ウミユリたち(1-3)
さきほどとらえたウミユリは、撮影のために断熱容器に入れている。
Peachocarisがさっそく、エアレーションの波にのまれないように、しっかりとしがみついていた。
これがナマコだったらホロスリンなど、サポニン系の毒液をぶちまけて大惨事になりかねないのだが、ウミシダやウミユリは警告色をもつものでもたぶん大丈夫だろう、という、現代的な経験則である。
そういう、現代ベースの経験則はたいてい痛い目に遭う、というお決まり展開も、幸いなことになかった。
さて、そのエビもどきがしがみついている様子をよく見ると、何か、本当に小さな、5㎜くらいの何かが、ウミユリから生えている。
1ミリもないくらいの、極細の針金みたいな柄に、先端には、小さな梅の花を思わせるようなカップ…
なんと、マイクロサイズのウミユリなのだ。
長さは柄を含めても、1センチに満たない。
腕なんてもう、5放射相称であることすらあきらめて、五角形の角を一つずつとばした、3本だけまで退化している。ルーペで拡大してみると、もはやそれは腕としての機能すら果たしておらず、ただの1本の棘にまでなっていて、その根元から管足が、あたかも腕ですと言い張るかのように数本出ている。
まるで、ウミユリをどこまで小さく縮こませられるか、という挑戦であった。
あらためて、潮だまりの底を覗き込む。
一匹見えてくると、箒虫やヘデレラ類に紛れていたのが、どんどん見えてきた。
萼の高さが1ミリほどしかないものが殆どだが、ときには、1センチメートルほどに迫るものすらあった。まったく無関係ではあるが、カンブリア紀の、ディノミスクスにサイズ感は少し近いと言えるかもしれない。基部は円盤状に広がっているようで、岩盤に張り付いている。
アラゲクリヌス科Allagecrinidaeの一種、であろう。
Litocrinusの復元によく似ているが、明らかに同種ではない。
カップはより丈が短くて、丸みを帯びている。アラゲクリヌス科の一種、とまでしかいえないかとは思われる。
この仲間はディスパリダDisparidaという、後期石炭紀では主流でないグループに属している。
後期石炭紀の海には、ウミユリ類は沢山いるように見える。
にもかかわらず、古生代的な多様性はとうに失われて、ゴカクウミユリの系譜に属するクラディダCladidaと呼ばれるグループが種数、個体数の両面で他を圧倒するようになっていた。さきほどみたアンペロクリヌス科もまた、クラディダの一員である。
いっぽうでディスパリダはオルドビス紀からシルル紀には栄え、ウミユリ類を代表するほどの多様性と数を誇ったものの、後期石炭紀にはこうした微小種をのこすのみになって、ペルム紀末を待たずに絶滅した。…ということになっている。
本当かどうかは、この微細化からするとやや、疑いの目を向けざるを得ない。
見逃されたディスパリダが現代の、どこか海の底で見つかったとしても、極めて驚くにしても、決して絶対にありえないことでもないのかもしれない、とふと、その小ささを見て思った。
さて、ミクロの目でみてみると、改めていろいろなものが見えてきた。
岩の隙間に、なにやらイソメを固めたような灰色のものがうねっているように見えるのは、クモヒトデ類の腕だった。ナマコの仲間もいるし、ホヤの仲間らしき生き物も。球形に近い殻をもつ、ベレロフォンの仲間の小さな“巻貝”の姿もある。
そこには、化石記録にほとんど影を残さない生き物が、あたりまえのように群れている。たとえば底をのそのそと這う節足動物がときおり、いるが、それが等脚類なのかほかのフクロエビ類なのか、いまいち見当がつかないし、あちこちで繊細な、糸でできた羽のように腕を広げる、すこしシロガヤに似た繊細な刺胞動物もまた、その正体は謎だ。
ホシムシの仲間とおぼしき蠕虫や、長い吻がびろりと水底に伸びている何か。
ぬめりを伴った質感の、灰色の、アンモシーテス幼生にもよく似た、何か。
わからないものが一杯である。
そうしたものを見つけては、写真を撮って、液浸標本にする。
私が動くたび、青く澄み切った水が少し、濁り、基質は破壊される。
そしてその破壊のあとに、やや踊るような独特の動きをしながら、漂うように、5センチほどの茶色い姿が寄ってきていた。




