シーラカンス
潮だまりの底、砂の中には、まだ見ぬ生き物たちが眠っている。
かもしれない、ではない。絶対にそうである。
この磯に、石や岩、という概念はないが――死んで崩れかかったケーテテスやソレノポラの破片をひっくり返すと、もわりと泥煙が立ち上がる。
そして、その泥煙をメッシュで濾せば、上から見るだけでは決して見つけられないような、1ミリにも満たないような、奇怪な生物が見つかる。その中には、胴甲動物や動吻動物といった、耳慣れない門の動物も含まれている。いくら目を凝らしても見えないものたちが、泥や砂の中には沢山潜んでいるのである。
あるいはそこまで小さくなくても、目につくような、数ミリサイズの生き物も多い。
たとえばカイミジンコの仲間や、数ミリ台のシャミセンガイの仲間であるとか。
これらは化石に残る可能性はほとんどなく、もしあったとしても研究に使えるレベルであることはほとんどない。
さて、そうした小さな、見えないような生き物を狙っているのは、私だけではなかった。
潮だまりの魚たちは、どうも人間という存在を知らないらしい。
それもそうであろう。そもそも、後期石炭紀には、海岸をうろつく陸生四足動物という概念すらろくにないかもしれないから。
ゆえに、私が盛大に砂や泥を巻き上げながら採集していても、周囲に寄ってくる。
その多くは銀色に光るパレオニスクス類の稚魚で、まれにより細長い棘魚類、おそらくアカントデスが、その頭をぱっかりと横に開くようにして口を開けるのがみえる。
その中に、落ち葉のように漂う、茶色い影があった。鰭をひらり、ひらりと時折動かしながら、なかば倒立しながら移動している。
精巧なカモフラージュは、あたかも枯れ葉のようにみえた。そして、パレオニスクス類の稚魚が近くをかすめたとたん…突然口を開いて噛みついた!
そのまましっかりとくわえ直して飲み込み、またあたかも浮いた木の葉かゴミのようにふわふわと浮きながら、水中を漂っている。
さっと金魚網を取り出して掬おうとすれば、思い出したかのように軽く跳ねた。
しかしそれものろくて――そもそも網というものを知らないかもしれないが――いとも簡単に捕まってしまった。
――さて、何であろうか。
というまでもなかった。
色と大きさは違えど、現代のシーラカンス・・・いやラティメリアと同じである。
あまりにも、同じすぎる。
かたろうにも、あらためてシーラカンスとはなんぞや、という話を繰り返すことになる。
無粋なので、やらない。
もう少し遊び心があっていいだろう、とでも言いたくなる、ただの小さなシーラカンスだ。
そっと透明容器にいれてみれば、またあの、胸鰭と腹びれを交互に躍らせながら、倒立したり、また水平に戻ったりしながら漂っている。
そして、ふらふら、と海面に近づくと、息を吸った。
ちょっと、ベタにも似ていると思った。あれはラビリンス器官だけど、ノリは似ている。
――浮袋を脂肪で満たしてしまった現生種とちがって、この原始のシーラカンスはまだ、肺をもっているらしい。
今日は昼間に狩りをする様子が見られたが、現在のシーラカンスのように電気受容器で獲物を見つけているのだろうか?謎は尽きない。
とりあえず生かしておいて、あとで撮影してから標本にすることとした。
バケツに入れたが、どうにもざらざらした、細長い隆起が密に走った鱗が引っかかってうまくいかない。それに、肺呼吸するとなると沈めておくわけにもいくまい。けっきょく網を水面まで宙づりに引っ掛けて、それで運ぶことにした。
デボン紀~ペルム紀の同定形質は頭部の骨学が主である。
だから持ち帰った後に解剖して、少なくとも化石属のどれに近縁かしらべてから、分類し直して生態写真と組み合わせねばなるまい。
この旅に図鑑はない…この旅で図鑑ができるのだ。




