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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
凍てつく地でも、採集を。(ゴンドワナ採集編Day1)
62/198

ぶよぶよとしたコーヒーブレイク /苔のむすまで/パウロフィトン/プロトレピドデンドロン類の一種


初めて訪れる場所では、最初に足元をみっちり探せ。


それが、私のスタンスではある。


しかし、上空から見た際、ここの植生はどうもドーナツ状になっていそうだということを目にしていた。


つまり、概観を見てから、探索を開始したほうがよい、ということかもしれない。



いやそれでも、やはり足元から見ていこう。

ホテルから一歩出ると、またあの、硫黄のにおいが立ち込めている。

まずは、ホテルから出て3歩くらいにある、温泉水路からとしよう。

採集器具を取り出す――まずは水質メーターと水温計、あとはラベル用のテプラ。


いろいろ試したが結局テプラだ。


画像認証コードをテープに耐水転写印刷し、そこにデータを紐づけておくというわけである。


今回は大学の極限環境微生物研からの頼まれごとで、好熱性微生物のDNAサンプルが欲しいという依頼があった。

ちょっとした野暮用だが、こんなチャンスを逃すわけにもいくまい。

できれば生かして届けたい、といったところだが、熱水性の微生物は生かしたままでの輸送が難しいから、DNAと形態があれば十分、とのことだった。


さて、採集だ。

温泉の水はすっと透き通り、水温は48度だった。

通常の生物なら、たんぱく質が変性して死んでしまうものが増えてくる温度である。

にもかかわらず、その底には、よく見ると様々な色の、べたっとした広がりができている。

赤、緑、黄色、黒、と、かなり色鮮やかだ。


さらにいえば水路の底は緑っぽく砂らしきものが溜まっているように遠目には見えたが、それらは全部微生物が作るコロニーで、剥がすとコンクリートの灰色がむき出しになった。


温泉は温度が高すぎ、また毒性もある。

そのため、バクテリア食者がほとんど居つくことができない。

そのため、微生物がつくるバクテリアマットが攪乱されることなく、色とりどりのコロニーを作るのだ。


温泉といえば、生命の起源の場所として候補に挙がるところでもある。

特に古生代ともなれば未知の原始的な微生物がいる可能性が高く、現在の微生物からは想像もできないような新グループが見つかる可能性すら、十分にあるだろう。


目視できる異なる色のバイオマットを、ひとつひとつディスポの匙を使って回収していき、データロガーで泉質を測定、ラベリング。

回収したバイオマットは遺伝子保存用の保存液にいれておく。


幸いなことに、極限環境微生物研が用意してくれた採集容器はフィルターと一体化していて、バイオマットを置くだけで十分なDNAサンプルが得られる仕組みになっていた。


また、形態観察用の固定液にも保存しておく。


あぁ、この色と水温はイデユコゴメのたぐいかもしれないなとか、紅色硫黄細菌あたりだろうかとか、色々と見ながら思うことはあるけれども、現代ですら肉眼での感想は、そこまであてにならないことも多い。しかも――石炭紀なら、なおさらだ。


わくわくはするが、黙々と作業を進める。


扱っているのはぶよぶよとした塊なのだが、私にとってはコーヒーブレイクみたいな、なごむ時間だ。

ふと振り返って、いろいろ考えるにはいい時間なのだ。

今日は、硫化水素を切り口に、嗅覚について思索を巡らせていた。


ところで、こういう頼まれもの採集は、ほんの雀の涙程度ではあるが旅費の糧になる。


ウォーレスやベイツみたいに標本代目当てに旅をするつもりはないけれど――


今回は、行く場所が場所だけあって、その標本代もばかにならない。


この旅行、旅費は全額アリアもちだ。

申し訳なくて、得られた利益は全て、あとで渡そうと思っている。


ふと顔を上げると、カメラを引っ提げながら虫取り網をもって駆け回る姿が、ちらりと見えた。


<蛇足>

その時考えていたこと。

 「嗅覚のこと」


硫化水素中毒において、人間の鼻はあまりあてにならない。

この現象は有名で、ゆえに多くの探検家たちの命を奪ってきた。

過剰に警戒するのも納得だ。

なぜなら、危険なレベルの硫化水素にさらされると人間の嗅細胞のほうが先に参ってしまうからだ。

硫化水素はミトコンドリアの細胞呼吸機能(要は細胞のエネルギー産生機構みたいなもので、機械に例えれば電池や発電機に似ている)を傷害する。

人間の細胞で特にエネルギーを要するのは神経細胞だ。

そのうち、臭い分子を電気に変換する嗅神経の細胞体(嗅細胞ともいう)は鼻の奥の嗅上皮に露出しているから、吸い込まれた硫化水素は鼻の奥の嗅細胞を直撃し、真っ先に参らせてしまう。

危険な臭いに達したとき、まず臭いが消えたと感じるのはそのためだ。

ところで、嗅神経というのはとても変わっている――嗅神経の細胞体は嗅上皮に露出していて、線毛を伸ばして臭い物質をとらえ、その嗅細胞の軸索がニョロっと脳の嗅球に連なっているのである。

そして、嗅神経の1本1本は、ある特定の臭い受容体の刺激にしか反応しない。ヒトの臭い受容体遺伝子は(機能を失ったものを含めると)900個もあって、これは全遺伝子の2.6%。

これほどの遺伝子を割いている機能は、ほかにない。

そして受容体を介して電気刺激に変換された臭い刺激は、嗅球における糸球体の位置情報に変換される。

嗅球は“原始的な”動物ほど発達しているといい、魚や両生類ではとりわけ立派なものが見られる。このことは、脊椎動物の祖先において、むしろ臭い刺激こそが本来最も重要な感覚刺激だったことがうかがえる。

さらに面白いことに、嗅球の体積は体のサイズにスケーリングする!

臭い受容体の遺伝子数は1000前後でそこまでの差はない(数桁スケールの差はない)にもかかわらず、大きな動物には大きな嗅球がみられる。小さな生き物に比べて、大きな生き物は鼻が利くのか?と言われれば、そんなこともなさそうなのに、と考えると実に不思議だ。

ティラノサウルスの嗅球は拳骨より大きいが、これは単純にティラノサウルスが巨大だからという面も大きいのではなかろうか。

大型化すると嗅粘膜が広くなり、投射される嗅神経が多くなるということや、それらを処理するための神経回路の増大を要する、のかもしれない。


<蛇足終わり>



――2「苔のむすまで」――

湯けむりで、もやのかかった空気の中で。

立ち並ぶ人気のない建物は、まるで幽霊みたいだった。

活気は、ない。

煤けた、かつて真っ白であったであろう外壁は、すっかり灰色になって、曇天の空に溶けていってしまいそうだった。

石畳――ではない、コンクリートブロックの上を踏みしめると、湿った、重く硬い感触が、足の裏に鈍く響いた。

バクテリアマットのへばりついた温泉水路は、音もなく湯気だけをたて、その周囲に生えるものといえば、コケ植物ただそれだけであった。

私は這いつくばって、探す。

コケ植物というのは、配偶体と胞子体からできている。

足元に茂っている、一見草のミニチュアのようなものは、すべて配偶体であるはずだ――この植物が、本当にコケ植物であるのならば。

配偶体というのは、染色体数は半分しかない。

人間では、染色体が半分な細胞は卵と精子しかないから、イメージがつかみにくい。

正しい説明ではないのだが、こんな仮想実験をしてみてほしい。

もし、人間の卵と精子が、受精せずにそのまま育ったら、ということである。

卵から育った“卵女”はと精子から育った“精男”(それぞれ1倍体)は、それぞれ自身の細胞の中から、卵と精子を作る、と考える。

その受精によって、受精卵ができ、男女(それぞれ2倍体)が生まれる、と仮想しよう。

これが、維管束植物における世代交代である。

ここで私が仮想的に、“卵女“とか”精男“と呼んだ存在が雌雄の配偶体(1倍体)で、雄の胞子から育った雄配偶体と、雌の胞子から育った雌配偶体がある。

両者は造卵器、および造精器をもっており、受精して胞子体ができる。

コケ植物の場合、配偶体が非常によく発達していて、胞子体は胞子を作るための“支え“かのように退化して雌配偶体に寄生している。


ひと握りのコケのかたまりでも、拡大してみると樹海のようだ。

見ていると、時折、それが少し動いた。

葉の上の小さな点のようなものだったり、ときには、コケそのものがごそごそと動いたり。

じっと覗けば、そこを行く、さまざまな節足動物がいる。

トビムシや、ヤスデといったものたちは、オルドビス紀からシルル紀に陸上植物が上陸してからの、幼馴染みたいなものだ。

むしろ彼らからすれば、コケ植物というのは最近やってきた、ヘンなやつら、と思われているのかもしれない。

配偶体探しだけしているわけにもいかないので、見かけたものは片っ端から吸虫管で回収して回った。

温泉の影響が強いから数は少ないかと思いきや、そこそこな種と量がいるのは、ちょっと驚きだった。さらに――すべてが新種の可能性が高い。

この地域から知られる微小な土壌性節足動物の化石は、皆無だ。

勿論、そんな地味なものを調べて回っている先輩研究者も、おそらくいないはずである。


さて――そうやって、目を凝らしていると、ようやく、見つけた。

コケ植物の茂みの中から、ぴょんぴょんと棒状のものが突き出している。

恐らくこれが、誰も見たことがない、この時代なりのコケ植物の胞子体なのだろう。

マッチ棒のような形状で、すこし、ある種のキノコにも似ている。

いままで見てきた胞子体の中でも、まったく同じものを見たことはなかった。

カメラを撮りつつ、這いつくばりながら撮影していく。


さて、ようやく一種めだ。

ここに見られるコケ植物には、葉が細く鋭くとがったもの、より丸みを帯びたもの、さらに、葉がねじれるようなもの、の少なくとも3種が居そうだ。

それぞれ胞子体と配偶体、できれば雌雄のセットが欲しいのである。


さて、それぞれがいったい何の仲間に近縁なのかは、一見したところではよくわからない。現在のコケ植物においてすら、外見からの種同定は困難を極める。

セン類なのかタイ類なのかすら、うっかりしていると間違いそうになるくらいだ。

非常に恥ずかしいことだが――種レベルともなると、研究室で遺伝子を調べてようやく、ということが多い。

さらに、ここに生えているコケ植物が本当に石炭紀のものなのかどうかも、調べられる必要があるだろう。

そしてなにせ、ここには人間が植民している。

何か資材に引っ付いてきたコケ植物が生えてしまった、としても、見た目上ではほとんど気づきようはない。

なにせたとえば、ギンゴケは南極基地でも見つかるという。

コケ植物のフロンティア精神はすさまじく、たとえ時空旅行に出かけたとしても、人がいる限りそこには可能性があり続ける。


そんな危険性を踏まえたうえでも、コケ植物との出会いという物自体が、私には心底嬉しくてならなかった。

なにせ、石炭紀におけるコケ植物は、もしかするとご当地限定かもしれないからだ。

コケ植物というのはなんとなく、とても原始的なものだと思われがちだ。

しかしながらその化石記録はおそろしく少なく、中生代以前の化石記録というだけでもう激減する。石炭紀のユーラメリカ熱帯域の泥炭林やコールボール(植物をときに細胞内小器官レベルまで異常に良く保存する、石炭紀~ペルム紀にしか見られない特殊なノジュール)は、おそらくすべての時代の植物の中でもっともよく研究されている。それにもかかわらず、コケ植物というものは見つかったことがいまだにない。

どうも、当時の熱帯雨林にはコケという概念そのものがなかったかもしれないのだ。


そのかわりに、石炭紀~ペルム紀のコケ植物の化石は南米パラナ盆地のDwykeaやアルゼンチンのMuscitesをはじめとして、主に極地のゴンドワナ氷床沿いから産出している。どれも現在のセン類にそっくりで、しかも細かい情報を保存していない。

しかし、たしかにコケがいて、寒冷なゴンドワナ氷床沿いのツンドラを構成する重要な要素であった、ということがうかがえる。

もしかするとだが――コケの多様性もまた、氷河期のたまものだったのかもしれないし、化石記録のあまりの少なさから見て、現在もまた、新生代の寒冷化や、更新世氷河期の影響でコケが身近な世界なのかもしれない。

そういうことから考えると、いま訪れている石炭紀ゴンドワナでのコケ植物の発見と観察は、いくら現在のものそっくりでも極めて価値あるものなのだ。

地球のどこにでも苔のむすまでには、思ったより、長い時間がかかったのかもしれない。

――それにしても、2種目と3種目の胞子体、見つからないな…

あがいているうちに、あるものを見つけた。

苔の合間から屹立する、鮮やかな緑色の、Y。

二分岐を繰り返す、えらく単純なその植物は、目が慣れていなさ過ぎて、むしろ人工物かのように思えてならなかった。

――なんだこれ、時代を間違えたクックソニアか?

私はつい、そんなことを思ってしまった。

しかしいまは石炭紀、クックソニアの時代から、もう1億年ほどが経っている。


――3「パウロフィトン」――

コケ植物に混じって、Y字型の、あまりにもシンプルな植物がみえた。

蛍光グリーンの草体には葉も節もなく、ただ分岐を繰り返しながら生えている。

まだ、胞子嚢はついていない。

うぅむ。

なんとも、ディティールがなさすぎる。

――こういう時は、少し歩くに限るだろう。

ぽつり、ぽつりと、Y字型の分岐が、コケ植物のマットに混じって見えるようになる。それを追いかけるうちに、ちょっとずつ数が増えていき――

きた。

高さ30㎝はあろうかというそれが、群生している。

単純な2分岐ではなく、やや太い主軸が真っ直ぐや、ときに傾きながら伸び、そしてその枝が上を目指している。負の重力屈性がある、というわけだ。

互いに絡み合って伸びているようだ。

湯気が非常に濃い場所で、撮影しようとしたカメラのレンズが、もわり、と曇った。

追いかけるうちに温泉から少し離れ、緑も濃くなり、コケ植物のマットの上に数種の植物が群生するようになっていた。シダのような葉をした植物や、小型のヒカゲノカズラ類、などなど。

――あぁ、なるほど。

地熱は高いほうがよく、できれば霜にもあたりたくないような寒さを苦手とする植物なのだろうけど、かといって温泉に近づきすぎるとダメ、というやつだ。

現在でも、寒さに弱いヒカゲノカズラ類であるミズスギなどでそういう自生地がある。

もっと暖かい場所に行けば…とも思ったが、ここから北に行けばすぐ砂漠。

後期古生代氷河期の環境は、じつに厳しい。

極寒か、それとも砂漠か、というバランスの中、この温泉の周囲に僅かに居場所を見つけているのだろう。

青々と茂る植物たちに、ふと地球史を重ね合わせてしまった。


さてそんな、“まともな植物”の中に群生するこのY字状の植物は、時代に取り残された遺物である、という感想をついつい思い起こさせた。

――いやいかん。

このような植物は現在にもひとつ、例がある。

そして、見た目に惑わされてはいけないという良い教訓を教えてくれる。

それが、マツバランだ。

いまとなっては、そう珍しい植物ではない。

日本においてはおもに、西南日本の岩場に生える珍品であったというが、江戸の人々が形を珍しがって、採集、栽培して回ったという。ついには鉢から逃げ出し、温暖化もあってごくふつうにみられる植物になったという。

この植物のおかしなところは、胞子嚢と茎以外、ほとんど何もないということだ。

マツバランの学名、Psilotum nudumほど虚無な学名はない。

Psilotumとはつまり丸坊主、裸、禿、nudumもまた、丸坊主、裸、禿を意味する。

毛のような仮根の生えた地下茎と二叉分岐する茎、それだけ。あとは、茎に鱗片状の小さな突起と胞子嚢がつくだけである。

マツバランほど人騒がせな植物はいない。

そのあまりにも単純な形態から発生学、形態学ともに調べ上げられ、化石植物との関連も強く疑われ、門というたいそうなグループまで与えられた。解剖的にも発生的にも特殊であったが、その外見的な類似物は4億年前のシルル紀からデボン紀、という点はいかにも不自然で、怪しさをまとっていた。そして結局、分子系統解析では大葉シダ植物、ハナヤスリ科に近縁な真嚢シダ植物、という扱いになってしまった。

このことからわかるのは、不自然な年代の、不自然なほど古そうな見た目の植物には、警戒すべきであって、そう簡単に結論を出すべきではないということである。


さて、目の前に戻ろう。

目の前にある植物は、主軸と、側方に伸び、二分岐する側枝からなっている。

主軸は交互に斜め横に分岐しながら伸びていき、しばしば倒伏したり、ほかの植物にもたれかかっている。しかし触ってみるとそれなりの硬さがあった。

側枝は主軸から交互に若干横方向に出て、3~4回、等分岐を続けた挙句、1ミリほどの、唐辛子電球のような形をした胞子嚢が一つついて、終わってしまう。

主軸がはっきりしていることをのぞけば、ほとんどシルル紀からデボン紀の植物に見えてしまう代物だった。

この主軸と横向きにつく側枝は、茎と葉の関係のごく初期のものを思い起こさせる。

つまり、この側枝がどんどん幅広になっていき、水かきのようにくっついていくと、葉になる…ということだ。古くはゲーテが言ったアナストモーシス説もそのあたりだが、テローム説といったほうがよいだろう。

さて、こういう植物といえば、先に出てきたマツバランに似た、デボン紀中期のPsilophyton(古生マツバランと呼ぶ人もいる)が思い起こされる。しかし胞子嚢は遥かに小さく、側枝はより細くエレガントだ。胞子嚢の数も少ない。

胞子嚢をルーペで拡大すると、さらに奇妙なことに、縦長の表皮細胞が見えるばかりで、裂開面がろくに見当たらない。ここまでくると、もはやデボン紀中期のPsilophytonをはじめとしたトリメロフィトン類よりも、さらに原始的な植物なのではないか、と思ってしまう。

こんな胞子嚢を持つのはシルル紀からデボン紀初期くらいまでの植物で、石炭紀の植物としては1億年ほど、時代遅れだ。

しかし、幸いにもこの植物は、すくなくとも時空外来種ではなさそうだ。

直立する主軸、側方に、交互に偽単軸分岐(難しい言葉だが、要するに2叉になるときに片方が太く真っ直ぐ、もう片方が細く横に出ること)、分岐を繰り返す側枝の先端に裂開がはっきりしない、小さくやや細長い胞子嚢がつく――といえば、石炭紀前期の南米で栄え、アルゼンチンの石炭紀後期はじめまで知られる、パウロフィトンPaulophytonにほかならない。

パウロフィトンは残念ながら圧縮化石しかなく、鉱化化石が保存されていないために、興味深い形質を示しながらも分類は不明なままである。おそらくだが、デボン紀以前の祖先からゴンドワナで分化を続けていった、最後のシルル紀~デボン紀型植物ではないか、と噂されている。石炭紀後期モスコビアンともなると、その記録の本当に最後だ。出会えて本当に良かった。

さて、採集せねばなるまい。

引き抜くと、地下茎とも地上茎ともつかない倒伏した茎から、仮根が生じていた。この形質は化石からは知られておらず、おそらく初見だろう。

デボン紀初期のアグラオフィトンにも似たような、匍匐茎からの仮根の形成が知られている。

うぅむ、どのような仕組みで仮根の発生が決まるのか、大変興味深い。

というのも倒伏した場所から仮根が生じ、さらに情報に向かって屈曲するということは、そこに仮根を生じさせる何らかのセンサー、おそらく重力を感知するアミロプラスト平衡石をもっており負の重力屈性を持つだけでなく、地表についたところから下向きに仮根を伸ばさなければならないからだ。しかし、この仕組みが維管束植物とコケ植物、シャジクモ藻類でどの程度保存され、どのような進化段階を踏んでいるのかはやはり興味深い。仮根といっても様々だ。コケ植物におけるものと、現生維管束植物にみられるもの、どちらのほうが近いのだろうか…。

基部は少し埋もれているが、地中を横走するのか、それとも仮根が収縮してひっぱるのか、はたまた…どういうことなのだろう。


もしリニア植物と同じであれば、仮根に共生したアーバスキュラー菌根菌に依存しているはずだ。

アーバスキュラー菌根菌との共生はどうやら植物の中でも最も早期に出現したようで、根の誕生よりも遥かに早い。水分供給のために根を発達させるよりも、それより以前から土中に勢力を持っていた菌類と共生するほうが、植物には近道であったようにも見える。

リニア植物だけではない。

これは奇しくも、あの人騒がせなマツバランやハナヤスリにも共通する。マツバランは幸いにも移植が用意だけれど、たぶんそれは着生植物だからだ。同じく菌根に依存するハナヤスリは、移植はどうにもこうにもうまくいきにくい。

ほかにもヒカゲノカズラやらネジバナやら、菌依存が強い地生植物には、ろくな思い出がなかった。

さて、このどう見ても地生のパウロフィトンの移植…できるだろうか?

ちょっと自信がない。

胞子が乾燥にどれだけ耐えるのかとか、そのあたりですら疑問符だ。

となるとそのままでは持ち帰ったとしても栽培が難しいだろうから、ある程度、胞子を含んでいるだろう土を持ち帰って、好気的かつ湿らせた状態で保管、それから大学付属植物園のメンバーに頑張ってもらう…しかないだろう。

全草標本も多めに、液浸とさく葉、あとは胞子も取っておかねばならない、か…

そして、もしリニア植物に近縁なら、それなりの大きさの配偶体もあるかもしれない。

茎断面と胞子嚢の詳細な観察さえできれば、そうとう道が開ける。

リニア植物に関しては先人がすでに数種の採集・栽培化に成功しているから、そこから形態比較や、特に配偶体や初期発生を比較できれば維管束植物の初期進化に大きく道が開けることになる。

スコップを握った手には、妙な汗がにじんでいた。

サンプリングは、まだ始まったばかりだ。


そして、いくつか採集しているうちに、またもや面白いものに気づいてしまった。

それもまた、南米ならではの、デボン紀型植物最後の生き残りだった。



――4「プロトレピドデンドロンのなかま」――

パウロフィトンが多く見られた場所は、温泉の影響をある程度受ける小湿地といったところだった。

直に温泉が湧いているわけではないが、より冷たい湧水ないし溶けた永久凍土によって、常に水が確保されるような場所である。


コケ植物とともに優占していたのは、小さなヒカゲノカズラに似た植物だった。


しかし愚かにも私は、あからさまに奇妙なパウロフィトンに気をとられて、その小さなヒカゲノカズラ“のような”植物に気づくのが、だいぶ遅れてしまった。


あらためて、よく見れば、葉がまるで手のひらのように分岐しているではないか。

現在のヒカゲノカズラ類としては、葉が分岐するというのはあまり一般的ではない性質だ。


なぜなら、ヒカゲノカズラ類の葉は小葉だ、というのが大きい。

ヒカゲノカズラ類の“葉”は、どうやらほかの植物――シダ植物や種子植物――に見られるものとは、起源を異にしているらしい。

いわば、茎の出っ張りに1本の葉脈が入り込んだような構造であると考えられている。

ほかの維管束植物の葉が、二分岐を繰り返す枝状のものから分化したのとは、まったく違っている。


維管束の出方も全然違っていて、ヒカゲノカズラ類の葉が釘バットのように維管束の筒から飛び出しているのに対し、ほかの植物の葉は小さく切り込みを入れて、外に反り返らせたような形になっている。

つまり茎の維管束には葉の付け根に相当する隙間があって、これを葉隙という。


さて、少し脱線した。

小葉は基本的に茎の出っ張りに維管束が入り込んだものなので、基本的には葉脈は中心に1本である。

ただし:葉脈は葉に栄養や水を届け、また葉で生産された光合成産物を運び出すのに必要であるから、葉脈から極端に離れたところまで葉の先端を伸ばすのは得策ではない。

だから現在の小葉植物はほぼ例外なく(鋸歯こそはっきりするものがあるが)真っ直ぐで、単純な葉の形をしている。


ところが。

デボン紀の小葉植物には、どういうわけか葉の分岐を増やし、分岐した葉の先端をエレガントに伸ばすものがいた。

プロトレピドデンドロン類である。

その多くは石炭紀に入ると衰退し、石炭紀後期ともなると絶滅しているはずなのだが――目の前にある植物が、まさしくそれであった。

茎の太さは5ミリメートル。葉は5ミリメートル、胞子嚢は1ミリメートルほど。

かなり小柄な植物である。

地を這いながら、緩やかに分岐しながら斜上し、もこもことした群落を形作っている。


よくよく見ると――どうも群落が、線状に連なっている気がした。

どうも、同心円状に広がっているようだ。

欠けた部分はいくらか見当たるものの、中心の根付いた部分から倒伏しながら広がっているようだった。おおよそ、5mほどはあるだろうか。

現在でも、一部のヒカゲノカズラは“フェアリーリング“と呼ばれる、同心円状の群落を作るという。ヒカゲノカズラ類は脇芽を出さないから、外側に広がっていくと、途中からはもう新しい芽がでてこない、というわけだ。

さて、うまく成長速度がわかれば、この群落が成立するまでの時間を測れるはずだ。


勿論、メジャーで記録をとっておく。

20世紀にアスヒカズラで測られた例では、直径11.25mある群落が、125年成長を続けていることがわかったという。


葉はといえば、一見輪生しているようにみえる。

現生のトウゲシバにおいてみられるような、偽輪生というところか。互生とあまり効率は変わらないと思うのだが、なぜか繰り返し獲得される形質のようで、とても興味深く感じた。

比較的真っ直ぐで匙状の基部から、掌のように7つに先端部に分かれているようである。時折、葉の間に黄色味がかった、長楕円形の胞子嚢をつけているものもあった。


このプロトレピドデンドロン類はおそらく、フレングエリア Frenguelliaだろう。

この属はえらく長命で、デボン紀後期から石炭紀前期を通じて知られている。

石炭紀後期から見つかる例はほとんどないが、その化石記録はおもに、パウロフィトンと一致する。

となると、おそらくこの個体群もまた、パウロフィトンと同様にこの地熱地帯に避難してきている最後の生き残りなのだろう。

採集を試みたが、いかんせん困ったことに根は株の中心一か所にしかついていないようで、地上を匍匐しているのは全て茎であるということがわかった。


こういう増え方をする石炭紀の植物はいろいろあるが、まさかこれもそんな一員だったとは…。

直径5mの株を掘るわけにもいくまい。

仕方なく、胞子嚢のついた枝を採集することとなった。

うぅむ、プロトレピドデンドロン類の根は誰も見たことがないはずなので、なんとも悔しいところである。

根といえば、小葉植物――さっきまで暫定的にヒカゲノカズラ類と呼んでしまったが、こう呼ぶ方が正しい――において著しい多様性が見られる。

ヒカゲノカズラ目では、匍匐する茎の先端部から根が突き出し、茎の成長に遅れて土に突き刺さる。イワヒバ目でも似たように根が突き出すように見えて、じつは担根体という茎と根の中間体が突き出してきて、その先に本物の根がつく。

ミズニラ目では、担根体が球根状になっていて、そこから本物の根が放射状に出る。

みたところ、目の前にある植物はミズニラ目に寧ろ近いらしい。

葉を剥がすと、付け根に小舌が見当たるあたりからしても、その類縁関係は妥当そうだ。


しかし、プロトレピドデンドロン類はミズニラ目やイワヒバ目と違って、胞子に大小の区別がない


――うぅむ、やはりすっきりまとまらないのが古代の生き物であり、それがまた、面白くてならないのだ。



フレングエリアとパウロフィトンの組み合わせは前期石炭紀後期の南米の複数産地で見られるので、これをベースに前期石炭紀末~一部は(パウロフィトン)後期石炭紀まで残っていた、デボン紀型植生のはなし。


*パウロフィトンのディテールは一部想像で補っています。

仮根や地下部に関してはまだ知られていないので、アグラオフィトンなどのリニア植物を参考に書いています。現状ではパウロフィトンはトリメロフィトン類やゾステロフィラム類より原始的な可能性があり、類縁不明です。となるとリニア植物しか参考にできないのです。


*注 イワヒバ属Selaginellaでは、細かく分岐し、網状に近いほど発達した葉脈を持つものが知られるが、二次的に生じた極めて異例なものである。

J.L. van Soest. (1965). Estimation of the age of a fairy circle (Lycopodium complanatum L. var. chamaecyparissus (A. Br.) Döll). Acta botanica neerlandica, 13(4), 623–623.


*今回の推測要素

①フレンゲリアの化石記録は石炭紀前期末まで(今のところ)。最後のプロトレピドデンドロン類です。フレンゲリアとパウロフィトンは共に出ることも多く好む環境は似ていたはず。氷期にパウロフィトンが生き残れる温暖なレフュージアがあれば、フレンゲリアも出てきてそこまでおかしくないということで出しています。


知る限りプロトレピドデンドロン類の根に関する確実な報告が不思議なほど見当たらない。

プロトレピドデンドロン類は小舌を持つらしいことがわかっているため、イワヒバ目やミズニラ目に近いと思われる。(胞子は同胞子性だが、石炭紀の中型~小型小葉植物にはミズニラ目のような特徴と同胞子性を併せ持つものが幾らかいる。)。

大胆にも「株の中心部にしか根がない」というのは私の推測。

二次的に草本化したリンボク類と言われているPaurodendronやOxroadiaなどではそのような構造がみられる。プロトレピドデンドロン類の可能性があるProtolepidodendropsisでは担根体は塊茎状で、1本の幹が伸びる木本性となる。担根体はもともと塊茎状であると考えたくなるので、となると中心に担根体があってそこから放射状に枝を這わせる方がありうるかなと考える。

そのような理由で、根が大株の中央部にしかない!おそらくそこに塊茎状の担根体があるはず、と復元した。





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