アロー・ワームズ
漁獲されたものの、2番目に多くを占めるのが、透明な、稚魚にもよく似た生き物である。
しかし、本物の稚魚とは少し、質感が違っている。
なんというだろうか、本物の稚魚がガラスでできているならば、それはポリカーボネートでできているような、感じがする。
透明感は高いものの、光沢が少し、まったりしていて、その界面での反射もすこし、鈍くて、灰色を帯びた感じがする――ぬめっとした光沢がないというか、海水よりも淡水に似た質感であるというか、そういう感じなのである。
さて、そうした小さな透明の生き物は、跳ねるようにして水面に向かって泳いだかと思うと、また尾を下に降下していく、という動きを繰り返している。
中には、腹のなかに小さな「えび」を捕食したのがよく見える個体もあった。
――ヤムシの仲間だ。
化石記録にはろくに出てこないくせにサンプル中には文字通り大量に含まれていて、おそらく漁獲された透明な「なにか」の多くの部分を、ヤムシが占めているのだろうと思われた――ヤムシが現在の漁業では食卓に上ることがまずないことを考えると少し驚きである。
いや、ヤムシの現存量が非常に大きいのに、現在の海においては漁獲対象としてまず扱われないことの方をむしろ驚くべきなのかもしれないが。
さて、ヤムシという存在を耳慣れない読者も多いだろう。
ヤムシというのは、稚魚にきわめてよく似た生き物だ。
透明な、細長い魚を、横倒しにしたようなものを考えてみてほしい。
小さな三角形の尾鰭があることが多く、身体の左右に左右対称な、平たいひれがある。
背びれと尻びれによく似ている。
カレイをうんと細長くすれば、かなり似た形になる。
だからまるで胸鰭と腹びれのない稚魚が、横倒しになって泳いでいるような印象を受けるし、大きくても数センチというサイズ感もまた、稚魚とそっくりである。
稚魚と見まがうことすらある。
稚魚ではカメラ眼が発達するのが普通だが、そもそも目が未発達で、目立たない、機能していないような稚魚も、とても多いから紛らわしい。
大学の航海実習を思い出す。
がま口ネットといって、深度ごとに口を開けるプランクトンネットがある。
ある一定の深さから口をあけてプランクトンを採取して、また口を閉じる。
つまり、たとえば深さ20mで口を開けて、10mで口を閉じれば、水深20mから10mのプランクトンが採集される。
これを使った調査をしていたときのことだ。
プランクトンネットというのは――漁網や虫取り網と違って――その底にサンプル瓶がついている。
ネットによってこしとられたプランクトンは底に向かって溜まっていき、濃縮されたプランクトンの”スープ”ができあがる。
だから、引き上げられるとまず、そこにピンピンと泳ぐプランクトンを目視することになる。
それを覗いたある同期が、こんなことを言った。
「海の中がこんなに稚魚だらけだし、みんな育てられたら海も魚であふれかえるのに」
次の瞬間。
「よく見ろ馬鹿もん!」
怒声が響き渡った。
同乗していたTAの先輩であった。
あとで計数してわかった。
小瓶のなかでピンピンとはねまわる透明な生き物はみんなヤムシで、じつのところ稚魚なんて、一匹も混じっていなかったのである。
現在の海洋ですら、外洋に出れば最も個体数が多い大型動物プランクトンはカイアシ類で、次はヤムシ類だ。バイオマスで見てみても、恐らくその順位は変わらない。
ネクトンを含めれば、おそらく魚が2位前後に入るかもしれないが、よくわからない。
外洋のプランクトンと魚類の集計が異なっているので、おそらく、をつけざるを得ないが。
*補足参照。
さて、このように、大量にいるはずなのに影が薄い、透き通った「なにか」――それがヤムシ類である。
その個体数も質量も、多いのか少ないのかすら、現代においてすらよくわからない。
ただ間違いなく、少なくは、ない。
化石にしたって――その顎が微化石として残ることがあるとはいえ、それが研究されることはごくまれだ。古生代の外洋がヤムシ類に支配されていた、といっても、それを支持する証拠もあまりなければ、否定する証拠もとくにみあたらない。そもそも、古生代の堆積物においてヤムシの把握棘や化石の観察を行ったという研究が、頑張れば列挙できるくらいにしかないのだ。
さて、稚魚とヤムシはよく似ている。
とくに動き。時々、ピクピクと泳いでは動きを止めるあたりもそっくりだ。
しかし、沈み方が、まったく違っている(場合がある)。
稚魚はふつう、頭を下に沈んで、水平をキープしようとする。
つまり、上向きに泳いでいった稚魚は、そのまま放物線を描きながら、頭を下にして沈んでいき、滑空するというわけだ。――とはいえ小さな生き物にとっては水の粘性が強いために、滑空するといっても大したことはないし、頭を下に沈まない稚魚も沢山いるのだが、やはり頭から沈むものが多いという経験則は成り立つような気がする。
まったく事実無根な経験則というわけでもなくて、ものすごくあたりまえのことだが、頭があって、頭蓋が骨化しているのと、頭部を中心に前端に臓器が集中するからではなかろうか、と思われる。
骨化したものは、重い。
紙飛行機を折るとき、紙飛行機の先端を折り込んで密度を高くしたり、先端に錘をつけたりする。
そして放り投げれば、放物線を描いて前に進む――それによく似ていると思う。
脊椎動物のことを有頭動物ということがある。
いやむしろ、そのほうが望ましい呼び方であるとも思う。
同じ脊索動物でもナメクジウオやオタマボヤと魚の稚魚を比べて一番に気づくのは、頭と、頭の周りに集約された臓器の集塊だ。
脊椎動物とは、頭の動物なのだ。
しかしながら、ヤムシは違う。尻の方から落ちがちなのである。
どうも胴体の後部のほうが重いことが多いようで、ピクピク、と上に向かって泳いだかと思えば、動きを止め、後部を下にして沈んでいってしまう。
また同じ深度くらいまで沈んだかと思えば、またピクピク、と泳ぎ始めて、上昇する。
しかし不思議なことに水平は保たれていることが多いし、上を向いたまま沈めば同じ軌跡を描いてもといた場所に戻ってしまいそうなものを、不思議なことに垂直からやや前向きに沈んでいって、少しずつ移動しているように見えるのだ。
何も考えていないように見えて、恐らく全身に生えた、見えないほど小さな感覚毛で姿勢や流速を感知して、左右の鰭のテンションを少しずつ変えつつ、その角度を微調節しているのだろう。
そして、左右の鰭は波打たせて動かしたりはしないにもかかわらず、あたかもすっと水平移動するかのように、優雅に浮遊することすらある。
さて――ここまで読んできて、ヤムシが魚に比べてひどく劣った生き物のように思われるのならば、それは大きな誤解である。
先にも述べたように、外洋の小型生物としてヤムシ類は、現在においてすら、魚類より繫栄しているようにすら思われる。
種数は少ないが、個体数の面ではヤムシの存在感ははるかに大きいし、ヤムシのサイズ感のまま成熟し、一生を過ごす魚類――ヤムシのニッチを奪いに来るような魚類――が外洋に皆無であることを忘れてはならない。
魚類の最小サイズはもっぱら、淡水や汽水域、沿岸域において達成され、ヤムシ類が優占する外洋域ではない。
外洋性のハダカイワシ目やヨコエソ目には小さな種もいて、長さの面では一見同クラスのように思われるかもしれないが――標本も写真も見たことがないならともかく、違いは一目瞭然だ。太さも厚さもヤムシ類とは全く異なっていて、同じ長さでも質量では少なくとも数倍以上、しばしば1桁以上の差がある。
比較するまでもない。
むしろ、互いにニッチの重複を避けているようにすら、思うことがある。
ところで、魚の中にも、外洋域ではあたかもヤムシのように――沈んでは、上を向いて泳ぎ、を繰り返す魚がちらほらと見あたる。いわゆる深海魚と言われる類に多い。
これらはヤムシ類と一緒に日々、垂直に何百メートルも移動し、表層と深海を行き来している。
一見あまり合理的に見えないその行動は、やや、垂直離着陸する再利用ロケットに似ているように思われた。
つまり、主要な駆動力が後方にあるのだから、上昇するためにはそれを真上に近く推力を発生させた方がいい。
しかし水の抵抗を受けて長くとどまったほうがよい。
身体を横倒しにして、粘り気の多いミクロスケールな水の中でゆっくりと沈降し、徐々に尾が下がってくるとまた上に向かってダッシュするのだ。
ダッシュするためには水の抵抗が少ない、矢のような形がよく、抵抗を稼ぐには全身が細長い、棒のような形が都合がいい。
再利用型ロケットでも、全体を水平にして”ベリーランディング”することによって減速するものがある。そして、最後にはまた尾部を下にして逆噴射するのである。
目の前にいるヤムシの動き、そっくりだ。
ヤムシの鰭もその制御翼として働くのであって、イカのように鰭をばたつかせて泳ぐのではない。
ロケットの制御翼と、まさしくよく似ている。
中身をみても、ヤムシの体はまるでロケットみたいだ。
2つの横隔膜によって、前から3段に分かれている。頭、胴体、尾。
そして、これもまた奇妙なことに、身体の正中線上には縦隔膜というのが走っていて、身体を左右に二分している。
頭には顎毛や歯といった、摂食用の器官が配置されていて、他にも小さな脳と、小さな眼点が1対ある。
そして、その後部は横隔膜で仕切られている。
胴体には腸管、そして脳よりはるかに巨大な腹神経節、そしてその後半には雌性生殖腺がある。
肛門は腹部の末端にあって、そのすぐ後ろには、また横隔膜がある。
そして尾部には雄性生殖腺がある。
雌雄同体なのだ。カタツムリなどと同様に両性具有な成体どうしが交接するのだが、その前には奇妙なダンスを伴ったりするものもいる。
ヤムシは透明だから、こうした奇妙な構造がよく見て取れる。
さて、ヤムシといえばその、発達した顎毛だ。
現在のヤムシはこの顎毛が非常に発達していて、これを使って獲物を狩る、肉食性の生き物である。
自身より大きな獲物を狩ることもある、貪欲なプレデターだ。
ヤムシは、触覚によって獲物を察知すると言われている。
体の各所に扇状の感覚毛の束―触毛斑という―があり、これで振動を察知する。
そして獲物が接近し、その動きや振動が感知されると、顎毛を覆っている外套が引っ込んで一瞬のうちに顎毛が左右方向に突出し、獲物に突き刺さる。
その顎毛からは、ふぐ毒で知られる神経毒のテトロドトキシンを出すものもあるという。そうした種では、まるで毒蛇のように獲物を麻痺させて仕留めるらしい。そして頭の前端にある歯と口の左右にある顎毛を使いながら獲物を口に押し込む。
しかし。
採集されたヤムシ類の中には、そうした立派な顎毛が目立ち、ときに獲物を飲み込んだ状態で見られるものも、たしかにいるが――そうしたものが見られないもののほうが、むしろ多数派であった。
そもそもヤムシなのかも疑わしいように思えたが――その鰭といい、透けて見える生殖腺や神経節の配置と言い、横隔膜や縦隔膜の配置と言い、やはりヤムシとしか考えにくい。
そして体の真ん中には、暗緑色に充満した消化管内容物が充満しているのが見える。
これにはたまげた。
現在のヤムシにも、必ずしも肉食性でないものがいるという。
渦鞭毛藻を食べることがあったり、マリンスノーを食べる例も知られている。
――しかし、そうした種にあっても、顎毛はやはり保たれている。
しかし、顎毛が退化したこの石炭紀のヤムシは、おそらく顎毛を用いないで済むような獲物を食べるか、もしくは浮遊する有機物を食べるのだろう。
もし、完全な草食性ヤムシとしたら、わりとニュースものだ。
後期石炭紀、イリノイ州のメゾンクリーク生物群からは、軟組織を保存したPaucijaculum samamithionが知られている。このヤムシ類は、奇妙なことにふつう最も保存されやすいはずの顎毛が保存されたためしがない。もしかすると、それも本当に、顎毛が目立たないほど退化した種だったのかもしれない。
*補足
とくに魚類に関しては、やっかいだ。
魚類は浮袋を持っているので、音をよく反射する。海上から音響で推測された量に基づいて、実測されてきた数値より1桁以上大きい、カイアシ類に迫るバイオマスが想定されている。しかし、本当にそうなのかは、いまだによくわからない。クラゲのような、ガスを含む生物を見ている可能性がある。
ただまちがいなく言えることとして、魚は1個体あたりが重い。いくら重くても個体数から言うと大したことがない。さらに、魚類バイオマスが大きいといっても、多数派を占めるのはワニトカゲギス目とハダカイワシ目、あとはニギス目が入るかどうか…のようで、どれも食卓からは縁遠い存在である。
現代の海においていったい何が多い生き物なのか、ということすら、人類はまだよく知らないのだ。
今回のエピソードはPaucijaculum samamithionには鰭や体が保存された例が多数知られているのになぜか顎毛が知られていないという話と、Eukrohnia hamataが雑食性疑惑があるという話をベースに書きました。
実験的にも顎毛が化石化の過程で最後まで残るということが知られているので、やっぱり保存されないのは変な話です。
顎毛がないのにヤムシっぽさを出すにはどう語るかなぁ、と思っていたら、なんかヤムシ類の総説みたいになってしまった。うーむ。




