<石炭紀紀行>CLOCK-一日は22時間45分―
――だだっ広い青。
一面に広がるエメラルドグリーンの海に、ただ波の音だけが、こだましていた。
「来ないね、9時に来るはずの水上バス」
青空を見上げながら、ふと口をついた。
「まあ・・・ゆっくりで、いいんじゃない?」
経腸栄養剤をしゃぶりながら、すきっと青い、空を見上げる。
降下からしばらくは、これで腸管をならしなさい。
プロバイオティクス配合で腸管環境もすぐ整うから
――そう、海上基地の女医からいわれていた。
「まあ、それも、そうだね。」
この石炭紀の惑星に降下してから、まだ2時間もたっていない。宇宙に慣れ親しんでしまった体はどうにもベンチに根差してしまっていた。早く自然を見たいとはやる私の頭とは裏腹に、体は、黙って草をはみ続けたい馬だった。
空の果てに、点みたいにパラシュートが見えた。
今回の船団で降着するのは私たちだけだ。
あれはおそらく、人に準じた扱いを要する精密機器を積んでいるのだろう。
「うーん、まだまだカプセルが降下中するから、かな」
「船団の降下は3日くらいは続くから…そうじゃないと思う。単に遅れてるんじゃないかな、田舎の植民惑星ではよくある話」
「時間…守らないんだ」
「ま、そうね。時計も時間を守らない。端末の時計、更新した?」
「石炭紀標準時表示、入れてみたよ」
そういって、端末を起動した。デジタル表示で9:17と書かれ、標準時と併記されている。
アリアはそれを一瞥するなりいう。
「最低限OK。でもやっぱりここに来たからには、時計を買わないと」
「時計?」
「ああいうやつ」
アリアが指さした先にあったのは、埠頭の詰所の壁に掲げられた、大時計。
1から22までの数字がなんだか乱雑に並んだ、ヘンな時計だった。
9、という文字が、斜め下を指している。
「旅の最中、あんなの背負って運べないよ」
「だから、腕時計ね。時計は、探検の必須アイテムだから。」
「ところで、なんで端末の表示じゃだめなのさ。」
「ダメ…っていうより、1つ目の理由は、文字盤ね。一日の中でどのくらい過ぎた?って感覚がつかみづらいわけ。もう一つの理由は、バッテリー。」
「文字盤動かすほうが減りそうだけど…」
「端末の場合、時空共通暦(メタ時間)をいちいち石炭紀標準時に変換して表示するじゃない?暦がローカルルールだから適当で、共通暦に厳密に沿って動く機械からすると補正が常に必要。それって、基礎バッテリーを常時消費するのよ」
「適当って…」
「驚くほど適当よ。自転一回を一日、一週間×4を一か月として、14か月で一年。2~3日余るからそこは切り捨てて次の年が始まる」
「…それだと毎年、一年がずれてっちゃわない?昔の暦みたいに」
「そうね。そのうち1日ずらしたりするんじゃないかしら。たぶん…」
「…暦の概念が数千年退化してる…ローマ人ってすごかったんだなって」
「で…こんな風に住人も時間にルーズだから…本当に補正するのか?すら疑問ね。」
時刻は9時32分を回った。まだ、水平線に動くものはない。
「じゃ、ロケットとか飛行機とかも…」
「そっちは全部、時空共通暦で動くから大丈夫。」
「…地べたに這いずり回ってる限り厳密な暦は不要、と」
「――ま、辛辣なこと言うとそうなるのかもね」
「で、バッテリーの問題っていうのは?」
「バッテリーの充電とバッテリー自体の補給が問題になる植民惑星で、電子に頼るのは危険よ。とくに酸素濃度30%で出火リスクが高いこの星だと…よく、端末自体が没収される。個人用コンピュータすら一般化してないから…」
「宇宙文明いまいずこ」
「最後に生きるのは、やっぱりアナログ。1秒以上のズレが発生し始めたころに修正する粗さだから、数日に一度の電波基地との交信で足りる。」
「SI単位系では時間が基準じゃなくて秒が基準だから、秒の定義はクォーツでOK、と」
「クォーツは高級品」
「なめてた」
あらためて大時計を見上げる。
――石炭紀の地球は、22時間45分で一周する。
数字は0の隣が「22」、外周には1から60までの細かな目盛り。
うーん、どうしても5時に見えてしまう。
22時間45分で一周する時計は、どう見ても人間工学的に間違っている。
一番気持ち悪いのが、長針だ。
秒針と長針は60秒および60分で1回転するので、文字盤が時間を示す1~23の大文字盤と、その外周に配置された1~60の小文字盤により構成される。
慣れるまでは、デジタル表示と併用することにしよう。
あんまり水上バスが来ないもんだから、書きなぐった駄文。
――ESSAY――
What Time is it?――Then, What is the Time?
時間、というのはその名前とは矛盾して、秒を基準としている。
もともとは、1日の長さが時間の基準であり、それを24等分し、それを60等分したものが秒だったらしい。しかし地球の自転周期の長さにはごくわずかな変動があるため、セシウム原子時計を用いた秒の定義が基準となっている。
しかし、一日の長さというのは、地質時代を通じて一定ではなかった。
一日は、ちょっとずつ伸び続けているのだ。
月による潮汐干渉により、地球の自転はごくごく僅かずつ、ほんの少しだけ遅くなっている。それを始めて理論化したのはかのチャールズ・ダーウィンの息子、ジョージ・ダーウィンである。
これもまた一筋縄にはいかないところで現在に向けて地球が一様に減速しているわけではないのだが、少なくとも過去五億年の大型生物が栄えた時期(顕生代)においては、地球は徐々に自転が減速していっている、ということができる。それがもたらすズレは微々たるものだが、3億年となると、実感をもって甚だしいものとなる。
さて、人間の体内時計もまた23時間である。
それはこういう時代の名残なのだ、という人もいたりする。
しかしながら、私はあまり納得できない。
――なぜなら、一日がもっと短かった時代からヒトが出現するまで、あまりにも長い時間がたちすぎているからだ。というより、体内時計が昔の一日の長さを記憶しているというのはなんともロマンティックすぎて、怪しいナラティヴの香りがしてならない。だからむしろ、ある程度冗長性をもって“外した”体内リズムを、光刺激によって補正している、そう考えたほうが、私にはしっくりくるのである。




