腕足類2/アヴィクロペクテン
いよいよ、目の前に広がるのは、海である。
眩しいくらいに青い海の底からは、ドーム状の石灰海綿、カエテテスChaetetesの塊が、あたかもサンゴのように突き上げている。そして、いくつもの黒々としたウミユリの萼の影が、底から立ち上がっているのが見えた。
沖合を見れば、つむじ風みたいにくるくると、三角形の鰭が回っている。
箱眼鏡を通してみた底には、一面の腕足動物の森が広がっていた。
鉤が先端についた棒でこそげ落として、いくつか採集しておく。
しかし、引っぺがす最中にいくつか、割ってしまった。
見れば、ふくよかな殻の中身のほとんどは、触手冠がくるくるとゼンマイ仕掛けのように巻いているだけで、肉などほとんど見当たらない。
鰓すら、ない。まるで触手冠が巻いた、ドライヤーの中身みたいだ。
みそ汁の具には、ちょっとなりそうにない。
割れ目から殻をこじ開けると、綺麗な左右対称だ。
殻の形だけではない。”中身”の触手冠も、筋肉もまた、綺麗に左右対称に配置されているのである。
腕足動物と二枚貝は、全然違うということを改めて見せつけられる。
典型的な二枚貝、アサリやシジミーーいまではすっかり、ローカルな郷土料理になってしまったが――を食べてみれば、よくわかることだ。
二枚貝の”中身”には明確な、”左右差”があるように見える。
食卓がわかりやすい。
例えば、アサリの砂抜きをするにしても、水を吹く入水管と出水管は必ず片側から出て、しかも足は逆にある。なのであたかも、サザエのような巻貝に似た生き物を、左右から、殻の蝶番を軸にして対称に押しつぶしたようにみえるのだ。
さらに、バネのように勝手に開いてしまう貝殻を、無理やり閉殻筋でつなぎとめている。
だから焼くと開くのだ。
でも、腕足動物は違う。殻の中心に対して、左右対称だし、開殻筋と閉殻筋が制御するので、焼いても、死んでも、殻は開かない。何なら腐るパーツすらろくにない――ので、殻はしばしばくっついたまま化石になって、内部までよく保存されるのだ。
さて気を取り直してまた海を覗けば、こんどは見慣れた姿の貝が群生していた。
それはまさに、3億年後の姿とそっくりだ。
食指も、自然と動いた。
小さな小さな、ホタテガイ。
そのありがたさというか、見たときの安心感と言ったら、なかった。
3億年たっても、ホタテガイはホタテ貝の形なのだ。
ただそれはホタテと言っても、親指の爪くらいの大きさしかない。
――それも、小柄な私の親指だ。
食べるなどという大きさでもない。
しかし、そう安心してから、ふと不思議に思って仕方なくなった。
ホタテというのは泳いだりくっついたりと、割とせわしない生き物のように思う。
ホタテのような貝殻は、よくモチーフとして取り入れられるように、左右対称で美しい。
しかし、あの、二枚貝にもかかわらず左右対称に近いというのは、だいぶ変なことなのだ。
二枚貝としては異常である。
耳のように発達した突起にしても、水を噴射するときに左右均等に吹くことで、一回転して同じところに戻ってしまわないように左右均等にしているのである。
それなのに。
ホタテやその仲間はしばしば、固着して育つし、はじめくっついて育って、あとで離れるものもある。
もう泳ぐにするか固着するにするか、どっちかにしろ、と思ってしまう。
そんな、どっちつかずな戦略を3億年も続けてきたのか?
そう、問いかけてみたくすらあった。
さて、殻をみて何者か、確認しておこう。
太いものと細いものが交互に織りなす畝のパターンからして、おそらく、アヴィクロペクテンAviculopectenであろう。足糸がついたままパクパク動いて、結局動けないのも今と同じだ。




