3章 まえがき 石炭紀の博物学者、街をゆく
登場人物
ケイ・ヤマナカ…語り手。大卒、現在は在野の博物学者。成人女性だが低身長なうえに服装や体躯のため、10代前半の男子にしか見えない。地球、旧日本出身。実家は旧神保町古書堂。今までのフィールドワークは現在の地球においてのみであり、これまで過去へと旅したことはなかった。
旅費が法外に高いことから、払えないし敬遠していたとのこと。
アリア・エンバートン…ケイを旅に誘った張本人。恐竜生態学者、動画配信者。高身長の女性。火星連邦(アメリカ合衆国の後継国家)出身だが地球に移住している。実家は鉱産業を主とするエンバートン財団。中生代を中心にフィールドワークを繰り返し、その様子を配信することで生計をたてられているらしい。なお、ケイの旅費は全額彼女もちである。
まず、ここまでの旅を整理しておこう。
私とアリアは2週間を超える宇宙の旅を終え、超時空ゲートを抜け、ようやく石炭紀の地球に着陸した。だが着陸したからといって、あの「石炭を育んだ赤道直下の緑のベルト」にすぐ辿り着けるわけではない。むしろ、ここからが冒険の始まりだ。
そもそも、超時空ゲートの開港により様々な時代の地球に植民が進んでいる事態そのものが、19世紀の帝国主義のアナロジーを成しており、そこをゆく旅もこれまた、19世紀的探検記にどうしても似てくる。だから私は、そうした先駆者たちの活動をある程度参考にせざるを得ないと思っているし、後世にみたときに、時空共通暦52年の植民市の状況としてなるべく多くを描き残したいと思うのだ。
――そのためには、人と、暮らしを書かねばなるまい。
古来、あらゆる探検はまず、都市や集落からはじまる。
自然を追い求めるナチュラリストが人と暮らしを描くのはおかしなことと思われるかもしれないが、過去の博物学者(Naturalist)たちは、人と暮らしについて非常に多くを書き残している。
古いアマゾンの探検記などを読んでいると、かつて冒険者たちが通った街の記録が、何気なく書かれたものであるにもかかわらず、驚くほど資料的価値が高いことに、なんとまぁ驚かされる。
いま私がいるパラー州…3億年後にはちょうど、このあたりのどこかにベレンという街が建つだろう…の19世紀の姿などは、その好例だ。
1846年、ウィリアム・ヘンリー・エドワーズがここを訪れ、その素晴らしさをロマンチズム溢れる文章で書いた(脚注1)。このことは、2年後にその本に影響を受けた2人の、歴史に名を遺す博物学者が上陸することにつながった。著名な昆虫学者のベイツ(*脚注2)と、博物学者のウォーレスである。
(完全に脱線するが、後者2人はどちらも並外れた才能と視野の広さを持ちながら資金繰りに苦労した人物であり――すこし、親近感がわく。)
これらの旅行記におけるパラーの姿は、しばしばとても異なった様子で描かれる。1846年から1848年にかけてパラーが荒廃したか、もしくは語り手の目的と感性が、ほとんど同じものを見ながらも極めて異なった内容を見せていたのかもしれない。後2者は(ウォーレスは前書きにも明記しているように)エドワーズの文章をもとに旅路をすすめたから、対応関係を探しやすく、比較するには興味深い対象だ。
ベイツはさらに11年に及ぶ長期滞在ののちに、あらためてパラーの状況を書いているから、それもとても興味深い。さらにいうと、一緒に行動したはずのウォーレスとベイツの感性の違いや、一緒に行動している友人にもかかわらずお互いをめったに言及しない点も非常に興味深いのだが――そのあたりは一旦、おいておこう。
このような例を見るに、もし私が描く文章が博物学的な旅行記やエッセイであるとしても、それでも町や人々の様子を描くことをないがしろにするようではならないと思うのである。いま私が訪れている旅路を別の人が訪れれば、また違うものを見出すだろうし、私が素晴らしいと書いたものに幻滅する人もいれば、ひどいと書いたものに狂喜する人もいるだろう。そこがよいのだ。
さらに、19世紀における状況と同じく、過去の惑星への植民運動は急ピッチで進んでいる。もし次訪れることがあったとしたら――いま見ているものとは、確実に異なる様相を呈しているだろう。
ゆえに、長々しくうんざりしている方も多いかもしれないが、いましばらく、私はこの“入口の街”、石炭紀のパラーについて、まだしばらく、書こうと思う。
―石炭紀におけるアマゾン付近の、ざっくりとした立地について―
現在でこそ太平洋に面したアマゾン川の開口部であるパラー(州)だが、ウェゲナー(脚注4)が発見したように、石炭紀の南米はアフリカ大陸とぴったりくっつき、ゴンドワナ大陸の内陸を成していた。
しかしながら、石炭紀のブラジルには巨大な内海であるItaituba-Piauí Seaがめり込んでおり、ちょうど現在のアマゾン盆地を海が満たし、北側のギアナ高地と南側のブラジル高原に挟まれている。なお、ギアナ高地およびブラジル高原は極めて起源の古い大地であり、先カンブリア時代から陸地であり大きな変化を受けなかったため、石炭紀当時もある程度現在の地質学的知識が通用する。
さて、当時のパラー州はこの巨大な浅海の北岸に位置し、亜熱帯高圧帯がちょうどその真上にきていたため、非常に乾燥した気候だった。Itaituba-Piauí Seaは温暖な海であり、非常に乾燥した北岸にはラグーンが形成され、海進と海退の繰り返しの中で石膏堆積物が堆積し、ペルム紀には干上がってしまう。こうしてできたブラジル、アマゾン流域にみられる石膏をはじめとした蒸発岩は、ウェゲナーによる石炭紀当時における亜熱帯の乾燥帯(亜熱帯高圧帯に相当する古気候ベルト)の推測に役立つこととなり、彼が提唱した石炭紀の大陸配置の合理性を高めるために重要な役割を果たすこととなった。
・・・なお、彼が生きているうちにその学説が認められる日は来なかったのだが。
(脚注1 William Henry Edwards ここで述べる旅行記はA Voyage up the River Amazon。叔父とともにアマゾンを旅行し、その美しい自然について描写した。彼の文章は少なくとも非常に色鮮やかでロマンあふれるものであり、ベイツやウォーレスはじめとして様々な博物学者を引き付けた。なお、盛りすぎたきらいがあってウォーレスは現地を訪れてひどく落胆している。ところで彼もまた大著「北アメリカの蝶」を残した偉大な博物学者であり、Kanawha川流域における、石炭紀後期の炭鉱(Cannel Coal: 主に胞子や藻類などが水底に溜まってできたものと考えられる)開発に貢献している。彼もまた、石炭紀にややゆかりがある人物だ。)
(脚注2 ベイツ…Henry Walter Bates。昆虫学者として有名であり、ベイツ型擬態に名を遺す。1848年にウォーレスとともにアマゾンに渡航し、数か月をともに冒険した。その後、ダーウィンの進化論を支持する立場に回り、昆虫の擬態における進化について述べる。アマゾン川探検の様子は「アマゾン川の博物学者」(原題:The naturalist on the river Amazons)に見ることができる。和訳本も出ている。商才はなく生涯資金繰りに苦労した。)
(脚注3 ウォーレス…Alfred Russel Wallace。ダーウィンと独自に自然選択による進化論を発見し、共同発見者になったことで有名だが、あまりにも多方面に業績があることから(社会学や心霊学まで!)万能知識人といったほうが性格が近く、語りだすときりがない。友人だったベイツとともにアマゾンにわたり、その様子は「アマゾン川探検記」原題「A Narrative of Travels on the Amazon and Rio Negro」にある。和訳本も出ている。その後旅行記および社会批評の面も強いエッセイ「マレー諸島」が大ヒットするが、投資にはセンスがなく生活は困窮、ダーウィンによる熱心な働きかけで年金を受給することに。)
(補足:パラーは2025年現在ではベレンと呼ばれている。19世紀当時もパラー州の州都ベレン、だったのだが、19世紀の時点では、州名をとって、都市名そのものもパラーと呼ばれていた。)
(脚注4 ウェゲナー・・・Alfred Lothar Wegener ドイツの地学者。アフリカと南米の境界線がよく一致することや、かつてから指摘されていた化石生物相の共通性をもととして大陸移動説を発想し、その証明に生涯を費やした。しかしドイツは第一次世界大戦に突入、彼の主著「大陸と海洋の起源」の発表は大戦中となり、第二、第三版の発行もドイツ敗戦後の危機的状況で行われた。彼の大陸移動説は結局、生前に認められることはなく、大陸移動説の実測のため向かったグリーンランドで死去。もし違う場所に生まれたら、もし少しでも戦争や発表時期がずれていたら、と思ってしまう。)
作者脚注
Itaituba-Piauí Seaという語は2025年現在そこまで有名な海ではない。そもそも地球史における、海洋プレートを伴う海に関しては名前が付きやすいが、内海や湾に関してはよほど巨大な場合であってもめったに名がつかない。
しかしながら、この海域は石炭紀後期における最大級の内海であることもあって、2010年代後半から2020年代の文献ではたびたびこの語があてられている。この海域は地理的、気候的に極めて興味深い配置をしており、さまざまな奇妙な気象現象を起こしたことだろう。このことについても3-4章で述べていきたい。




