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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
異なる惑星ー石炭紀の地球を、宇宙から眺めると―
22/195

<宇宙から見る、石炭紀の地球> 限界宇宙旅/「テチス海の提唱と大陸移動説前夜」/「古テチス海:不死身の海洋?」

正直言おう。

いいかげん、陸が恋しい。

このライフカプセルにも、もう14日目だ。


これはもう、宇宙旅行というより宇宙漂流だ、いやもっと言えば人間輸送容器だ。


ただ――過去の航海記を見ていると、3か月の短い航海、などというフレーズはたびたび出てくる。


「一度でいいから陸を歩きたい」

「緑の丘を再び見ることはあるのだろうか」

「青い水平線しか見えない毎日には飽きた」


そんな彼らの手記から感じるもの。

それは、あくなき探求心というよりも、その後の社会からは失われてしまった頑健さや辛抱強さである。


そして、自らの情けなさを恥じるのだ。


いいや、でも言わせてもらおう。


いいかげん体を動かしたい。


電極やらカテーテルやらのせいで、シートベルトに縛り付けられたまま、無重力を楽しむこともできない。


さらに悪いのが、運動不足を解消するために設けられた刺激装置(NEMES: NeuroEndocrinoMuscular Electrical Stimulator)だ。


全身に張り付けられた電極で定期的に体がビクビク痙攣して、どっと疲れと不快感が押し寄せてから「本日の筋収縮ノルマ完了」などと通知が来るのは、もう勘弁なのだ。


手足が攣るような痛みを伴いながら、一日何時間も攣縮させられる。

探検前だから体づくりも兼ねて、強度を「強」にしているのが余計にたちが悪かった。

終わるとともに全身の痛みとともに汗が噴き出し、蒸れた空気をさらにこもらせた。


そもそも、宇宙というものが人を拒むのだ。


アポロ計画で月に行き、国際宇宙ステーションで宇宙開発の礎を築いた人々もまた口々にいう。

「地球が恋しい」

「月は不毛で寂しいが地球は命にあふれ、美しい」

「やっぱり自分の居場所は地球だ」

人生をかけて宇宙に行ったにもかからわず。


そして、彼ら黎明期の宇宙飛行士の宇宙滞在時間は、それほど長くない。

国際宇宙ステーションで6か月、アポロ計画に至っては10日ほど。

まぁ、大航海時代の人々に比べてではあるが。


しかも国家随一の逸材が選ばれたにもかかわらず――そうしたノスタルジアが、口々に出てきたのは、極めて興味深い。

断言する。


ここは、人の居場所ではない。

脱出ポッドはいくら改装しても、それ以上のものにはなりえない。


べたッとした船内のこもった空気は、もはや濛々とした、私の蒸留物質に占拠されつつある。

はじめ白かった内装は、徐々に黄ばんで、指でなぞると、くっきりと指の痕がついた。

自分のにおいは気にならない、というけれど、甘酸っぱいにおいがどうにも鼻にこびりつく。

腸管がほぼからっぽで、便臭が混じってはいないのは僅かなる救いといえよう。


石炭紀の地球にも、もういいかげん、見飽きてきた。

ときを越えてから、もう7日。

目の前をパンゲアが横切るのは、もう6回目だ。


アリアはどうしてる、と思って、連絡を打とうとしてみた。

しかし、連絡が突然来たときの気まずさというか、連絡が来た時に私がいつも緊張してしまうことを考えると、指が止まった。

唐突に連絡をよこすくせに、こういう時にかぎって、通知欄は空だ。



こんな時だから――まだ、パンゲアに夢を抱いていたころの、パンゲアの物珍しさにまだ、はしゃいでいたころの私の原稿を読み返していくこととしよう。宇宙船は刻々と惑星に近づいていっているから、詳細については読みながら適宜、加筆することとした。

なに、暇つぶしである。


そうこうしているうちにも、地球は回る。

しかし、着陸の時は、一向に近づいてこない気がした。


私の我慢と退屈は、そろそろ限界の域にまで達している。

そこでやっていた作業はといえば、旅の途中に描いたエッセーの読み直しと、その修正作業である。


三日前、まだ石炭紀の地球を見慣れていなかったころの原稿をみる。


筆が乗りに乗って、ひたすらに続いていた。


やはり、初めて過去の世界を訪れるという感動が強すぎたのだろう。


筆圧が乗りに乗って紙を貫通しているかのようで、私は読んでいて冷汗をかく。


そもそもだ。これ、ここに掲載する内容として無難なのだろうか。

もはや石炭紀の話、してないぞ。


――その時書いた原稿を、見てみよう。


――1. 「テチス海の提唱と大陸移動説前夜」――


ESSAY

**原稿**「テチス海の提唱と大陸移動説前夜の論争」

「テチス海」とは、なにか。

テチスという言葉もまた、地球収縮説とかかわりが深い。

テチスというのは、ギリシア神話における水の女神であり、Ocean、の語源となった、オケアノスの妻、テーテュースである。

妹なのに妻だという点には、いろいろ突っ込まないでおこう。

さて、テチス海をこう名付けたのは、ウィーン大学の地質学教授であったエデュアルド・ジュースである。当時、最も有力な地殻変動仮説は地球収縮説による、沈み込みと褶曲であった。

そしてのちにも述べるが、ジュースは大陸間の化石生物相の共通性を見抜いていた。

それにのっとり、ジュースはこれらの大陸は大規模な陸橋で繋がり、海底と大地は地球収縮による隆起と沈下によって激変したと考えた。そして、それらの“避難所”が各地にできていた、と考えた。後にその偉大な功績について述べるが、彼は今後も未来永劫、歴史に名を遺すであろう地学者である。

しかし――

19世紀というのは、恐ろしいものだ。

同時期、貧乏で学歴にも乏しかったにもかかわらず、どういうわけか万学に通じた天才がいた。進化論を独力で発見したことでも知られる、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスである。彼は本当に何だったのだろうか、というくらいどこにでも首を突っ込み、しかもたいていの分野で才能を伸ばす人だ。生物、地学、政治、さらにはオカルトまで。しかし投資の才能だけは、壊滅的だったらしい。

またオカルティズムを極めたことで晩年は科学界から鼻つまみ者にされてしまった。


チャールズ・ダーウィンによる海洋島の観察は、それらが火山起源であり、大陸と島とは、本質的に異なるものであると示唆していたが、ダーウィンは賢明にも当時主流だった地球収縮説についてある程度の距離を置き、積極的な批判はしなかった。

しかし、ウォーレスは違った。

「Island life」および「海洋盆地の恒久性The Permanence of the Great Oceanic Basins.(1892)」において、盛大にケンカを売った。

彼は陸域と海洋の極端な水深差と面積差に着目した。「もしアフリカ大陸と同程度の陸地が、海洋に沈んだら」、と試算したが、ただ既存の大陸が水没するだけだった。

さらに深海底には風化や浸食がないにもかかわらず世界を通じてほとんど一定の深さであることや、多くの地域において地層には連続性があることからも、大地と陸との入れ替わりはありえず、常に安定していたはずだと主張した。

すると大陸移動説のないこの時代、必然的に「個々の大陸は常に同じ」という結論が出てきてしまうのだ。

そしてそれは、ウォーレスが信奉し、いまもウォーレス線としてその名を遺す「地理的隔離による生物進化」と極めて相性がよかった。


これは当時の科学界に激震をもたらした。

つまり、彼の見解がもし正しければ、地球収縮説も怪しくなり、陸橋など成立しえない。

さらにウォーレスはこんなことを書いた。

「私は、これらの事実と、それから論理的に導かれる結論は、大陸と大洋の入れ替わりを、地質学的または生物学的な個別の現象(例えば白亜紀の起源や、遠い地質時代における爬虫類や魚類の分布を説明するための陸橋の必要性など)を説明する手段として主張する人々に対する、極めて強力なア・プリオリの反論を成すと考える。このような巨大な変動を仮定して難問を断ち切る前に、我々は、ここで挙げた考慮事項や、多くの著名な地質学者・博物学者・物理学者たちが「大洋の恒久性」学説を保持するに至った膨大な事実群が、論理的に誤っているか、あるいは誤ったデータに基づいていることを示さねばならないだろう。」


むろん、「そうした人々」の対象には、ジュースが含まれていた。

ジュースは反論する必要に迫られる。

そんな反論論文「大洋の深さは恒久的か?Are Great Ocean Depths Permanent?(1893)」で、テチス海、という名が登場する。*

ジュースはテチス海の歴史を「地理学の歴史におけるもっとも魅力的な部分のひとつ」という。アルプスに中生代の深海性の放散虫が存在し、その後沈降を繰り返しながらもダイナミックにヨーロッパを作っていき、地中海にいたるテチス海の歴史について、彼は述べた。

そして、太平洋に至る地層が海に向かって褶曲していることからも彼が述べた考察は、こうだ。

海洋は地球収縮によって、深くなる。すると海はそこに向かって“落ちくぼんで”ゆき、海盆ができる。山脈は海底の沈降によって押し上げられることはない。このことは、地中海周辺のテチス海の沈降・離水史から見て取ることができる。

そして、もしかすると、この地球は全て巨大な海としてのパンサラッサに覆われており、それが地球の収縮に伴って深海と陸とが広がっていった可能性もありうる。といった内容を例外を認めたうえで論じた。

ジュースは、海洋のダイナミズムを、テチス海という証拠をもとに論じたのである。

結局、証拠としてはジュースのほうが強く、陸橋による生物移動やそれに繋がれた超大陸の存在は、20世紀後半に至るまで生き残り、そうした超大陸の名はいまも残っている。


さて、ジュースもウォーレスも、大陸の成因に関する数々の論争の中で軽視されがちではないかと思う。高等教育においてすら、名前が出てくるのは大陸移動説を提唱したウェゲナーだけだ。そして、その業績としてしばしば、実際にはジュースの功績が挙げられてしまう。


ウェゲナーによる大陸移動説は、「大陸そのものが移動する」と仮定することでジュースの先見的な動物相の共通性と、ウォーレスのいう大規模陸橋の成立不可能性を両立する、コペルニクス的転換だったといえる。

しかし、どうして大陸が動くのかは説明できず――地球収縮説をベースとした地向斜説は、20世紀後半までソ連をはじめとした東側諸国で主流であり続けた。


プレートテクトニクスが提唱されたのちも「大陸は動かない!」そう学会で主張する研究者は、20世紀末までいたのだとか。


ジュースの最大の功績は、2つにまとめられると思う。

1つは、アルプス、ヒマラヤ、チベット。これらがみな、かつては海の底にあったことを示したこと。

2つ目は、グロッソプテリスがアフリカ、南米、インドに見られることをはじめとして、太古の地球に生物学的まとまりがあり、それらはつながっていたのであろうと推測したことだ。(ウェゲナーの功績とよくいわれるがジュースだ。)ここまで登場したゴンドワナやローラシアといった古大陸の多くや、テチス海をはじめとしたさまざまな地名が、ジュースが提唱したものである。


ウォーレスは、大深度が一定であり、海洋と大陸には看過できないほどの標高差があり本質的に異質である、と考えた。これはいかにも、ウォーレスらしい先見の明がある。


プレートテクトニクスにおいては海洋が「ベルトコンベアー」のように入れ替わり、海洋プレートは大陸プレートに比べて極めて薄いことで大陸の移動を説明する。そして薄く重い海洋プレートと分厚く軽い大陸プレートがぶつかれば海洋プレートが下に沈むが、大陸プレート同士がぶつかれば山脈ができ、その間にあった堆積物はアルプスやヒマラヤといった巨大山脈で、褶曲の影響を受けた海洋堆積物として産出する。


よく知られた大陸移動説やプレートテクトニクスが提唱される前に、こんな議論があった――という話をしてきた。


では、実際に「古」テチス海を見ることとしよう。


*この文献はなぜか“Are Ocean Depths Permanent ?”と引用されることが多い。しかし原典を読むと冒頭にはAre Great Ocean Depths Permanent ?と書いてある。



――これを読んで、私は全て赤線を引いて、この章を消そうとも思った。

なぜなら目の前にあるのは、狭義のテチス海ではなく、その前身にあたる古テチス海だからだ。


しかしながら、テチスとは何かということを語らずして古「テチス」海を語るのは忍びなく、結局私は、その原稿を消すことは、できなかった。


これも注釈で処理することとしよう。


―注釈2―

厳密にはテチス海と古テチス海は同義ではなく、ジュースが述べたのはテチス海とパラテチス海である。古テチス海はペルム紀ごろからゴンドワナ北部より分離したキンメリアによって“仕切られ“、新しいテチス海へと置換されていった。

キンメリアというのもまた、ジュースが名付けたものだ。トルコ~東南アジア、つまりインドを覗いたユーラシア南部は、ざっくりとみると一つの塊に見え、これを指す。

――注釈2、終わり。――


書きあげてほっと息をつくと、古テチス海についての論考が、まだひたすらに、続いていた。

目下に映る古テチス海は、だんだんと、流れ去ろうとしている。










――2. 「古テチス海:不死身の海洋?」――


目下に広がる、古テチス海。

周囲をゴンドワナ、ユーラメリカ、シベリア、南中国に囲まれた、穏やかな海である。

内海、といっても、インド洋に匹敵する大海だ。

モニターに示される海洋のクロロフィル濃度は、パンサラッサにおけるものよりも著しく高い。

水温もやや高い。

エメラルドグリーンに染まる沿岸域には、色とりどりの礁が発達していた。

この海域は紆余曲折を経たうえ、現在の黒海やカスピ海に至ると思うと、その息の長さに驚くばかりだ。


ここまで息の長い海域はなかなかなく、生物の進化にもさぞかし大きな役割を担っていたに違いない。


古テチス海がいつからあったのか、というのは大きな難問だ。

一般には、南中国地塊をはじめとしたゴンドワナ周囲の陸塊とゴンドワナ大陸の間に海洋地殻が生じ、深海を隔てて分離した結果生まれた海、と言われている。

そこに海洋地殻が生じたのは、おおよそデボン紀のことだ。


海洋地殻を重視する地質学的立場からすれば、確かにそうである。

海洋地殻による深い海洋盆は、かつてウォーレスが主張したように、大陸に連なる大陸地殻とは全くの別物である。

過激なことを言うならば、大陸棚とそこから続く大陸斜面は、海ではない。

大陸の裾野に海水が溜まっているのであって、海洋プレートが底をなす大洋とは分けて考えられるべきなのだ。


しかしながら、生物にとっては違う。生物にとって最も重要なのはまさに大陸の縁辺、大陸周囲の浅海である。「海の砂漠」ともしばしば称される、深海まで続く大洋は海洋生物にとって、越えることすら困難な不毛の地だ。

そして、多くの生き物が、変遷する浅海を渡り歩きながら進化してきたのである。

したがって、生物的起源を求めるにあたっては、古テチスに関連する生物群の起源をもっとさかのぼる必要があるだろう。


南中国とゴンドワナの間には、それ以前も長い間浅海があった。

この浅海は、なんとカンブリア紀まで遡れる。

たとえば有名な澄江生物群からは、当時南中国とインド、オーストラリア東岸の間にあった、熱帯の浅海にどんな生物群がいたのかをうかがい知ることができる。

当時この海は熱帯の赤道直下にあり、カンブリア紀が極めて温暖な時代であったことも併せて、水温が30度を超すような、熱い海であったはずだ。

その後、南中国とゴンドワナの間に広がった浅海は、亜熱帯へとやや南下しつつ拡大を続け、そしてデボン紀に海洋地殻を生じて、裂ける。これが古テチス海だ。


さて、石炭紀後期の時点ではゴンドワナとユーラメリカは合体し、シベリアも今にも合体しようとしている。

それらに囲まれた古テチス海は、巨大な海洋として多くの生命をはぐくんでいる。


では、この海はどこに行ったのだろうか?

ペルム紀、ゴンドワナから新たな地塊、キンメリアが分離する。

キンメリアというのは東南アジアからトルコまでを含む地域で、これを名付けたのは以前も登場したジュースだ。キンメリアはゴンドワナとの間に海洋プレートを形成しながら北上し、古テチス海は三畳紀には消えた――

ことになっている。


しかしながら、キンメリアとローラシアはそれでも完全に衝突したわけではなく、温暖な時代である中生代を通じて浅海として存在し続けた。

では本当にとどめを刺されるのは、果たしていつなのだろうか???

白亜紀、インド大陸がゴンドワナから分離し、始新世にはユーラシアに激突してヒマラヤ造山運動がおこる。このとき、ようやく東部での浅海はとどめを刺されたわけだ。

さらに中新世には、アラビア半島がユーラシアに衝突し、さらに縮小する。

しかし、それでもすべてついえたわけではない。

西方ではこの浅海はアルプス造山運動に伴い形成された浅海である、パラテチス海に接続している。このパラテチス海というのはジュースが海洋のダイナミズムについてウォーレスに反論した際にふれた、ヨーロッパを水浸しにした海である。

パラテチス海はその後分断、孤立を繰り返し、現在では黒海、カスピ海、アラル海などの巨大な内海および湖沼として残存している。


おや、通信だ。


「……Phew! やっと送れた……えっと、二日ぶり? ごめん、全然余裕なかった。白亜紀の標本データ、こっちが思ってたよりはるかに混沌としてて……でも、まとめたらすっごい論文になりそう! だから、ちゃんと出してからじゃないとダメでさ。そうじゃないと、ケイと石炭紀での旅、集中して楽しめないもん」


そう話すアリアは、ハチマキを締めていた。

――ああこれ、以前あげたやつだ。「20世紀的集中力アップ奥義」っていって。

この狭苦しい環境の中で、必死に根を詰めていたのだろう。目は落ちくぼみ、それでも奥で爛々と輝いている。


「あ、それでさ、動画配信って言ってたけど……こっち、全然撮れてないや。ごめんね。だからさ、そっちで何か撮ってくれてたら嬉しいなって……ほら、ケイなら解説もうまいし」


解説、うまいのかな……いや、そんなことはないと思う。

動画……正直、タイピングしてる後ろ姿しか映ってない。

ひたすら地球儀がくるくるしながら、私のエッセイが延々と流れる動画――

考えただけで、放送事故だ。


「あーもう、ちゃんとしたメッセージじゃないね……でも、今はこれが限界っぽい。ハチマキ巻いて頑張ってるよ、あの時もらったやつ。なんか、巻くと落ち着く。じゃ、また送れるようになったら連絡するね。ケイの声も聞きたかったな、ほんとは」

……あれ、なんで涙出てるんだ?


「ケイ、何かあった?」


「……いや、何だろうね」

そう言ったとき、瞼から涙が一滴、ふわりと離陸した。


何やってるんだ、私。


古テチス海の最後の海辺が、目下を通り過ぎた。

そして広がるのは――雄大な、緑、赤、白、トリカラーの大地だ。

コラム ライフカプセルと生命維持システムについて


宇宙旅行に行く際、まずは地上から宇宙旅客機で大気圏を超え、軌道上の中継ステーションへと接続する。

この宇宙ステーションでは徹底的な消毒が行われる。

古生代以前に向かう場合は腸管内容物を含め全身が”クリーン”にされるが、これは人間による過去世界への意図しない微生物の持ち込みを阻止するためだ。その後、乗員には末梢留置型中心静脈カテーテルが留置される。これを通じて宇宙航海中の栄養摂取および薬剤投与が行われるというわけである。

数日の待機時間があることはざらであり、その間に不具合がないか様子を見る。これは旅前のホテル宿泊というより、どちらかというと入院である、と揶揄する人が非常に多い。

なお、中生代への渡航時はこのような煩雑な手続きはほとんどなく、直行便が就航しているという。


宇宙ステーションから出港する宇宙船は、一部の時代の場合貨物船のみだ。

貨物宇宙船には人員を安全に運ぶ設備はなく、棺桶のようなライフカプセルに詰め込まれることとなる。

このカプセルは脱出ポッドを無理やり長期間の宇宙航行用に改修したものであり、小型軽量化および、非常に割り切った設計がなされている。これは貨物容量を最大限に保ちつつ、最大限の要員を輸送するためだ。貨物ロケットの場合、たいてい4つのカプセルが搭載されており、うち2つに人員が搭乗するのが常である。それ以上の人員を要する場合は、宇宙旅客機などが用いられるが、古生代の惑星には、就航するほどの需要は勿論ない。

カプセル内は与圧されているが、内部から自力で脱出することは困難である。

これは閉鎖環境下のストレスや息苦しさから開けてしまうトラブルが多発したためである。緊急脱出経路は座席の下側に開口しており、3段階の手はずを踏まないと脱出できない。また、宇宙服側の認証子が解除機構の一部となっており、与圧服を着用しなければ脱出できないように作られている。これもまた、かつてあった数多の事故の反省として作られたシステムだ。なお、外部からはサービスパネルを通じて容易にアクセス可能である。外部に誰かいるとすれば宇宙を熟知した関係者である、ということを前提にしているらしいが、密航者対策がどうなっているかに関しては不安の余地がある。(質量バランス監視と生体認証の二重化があるが、抜け道がないとは言い切れない)

カプセル内では宇宙服を脱ぐことが推奨されている。宇宙服を着たまま2週間から一か月にも及ぶ航海に及ぶことは人員へのストレスが極めて大きく、さらに途中の破損リスクも大である。

船内服は宇宙服のインナーがそのまま使われる。

酸素発生システム、二酸化炭素除去システム、輸液はカプセルの外壁内に設置されている。これは宇宙線防御を兼ねる設計である。酸素は電解式ではなく化学酸素発生装置を用いる。これは船内での電力需要が少ないためだ。船内の凝結水改修は最低限のものとなっており、船内が極めて高湿度になることは避けがたい。

生命維持システムはきわめて軽量で割り切った設計となっている。

その設計思想は基本的に「何も起きなければよし、何か起きれば薬でたたく」といったものである。水分とエネルギー摂取は殆ど、静脈投与で行われる。感染対策手技は自動ではあるが、万が一必要になった際に備えて手技習得が望まれる。経口摂取は腸管の廃用を防ぐための高吸収ゲルのみであり、食物残渣がないためにほとんど排便は発生しない。なお、静脈路が閉塞した場合は自動フラッシュによる解除やマイクロカテーテルによる内部血栓除去が行われるが、それでも困難な場合はラインを閉鎖したうえで輸液を直接飲むことが推奨されている。排尿に関しては抗菌加工が施された尿道カテーテルが挿入される。カテーテルはロータリー式モーターで常に還流されているが、尿路感染症はほぼ必発だ。しかし発熱などの症状がモニタされない場合は輸液量の増加で対応し、熱発時は解熱鎮痛剤と抗生剤が自動投与される。さらに神経筋内分泌刺激装置による等尺性収縮運動および骨形成促進が行われる。薬剤投与と神経筋刺激を同調させるのが最も重要な点で、長期にわたる宇宙航海での廃用症候群を防ぐ。目立たない場所としては、たとえば骨形成刺激に関してはさらに、振動刺激および低出力パルス超音波が用いられている。骨小管液を局所的に振動させることにより、一時線毛と機械感受性チャネル(Piezo1)を介したオステオサイトの剪断応力感知を誤作動させる。スクレロスチン発現低下などを介して骨吸収の抑制と骨形成の促進がみこめるという。地上では効果は限定的とはいえ、宇宙空間では上乗せ効果が見込めるらしい。

これらの最低限かつコンパクトな生命維持設備により乗員収容容積は飛躍的に小さくなったものの―ー評判が最悪なことは言うまでもない。



一度の超時空ゲート開港につき、数十隻の船団が通過する。

惑星規模の物流を支えるわけだから、致し方ない。

貨物宇宙船が主であり、そのほとんどが無人船である。

有人船は必ず船団の先頭を航行する決まりとなっている。これは、後続で事故が発生した際にデブリに巻き込まれないように、という配慮だ。

ゆえにほぼ前斜方視界しか見えないカプセルの窓からほかの船が見えることは、ほとんどない。

ゆえに。

宇宙を介した過去への旅はひたすら孤独と暇に耐える作業であり、しばしば精神の危機をももたらす危険な旅なのだ。



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