<宇宙から見る、石炭紀の地球> パンサラッサ
かつて世界を支配し、そして消えてしまったものほど、人の興味をそそるものはない。
プラトーンが「ティマイオス」および「クリティアス」で語った巨大な島、アトランティス。
かつてあったという、豊かな農産物やオリハルコンをはじめとした鉱産資源について、プラトーンは筆を惜しまない。
彼の言うには、それはリビアやアジアより広大な島であったといい、ありとあらゆる果物があり、あらゆる動物のための食料があったという。
内が豊かなだけでなく、多くのものが外国からもたらされ、都市でも田舎でも必要なものはすべてそろっていたのだとか。
そう、エジプトやティレニアに至るまでを支配する、覇権国家であったと彼は説く。
しかし――その繁栄を今に伝えるものは、なにも残っていない。
プラトーン自身「のちに地震で沈没し、船乗りにとって通行不能な泥の障壁となった」と、書き残している。
――以降、誰もアトランティスについて、どこだという確証のある答えを出せていない。
割と近くの話では――史上最大級の国家であったモンゴル帝国やソヴィエト連邦の残滓がどこにも見当たらない、というのは象徴的であろう。
そしてアメリカ合衆国の残滓もまた、いまは火星連邦に残るのみであり、地球からはすっかり姿を消してしまった。
失われた国、失われた言葉、失われた世界、失われた生き物。
私はそれらに、惹かれてならない。
失われたものに、私は惹かれている。
いまは触れられない、ということに対してのロマンなのか、失われてしまったから何を言ってもいいということなのか、なぜ失われたのか、ということへの興味なのか。
ーいや、己の虚無に向かい合っているのか。
それらの答えに、はっきりとした理由を見出すことは、なかなかに難しいことであって、自らの中にある最も深淵なるものと向き合う覚悟がいるだろう。
目の前の青い星、石炭紀の地球を埋め尽くす大海。
パンサラッサとよばれる、太平洋の2.3倍の面積を誇る大海もまた、そんな、「失われた海」である。
その大海をなす深海底は、3億年の時を経て、いまやどこにも残ってはいない。
――なぜか。
それには、海洋底拡大説とプレートテクトニクスについて触れなければならないだろう。
そう思って、私はまた、エッセイを書き始めた。
そんな中、ふと、目下の青い星に目を移す。
私はいま、石炭紀の地球を目の前にしている。
これから降下する石炭紀の惑星において、パンサラッサはまだ、生きている。
そして――あまりにも、大きすぎる。
もし仮に私がこの大海を地上から見たとしよう――
多分、「海は広いな、大きいな」という感想しか、出てこないはずだ。
大きいものとは、距離をとるくらいがちょうどいい。
地球の半分以上を占めるだだっ広い海との最適の距離感は、たぶんいまここ、宇宙からだ。
残念ながら雲と違って、肉眼で海の流れや深さをつかむのは難しい。
この宇宙船には、安全な着陸のために様々な気象観測機器が搭載されている。
さらに、大学の研究のため、過去観測のための様々な観測機器を搭載してもらっていた。
――調査のための宇宙船というわけではない。
あくまでも植民市に向かう貨物船であるから、積み込みとそれによるペイロードの喪失について、大学側がどれだけ頭を下げたかと思うと、想像するだけで心窩部になにか、熱いものを感じてしまう。
もし私が頼み込んでいたら、なぜかライフカプセルのエアロックに「不備」が生じていたかもしれない、とすら思う。
頭が下がる、ばかりである。
私はモニターを観測装置とリンクさせた。
<船内観測システム>のメニューが表示される。
――AIの生成ではない、いままさにリアルタイムでとられている、大量の生データ。
詳細な解析は古気象研に任せることとして、まずはこれから訪れる星を、観察してみよう。
何十という色分けされた地球儀のプレビューが並ぶ。
数百の波長を同時に計測する多機能高分解能分光観測システムをはじめとして、観測者にとってもはや情報を一つ一つ取捨選択するのは難しいほどの情報量である。
だから、シンプルに「Thermo」と名付けられたセットを選択。
マイクロ波と赤外線を組み合わせた温度推定により、モニターには海面温度の簡易サーモグラフィが映し出される。赤外線は雲に弱いため、マイクロ波で補完するというわけだ。
さらに、Velocity & Vectorから、Marineを選択。
レーダーによる海面高度とマイクロ波および海面上を吹く風によってできた波の計測により、表層における海流の速度と向きが推算され、ここにサーモグラフィが加わる。
まず、赤道に沿った、暖流をあらわす赤い帯。暖流が生じている。
――それが、海半球側から見ると、赤道を挟んで北は時計回り、南は反時計回りに流れている。
北極周囲では北極周極流が流れ、紺色のバンドで示されていた。
――ふむふむ。
そもそも、海流とは、何か。
読んで字のごとく、海の流れだ。
コップに水を入れても、流れは起きない。
それを動かすのは、風の向き、それに関与する地球の自転、水の密度、それに影響する温度、そして最後に、地形だ。
地形に関しては、ほとんど海の半球といってもいいパンサラッサにおいてはあまり大きく影響しない。一方で、風は遮るもののないパンサラッサでは、強烈なものとなる。
――いまだにパンサラッサ横断航海は困難なものであるというから、相当だ。
まあ、造船技術がうまく導入できていないせい、とも考えられるけれど。
そのため、地球の自転により駆動される貿易風が作る熱帯域の海流は、現在の海流に比べるといたってシンプル、かつ、ダイナミックだ。
教科書的といっていい。
パンサラッサには貿易風を妨げる障壁はなく、さらに海流自体が大規模で速い。
最も似ているのは、現在の北太平洋にみられる北赤道海流、および東アジアを北上する黒潮、北米を南下するカリフォルニア海流がなす、北半球旋廻だ。
パンゲア西岸沖から南下し、貿易風により加速された赤道海流はパンサラッサ東岸に向かって流れ、そこで北上していく。
また現在の北米にあたる地域の沖合には、貿易風によって表層の温かい海水がどけられて大規模な湧昇流が起き、赤道付近にもかかわらず水温が22度程度しかない。
冷水舌である。
大規模な湧昇流は深海の栄養塩を運ぶ。クロロフィル推算濃度がここだけ、若干上がっていた。良い漁場になりそうだ。
では、高緯度に目を向けてみる。
現在の南極大陸と同様に北極の海氷の周囲には周北極海流が形成されており、非常に安定した低水温域が確立されている。
これは、やや南太平洋や大西洋における様相と似ている。
これには正直、とても驚いた。
というのも当時の北極には大陸はなく、「氷のない極地」として描かれることがほとんどだったからだ。
地球の両極に氷が張っているのは新生代氷河期くらい――と思ってきたが、どうもそうではなかったらしい。
そうこうしていると、丸い水平線の向こうに、少しずつ陸の形が見えてきた。シベリア大陸と北中国陸塊の周囲には、ぽつぽつと、島も見える
――これらがいずれ大陸に“取り残され”、秋吉台などの付加体となると思うと、まったく、胸が躍ってならない。
こうした、海洋プレートから突き出した島や海山、サンゴ礁は海洋プレートがみんな沈み込んだとしても、陸側に「ひっかかって」残るというわけだ。
そういうタイムカプセルを通じて、古生物学はパンサラッサの環境を推測してきた。
しかし――目の前に広がる、惑星の2/3をも占める巨大な海のうち、少しでも状況がわかっている地域がほんの、ほんのごくわずかにすぎないことは、本当に胸を躍らせる。
――パンサラッサは、誰も何も知りえない、ブルーオーシャンなのだ。
宇宙船は、まだ漂流を続けている。着陸までには、まだまる数日、かかる。
作者あとがき:
本作では周北極海流を想定している。これは
Macarewich & Poulsen (2022) における、ペルム紀前期の氷期シミュレーション(CO2濃度=現在と同程度)をベースとしている。北極圏に氷が張る石炭紀復元はやや異端ではあるのだが、本作では採用した。理由として、ペルム紀最初期と並んで後期古生代氷河期の最強期に相当するこの時代では、CO2濃度は現在未満であったと推定されること、さらにこのシミュレーションでは北極に氷が生じ始めた場合周囲に周北極海流が生じ、さらに北極への海氷形成を促進すること、そして現時点では初期パンゲアにおいて、海底地形を考慮に入れた海流シミュレーションはほかにないためである。本来なら石炭紀中期~後期前半におけるシミュレーションが欲しいところなのだが、ご了承いただきたい。
Macarewich, S. I., & Poulsen, C. J. (2022). Glacial‐interglacial controls on ocean circulation and temperature during the permo‐Carboniferous. Paleoceanography and Paleoclimatology, 37(11), e2022PA004417.




