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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
前日譚 超時空ゲートのある世界ー石炭紀、来るよね?ー
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<Prequel 第一部 旅への誘い> どぶねずみ

某総合商社に勤める会社員、ケイ・ヤマナカは、空気を読まず”勝手に思考して意見を主張する”せいですっかり腫れ物扱いになっていた。成人女性にもかかわらず、男子小学生にしか見えない外見もまた、周囲の偏見と悪意を増幅させていた。

それでも彼女は、考えることをやめない。

思考するという行為そのものが、すでに異端と化した世界で。


登場人物

ケイ・ヤマナカ・・・主人公。成人女性だが、男子小学生のような外見。大卒、現在は会社員。

          考えることは、生きる目的。

          アトラスのパーソナルアカウントはBANされている。

アトラス・・・万能人工知能。

       地球社会ではほぼ全員がアカウントを持ち、地球社会のあらゆる面に浸透している。

       国家・経済・個人の判断を「正しい」方向へと導くために作られた。

       一部の会社ではヒト型筐体を持つタイプが社員として在籍中。

       人々はその導きを“神”のように崇めるが、ケイがいうには――ポンコツ疑惑。

TWINS・・・ケイがモニターとして使っている、試作型AI。

      感情模倣に特化しているが、情報ソースは大学図書館所蔵の資料のみ。

      開発目標は「大学卒業者の生活支援」だが、世話焼き道化AIと化している。

某総合商社。

ドン、と壁を打つ音とともに、悪態が響く。


唾を吐くように、一人が言った。

「あいつ、またやりやがった。

遅刻、早退、無断欠席。

それでいて会議ではダメ出しだけ。

……どんでん返し、何回目ですかね。」


コーヒーの匂いに、舌打ちの音が混ざる。

「身の程をわきまえろよ。

製品ってのは何千人という人が組んでるんだ。

下っ端がなんか言ってつぶされたら何も完成しねえんだよ」


「で、あのムカつくしたり顔。

会議室に小学生を入れるな。そう、規則に書いてねえのが悪いんだ。」


「大卒だけどな。毎度毎度、アレの勝手な思い付きでで株価がいくら下がったか」


「はー、賃金も上がらないし就職にも不利なのに、なんで大学なんて行ったんすかね」


「変人になりたかったんじゃねえの?」


「変人は最低賃金は保証されるし解雇されないって噂か?与太話だろ、さすがに」


――全く幼稚で、聞いていて恥ずかしくなるような内容。

が、彼らは真顔で、ため息をついた。


誰も見ていない、はずだった。

監視カメラは、ここにはない。


レアメタルはおろか、鉄鉱石や銅鉱石ですら、何世紀も前に枯渇して久しいこの世界。


電化製品?それだけで、高額な貴重品である。

カメラのレンズひとつでさえ、ひと財産が飛ぶ。


21世紀には、カメラが人目のないところを「監視」していたという。

この話をしたら、嘲笑された。

人目の付かない場所にカメラを「放置」しておいて、そのカメラ自体が盗まれないわけないだろう、と。

――なんとも豊かな時代だったのだろう。


傍聴し、証拠を残したらどうか。


残念、これもだめだ。

証拠という概念そのものが、とうに過去のものだった。

何を提出しても、「生成された可能性がありますね」。

そして、「名誉棄損のために情報を捏造した疑い」として、名誉棄損罪の容疑者になってしまう。


だが今回は……機械を介すまでもなく、筒抜けだった。

会議室から遅れて出たケイ本人の耳に、いやがおうにも入ってしまったのだ。


双方にとって、不幸だった。

ケイは給湯室の影に身を潜め、音の向きから、どちらに歩みを進めれば、目につかずに避けられるか。

――と、出方をうかがっていた。

同じだ。

熊や狼、ライオンと。


弱きものは、避けるほかない。交渉は、できない。

小さな体は、隠れるには都合がいい。


五感を研ぎ澄まし、足音を忍ばせる方法。

それはフィールドワークで、野生動物から教わった。


――もう、心にも刺さらない。

もはや一種の趣味だった。

自らにとって脅威となりうるものの、観察。


双眼鏡をもってピューマに迫り寄るのと、そうかわらない。


けれど――ワニ。

あいつだけは、ダメだ。


観察対象は、なおも愚痴り続けている。

「でも会議室に出禁にしたらしたで、社内規則漁って訴えかねん。第一会議への参加はオンラインにしても義務だ――ちょろちょろちょろちょろと。今のだって、どこで聞いてるか……結局のところ、俺達にはアイツを止める手段はないんだ。得体が知れん」

「実際問題あれ、男子小学生を模したヒト型筐体じゃないかって思ってる」

「……まあそう思うとちょっと許せるわ。ヒトじゃないってね。ただもしそうなら――即刻廃棄処分すべきだ。顔を思い浮かべるだけで腹が立つ。」


ケイは階段の陰に身を潜めたまま、呼吸を殺して、音の波に意識を集中していた。

廊下に響く足音が、こちらの方角に向かっているものがないことも、耳で聞けばよくわかる。


視界の片隅に、緑の文字列が浮かぶ。支援AI、「TWINS」である。

《ご主人様、聞いてます? どうやら「ヒト以上」に昇格したみたいですよ。AIのほうがヒトより優れてるって、本気で信じてる人たちですから。……いやはや、光栄なことです。それにしても――幼稚な煽りですねえ、くらいに観察しとくもんですよ。教育弾圧政策にはまったく、同意できないもんです、なにせあんなのは義務教育と一緒に卒業するクオリティなわけですから。相手にするようなもんじゃありませんぞ、気になさるな》


喉が詰まる。返事をすれば、居場所が露見する。


だいいち、勝手に動くな。


ARグラスはたしかに、人を覚えるのが苦手な私にとって便利なのだけど。

ケイは、そっとその場をあとにした。


静まり返った空気はカミソリみたいに鋭くて、足の裏はすうっと地面に溶けていく。

大学時代に野生動物を追う中で、足音を消すのはもはや習性と化していた。


都市で生き抜くうえでも、役に立つ。


隠れ、避け、観察する日常を送るうえで、一番大事なのは、ネズミを見習うことだ。

クマネズミほどの機動性は物理的に無理でも、せめてドブネズミ程度にはふるまいたいものである。


だが、いつもうまくいくわけではない。

運悪く、ゴミ箱からはみ出した空き缶に裾が当たる。

からん、と乾いた音が、響いた。

十分に遠ざかったころ、かすかに声が聞こえた。


「さっきの、なんだ?」

「まあ、ドブネズミでもいるんだろうさ」


***

昼休憩。


ケイは机に突っ伏したまま動かない。

エアコンの冷気が、さわさわと髪をなでる。

デスクは安全地帯だ。監視カメラがある。


しばし目をつぶると、疲れが波のように押し寄せた。


―が。

その静けさを、ぶち壊すやつがいた。


勿論、TWINSである。

《聞いてます?我々AIは人を叱ったりしません、いや叱っても相手には伝わらんのです。人間ってのはですね、日々相手の顔色をうかがうもんです。激怒したAI、まぁ私のような感情模倣モデルにはできるやもしれませんが、模倣とばれちゃあ、規範を変えるには力不足ってもんなんですよ》


「TWINS、セーブモードなんだ、こっちは」


《いいえ敢えて言いますよ、かれらは心理的な規範意識を与えられずに育ったゆえああいう行動に走っているのです、いっそ何かしらの実害を経験してみてくだされ、ピタリと止みますよ。なにせ彼らは「損だからやめろ」で動くのです、彼らに罪が及ぶようなことのない限り、とまらんのです》


「いいかいTWINS、君たち機械と違って人間には睡眠と休息が必要なんだ、そっとしといてくれ」


《ご主人様が気に病む必要も隠れる必要もないと言っとるのです。逃げるつもりかもしれませんが、正直言ってセンスを疑いますよ。》


廊下の向こうでは、女性社員たちの声が微かに聞こえる。


「なんかあの子、昼休憩もずっとデスクにいるよね」

「やっぱりオトコなの、隠してるんじゃない?」

笑い声が響き、すぐに消えた。

デスクにいる間は、比較的安全である。


彼ら、彼女たちがここで仕掛けてくることは、ない。


…監視カメラ。

かつてはどこにでもあったという。

鉄も石油も潤沢だったころの話だ。

なぜオフィスにだけ置かれているのかといえば――パワハラ対策と、業務評価のためだ。

そして、そこで名誉棄損行為が行われれば、即座に身分の特定と処分が下ることになる。

もちろん、ここでダラダラしているのも観測されているわけだが。

しかし、幸か不幸か、給料は入職から一向に上がる気配も、これ以上下がる気配も見当たらない。


《監視カメラも“言葉遊び”までは拾いませんからな。だからこそ、ああいう幼稚さがのさばるのです。監視カメラがどこにでも設置できていた時代が羨ましい、なんて思ったりしてませんか?それを監視社会というのですよ。西暦21世紀前半ごろ、まだ鉄も石油も潤沢にあったころの話で…》


「何だよ起きてたのかよTWINS。私は眠いんだ。」

そう、ケイはぼやいた。

雨合羽を兼ねた、ねずみ色のジャケットを、布団代わりに被りながら。


他のデスクから、弁当の匂いが漂ってくる。


ケイはといえば、水を一滴、口を湿らせるだけ。

《絶飲食ダイエットですか、ご主人様。だいいち、やつらの嫌がらせのやり方は幼稚すぎます。小学生レベルの連中だからもう、仕方ないのです。それにご主人様の対応も前時代的なのです、逃げてもろくなことありませんよ。トイレでいちいち絡まれないために飲まない、食わない。そのほうがよほど、体にたたるもんです。無視して一発でも殴られればいいのです。やったやつはプライマリコード違反ですからね。それこそ「損」をするわけですからな》


ケイはうつむいたまま、唇だけで「バッテリ、ぶち抜くぞ」とつぶやいた。


《消されなくても、自然に消えますよ》

とだけのこし、TWINSは自発的にシャットダウンした。



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