<石炭紀紀行> 「夕焼けと泥炭コーヒー」
目いっぱい手を広げて、目をつぶると、コーヒーに入れた角砂糖みたいにさわさわと、体が溶けていくような気がした。
ふかふかのベッドに寝たのなんて、いつ振りだっけ。
――半年ぶりか、それ以上かもしれない。家では棚に毛布を掛けて寝ているし、旅先でもわざわざ「ちゃんとした」宿をとることなんて、ろくにないから。
そんなことを思うまでもなく、意識が落ちた。
旅の疲れか。
――どのくらいたったろうか。
通信端末が、けたたましい音を立てる。
続けて、ドンドン! と戸を叩く音。
――なんだよ、まだ採集も古生物観察もできていないうちから騒がしく
――とおもいねがら、ゆらゆら、ゆれながらも、ふらりと立ち上がる。
ねぼけているせいか、視界がちょっと赤い。
――あれ、寝ぼけたときって緑っぽくならなかったっけ。
また、ドンドン!と扉を叩く衝撃。
うるさいな、と思いつつも、ドアノブについた鍵をひねった。
「ケイーッ!夕焼けが燃えてるよ!燃える空でコーヒーしよう、さあさあさあ!」
でかいのが飛び込んできた。言うまでもなくアリアだ。
私はもう気圧されそうになって、一瞬後ろによろめく。
ちょっと…今は休ませてくれと思いつつも、視界の端に異様な赤さが目に入る。
振り返れば、窓から、紅色にも近い、この世のものとは思えない赤い光が差し込み、窓際に置かれたシダの入ったガラス瓶が照らされていた。
――これが、石炭紀の夕焼けか。
ついでにいえば、この星に来て初めて見るであろう生きた化石植物がしれっと室内に置いてあったことにすら、私は気づかないで寝てしまったくらいには、疲れていた。
ちょっとした部屋にシダのボトリウムが飾られるとは――ビクトリア朝のシダブームを思い出す。シダ狂い<プテリドマニア>は、この星にもいるのだろうか。
部屋を出ると世界がもう真っ赤で、真っ白な家々は紅に染まり、みなもは赤紫を帯び、空には少々の雲が青黒い帯を成しながら地平線の果てまで。波は金粉をちりばめたように光り輝き、そこをゆく船は逆光を浴びて、その妖艶なシルエットを空と海のはざまに焼き付けていた。
「――すごいね。このベランダも――これを見るためみたいだ」
ベランダのテーブルにつくと、ちょうど右手に向かって、そんな絶景が地平線まで開けているのだ。
「ま、そういうことなのかもね」
アリアが指さすと、リゾートホテル サンセット、とあった。
リゾートホテル、ねえ…とは思いつつも、この夕焼けだけは、たしかに一級品だと思った。
ちょっと甘い、コーヒーにべっこう飴を混ぜて、ちょっと何かを足したような香りが漂ってくる。
リリィが持ってきたのは、見た目上は、コーヒーに近いものだった。
――ピート・コーヒーか。
泥炭を蒸留して香り成分を濃縮して作るという、コーヒー模造品。
でも、地球で飲んだことのあるどんなピート・コーヒーよりも濃厚でリッチな香りに、なぜかちょっと、懐かしみを感じてならなかった。
――あ、これ、古書堂の本がたてる香りに、ちょっと似ている。
「石炭紀の泥炭を使ったピート・コーヒーよ。新作で地球にも輸出が始まったの!気に入ってくれると嬉しいわ!」
――あれか!出発直前にサンバーストコーヒーで、「Carboniferousブレンド入荷!」と書いてあったけど、結局飲まなかったやつ。
興奮とともに口に含むと、カカオに似た甘く濃厚な香りと、鼻に抜ける爽快な柑橘臭。続いて、舌にしっかりと響く、苦み。
――コーヒーっていうより、カカオ粉にオレンジピールを足したみたいだ。
「結構癖強いけど、口に合う?」
そういう飲み物だと思えば、かなり、いける。
「ばっちり。いいものだよ、これ。あとばっちり目が覚める」
「よかった!あと言い忘れてたんだけど、この星だとコレ加えるのよ」
見せられた「木の実」はちょうど、さっきマーケットで買おうとして全力で止められた代物だった。
「トリゴノカルプス Trigonocarpus、かな。メドゥロサ類の種子だよ」
「さすが!このあたりではちからシダの実と言われてるのよ。でも地球の情報を見たら、シダに実はならない、って書いてあるじゃない?」
――そんな情報も持たずに石炭紀に植民しているのか、とも思ってしまうが、リリィ女史ですらそうなのだから、この星の古生物リテラシーは相当に低いらしい…。
「シダにそっくりな裸子植物なんだよ。ソテツに近い仲間」
「ソテツ・・・?」
うーむ…そういや石炭紀にソテツって確実な産出例あまりないんだよな、と思いつつ、やっぱり悩んでしまう。
「じゃあ…もっとざっくり、針葉樹とか、木の仲間だよ。葉っぱの形はシダに本当にそっくりだけど。だからシダ種子植物なんていったりする」
「なるほど!つまりシダそっくりだけど、じつは被子植物なわけね!だって花も咲くし、蝶々も来るもの!細かい葉っぱも、マメ科みたいな羽状複葉ってことね!」
――違うんだけどなあ。と思いつつ…
いきなりそこまで話を発展させるあたりが、そら恐ろしいものを感じる。
「うん、たぶん“花”じゃないし、蝶ではない…と思う。でもまあ、見た目は確かに・・・それっぽい…のかも」
――こんな偉そうなことを言いつつ、私自身、シダ種子植物の花を見たことなどないのだ!こんなに勘違いされるくらいなのだから、よほどきれいな「花」なのかもしれない。いや…わからんけど。
「ところでさっきマーケットで買おうとしたら全力で止められたんだけど…」
するとリリィはぽん、と手を叩いて。
「コーヒーに少し煎じて入れる分にはいいんだけど、直接噛んで刺激を楽しむ人もいて――口の中がすごく荒れるから、絶対やめたほうがいいのよ。それに、未知の食べ物だし刺激が強いから――って、子供には禁止されてるの。ほんとに危ないかはわからないんだけど!」
――やっぱりヤバい物じゃないか、さっきまで寝ていたのにいま、眠気が全然ない。
眠気がないこともあって、いつものように思考がキュンキュンと走り始める。
―Mini ESSAY 古書の香りと石炭紀泥炭―
古書のたてる香りは、カビの臭いなんかじゃない。あの香りをかび臭いなどと呼ぶ人は、本に愛のない輩である。かつて木として生きていたことを物語り、時間によって熟成された、いい香りだ。それが、いま目の前にしている泥炭コーヒーの香りに似ているのは――当然だ。リグニンは分解されると、ベンズアルデヒドやバニリンを生じる。分解により似た香りが出ているということは、やはりこの泥炭は高リグニン質であって、リグニンに富む植物によって作られたと考えたほうがいいだろう。ガスクロマトグラフィーで由来成分の推定できないかな、と思ったけれど、いま私は石炭紀にいるのである。
ちゃちゃっとこんなことをメモしておいた。
アリアはといえば、リリィとなにやら雑談で盛り上がっている。内容はほとんど聞こえなかったけれど、いまや高級品になってしまったコーヒー豆の話とか、地球の紅茶も飲んでみたいとか、日本には抹茶なんてのがあるのとか、そんな感じの話をしていた。
メモが終わって少し顔を上げると、夕日が地平線に差し掛かって、空が背後から少しずつ、紫色に染まりつつあった。
アリアはふっと髪をなびかせて、夕日に向かって少し首を伸ばし、いう。
「白亜紀もさ、夕焼けが売りなのよ。ダイナソー・サンセットってね。どこもネーミングセンスは似たり寄ったり」
「白亜紀中期?」
「そう、それ!……って、どうして分かったの?」
「だって――酸素濃度と大気圧の問題でしょ?それ。」
「さすがね。観光局は二酸化炭素が多いから――って言ってるけど、それはない!って思ってたのよ」
「たんじゅんに大気が多いからレイリー散乱が強まる、石炭紀のこの辺りは亜熱帯高圧帯における乾燥地帯、白亜紀中期は世界的な地球温暖化による乾燥化が進行してるから、どっちも空気中のちりが増える。地球史上、夕日を見るならペルム紀前期か白亜紀中期だと思ってたけど――石炭紀も、これはこれは素晴らしい」
「ディメトロドン見に行った時も凄かったのよ!カレンダーの表紙に売れたっけ」
「ディメトロドンか…見たいな。ずっと地球に“引きこもって”いたけど、やっぱり過去の世界って、いいね…大学のうちに、行っときゃよかった。」
「でしょ」
すると、リリィが口をはさむ。
「ケイって、本当に、過去に行くのって初めて…なのよね…? アリアより詳しいって、どゆこと?」
いや、私はむしろ、この未開の惑星で育ったはずのリリィの博識ぶりに驚かされるのだけど――それをどう言ったとしても、この星とそこに住む人々に失礼な気がして、何も返事はできなかった。
「じゃ、私たちはちょっとだけ準備あるから、席外すわ」
そう言って、私だけがテーブルに残された。ちょうどいい、書き物タイムだ。
―ESSAY―石炭紀の夕日について―
初日にして書くのもなんだが、石炭紀を訪れた人はまず、夕日を見るべきである
――初日から寝過ごしそうになってたたき起こされた人が言うのも、なんだけど。
本当に凄いのだ。
では、なぜか?質問に対して返そうとしたけど、どうも理屈っぽくなって長くなるから、ここに書き留めておく。
まず、石炭紀後期からペルム紀前期の大気は、窒素の総量は現在と同じ程度だが、酸素が質量にして現在の倍ほどもある。酸素濃度20パーセント→30~35パーセント、というと2倍にはならないだろう、と思うかもしれないが――窒素の総量は一定だから、そこに酸素を継ぎ足していったような値になる。
つまり、大気そのものが、多くなり、パーセンテージ以上に酸素が多いのだ。
しかし、酸素が増えて平均分子量が上がるぶん、スケールハイト(大気密度が 1/e に減るまでの距離)は小さくなる。結果として、上空へ行くほど気圧は速く落ち、直観に反して大気の厚さは薄くなる。だから石炭紀の空気は、厚さは薄く、濃厚だ。
大気圧は、亜熱帯ということもあって大体1.15気圧付近。
たとえ大気が「薄く」なっても、分子密度の増加は太陽光のレイリー散乱を強めるには十分だ。
――日が傾けば、青い光はあらぬ方向へ飛び散って“フィルター”され、現在の夕焼けよりもさらに純粋な赤だけが残る。
さらに。
この内海の周囲には砂漠が広がっており、乾いておりながらも、微細な塵が常に舞っている。すると赤い光はミー散乱によって、まるでスクリーンのように空をオレンジ色に染めるのだ。
現在の夕焼けもまた美しいものだが、この毒々しいまでに鮮やかな夕焼けを見てしまうと、これからはちょっと、物足りなくなってしまうだろう。
――エッセイ終わり。――
ちゃちゃっと5分くらいでエッセイを打ち込んでから空を見上げると、あたりは暗くなってすっかり青紫になってきていた。端末の光が、少しずつ星の見え始める空を、ぽおぉっと、照らしていた。
空になったコーヒーカップは、リリィがもう下げて洗っていた。
原稿を書き終えてふぅっと伸びをすると、アリアの手がポン、と肩を包んだ。
「ディナーに向けて、着替えましょ。一応私たち、「賓客」らしいもの」
振り返ると、アリアはビシッとした、軍服・・・的なものに身を包んでいた。
ビシッと立った肩といい、家紋の入ったバッジといい――クールだ。
火星式の、フォーマルな着付けというわけなのだろうか。
これが正装とは、さすが軍事国家。やっぱり、腰抜けの地球人はとてもかなわない。
さて、困った――着替えなんて、用意してない。




