私自身の、内面的なものに起因する重みなのかもしれない。


コンクリートを、角切りにしたみたいな町なみ。

壁は滑稽なくらい分厚くて、ところどころ、ちょっと角が崩れ始めていた。

スケール感が、こわれている。

精度の足りないミニチュアの街に、滑り込んでいるような気がした。

この町は、とりあえず人間という生き物を収納しておくための、単なる頑丈な収納箱みたいだ。


城壁のように分厚い壁に穿たれた、銃眼みたいな小さな窓。

そこから、プレーリードッグみたいにひょいと人の顔が飛び出してくる。

昨日とは打って変わって、人の気配がそこらじゅうに溢れていた。

窓と窓の間に渡されたロープに洗濯物を干していく人。

街角で大げさな身振り手振りを交えながら雑談する人々。

湯気の立ち上る道端の温泉水路に並んで足を浸す老人たち。

今日は、この町の休日なのだ。


ふと振り返ると、アリアが巨大なドローンを飛ばしながら、街の様子を撮影して回っていた。

直径が一・五メートルほどはありそうな報道用の大型ドローンが、バリバリと空気を切り裂くような音を立てて上昇していく。

しかし高度を上げると、不思議なくらい静かになった。

ガトリング砲みたいに束ねられた高解像度カメラの束が、上空から周囲の風景をぐるりと舐め回す。

誰かがかけた音楽が、窓から漏れて、やわりと拡散して、とろけていった。


どこかの家の窓から、誰かがかけた音楽が漏れ聞こえ、重い空気の中でやわりと拡散してとろけていった。地球で随分前に流行した懐かしい曲だった。

アリアが通りを歩いていくと、固く閉ざされていたドアがひとつ、またひとつと開いていく。

家族連れだったり、くたびれた独り身の親父だったり。ともかく、人々がすっと外へ出てきて彼女を囲むのだ。

彼女はそうした人々と気さくに笑い合いながら、手持ちのカメラで写真を撮って回っている。

「動画の配信に出てもいい?」

彼女がそう尋ねると、ほとんど誰もが「ぜひぜひ」と嬉しそうに快諾していた。

ふと見れば、彼女は子供たちにすっかりたかられている。

「恐竜の話して!」

そうせがまれると、アリアは道端にしゃがみ込んで彼らと目線を合わせ、これまでのフィールド調査で出会った様々な冒険エピソードを身振り手振りで語って聞かせる。むろん、子供たちは目を輝かせて大喜びだ。


あぁいう芸当は、私には絶対に無理だろう。


私は、そんな華やかな様子を視界の片隅にぼんやりと捉えながら、ひたすら自分が仕掛けたFIT(衝突板トラップ)を順にチェックしていた。生け捕り用のボックスを、標本用の殺虫保存液ボトルへと一つひとつ置き換えていくという、ひどく地味な手作業だ。

これを、昼の12時までに終わらせなければならない。

これを、昼の十二時までにすべて終わらせなければならない。


……それにしても、調子に乗って罠を掛けすぎた。

というか、「Numbers game(数の勝負よ)」と言ってこんなに掛けさせた張本人は、今あそこで子供たちと楽しそうに撮影ロケの真っ最中なわけだけど。


成果は、乏しい。

ぽつり、ぽつりと、かかっているくらいである。

見かけも、いま見るものとそうは変わらなかった。

多くは、鮮やかな黄緑色の、ゴキブリに似た昆虫だ。

むしろバッタのようにも見えて、いまのゴキブリのイメージからするとだいぶ違和感がある。

現在もこういう黄緑色のゴキブリが色々いるけれど――おそらく、樹幹を跳ね回っているのだろう。樹冠にかけたものがとくに成果が多かった。

敏捷性に関していえば、現在のゴキブリとは比べ物にならないほど鈍重だった。

いかにも速く動きそうな見た目をして遅いものだから、ついつい動きを予測して出した手が、オーバーシュートしてしまったほどだ。

石炭紀の昆虫というと、とにかく「巨大」というイメージが先行する。

しかし、ここにいる昆虫たちは、現代の台所によく出るクロゴキブリに比べても、だいぶ小さい。

だいたい翅の長さが二、三センチ。

ちょうど熱帯地方に出て、餌用に飼育されたりもするトルキスタンゴキブリ(レッドローチ)くらいの大きさである。

翅の色調や足の模様にはいくらかの個体差が見受けられ、おそらくこれだけで複数の種が混ざっているのだろう。翅脈に関しては、標本にしてから再検討するほか、あるまい。

さて、この“ゴキブリ“だが、厳密な意味でのゴキブリではなかった。

尾部を見れば、鋭くとがった産卵管がついている。ちょうど、小型のキリギリスの仲間にみられる産卵管によく似ており、おそらく植物を刺したり、隙間にねじ込むように卵を産むらしかった。

体も軽く、翅に対して著しく小さい。

ぱっと手から飛び降りると、そのまま何メートルも滑空するように飛んで行ってしまって、ただでさえ少ない成果なものだからひどく手を焼いた。

おそらくだが、樹上から飛び跳ねて、そのまま長距離滑空することによって木から木へと飛び移っているのではなかろうか。

さて。

バタバタと走り回りながらも、夥しい数のFITの回収とボトル換装作業は、ようやく終わりが見えてきた。

ワントラップ当たり平均して〇・五匹というこの絶望的な昆虫密度で、果たして統計的に有意なデータが得られるのだろうか。

その点に関しては、激しい疑問を抱かざるを得ない。

空っぽの容器を確認するたび、この世界全体がしんと静まり返って死に絶えているような気がした。

なにせ、現代の豊かな地球の森でFITなんて仕掛けたら、小さな虫が何百匹も捕れすぎて処理に困るのが当たり前なのだから。


捕獲数が極端に少ない原因は、二つ考えられる。

ひとつは、ごく小さな昆虫を物理的に捕獲できていないというトラップの構造的欠陥。

FITの板に衝突して落下したとしても、あの賽銭箱状の生け捕り用ボックスのスリットをうまく通り抜けられず、外へ逃げられてしまっている可能性だ。

もうひとつは、小さな昆虫が「この環境には本当に存在しない」という絶望的な可能性――。


最後のほうのボックスの中に、5mmほどのごく小さなハエのような昆虫が入っているのを見つけた。

どのグループに入るのか、いまいち見当がつかない。

しかし――これはおそらく、蛹という成長ステージをもつ、完全変態昆虫だ。

翅が4枚…膜翅類か?

しかし、現代の地球では「翅が2枚のハエ状=双翅類(ハエや蚊など)、翅が4枚なら膜翅類ハチなどじゃないか」といったことを言える。

しかし、この時代では全く、そんなことは言えない。ハエとハチとは、結構遠いようなのだ。

3億年前ともなると、第二第三の「ハエもどき」がいても、全くもっておかしくはない。

というより、ハエのような形態が完全変態昆虫の祖先形質だったとしても、私は驚かない。

「……君は、誰?」


私はもう、その不思議な昆虫の煌めく翅と、小さく精巧に造り込まれた脚の関節を、ただうっとりと見つめるほかなかった。

心臓の激しい高鳴りが指先へ伝わり、透明なケースが微かにカタカタと揺れた。

その虫が小さな翅を震わせ、生け捕り用のケースのスリットから今まさに飛び出そうとした瞬間

――待ち構えていた私の吸虫管に、ひょうとすいこまれることとなった。


マレーズトラップのほうはといえば、大収穫のようだった。

巨大なテントの天井部分を見上げると、緑色や茶色をした「ごきぶり」や、さらに小さくて類縁関係のよくわからない昆虫たちが、まるでクリスマスツリーの飾りのようにびっしりと散りばめられていた。

手のひら大のムカシアミバネムシ類も二、三匹ほど混ざっている。

昨日採集された種と同じものもいた。

「これ、持って!」

アリアが強引に手渡してきたのは、手のひらよりも一回り大きいくらいの、ひときわ巨大な……なんだ、これは。

まぁ、広義で言えば、トンボみたいなものである。

しかし、絵のへたくそな人が何となく記憶を頼りに描いたかのような、「とんぼ」。

ぽってりと太った、指みたいな胴体に、幅広の翅。そして前胸の“肩”のような部分からは、前向きに2枚の小さな翅が、耳みたいに、斜め前上方にそそり立っている。

昨日見たムカシアミバネムシ類も6枚翅だったが、こちらは前2枚はすっかり退化していて、奇妙な装飾物としての役割しか果たしていなかった。

見た目といえばトンボに似ていないまでもないが、敢えてトンボと言い切れるようなものでもない。

バタバタと羽ばたくたび、前翅に連動して、後翅がばさばさと動いた。

その羽ばたきの力強さには確かにトンボを思わせるものがあって、決してあのトンボの偽物みたいな、悪臭を放つツノトンボの弱々しいものとは違っていた。

トンボとは、似て非なる生き物だ。

全重量も、妙に重たい。どの程度俊敏に飛べるのか確かめてみたかったが、いかんせん一匹しか取れていない。

おそらくトンボに近い仲間ではあるのだろう。

エラシプテロイデスに近いか、エウゲロプテラに近いか、あるいは…

標本にして翅脈をあとでじっくり読みつつ、胴部の形態記載を行わねばなるまい…

そう考えこむ私を、アリアはやたら撮るのだった。


ひとしきり昆虫を回収し終えると、しばらく活かしておく分だけでも結構な大荷物になってしまった。

こちらもタイマー式ロックのついた殺虫保存液入りのボトルに、テントの先端を付け替える。

昼の十二時。ギリギリで換装終了だ。

ウィーン、という小さなモーター音を立てて、ボトルの口が開口した。

ここから二十四時間で、どれだけの虫が殺虫ボトルへ落ちるか。それが今回の定点調査の肝心要である。

「ね、マレーズトラップのほうがイケてるでしょ」

そう、アリアはいう。

「ね、って言われても。だってマレーズ1つしか仕掛けてなかったじゃん、FITはあんなにしかけたのに。」

「結局、サイズ!やっぱりデカいほうがよくかかるけど、でかいの沢山ってわけにもいかないじゃない?」

というので、

「セッティングも楽だし、今度はでっかいFITかけようよ」

するとアリアは首を横に振った。

「それがねー、前回過去の調査でやった時は案外微妙で。風を受けて倒れやすいから案外そう簡単でもないし、生け捕りにするのが難しくなりがちだし、採集物の処理も面倒なのよ。あと、環境によって意外と成果に差が出るのよね」

「へぇ、そんな感想なかったけどなあ」

「この時代の虫は、やっぱり上に登る性質が強いんじゃない?って私は思ってるのよ。だから…」

アリアがそう言った矢先に、一匹の「ごきぶり」がマレーズトラップの布に着地した。迷わず上にかけ上っていく。

そして――保存液に落ちた。

動きがまんまゴキブリ。

そうこういっているうちに、今度は地面からかけ上っていって、また一匹かかる。

せかせか駆け回りながら保存液に沈んでいって、すぐ動かなくなった。


「飛ぶのが苦手。だから高くまで登って行って、保存液にダイブ!するわけ」

「あー、石炭紀ならではのマレーズ有利…たしかに、ね」


「じゃ、私たちは立ち去らないと」

そう、今日の調査は、昨日調査できなかった、工場と港湾施設を挟んで、町の向こう側である。

トラップの成果に影響を与えないためにも、早々に立ち去ることが望ましかった。


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