<石炭紀紀行> 「植民史」
ふと、地球で度々お世話になった、かかりつけの医者の顔が、頭に浮かんでいた。
ちょっと老け込んで、でっぷりと太った――他人より先に自分を治療したほうがよさそうな先生である。大学時代はあまりにもあちこちに調査に行くものだから、その前の予防接種ですっかり顔なじみになっていた。
「これまた…ずいぶんな冒険だね。このワクチン、僕も触るの初めてだよ。」
彼はそのメモリを入念に確認した。肥っているからだろうか、額に汗が浮かんでいる。チクッ、という感触とともに、終わる。
「はい、宇宙旅行一回分の注射」
――どれだけ高いか、ということである。
アリアが払ってくれなければ、確実に打たなかった。
「次は石炭紀に行きますよ、友人と二人で」
その医者は目を丸くして言った。
「二人旅?」
「二人ですよ、アリアと。」
すると先生はふん、と、ぽてっとした腹に腕を載せた。よく見ると、腕が組まれていた。
「大丈夫そう?」
「えぇ…たぶん」
私の声が少し震えていることを察した先生は、ゆったり、こういった。
「人といるのは疲れるし、人のことを考えると気が滅入る、って言ってたよね」
私は少し詰まった。
「正直…疲れますし、怖いです。もし人に興味を持ってしまったら…怖いんです」
先生はゆっくりと頷いて、考え込んだ。
「君は…身を守っているね」
「ええ。どうも敵意や悪意に関しては、人一倍察してしまうようで。彼らはどうでもいい、と思わないと、周囲が怖くて仕方なくなってしまうんです。だから、旅に行っても人が怖いんです。一度しか会わない人たちならいいんですが…その、ガイドさんとかと、衝突したり、ずっと離せないんじゃないかって」
すると先生はまたうんうん、と頷きながら、背もたれに身をゆだねた。
診察椅子が、きぃ、と悲鳴を上げる。
すると、ぐっ、と、上体を起こしながら言った。
「困ったら、僕の顔を思い浮かべなさい。で、問診するんだよ。どこで生まれたのか、家族は何人か、趣味は何か、酒、たばこ、ドラッグの有無、とかな。なんでもいい。聞いちゃいけないと思ったことこそ、敢えて聞いてみるんだ。拒否されてない限りな。僕は診療のためだが、旅先の君には、お互いを知るという明確な目的があるだろうし、ケイくんはそこまで聞けば、まず何かしら気になることがあるだろう。そうしたらそこに突っ込んで、知識の世界に入ればいい。そしたらもう、君の土俵だ。これ、安いものだからどうぞ。僕だと思って握りしめな。」
****
そしていま。――先生からもらったペンライトが、ポケットの中でこて、っと、触れた。
私は石炭紀に来て、まったく見ず知らずの人間と話し、今後1か月近い旅を一緒するためにお互いを知る必要に迫られている。
ポケットのペンライトをぎゅ、っと握ったとき、私はもう、躊躇していなかった。
リーリアさんには、悪いことをしたと思った。
さっき、名前をどう呼ぶかという話になった時…私はくだらない先祖のこだわりを想起したがために愛称で呼ばれることを拒み、結局名前のままの「ケイ」と呼ぶことを押し付けてしまった。
リーリアさん自身は、アリアにしか使われてこなかった、リリィ、という愛称を使ってくれと言ってくれたにもかかわらず。
それ以降、半径50センチのバリアーをまとってしまったようだった。
でも――何でも聞いて、って言ったよね。
なら、なんでも聞けばいいのだ。私は、ポケットのペンライトを握り締めた。
「リリィさん、ここのコロニーって、なんでこんなにブラジル系ばかりなんですか?」
聞ける範囲でいくらでも聞いて、そこから話を続けていけば、話せる。
ここは海辺の診察室。海の波は穏やかだけどポケットにはペンライトがはいってる。
この会話は必要、今後の旅の成功のために…
リリィは大きくウィンクした。
「いい質問ね!この星は殆ど、スペースコロニーからの移民からきてるの。かつて各国がこぞってスペースコロニーを打ち上げた時代、あるでしょ?」
――これなら話せる!というより、合わせてきてくれてる気がする。
「22世紀後半ですね。火星の援助で、大規模な宇宙移民があった。」
「そう!植民惑星が開拓されたとき、そこに移住したのは主に、いわゆる宇宙流民…スペースコロニーに住んでいた人たちだったの。コロニー、といっても、大型のシェルターみたいなものね。」
もう怖くない。私の顎関節にはもう、潤滑油がしっかり塗り込まれている。
「火星連邦の属国としてコロニーが建設された、と地球では習います。全世界の言語が英語から普遍共通語に切り替わって統一されたのが、おおよそ23世紀のこと」
「属国というより、奴隷制に近かったと聞いてるわ。超時空ゲートの誕生直前、父母の代には、火星人は外宇宙探査を研究するか兵役につき、働くのは宇宙流民ばかり…という社会が常態化していた、って。今の人たちは全然気にしてないけどね!」
「まるで古代ギリシャやローマだ」
「食料生産もほとんどを火星が持って行って、コロニーは常に飢餓状態。特に酷かったのは、地球―火星や火星―木星航路ね。何か月も、下手すると何年もすし詰め。」
リリィは声を詰まらせる。ふと見上げると、アリアが黙祷をしていた。
2週間ごときで音を上げていた私には、到底信じられなかったし、その辛苦には想像の及ばないものがあったから、申し訳ない、と思いつつその逃げ道もなく、ただ立ち尽くしていた。
「辛いことを思い起こさせてごめん。全然そんなつもりじゃなかったから。」
リリィは手を伸ばそうとして、一瞬止める。
「でも…博識なあなたも知らないって、地球には本当に情報が届いていないのね」
まさにそこだ。こんな話、本当に聞いていない。地球にとって都合の悪い話ではなく、むしろ敵対勢力と長らくみなされていた火星を叩くには絶好の材料だろうに。
「地球にいる限り、情報も重力に縛られてるからね」
「なにそれ」
「地球の情報は全部人工知能「アトラス」を通じてしか出てこないんだよ。しかも、そいつの頭、古くて不正確な情報の食いすぎで腐ってる。新しい情報も、思惑のある人次第でいくらでも操作できてしまう。アトラスを黙らせさえすれば、誰も知らないんだ」
リリィは大きく手を広げた。
「ひどい世界!自由なんてどこにもないじゃない。分かり合うんじゃなくて、無理やりわからせる世界でしょ、そこ。いや違うわね、そんな中じゃ、わからせられていることに、誰も気づけない!」
――その通り。その通りだよ。一を聞いて十を知る、って感じ…これは新鮮だ。
「地球は超時空ゲートができても景気が上向いて新市街ができたくらいしか変わらなかったけど、宇宙のほうはどうだったの」
「そりゃあもう!!!救世主よ。大手を振ってコロニーを挙げて植民に向かい、フロンティアを開拓しながら、数世紀ぶりの本物の重力をかみしめる。さいっこうじゃない!」
――そういうわけか。
ずっと疑問に思っていたことだった。
地球から5万人も人口を打ち上げるのは、だいぶ無理がある話なのだ。
軌道エレベーターで運べるのは、おおよそ20人が限界。ロケットでも、高速宇宙旅客機で10人、火星移民に使われたような超大型でようやく、100人。
5万人、だいたい大学2つ分の人数、というのは社会を回すには最低限の人数だし、むしろ、全く心もとない。しかしながら、輸送回数は500から5000回、ロケットにしておおよそ200万トンの燃料が必要で、現実的な数字ではない。
「なるほど、だから急激に開拓できたし、地球圏が普遍共通語に統一される前に地球を発っていたから、独自の文化を残すことができた。」
「そういうことよ!私たちのいたコロニーは、ノヴァ・ブラジリア。だからブラジル系ばかりで、公用語もポルトガル語。千年前のブラジルの後継国家ってわけ。」
しかし、ここで気づいた。5万人、というのは、宇宙において科学技術を維持し、コミュニティを維持するにはいささか、足りないのだ。
げんに、この惑星ではまともな地図さえ整備しきれておらず、最新のアップデートが都市近郊にしかなされていない。
――ということを踏まえて、聞く。
「5万人って、スペースコロニーとして多いんですか、少ないんですか?」
するとリリィはいう。
「火星の圧政から逃れて降り立った、この星は…火の惑星だったのよ」
その表情は、どす黒く感じるほど真っ暗闇で、眉をひそめた向こうでは、目があからさまに背けられていた。何があったかは想像に任せるしかなかったが、それでも大方は、予想できた。「火の星」という意味も。石炭紀は――酸素と火が支配する時代だ。
酸素濃度30%を超える石炭紀では、濡れた紙すら燃え盛る。
そんな惑星に植民すれば、大火災の頻発は、容易に想像できた。
ここまでの会話を静観していたアリアが、不意に上から割り込む。
そういうつもりはないのだろうけれど、身をかがめてもなお、どうしても声が上から降ってくる。物理的上から目線、というやつで、ちょっと気の毒だった。
アリアは少しだけ居心地悪そうに指先で髪をいじった。
「……ねぇリリィ、復興の方は、どう?」
その問いかけはどうしても、上からに聞こえてしまった。
いままで私だけが劣等感にさいなまれてきたけれど。
そういう、身体的なハンディキャップを抱えているのは、実はアリアなのかもしれない、と、ふと思うのだった。
「旧都は復興させない方針に決まったわ。開発計画は先送り、当面はパラーの拡充ね」
「そっか。」
「途中、寄っていい?」
「勿論!。話はつけておくわ」
リリィはそう言って、アリアの腰に、手を回した。
そんなとき、行きに乗ってきた高速船が、帰ってきた。
タラップを踏む足は軽くて、震えは止まっていた。
ようやく旅が始まった。そんな、気がした。
海風に吹かれて、前髪がちょっと、目にかかる。
**
鱗木の樹皮で固められた、象牙色の船内。
さっきのよたよた客船を見た後だと、ホセの持ってきた高速船がどんなに「賓客向け」だったのかよくわかった。
私はまた、内装を観察していた。どうも何種類かの鱗木類が使われているようで、葉枕の形状だけでなく細胞の配列などもちょっとずつ違っている。ああ、いい。ルーペとカメラを片手に、撮りまくった。
そんな私の後ろで、リリィはテーブルを、ぱし、と叩いた。
「話がどんどん膨らんじゃって!アリアの名前を出したら、なんかエンバートン家のご令嬢が来るとか、パーティーを開くべきだとか…」
「勘弁して、調査で何度も来たじゃない!パーティーなんてもう、懲り懲り。」
アリアは困惑している。
――いや、そこ驚くところか?と思う。
地球に亡命したとはいえ、家は正真正銘の火星貴族、地球側に降っても所有する月面鉱山で影響力は絶大。
いまさら驚かれても――元から、お貴族様じゃないか。
「その3年!植民惑星の統合総督府って現状、月にあるじゃない?で、月面で一番影響力あるのって、いまやエンバートン家なのよ。」
アリアはドンと手をつくと立ち上がろうとして、はっと何かに気づいたように座り直した。
「No way!実家は実家。私はただの研究者!」
「距離とってるからこそ、重要なの!ここ3年で火星の経済力はますます低下、有力者の財産は没収されて植民惑星に次々亡命。火星に従属してたスペースコロニーもみんな植民惑星に移住。実質的に火星社会、もぬけの殻よ。」
――一か月に一度しか便がないのに、よく状況をつかんでいる。私もうすうす勘付いてはいたが…
「今のあなた、火星の姫なのよ」
アリアは、ぬ、と背筋を伸ばした――瞬間、ゴトッ、と頭を船の梁にぶつけた。
「痛っ……! もう、この船、天井が低いのよ!」
そして長い手足を持て余すように縮め、ブンブンと大げさに手を振ってリリィの言葉を払いのける。
「それに!!もしあったら全権はT. rexに委任!首都はマルスからマーストリヒチアンに移転!恐竜が治める、恐竜による、恐竜のための国家……。A nation of dinosaurs! あたしはそれを観察して研究。それ以上の政治なんて、御免ね!」
「バカおっしゃい!」
このやりとりのテンションについていけていなかった私は、何とかそのすきにねじ込んだ。
「アリアが治める国、ねぇ…全然想像つかないや、でも少なくとも政治ほっぽらかして恐竜追いかけてるのは間違いない。すくなくとも、姫には似合わないよ。・・・少なくとも、動画配信してる分には変な動きはないよね?」
私は確認した――もしも、そうなったとしたら、もう友達ではいられなくなってしまうのが、怖かった。いや、怖かったというより、寂しかったということだろうか。
アリアはへらへらと笑って、両手を空に向けてひらつかせる。
「・・・ない!ぜんっぜん、ない。悲しいくらいにね。」
「よかった。」
「…ってまあ、私もないと思うのよね。さっきのは市長の妄想。火星人を火星人が束ねる、って構図がまず古い。財力にしてもあなた、自営業よね?だから財源にもならない。恐竜にいつ食われてもわからないような中生代調査が黙認されてるくらいだから、もし万が一があっても家としてはまったく痛くない。ってのが私の本音よ。」
――やっぱりこの女、切れる。
「ボクの推理も同じだよ。だいたい、地球の人たちも同姓だとは思ってても本家だとはほとんどだれも思ってない。問題は…なぜ市長が知ってたか、だよ」
「それは明快。だってこの15年に何回も来てるし、最初は両親同伴だったから。」
――保護者同伴?ちょっと見てみたい気はする。15年前――リリィと初めて会ったのもその時か。そして、両親同伴、というのがどうも気になってならない。
「ご両親、意外とアクティブなんだ、月面で記者会見してる印象しかない」
――行く直前にも見たぞ、パラジウム鉱山の件とか。ニュースでよく見る顔だったが、あまり、娘と一緒に旅行している印象はない。スーツをびしっと着こなしたビジネスマンとしての印象が強すぎた。オフィスや宇宙基地を闊歩するには似合うが、室内から出て、こんな泥臭い惑星を歩くような印象は、まるでなかった。
四六時中フィールドに出ているアリアとは――真逆だ。
「――あああああああもう!!!ああなりたくないのよ、私は!!!恐竜に食われる方がマシ!」
アリアは頭を抱えて叫んだ。
ああいう、政治や経済といったものから逃れたくて、アリアはフィールドワークをやっているのだろう、という予想は、やっぱりあたっていたらしい。
「保護者同伴の旅行って、やっぱり…」
大事にされてきたんだよな、と思ってうっかり口を滑らせてしまった。
「……保護者同伴、ね」 アリアは眉間に深いしわを寄せ、長い指でこめかみをぐりぐりと押し込んだ。
そして琥珀色の瞳が、すっと細められる。
「Give me a break.(いい加減にして)」
彼女は声を荒げ、テーブルに身を乗り出して私を威圧した。その迫力は、恐竜の咆哮に近い。
「そこがもう、ほんと最低なの。火星社会じゃね、親との旅行っていうのは、優雅なバカンスじゃないの。……Trial.(審判)よ」
彼女は私の顔を、その大きな手のひらでぐいっと掴むようにして覗き込んだ。
「火星のルールはいつだってシンプル。Survive or die.(生きるか、死ぬか)。親と一緒だったのは、私が死なないように守るためじゃない。……私が『使える駒』かどうか、見極めるためだったのよ」
そう、彼女の語る「家族」は、地球的な温かさとは程遠い、もっと冷徹な儀式だったのだ。
たしかに、そういううわさは聞いたことがあった。
“宇宙航海できないようでは火星では成人できない”というものである。
しかし、さすがに与太話だろうとは思っていた。
――だって一人前に一人で宇宙航海する、という発想自体が、地球人には全くと言っていいほど欠如しているから。
よくある「火星人ジョーク」だろうと思っていた。
“火星人は宇宙線に耐性を持つよう遺伝子強化されていて、地上では100まで老けない“とか、そういう与太話。
「で、その初航海がここだったってわけ」
――つまり、そんな特別な場所に、私を招いた、ってことか。
リリィが小さく耳打ちした。
「買いよ」
――意味することは、なんとなく分かった気がした。
将来株が上がるかもしれないから、親しくしておけ、ということである。
しかし。
「ああああもう!そんな面倒ごと、巻き込まれたくない!」
と私はつい、叫んでしまった。
一番笑い転げていたのは、ほかでもないアリアだった。
さっきアリアがそっくりそのまま、同じようなことを叫んでいたと気づく。
地球から一回のロケットで打ち上げられる人数はせいぜい100人(スターシップで。)、軌道エレベーターで上げるにしても一回当たり10人程度。となると、宇宙移民は2~3桁から始めねばならないことになり、そこで文明を築くことは著しく困難です。宇宙で人を増やすには、宇宙に人を送り込むよりも、宇宙で人を増やすほうが遥かに合理的であるということです。スペースコロニーは非現実的――というのは言われがちですが、月面上や小惑星くりぬき型であれば、そこまででもないのかもしれません。
別の惑星に植民するためにはまずその文化圏を支えうるだけの人口を投入しなければならないわけですから、植民計画を立てる上でスペースコロニー政策がすすめられていくのはある種必然的な帰結と言えるでしょう。




