<宇宙から見る、石炭紀の地球> 陸一つない、ただひたすらに、青い星
もう、一週間がたとうとしている。
あの棺桶みたいなライフカプセルに、閉じ込められてからである。
宇宙の広さは、それが地球圏においてもなお、残酷だ。
宇宙ステーションで宇宙船を乗り継ぎ、ラグランジュ点に建設された超時空ゲートへ向け、何日も孤独な旅が続く。
それは、帆船時代の船乗りのようであった。
そして、感覚すらも溶かし、己の過去をつい振り返らせてしまうほどの、深淵であった。
唐突だが、私はいま、宇宙船のライフカプセルにいる。
地球から旅立って、すでに1週間。
サイド4宇宙ステーションでライフカプセルに”箱詰め”させられた私たちは、超時空ゲートへむけ、ひたすら宇宙を漂流――もとい、慣性飛行していた。
ごく小さな覗き窓から見える宇宙は本当に真っ黒で、虚空を体現している。
――なにも、ない。
船外作業服で宇宙船から一度出てしまうと――もう「普通には」戻ってこれない、そういう与太話が、こんな宇宙開発が当たり前になった時代にも流れてくる。
近いものがあるとすれば、深海かもしれない。
何もなく、であったものがもしあれば、脅威となる場所――そういう、人間の心理の急所を突いてくる場所が、宇宙だ。
――おおよそ、半世紀。
超時空ゲートが実用化され、過去の地球に植民市が築かれるようになってから。
だが、ゲートが開通したからと言って、一瞬で過去の世界に飛べるわけではない。
超時空ゲートがあるのは、重力井戸の影響の薄いラグランジュ点。
そして――宇宙は、訪れてみて初めて、そのだだっ広さに気づくものである。
食べ物の楽しみもない――栄養はほぼ、経静脈的に注ぎ込まれている。
何日経ったか――それを知る手段は、モニターに表示された経過時間のみ。
私に何かできるわけもない――宇宙船は安全のため、完全自立運航だから。
船外通信は、通じない。
オフラインのAIと空虚な雑談をするか、あるいは電子書籍を読むか――
それくらいが、せいぜいの楽しみだ。
ただそのおかげで、いまのところは、初めての長距離宇宙飛行も不自由はない。
古典論文の精読にも疲れてきたし、
旅の直前にダウンロードしておいた、「時空旅行完全ガイド」を見てみることとしよう。
「人間の侵略性は、すさまじい。
恐竜に人間が追われる?
そんなものは、ごく局地的で、例外的な事例にすぎない。
実際には――
恐竜のほうが、都市化と観光バスに追われている!」
「過去の地球は、「地球」ではない。「惑星」と思うべし。
旅人よ、その惑星を、地球だと思うなかれ。
そこでまず待ち構えるのは、恐竜の脅威ではない。
たとえば、ナビが南北逆に案内を始める。
地磁気が現代の地球と逆転している時代は、ごくありふれたものだ。
ちゃんと確認して、ナビの設定を「N極が南を向く」ように設定しなおしておこう。
明日の7時に集合?
まて、その星の1日は何時間だ?
一日が24時間なのは、現代の地球だけ。
ほかの時代に行けば、一日の時間は必ず、ずれる。
そして気づいたときには、帰りの便は――すでに、発った後だった。
……というのは、よくある話。」
――著者を見たら、今回の旅を誘い、この旅で行動を共にする親友、アリア・エンバートンであった。
ふざけたやつが書いたふざけた文章だが、現場への精通は伝わってくる。
触発されてというわけではないが、私もまた気分が高ぶってきてしまった。
ので、人類の歴史について、書いてみるとする。
ひとごとではない、私たちの、歴史を。
「過去数世紀にわたり、人類は地球圏に“閉じ込められて”きた。」
――書き出しは、上々。
情報をインプットし、アウトプットするのが、楽しみの根幹をなす私にとって――書くのも、読むのも、学ぶのも、至福のひと時だ。
「火星植民までは、一応成功した。
しかし――火星は、地球生まれの人類にとって、満足できる第二の故郷にはなりえなかった。
(中略)
この閉塞に対し、まさに人類の存亡をかけた「地球脱出」のための大事業が始まった。
超時空ゲートの建設にかけられた時間は、ゆうに千年以上。
数多の人が、その実現を信じられないまま、生き、働かされ、そして、死んでいった。」
――あれ。
筆が、止まる。
鼻水が出た――と思ったら、喉元がじん、と痛くなる。
―まだ、あれを引きずってしまっているらしい。
宇宙にあがる直前に見た、メモリアルホール。
社会の遺物として隔離され、超時空ゲートの開発に携わらざるを得なかった、過去千年にわたる科学者の怨念。
あれは記念碑じゃない――祀ることにより、怒りを鎮める神社の類だ。
そして、顔も見たことのない両親がその犠牲になり、自らも危うく絡めとられそうになった私もまた――そうした怨霊の、一種なのかもしれない。
気づいたら、涙が宙を、シャボン玉みたいに舞っていた。
ぱっと握り潰す。
私――自己紹介が遅れた――ケイ・ヤマナカは、時空旅行に関しては、ずぶの素人である。
地球では、重層都市の地下水から未開のジャングル、はてには海の底まで、行ける限りの場所は訪れてきたと自負している。
世の中がどんなに「過去の地球」…いや、「惑星」に沸いたとしても。
足元にある現在の自然や生命が、過去の地球と比べて決して見劣りするものではないと信じたかった。
そして、過去に行ける今だからこそ今の地球を、可能な限りの解像度で、見ようとしてきた。
私があえてこの旅に誘われたのは、そんな、解像度を期待されてのことだったのだろう。
そんなとき。
いつも星空ばかり映し出していたモニターに、「それ」が見える。
何もかも吸い込んでしまいそうな黒い星空に、静かに、ぽっかりと口を開ける。
地球―月系のラグランジュ点L1に設けられた、直径50㎞の超時空ゲート。
幾重もの核融合炉がリング状に取り巻き、ゆっくりと回転しながら動力を供給している。
それにしても、これだけの構造物。
それが――現在側と過去側に1対ずつ――鏡合わせのように建造されているとは。
千年をかけた人類の規模と執念には――ただ、言葉を失うほかない。
ゲートはいよいよ、迫ってくる――とともに、胸の奥で心拍が速まる。
旅慣れた私は、もうすぐ意識が失われることを知っているから。
命を支える静脈ルートに、シリンジポンプで白濁した麻酔薬が押し込まれる――
その様子を、私は見ることはできても、止めることはできない。
ただ、温かいぬるっとした感触が身体に満ちていく。それが、最後の記憶。
そして――
逆らうことすら許されず、視界はじわじわと狭まり、指先は遠のき、音はくぐもり……
次に目を開けたときには――時間が、飛んでいる。
あるのは、「間に何かがあった」という、抜け落ちた事実だけ。
まるで、乱丁の本の、欠けたページに舌打ちをするときのようだ。
欠落。
そして、暗闇がゆっくりと薄れ、視界がにじみながら開いていく――
そして視界を満たすのは、雲の縞模様をまとった、ただひたすらに、青い星。
石炭紀の、地球だ。
そう、そこには――
「大陸が、ひとつも、みえなかった」。
宇宙の暗闇に浮かぶ、ただ一つの、青いボール。
超海洋パンサラッサ。
――かつての人々は、海が先にあった、とか、もしくは海面が、現在よりはるかに高かったと考えていた。
まさにそういう、光景だ。




