ダンゴウオと毛をむしったウサギとアメフラシを足して、3で割ったような。
ふと海を覗けば、“それ“がこちらを、見つめていた。
巨大な2つの目は虚ろで、どこも見ていないかのようで、しかしこちらをたしかに、視界に入れていた。それはただ、存在していた。ひたすらこちらを観察しているかのようでもあり、無関心であるようでもあった。それは知りうる生き物のどれでもなく、ましてや魚のようには思われず、そのどこか哺乳類を彷彿とさせる口元からは、白い歯が覗いた。
どろどろに溶けたあとに固めたような、姿のつかめないその肉塊、それはどこか、アメフラシに少し似るところもあった。岩と溶け合ったそれは――ぬらぬらと、こちらに向かって這った。
私の心臓には、鉛が詰まったような気がした。
足元が一瞬、ふらついた気がした。
よろよろと後ずさりして岩に腰掛ければ、ぜえぜえと、肩で息をしていた。
得体のしれない“なにか“と、知覚しえないはずのものを区別する手段は、そこにあるだろう。息を粗くしながら、おそるおそるそれを覗けば、その2つの目が、ぎろりとこちらをにらんだ。
恐れるようなものではない――大きさは、大きく見積もっても40㎝ないくらい。
ええ、恐れるようなものではない。
しかしその妖怪はこちらをとらえて、ずるずると、石炭紀の海の深淵に引きずり込もうとしていた。
――その時だ。
ボコボコとした泡と一緒に飛び出してきたのは、アリアであった。
背中には、例の銃みたいな毒銛が背負われている。
「ぷはー、7匹目!」
さっきの得体のしれない“魚”をしっかりと網に納め、もう何匹も魚が詰まった袋を引っ提げて、だらだらと水を滴らせながら、陸に上がってくる。
そして、袋に入ったそれをぐっと突き付けた。
「大漁、えへへ」
今やそれは、鈍くばたつくものの、袋に入ったこんにゃくの塊みたいだった。
――そして、怖くはなかった。
それはもはや、得体のしれない妖怪のようなものではなく――目に見えて、触れられる実体であるからかもしれない。
しかし、虚ろで、しかし巨大な目がぎろりと動くのを見ると、やっぱり不気味だった。
そして、そのぐにゃぐにゃしたからだがまったくもって、ぬめぬめしておらず、むしろザラザラであるのも最低に不気味さを増した。
水槽にぼちゃり、と投げ込むと、それは全く泳ぐことをせず、どろり、と水底に転がるのみ。
それは魚というより、粘土をこねて魚のような形に仕立てようと努力したような代物であって、しかしどの魚の形にも成し得なかった。
ダンゴウオと毛をむしったウサギとアメフラシを足して、3で割ったような。
「雑にあげすぎて、衝撃で死んじゃったかな…」
とアリアはしょげている。
「まさか。むしろ動いてる方が心配だよ、死んだふりに一票」
数秒たった。
すると、――まるで貝類のように、ぬらりとその体を起こせば、大きな半円形の胸鰭をぬらぬらと波打たせながら、ゆっくり、ゆっくりと這いはじめる。
――やっぱり、アメフラシに似ている。
水槽の真ん中に差し掛かったとき、カメラが一斉にシャッターを切る。
すると――また、死んだようにごろりと、横たわるのだった。
「何これ」
「わかんない。」
アリアは手を空に向けて、ぶらぶらさせた。
「だよね。」
「これだけいるんだもん、歯には何かしら名前ついてるでしょ、たぶん。」
「誰も見たことのない、既知種ねぇ…」
二人して、乾いた笑いを浮かべるほかなかった。
たしかに、新種かもしれない。
しかし――姿が皆目不明ながらも歯だけは知られている、という生き物は極めて多くて、そうした場合はしばしば、歯のほうが名前の先取権がある。
アリアは一匹ずつ撮影すると、またネットを片手に海へと駆け出して行った。
後ろ姿を見送りながら、思う。
――少し、嘘を吐いた。
じつは水槽にいれたころから、分類群の予想はついていた。
おそらく、ペタロドゥス類Petalodontiformesのものであろう。
ごく数種、具体的にはJanassaやBelantseaをのぞいて、ほとんど歯しかみつからないものだから――その多様性は化石から知られるより、はるかに高かったはずである。
したがって、それが名状不能な形態をしていても――おそらくそれであろうと納得することはできた。それに、他にそのような形態をとりうるであろうものがないこともまた、だいたいは知っているつもりであった。
――しかし、恐らくそうであるというだけであって、自信をもって知っているとは到底言えないものであることをご容赦いただきたい。ただ、それを突き詰めていけば、古生代の生き物なんてどれも知っているとは言えないものであるから、匙加減の問題ともいえよう。
ともかく、あの魚は、だれも見たことも、想像したこともない代物であった。
いきなりペタロドゥス類かな、と思えば、言い出せば、あんなに怖くはなかったのかもしれない。しかし――それでは、何か大切なものを、失ってしまうような気がした。




