<石炭紀紀行> BLUE ―旅行、とは―
海が、青く光り輝いてるみたいだ。澄み切って、底の起伏がよく見える。
ぽつり。ぽつり。と点在する岩陰が、ぼぉっと水面に霞む。
南国リゾートの、サンゴ礁みたいだ。
――とはいえ、ヤシの木はまだ進化していないけれど。
高速船が立てる波が、バサバサと音を立て、海と空とを、引き裂いている。
私はリンボク類の周皮でできた窓枠にもたれかかり、ぼおっと、思いを馳せていた。
そうしていないと、船酔いにやられそうだったから。
「旅行、って感じだ」
私はそう、呟いた。
「旅行だもん、ケイと、私の」
アリアが、ちょっとはにかんだように笑う。
「――旅行らしい旅行って、最後にしたのはいつだろう。」
そう、息を吐くように、声が出た。
「大学以来?でも就職してからも、割とあっちこっちに」
そう言うアリアは、いまいちなにか、理解しかねているようだった。
たしかに私は休暇を取っては、日常の職務から逃れるようにフィールドワークに没頭していた。でも…それらは、違う。
「――大学のは、旅行じゃなかったよ。旅行というより、記録、観察、踏破」
「それ以降は?」
「修行、訓練、研鑽、逃避」
私は、その四つの単語を、吐き捨てるように言った。
「そっか…つまりケイにとっての旅行って、こういう、何もないひと時?」
「――そうとも、いえるかも」
「じゃ、しばらく、楽しもっか」
楽しむ?――違う。
旅行、という言葉の意味は、私にとって、違う。
何もない――それは空虚であり、退屈であり、待機時間だ、と言いたいのだ。
でも――アリアにとっては、違うとよく分かった。
「青いですね」
「はい?」
「すごく青いですね」
「うん」
「以前ギリシャに行ったときを思い出す、Posidoniaを採集しに行った時だけど」
「はぁ…」
「空がすごく青いんだよ。雲一つないくらいに。で、白い建物が光ってる」
「確かに…似てるかも。行ったことないけど」
「それと比べても、この青は――綺麗だ」
「…それを言いたいだけ?」
「空の青ってさ、太陽光のレイリー散乱で決まるんだけど」
「大学でやったわね」
「私のノートに泣きついてたよね」
「…昔の話よ」
「でさ、そもそも石炭紀の空って、本当に現在の地球よりも青いんじゃないか、って。酸素濃度、高いでしょ、この星」
「でもレイリー散乱って粒子サイズ依存、酸素と窒素じゃそこまで変わらなくない?酸素に色がついてるなんて習わなかったし」
「窒素ってさ、増えも減りもしてないはずなんだ。反応しにくいし、逃げにくい。不活性ガスって菓子袋なんかには書かれるけど、さすがに語弊があるとは思うけどね。でも、地球史レベルで大気の窒素総量は大体、一定のはずだ。」
「あっ…そうか、大気総量がそもそも多いから、“分厚く”なる」
「――そうでもないんだけど、少なくとも分子の総量は増える。するとそこで散乱する光が増えて――空が、もっと青明るくなるんじゃないか、って思うんだ」
「じゃ、この海の青は?」
「その話は…長くなるよ?あと、ポイントは海の青というより、底の白さかな。砂を眺めてから、考えたい。」
もし、私が考えるのをやめ、探すのをやめ、ただ惚けたように風景に身をゆだねているのであれば、私はここに来る必要はなかっただろうし、そもそも生きている必要すらないだろう。そして、私は何一つ残さず、燃料を浪費する消費者へとなり下がるだろう。
だから、旅行は、しない。
旅行という面はあっても、それは一部の側面、息を抜いた瞬間だけであって
――バカンスを楽しむ大富豪になりたいわけではないのだ。
地平線の向こうに、白い大地が、ふらふらと、見え隠れを始めた。
そしてそこには、人の築いた建物が、ごく小さな影となって点在している。




