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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
海洋編(1)石炭紀で磯遊び
207/241

撮影と標本作成

海の音色が、近くなってきている。

磯の香りも、また一段と強くなったような気がした。

潮だまりには水が満ちはじめ、孤立していた生き物たちは海との再会に歓喜する。

波打ち際を見やれば、上げ潮に乗じて餌を探しに来た魚の影もあった。

採集を終えれば、さっきまでが嘘みたいに、空気そのものの暑熱が押し寄せた。

肌や腕にはかさかさと、少し粉を吹いたような、汗の結晶が析出しつつある。

チリチリと頭に違和感を感じれば、焼けたように熱くなっていた。

アリアが採集した魚たちは、水通しの良い潮だまりを“スカリ”(網でできた魚籠)にして入れられていた。スカリの上部は必ず水の上に出るようにしていた。

「そうしないと、溺れるのよ」

そう、アリアはいう。

そんな、カメやゲンゴロウでもあるまいし。

おそらく本気で溺れてしまうというより、水温が上がって酸素濃度が下がった時に、緊急で空気を吸いに上がるのだと思うが。

さて、私が採集した無脊椎動物は、蝦蛄やウミユリ類のように大ぶりで、かつすぐには標本にしないものに関してはそのようにしていて、蛇腹状のバネに網を張ったポータブル虫かごに生き物を入れて、潮だまりに浸して保管していた。小ぶりな種では、クーラーボックスに入れておいたものもある。

しかし、鞄に入れたり、バケツに入れておいたものはもう、ぐったりと足や管足や口吻を吐き戻して、地に臥せっているものも多かった。

じつは、これが好都合で、敢えてそうしている。

ぐったりしていれば動かないし、(化石からでも分かるようなあからさまな形質はともあれ)分類には細かく隠れた組織が重要であることも多い。

撮影にはちょうどいい。

機材を取り出す。

蜘蛛の手のように伸びたライトやアタッチメント、反射板を、まるでライオンのたてがみかのように取り付け、レンズを標本撮影用の、長さ10センチほどもある水中用レンズに換装する。

カメラ本体はいまや、ある種の花の中心にある、小さな雌蕊のようである。

長く伸びたレンズはユリの花の柱頭、フラッシュは雄蕊にちょっと似ていた。

そして、三脚にこの、異形と化したカメラを固定して、カリカリとハンドルを回して高さを調整する。水中用のレンズは望遠鏡のような水中用レンズなので、白い、反射板でできた水槽にレンズが入って水に漬かったら、準備完了だ。

真っ白い水槽の中に置かれた撮影台は、透明な板を2つ重ねたようになっている。なぜ2枚重ねてあるかといえば、標本の下にできる影を消すためだ。ピンセットで標本台の上に、サンプルーー今載せているのは、ぐったりとして口吻を伸ばしたヒモムシだ――を載せると、その全貌がファインダーに収まっていることを確認する。カメラからマジックハンドのように伸びた撮影ボタンを押すと、バシバシバシバシバシ、とフラッシュが点灯する。それと同時にウィーン、と、連続で焦点を変えながら動画撮影が行われ、これが深度合成されて画像ができる。フラッシュはナローバンドUVと可視光が交互に灯るようになっていて、ごく浅い内部組織であればある程度透見しながら撮影できる、というわけだ。

――久しぶりに使ったな、これ。

大学のころはあたりまえに使っていた海洋生物撮影セットだったが、勿論私にこんなものが買えるわけもなく――この旅にあたって、アリアが研究室から借りてきたものだった。

――感傷に浸っている場合ではない。

標本は、山ほどあるのだ。

クモヒトデに小さなウミユリ、腕足類…これはまあそのまま漬け込みでいいか…に、ナマコ。ああナマコは早めに撮っておかないと非常にまずいな…

ひとつ、またひとつと撮影しては、保存液に浸していく。

元気なまま保存液に浸すと、苦しみ悶えて自切してしまうことが多いので、弱らせたり、塩化マグネシウムや炭酸水で動けなくしてから液浸標本にするのがコツである。

しかも、分類群によって、炎天下放置がいいもの、塩化マグネシウムがいいもの、二酸化炭素がいいもの、他にも特殊な方法を要するものなど…があって、そのどれが適したグループなのかをその場で見分け、仕分けながらやらなければならない。

タイムリミットは、近い。手をとめるわけにはいかない…かといって、ひとに任せるわけにもいくまい。

そんな中、撮影作業は進んでいる。

意外にも切羽詰まっていたのは、スカリに魚を生かしておいていた、アリアのほうだった。なにせ、海が迫っている。スカリの入っていた潮だまりにもどんどん水が入ってくるので、魚が海に還ってしまうより前に回収して、いくつか手前の潮だまりまで撤退させねばならないのだ。ついでに私のポータブル虫かごも回収してもらってしまっているので、申し訳ない。

向こうの方では、撮影は比較的、自動化されているようだ。

魚は一匹、また一匹と円形水槽に投入されると、リング状に配置されたカメラが一斉にシャッターを切った。

そして、網ですくいだして、次の魚を入れる。

一見すると同じような“パレオニスクス類“が多かった。しかし、体高や顔の丸みなど、よく見るといろいろ違っている。

タイのように平べったいもの、背中の正中線上に、少しアジのそれに似た角張った鱗をもつもの、上下ほぼ対称な尾を持つものや、上葉のほうが大きい、サメの尾に似たもの…標本撮影の間にちらちらと見れば、地味ながらたしかに、色々いる。

――まあ、どれもハダカイワシみたいな顔つきで、その形態の範囲といってもおおむねはハダカイワシにみられる多様性くらいのものである、と冷めた見方もできなくはないのだけれど。背の極端に高い、黄色やオレンジ色、青などとド派手で、少しチョウチョウウオに似た形をしたプラティソムスの仲間も次々に水槽に入れられていた。陸からは全く、あのような美しい魚がいるのを視認できなかったので、悔しいところだ。

そんな中で、ひときわ目を引くものがあった。うねうねと、まるでギンポのように泳ぐ魚である。ちょっと持ち場を離れて、覗いてみる。それは「長物」――ウナギのようににょろにょろとした魚――の中ではおそらくもっとも古い起源をもつ、タラシウスの仲間のようである。ひらひらと上下の鰭を波打たせて前進したかと思うと、蛇のようにくるりと丸まって周囲をきょろきょりと見渡した。


さて、こちらでも面白い出会いがあった。

潮だまりに置いておいたポータブル虫かごを回収に行ったところ、10センチほどもある何かが、S字状に蛇行しながらくねくねと泳ぐものを見た。何かと採集してみれば、ありえないほど大きな線虫である。回虫などの寄生性線虫ならともかく、自由生活性の、こんな大きさの線虫がいる、ということがちょっと信じられなかった。

あとで復習したら、メゾン・クリークからこのサイズ感の線虫がでているらしい。


さて、撮影に終わりが見えてきた(といっても複数個体採集した(らしき)ものは代表的な1個体しか撮影していないし、かなり手を抜いたのだが)ころ、アリアがこんこん、と肩をつついた。

「そういや、こんなのとれたんだけど、もう見た?好きかなーっと思って。」

そう言って、撮影の終わった円形水槽に、容器の中身をぱらり、と入れた。


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