<石炭紀紀行> SEAT-はじめて、古生物を見る― ≪登場古生物: ディアフォロデンドロン≫
水しぶきとともにやってきたのは、待ちに待った水上バスだった。
喫水が青く塗られた、その細長い船体は、鋭く、輝いている。
「高速船ね。」と、アリア。
1時間以上遅れたことを踏まえて、高速船を出してくれたのかもしれない。
「ようこそ、われらの星に。」
そう言って出迎えた船乗りは、まだ20そこそこくらいの、黒く日に焼けた若造だった。――まあ、小学生もどきが言うのもなんなのだが。
「ええ、よろしく。着陸日和で助かったわ」
「この時代は初めてです?」
「連れが、初めてでして」
そういわれたとき、私は無意識にアリアの影に隠れていた。
「よい旅…いや、調査を」
そう言って、真っ黒な顔が、にかっと笑った。
その隙間から白い歯が、きらりと光った。
海上基地からのタラップは、なんとも、海に向けて駆け降りるかのようだ。
一歩踏み出せば、まだふらつく足元に、骨盤の底から内臓がひゅっとすり抜けてしまいそうな感覚。
たしかにアリアやあの女医の言う通り、数日は宇宙酔いがさめないらしい。
このまま探検に出るのは、無理そうだ。
穴あきパンチが多用されたタラップの隙間から。
エメラルドグリーンの浅い海底に、草原みたいにウミユリが腕を広げているのが見えた。
真っ白な海底に、よく映える。
――水中の、ヤシの木みたいだった。
水上バスの座席は、一見すると、木の板でできていた。
内装にも、同じ、柔らかな印象をあたえる素材が、多用されている。
それを見るなり、私の心臓はばくん、と打った。
木では、ない。年輪など、どこにもない。
――まちがいない、リンボク類の、樹皮だ。
使い古された象牙のような飴色、皮革や海の波を思わせる、美しい凹凸を持っている。表面は、ニス掛けされたように艶がある。
丸い隆起が全体にちりばめられていて、いい滑り止めになっていた。
木材とは、一見して異なる。まったく、繊維質というものを感じない。
私はアリアに囁いた。
「このベンチ、リンボク類でしょ」
アリアは目を大きく見開いた。
「え、そうなの⁉鱗模様ないし、てっきり何かの合成樹脂なのかと」
「この微細な模様は合成樹脂では出せないし、拡大すると、ほら」
私は手持ちのカメラを顕微鏡撮影モードにして、接写した。
よく磨かれているせいで、細胞の一つ一つが、映っている。
それをアリアに見せながら、解説した。
「厚壁細胞。内部になんかしらのロウ状物質が詰まってるはずだよ」
「なんかしら?」
「そ、いまとなってはわからない、謎物質。でもここから見て取れるのは――熱で溶けて、溶着できるってことだ。ものすごく便利な素材だね、これ」
アリアは指さしながら言う。
「でもこの樹脂っぽい質感、何かしらの樹脂を含侵させたり、接着してるってわけじゃなくて?」
「ニスを塗ってるくらいはありうるかもだけど、ないと思う。」
「で…樹皮が、この強度?高分子加工も加圧含侵もなしに?」
「試算したことがあるけど、いらないはず。」
「なんで試算したことがあるのそんなの」
「まあ…興味?だって木部はすごく貧弱で、水を運ぶための「ロウソクの芯」くらいの役目しか果たさないからさ、リンボク類って。だから皮で全部支えなきゃいけなくて」
「ヘンなの!」
「イワヒバとかも、割と近いよ」
「知らんかった…」
「この5㎝しかない樹皮で、高さ30mを超える植物体全体を、何十年も支え続ける。具体的な数値は忘れたけど――高機能合成樹脂に近い物質特性が最適だろうって見込みだったね。人が座面に使うくらいは、余裕」
「で、このぷつぷつは?」
「葉につながる維管束だね。スポークみたいに木部から伸びてて、水の輸送をしてる。そのまま葉に繋がってるから、この中心が葉枕の中心にあたるはず」
アリアはその長身をぐい、と傾けて、座席の裏面を覗き込んだ。
「さっすが。たしかに裏面覗くと、表面が削られた鱗模様があるわ…ときどき。」
――目の前でしゃがまれると、さすがにでかいな。長身で細身だから、どうしても感覚が狂いがちだ。こうやって背中を間近で見ると――敵わない、って感じがする。
身体そのものの威圧感、ってやつかな。
私もその隅から、ちんまりと座席の裏を覗き込んだ。
まだ平衡感覚が行かれているせいで、一瞬だけ、くらっときた。
「ね。どれどれ――うーん、これは難しいね。」
「この迷路みたいのは?」
「Parichnos。通気組織で、葉枕から中にガスを導く器官。その開口部が同定には重要なんだけど…表面が削れてて、開口位置が確認しづらい。でもわずかに残ってる輪郭のサイズと概形からすると…」
「この鱗みたいな模様って葉が落ちたあと?」
「19世紀にはそう誤解されたよね。というか、木性シダを見たときにむしろ、「石炭紀の植物みたいだ」って思ったらしい。実際には葉の根元。葉の落ちた後は、こっち」
そう言って、ひし形の「鱗」の微かな輪郭の真ん中にある、小さな窪みを指さす。
――S字状になっていないひし形、ひし形の大きさは5㎝ほど、そこまで大きいわけじゃない。中央に大きな溝。幹を貫通するような節はまったくない。いや、側方方向、足を取り付けられているところのくぼみは、自然のものか。一列に並んでいる。
脱落性の側枝をもつ、というわけだな。その感覚をみれば、10㎝以上はある。
「じゃ、断面を見るか」
5㎝ほどしかない断面だが、しっかりと人間の全体重を支えられるほどの強度がある。その強度を支えているのは、やはり――多層構造に違いない。
「Peridermが二層構造になってる。外側のPhellemとPhellodermがよく分化していて、これが結構特徴的。――わかったよ。Diaphorodendronだ」
「さすが、ホント連れてきてよかった。私だと、全然わからないからさ」
「あ、ありがとう。あともし補足するなら、Phellemってコルク層って言いたくないんだよね。だってその形質は独自に進化したもので――」
船首の方角のドアが開いた。
船主らしき、初老の男が、これまた真っ黒な顔に短くそられた白髭を震わせながら、言った。
「お気に召しましたか。遅れてしまってすみません、急遽、一番速くて新しい船を準備しましたもので。最高級の鱗木の白木を多用した、賓客用ですよ。」
「連れが大はしゃぎしてましたよ。鱗木だ、って」
「それはお目が高い。ワックスがけもしていない白木の良さが伝わりましたかな」
「ええ、見抜いてました。私には、無理でしたが。」
「無理を言って賓客向けの船を引っ張り出してきて、本当に良かった。なにせ――この星に賓客が来ることも、年に一度あるかどうか、ですからな。」
「ええ、ありがとう。ところでホセ、出世したのね」
「ええ、月日が経つのは早いものですからなあ。街の発展と復興も進んどりますよ。」
「そのようね。安心したわ」
「その、お連れさんというのは・・・息子様で?」
「いえいえ!友達ですよ、友達」
そう言って私の手を取り上げたアリアは、満面の笑みを浮かべていた。
「じゃ、お客さん、そろそろ出しますよ」
エンジンのかかる音とともに、床が震えだす。
高速船は、走り出した。
リンボク類の座席に腰掛けながら、アリアはくい、と腰をかがめて、目線を合わせた。
「初めて見た古生物の感想、どう?」
私は一瞬、引け目になってしまった。
「あ、確かに今、古生物見てたね――なんというか、生の化石って感じ」
アリアは声を出して、あっけらかんと笑った。
「アハハハハ、生の化石って。確かにナマモノだもんね」
私は照れながらも、たどたどしく口にする。
「ま、まぁ・・・せっかくなら、まだ生きた個体を手に取りたいよね」
「あと数日もすれば、死ぬほどみられるわ。なにせこの星は、石炭紀の地球なんだから」




