原型 Urform
何とか体裁を整えようとは、したらしい。
宿の露天風呂のことである。
丸みを帯びた川石をコンクリートで張り合わせた湯船。
ちょっとした、庭のようなものがついている。
どうも、日本の温泉宿の影響を受けたに違いない。
カラミテスの幹を、竹垣の代わりに使ったセンスも、すばらしい。
ただ、隙間だらけで、工法には問題が大ありだ。
材自体の耐久性も心もとないようで、あちこちに穴が開いている。
悪い点を探せば、きりがない。
浴槽かパイプラインの縁が一部割れ、漏れた湯はあちこちで水溜まりができて、そこにはねばねばとした青緑の藻類やバクテリアが繁茂している。
“庭“からちょっと土が漏れて、更衣室の出入り口には、足を洗うための小さな湯舟を増設されていた。
水質測定器具とサンプル瓶の入った腰掛けバッグを肩にかける。
バスタオルを羽織って、いざ出よう。
まず、あれが気になるな。
視界の隅に、ちらりと、黄緑色のもじゃもじゃした植物が映っていた。
ぬめる石の上をおそるおそる駆け寄って、ぬっとしゃがみ込んでみれば。
5から10センチほどの、小さなYの字型の糸のような植物が、もさもさと密生している。
たとえるなら、ブロッコリースプラウトくらいの大きさだ。
昨日見たY字型の植物より、ずっと細くて繊細で――別の植物であった。
そして、私は思いを馳せる。
――十八世紀末の文豪ゲーテは、
「すべての植物が同一の基本モデルに基づいていないとしたら、どうして私はこれやあれが植物であると認識できるのだろうか?」
そう語ったという。
そして――
すべての植物の原型、原植物Urpflanzeを探し求めた。
それはのちに明らかになる「原始植物」とはまるで正反対であって、あらゆる植物の特徴をすべて持つスーパー植物であったわけだが――ともあれ、彼は原植物を、地中海の草原や岩山の斜面に実際に見出すことができるかもしれないと考えたのである。
もちろん、それは叶わなかったし、徐々に彼自身もかなわないことを自覚していったのだが――
今。目の前には、最も原始的な植物に極めて近いものが、群生している。
ゲーテの考えたスーパー植物とは全く逆。
むしろ――何もないといっていいほど、虚無。
根元が少し膨らんでいるだけで、上部はひたすら二分岐するばかり。
ゲーテに言わせるならば
――「光と空気による洗練が足りずアナストモーシスが不完全である」とでもいうだろうか。
ゲーテは癒合のことをアナストモーシスと言った。
そして――どうも分岐を繰り返すものが癒合して葉状になったと考えた節がある。
花の各構成要素や、子葉もまた葉由来。
植物における連続相同の概念である。
そして、これはツィマーマンのいうテローム説における平面化と合着による葉形成に似ている。
暴走しすぎた。
息が荒い。
心臓が飛び出しそうで、空気がキンキンに冷えているのか、燃えるように暑いのかわからない。
そして、拡大写真を撮り続けるしかなかった。
一目見ただけでは、3種類の植物が混生しているように見える。
ひとつは根元が膨らみ、先端に向けて細くなって等分岐を繰り返す。
のこり2つは、一回り小さくて、ラッパのような、というよりも電球カバーを外してチップがむき出しになった、LED電球みたいだ。
おそらく、雄配偶体と雌配偶体に相当するのだろう。
現在の植物において、配偶体と胞子体がそれぞれ自立して生育するものはない。
コケ植物であれば、配偶体は大型で、胞子体は雌配偶体に寄生している。
シダ植物であれば、配偶体は前葉体として生育のごく初期、大きくても1センチほどだろう。
(ただ、何事にも例外がある。一部のシダ植物には前葉体がひたすら増え続けるものがある。)
種子植物では、胞子体が大型で、配偶体は胚珠(厳密にいえばその中の胚嚢)と、花粉という形でしか見られない。
とはいえ、両者が独立して生育し、あたかも別の植物のようにふるまうのは、シルル紀からデボン紀の植物にのみ見られる特徴といえる。
もちろん、石炭紀的ではない。
昨日見たパウロフィトンも、もしかしたらそういう性質があるのかもしれない。
しかし、胞子体の栄養増殖が盛んなためか、配偶体を目にすることはできなかった。
さて、目の前にある植物はあまりにも既視感のあるものだった。
ホルネオフィトン Horneophyton、ほとんどそのままである。
配偶体も、Horneophytonに対応すると考えられているLangiophytonそのままであった。
しかし――流石に何も変わらないというのは、妙だ。
そこで、ふと頭をよぎる。
「ニワトリは時空外来種だから、没収された」
昨日、そんなことを聞いた。
この町は、超時空ゲート開発にかかわった開拓者によって建てられている。
もし、資材として石炭紀よりもっと前の時代の資材が、開拓初期に持ち込まれていたら?
ごく微細なホルネオフィトンの胞子が紛れ込んだとしても、不思議ではないのかもしれない。
しかし――
昨日、ホルネオフィトンは1本も見かけなかった。そこで、ハッと気づく。
竹垣!
竹垣ならぬカラミテス垣が、程よく風を遮っているのだ。
となれば、と、私はガス探知器を取り出した。
二酸化炭素濃度 4000ppm
うーむ。
酸素濃度も地表すれすれで測定すると、30%をぎりぎり切った。
植物にとって、酸素は光合成を阻害する。
これはルビスコの競合阻害によるものだ。
競合阻害というのは、酸素と二酸化炭素がルビスコという酵素を“取り合う“ことによって、本来二酸化炭素が反応するはずのところに、酸素が反応してしまうことである。
酸素が反応してしまうと植物には有毒なので、光呼吸と呼ばれる無毒化工程が働くわけであるけれど、これがまたエネルギー効率が悪い。
つまり、酸素が多いだけで植物は成長できなくなる。
そして、二酸化炭素が多ければある程度代償可能であるということになる。
そして、地球の酸素を大気が増えるくらい増やしてしまったのは、石炭紀の熱帯雨林だ。
地球の大気の酸素増加は、“古い”タイプの植物を生存不能にしていったはずなのである。
ところが、この、程よく空気がこもる場所にかぎって、そうした時代外れの植物でも定着可能な環境が揃った、ということが言えるだろう。
撮影し、採集し、その場で軽くばらしてみる。
胞子嚢はクックソニアやパウロフィトンのように先端につくのではなく、先端がチューブ状になって、その中心に芯のような構造があり、その周りに詰まっている。
維管束の有無は――肉眼では厳しいな。染色して後で検鏡か。
――寒さを思い出した。
夏とはいえ、気温は15度を切っている。
バスタオル一枚では、ちょっときびしい。
あと、えぇ、私はアリアとリリィのほかに、先客が2名ほどいることを、すっかり忘れていた。
背後で何やら談笑しているようだったが、それすらも内容が一切耳に入ってはいなかった。
ずっと“竹垣“のほうを向いて、びちゃびちゃでぬるぬるの地面を踏みしめながら、ホルネオフィトンや周囲の微生物の採集を続けていたのである。
あらためて、浴槽を振り返る。
すると、二人の女性が、怪訝そうに私を見上げていた。
バスタオルを、さらりと脱ぐ。
二人の目線がぐっと集まった。
一瞬、ギョッとしたような顔。
そして、私の体を上から下まで見まわしたあと、ぷいと目を背ける。
――ついてなかった、みたいだ。
「出てって!」とでも叫ばれなかっただけ、よしとしたかった。
湯船に沈めば、芯まで冷え切ってしまった体を、ぱちぱちと炭酸泉の泡がつついた。
くすぐったさと、じんとした痺れとともに、体が温まっていく。
前にいた2人は、じーっと私を見て、
「……じゃ、あたしら、先に上がるわ」
「あ、うん……体冷えちゃうし」
と言って立ち上がった。
上がり際に、ちらりと――
「女の子だって、わかってんだけどさ……無理」
そんな声が、風に紛れて聞こえた。
冷たい南風が、ひゅうと髪をかすめた。
****
ぱちぱちと、体の輪郭に沿ってはじけていた。
寒空の炭酸泉はすっかり私を溶かしてしまいそうで。
「で、何があったの?」
アリアに尋ねられたので、私はサンプル瓶を取り出した。
アリアはサンプル瓶を指先でつまんで、うーむ、と何回かくるくる回しながら眺める。そして、
「これ、めずらしいの?」
といった。
私はまぁ、そんなものか、と肩をすくめざるをえなかった。
恐竜なら何でもわかるくらいのタイムトラベラーであっても、化石植物についての理解は所詮、そのくらいである。どの形の植物がどの時代、どの環境らしいか、といったたぐいのことは、必ずしも正確なわけでもないけれど身に着けておいてほしいものだ。そう、過去に始めて来る、現在の地球に縛り付けられ、自然と書籍の山を這いずり回っていた私は思う。が…しかし、何もかもを知っておかねばなるまいかと言われれば、人生はあっという間に終わってしまう。まぁ、それでもいいのかもしれない。
一方、
「湯ひげ!たしかに外だと見ないわ!そこにあったの?」
と、反応を示したのは、リリィである。
「外なら?」
「そう!お風呂の窓際に生えるの。だから湯ひげってこの町じゃいう。でも外で見たことはないかも。アリアも前見たでしょ?大雨振っちゃった日」
アリアはうーん、と宙を見上げながら、
「あったかも。あれだっけ、嵐が来そうだから、帰りの飛行機が遅れるかもってなったとき」
「そうそう!もう現代に帰れないかも~って大慌てして。風呂でも入って落ち着いたら?って、一緒に入ったでしょ?」と、リリィ。
「アリアにもそんなころ、あったんだ」
――むろん、他意はなかった。
大学以前のアリアを知るのは、私と交友がある中ではリリィだけなのである。
「そう!最初はすごくびくびくしてて。ケイはしっかりしてるなって。初めてなのに」
と、リリィは笑いかける。
すると、
「…昔の話。」
そう言って、アリアはそっぽを向いた。
やはり、距離をとられている気がする。
「昨晩、何かあった?それとも、何かしちゃった?」
そう問いかけても、
アリアはじーっと私の顔を見つめながら、
「べつに」
というばかりである。
私の方とて、
「そっか。」
と返すばかりで・・・他愛もない話でもしようかと思ったけれど、結局何も思いつかなかった。
結局、
「…で、さっきの「湯ひげ」、ホルネオフィトンに似てるんだ、デボン紀前期の。」
とおそるおそる話し始めれば、アリアの表情がパッと明るくなる。
ぱちくりと目を丸くして、
「デボン紀前期⁉ すごいもう一回見せて」
サンプル瓶をパシッと手に取ると、空にかざして、目を凝らしている。
「へぇ、これが…えぇっと、ライニーチャート、だっけ、産出するの」
「そこはすらっと出てくるんだ」
「そりゃ、石炭紀に行って植物見るっていうから、予習したもん。リニアとか、クックソニアとか。記述も最初のほうに出てくるから」
「ライニーチャートも温泉だよね」
「そうらしい!でも、温泉にしかいないって感じでもないよ?ああいうの」
「見たことあるんだ」
「そりゃもう!シルル紀からデボン紀前期は案外人が過ごしやすいし、何度も行ってる。それでいて、すごいやつ色々いるでしょ?ウミサソリの遡上を追う!とかでロケしたもん、こう、干潟みたいなだだっ広い河原を歩くと、足元にわさわさっと生えてて。」
「思いっきり見てるじゃん。」
――そんな調査行もあったんだっけ。実を言うと、アリアがどこに調査や動画収録に行っているのか、私はよく把握できていなかった。
いや、把握できないくらいあっちこっちに行っているのである。
「でも、気にせずに踏んづけてて、あんまり見てなかった。研究室にサンプル送ればいいかなって。」
そう、アリアはいう。たしかに――あれだけの時代を行き来して、すべての生き物を把握していこうとしたら、確実に頭がパンクする。サンプル送ればいいや――というのも事実そうだし、私とてそう投げてしまっている面があるのは否めなかった。
「だから、めずらしいの?ってなったわけ。見慣れてたから。」
「でも、石炭紀では、見たことないかも…」
「でも、それっぽいやつはこの町にも生えてるでしょ?」
「パウロフィトンね、あの枝だけみたいなやつ」
「それ!あれ見てると、この地域では石炭紀になってもそんなに植生変わらなかったのかなーって思っちゃって。」
「確かにそれ、言えそうな気がする。他にもデボン紀中期の生き残りがいたし、パウロフィトンにしても見た目はそんな感じだよね。実際に類縁関係がどうなのかは、すごく気になってる。ところで、さっきの話だと…他の時代の初期維管束植物も採集されてるってことだよね?」
アリアは親指を立てて、
「そりゃもう!培養系も確立されつつあるって」
と、どや顔である。
「さっすが、力強い。で、さっきシルル紀からデボン紀は案外人が住みやすいって、言ったよね?」
「適度に酸素があって、気候も暑くも寒くもないし、街もしっかり。調査にも収録にもうってつけね。ケイを最初に案内するならこっちかも、とも思ったんだけど…」
「思ったんだけど?」
「ちょっと人の勢いが強すぎてげんなりされるかもって。その分、栄えてるんだけど」
「ってなると、誰か靴にでもつけてきちゃったというほうが考えられるかな、って…。そのあたりの時代から移住した方とか、いそう?」
そう言って、リリィのほうを見やる。
「そりゃもう、たくさん!開拓者はより過酷な地を目指すものだもん。たとえば…」
そう言ってどこどこの誰々さん、という名前が5人ほど出てきた後、「でも今夜聞いてみる!二人は今夜、ライトトラップでしょ?私だけでもそれならできそうだし。」
※時空外来種として出しています。シルル紀の植物です。
ホルネオフィトンは、ライニーチャートから知られる植物の中で最もユニークな存在といえます。
前維管束植物とされてきましたが、最初期の維管束植物とされることもあります。
最近、この植物の通水組織が師管に似た特殊な通水組織の1種類しかもたなかったという説が提唱されました。
https://doi.org/10.1111/nph.70850




