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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
プロローグ 石炭紀の熱帯雨林にメガネウラを追う
2/197

2 妖怪存在論

「よっしゃ!!!ケイ、作戦練るよ!」

もう猟師につかまったウサギの気分だ。

私はアリアにずるずると引きずられながら、水上集落の桟橋に向かわされていた。


「ほらね?やっぱいるのよ。鬼火は。今聞いたでしょ? 生息地のパターンがあるのよ。きっと生き物だって。ほら!」


テペが言っていた情報は、かなりの具体性と確信を伴った、類例を絞り込めるものだった。

――「柱の森では見たことないな。鬱蒼と茂った、低い森で、風通しがよくてよく乾くところだ。火がつきやすいからな」

やや矛盾しているようにも思えてひっかかったが、絞り込むには十分だった。


この一帯の地形図が大量に張られたアリアのメモ帳には、さっき聞いた話の概要と考えられるスポットにバツ印がつけられていた。

「さっき言ってたの、この焼失跡で間違いないもの。で、テペはこっちにこう逃げてきた。でしょ?」


アリアは筆跡を光らせながら、私に一方的に話しかけている。

そもそもその手帳がちらちらとしか見えないのだが、ひどく楽しそうなのだけは受け取ることにした。


「でね!ここから扇形に、ちょっとした隆起があるみたいなの。多分天然ダムが決壊して更地になったんだわ。植生もちょっと違ってるみたい。ね?ケイなら、これ見ればわかるでしょ?」

そう言って見せられたのが森林記号だったので、吹いてしまった。

「符号が間違ってるよ。そこのリンボクの森が針葉樹林で?ええと?ここは果樹園ってなってる。やっぱこの星、めちゃくちゃだよ、いろいろと」

「まったく、時空探検ではよくあることね。凡例は、えぇと…書いてない!」

「どゆこと?」

「わかんないまま、違うってだけでいろいろな記号を当てはめて収拾がつかなくなっちゃったのよ」

「ま、行ってみれば何か違うってことか…それ、地図としてどうなのかってとこだけど」

「この星に人が5万人しかいないのよ。広さは地球と勿論同じ。勘弁してあげて」


ふと会話の力量が緩んだ。そのすきをついて、私は話をねじ込んだ。

このままでは振り回されるだけ振り回されて、古生物調査が妖怪大調査(笑)になるのではないかという危機感を抱いていたからだ。

この村にきて「鬼火」なるものが出ると聞いて以来。

アリアは片っ端から村人を捕まえては「鬼火ってどんなやつ?」と問い詰めて回ってきた。


もう、3日目だ。

このままでは旅が終わってしまう。


「さっきさ、ちょっと腰をかがめた爺さんがいたでしょ」

アリアが今さら何よ、とばかりに聞き返した。

「あのブルブル震えた、腰が曲がった方?小人が見えるとか言ってた」


「あぁそうそう、その人。「緑の小人がほらあそこに一人、かがんでこっちに向かって行列を作っておる、ほらいま、船に乗った。」とか、言ってたよね」

「うん。」

「あれ、前も似たようなの聞かなかった?」

「「赤い服きた火星の兵隊さんが行軍してる」ってやつ?ちょっと違うけど、類例ね。興味深いわ。」

「おうちに何人もお客さんが来るんですって方もいたよ。死んだはずの。」

「お年寄りなんて、みんなそんなもんじゃない?ちょっとボケてきちゃって、何か勘違いしてるのよ

「うーん、それはちょっと違うかも」


「っていうと?」

「その人にとって存在するものと、他人から見て存在するものって違うんだよ。」


私は、湿気で張り付くシャツを剥がした。

べったりと、両生類の脱皮みたいで、手を放すとまた張り付いてしまった。


「そんなわけないじゃない。あるものはあるわ」

「でも、かれらにとって、それは「ある」としか思えない、否定しようもない現実なんだ。」

「それって妄想とか、幻覚のたぐいでしょ?」


「妄想って、否定できないのが特徴なんだよ。絶対にいる、って確信するのが典型例」

私は医者ではない。

しかし、古書堂で読み漁った古い医学生向けの参考書には、それが赤インキが薄れた、かすかな太文字でそう書かれていた。


「それにほら、大学の時にもおかしくなって中退した子、いたでしょ。絶対にやつらが来るんだ、って叫びながら、必死に逃げ回ってたよね。何かから。」


アリアは髪を払いのけながら言う。

「それだって…何かの病気よ」

「バグって切り捨てると、本質を見誤るよ。」

「でも、さ。”見えてる”ときと”見てる”とき、脳の挙動は区別不可能で、視覚野は正常に動いてるんだ。だから彼らの視覚にとって、そこに本当に「存在」してるんだよ。」


「…存在って。」

「私たちが物を見て、触るのと同じか、それ以上にありありとね。脳活動そのものが幻覚の正体とすれば、外部刺激は「外部に適切な幻覚を生成するための器官」ってことになる。」私は言葉を切った。「じゃあさ。そこにあるってどうやってわかる?」


「そりゃ、見て、聞いて…」

「どれも同じように脳が動いていたら、かれらのみる世界には存在してしまうんだ。それが幻覚だよ。」

私は神経科学者でもないが。


「それはそう、だけど…」

「で、さっきの話。テペの話はたしかに、リアリティはあった。でも…見た、逃げた、追いかけてきた、以外に刺激あった?”見ちゃった”だけじゃない?しかも、光る何か、というだけ。」


「でも、あんなにありありと語ってたのに?・・・」

アリアは少し考えこむように、うつむいた。


私はその少しうつむいた顔を、下から突き上げるように見上げた。

「同じ質問を繰り返すけどさ、私たちが石炭紀の地球にいる、それがただの映画を見てるだけじゃないって、どうやったらわかるのさ」


「そりゃ、干渉できるし。映画や脳の錯覚ならそうはおこらないわ」

そう言って、私の肩を両手に持って揺さぶる。

汗ばんだ不快な質感が、ひたりと肩に水をおろしたようだった。

揺さぶられるたび、汗水がひたひたと垂れ落ちる。上から、下から。

「こう、ね。触って、揺らして、抱きしめられる。それで十分、存在するっ・・・・って・・・」


しかし、私の方はといえば、じっとその揺れる瞳を見つめ続けた――ロックオンしたままだった。

「爺さんたちの話も、同じだよ。私が「何か喋ってますか」と聞くと「喋ってはいるが姿は見えない」とか、「姿は見えるが何も言わない」とか、「触ってくるだけ」、「気配だけある」とかいってた。死んだ人と夜な夜なお話しする人もいたよ。でも、顔はないんだって。」

「そりゃ、いないからでしょ」


「ほら――なにか、わからない?」


「ほら?」

「この濃密な世界を五感すべてが様々な、混沌とした姿で受け取っていることこそ、私たちがここに存在する、最も合理的な証拠だよ」


そう言って、私は息を深く吸い込んだ。

第二話 


水上集落

艀(動力のない舟)を並べて連結した集落。第一話用語集を参照。


鬼火

空中に浮く火のような灯。第一話用語集を参照。


柱の森

リンボク類の森をここではいっている。植物にはもともと腋芽を途中から出す性質がない。そのため、分岐は本来、成長の末端、先端で行われるものである。リンボク類も例外でなく、幹にはあとから生えてくる横枝がない。樹冠も成長の最終段階で作られるため、柱が立ち並ぶような形態になる。なお、現在の森林よりかなり密度が高かったことがわかっている。


低い森

第七話参照。


天然ダム

石炭紀においても、天然のダムが存在していた。例えばカナダのノバスコシア州などで産出例がある。倒木が流路を閉塞し、土砂をため込み決壊することにより、河川の流路はしばしば変更されていた。


時空植民

超時空ゲートを介した植民のこと。ゲートは地球の周回軌道と、時代のことなるパラレルワールド地球の周回軌道を結んでいる。つまり、過去の地球への出入りにはロケットや宇宙船が必要になる。


5万人

ロケットで人をたくさん送り込むというのはものすごく大ごとなので、5万人がいるというだけで驚異的といえる。しかしながら、それでは産業は人口が少なすぎて高度科学文明は回らない。しかし、人間の生活に高度科学文明が必要かと言われるとそうではなく、むしろ文明を退行させることのほうが適応的かもしれない。

狩猟採集民としての生活を見出したものがいることは納得がいく。


幻覚

緑の小人、赤い兵隊、行列、など…

ボケてきている、会話ができる、などの症状が同時に見られるようだ。これに前傾して震えている、睡眠中に周囲の人を殴ってしまう、などの症状が揃えばレビー小体病が疑わしいが、この情報だけでは診断は難しい。

なお、ザシキワラシの正体がこのような医学的に説明可能な幻視であるとする説もある。


妄想

十分な根拠がないにもかかわらず、強く確信され、論理的な説明や明確な反証が示されても修正されない誤った信念。

さらに、その人が属する文化や宗教的背景からも逸脱しているもの。

確信の強さ、訂正不能性、現実との不一致を特徴とする。


視覚野など

幻視や幻覚を見ている際には、現実の感覚受容で見られるのとよく似た大脳皮質活動がみられる。私たちは外界そのものではなく、脳が作った尤もらしいモデルを見ている。幻覚や幻視はその、尤もらしいモデルそのものである。

感覚入力をすべて、カメラやセンサーが繋がれたケーブルに置き換えたとき、私たちはいったい何を見ているのだろう。

ダースベイダーなどを見るといつも思ってしまう。

完全に余談だが、ダースベイダーはあれだけの熱傷を受けながら、角膜損傷はなかったらしい。医学的に奇妙である。なにせ、角膜内皮細胞は熱傷に敏感で、再生に乏しいのだ。角膜移植されていたのだろうか。あのマスクに内蔵されたカメラからセンサー入力されているとしたら、ダースベイダーは最期に息子の顔を「見れなかった」ということになる。


五感と幻覚

幾つの感覚が侵されているかは、精神診療においてもしばしば注目される分野である。但し、想起する際にほかの感覚を付け足してしまう場合もあるので注意。その問題をもってしても、妖怪か幻覚かの区別には有効であろう。ザシキワラシなどは、「数えると数が合わなかった」「音がしなかった」などのように、感覚の一部の欠落が見られるのが典型的であり、幻覚(特に一部の精神神経疾患)の関与が疑われる。ところが、そうでない妖怪もあるようだ。

五感すべてを本当に感じられる妖怪がもしいたとしたら、それは妖怪というよりも、何かが本当にいたのか、根っからの作り話であることを疑ったほうがよさそうだ。


コーヒーと竹酢液を混ぜたような泥炭の香り

実際にそうなので嗅いでみよう。ミズゴケ泥炭は香りも酸っぱいので、ヨシ泥炭などがとくにいいにおいがする。C級ピートとかがいい。


粘土の臭い

割と実際そう。

甘ったるいにおいが混じっているのは泥炭の寄与が疑われる。


魚のチーズ臭

割と打ちあがっている死んだ魚は、そんなにおいになっている。

臭い!という感じの臭いにならないことが実はけっこう多い。

特に屋外だとそう感じることがままある。

天然鮒ずしになっていることには期待しないほうがいい。


ブラックウォーター

泥炭などから大量の腐植酸が供給され、紅茶やウーロン茶のような色になった水のこと。飲むと少し甘酸っぱいことすらある。


ブラックウォーターのマキアート

現在でもアマゾン流域でしばしばみられる現象。もっとも有名なのはネグロ川とソリモンエス川の結節点。


鱗木

リンボクとも。 Lepidodendronの和名。Lepidoは鱗、Dendronは木を意味する。なおここでは、和名及びカタカナの時にはリンボク類Lepidodendralesないし、木本性小葉植物Arbolescent lycophyteの意味で用いている。


艀 動力のない舟。居住や輸送に用いられる。第一話用語集参照。


バイオマス発電

有機物を分解して一酸化炭素やメタンなどのガス燃料に変換し燃やす発電法。ガスの制御さえできれば比較的安全に、通常発電の設備を流用できる。この惑星の人口は少ないためか、太陽光や原子力発電などの高度技術の実用化と普及に支障をきたしているようである。


「我は存在しないがゆえに生成されるようにふるまう強力な幻影である」

デカルトの否定から始まる変な哲学。(筆者より:この哲学設定には多大な時間を要した。設定が数千字に及んだため割愛。)


「文系的な考察は何一つなかったし、私があんなに覚えていた小人や小豆洗い的なものといったことについての考察は一行たりともなかった」

文系的な考察とはなんだろうか。

答えが一意には定まらず、見方によって変わることが最も特徴的であるように思われるが、この問いに対する答えもまた、人と見方によって変わるのである。理系の答えは有限かもしれないが文系の答えは無限にある、とでも格好つけておく。


遠野物語

佐々木喜善が集めた遠野の伝承を柳田邦男がまとめたもの。日本民俗学の重要資料である。遠野市を歩くと、本当に当時の遠野が奇妙な伝承だらけであり、それが社会のあたりまえであったことがよくわかる。

そして、遠野が特殊だったというよりも、偶々記録され保存されたというだけに過ぎない、と考える人も多い。


ライトトラップ

昆虫を光で集める採集法。


火をもって飛ぶ鳥

オーストラリア北部のトビなどでは、そのような観察例がある。


ダシレプタス

石炭紀~中生代に知られる原始的なイシノミ類。生痕化石も知られており、半水生であったこと、浅い水中に着水してもそこから飛び跳ねていたことがわかっている。

復元メモ:フナムシのような生態はそこからの着想。鱗粉の証拠は現時点では知らないので、艶があると描写した。


パレオニスクス類

パレオニスクム類といったほうが適切かもしれない。原始的な条鰭魚類の形態であり、単一の系統群というよりも典型的な姿をいうといったほうがよい。ざっくりといえば、ハダカイワシやカタクチイワシに少し似た姿の、ガーのように菱形のビッチリとした硬い鱗に覆われた魚である。


ユープロプス

石炭紀の地層から大量に産出するカブトガニ類。淡水から汽水に分布していたと考えられている。陸に上がったかどうかは定かではなく否定的な意見も多いが、上陸説は確かに存在する。ほかにも、三葉虫のように丸まることができたという説があったりもする。どれがどこまで本当かは、読者諸賢の最新研究のサーチと判断に期待したい。


復元メモ:上陸したという話は怪しいと私も認めているが、上陸に不利な構造の生き物が上陸してしまうのはよくあることでもある。水際や水の上に少し顔を出すことは捕食から逃れるためにあっていいだろうと考えた。

しかし、それが鱗木の幹や湿った地面ならともかく、人工物の上に上陸すれば戻れなくなるのがおちである。つまりここで起きたことは、カブトガニが攻めてきたというより、人が作ってしまったトラップにはまってしまったのだ。


キロメートル級の泥炭層

石炭層の厚さをもととなった泥炭に換算するとそうなる場合がある。


干拓すれば出火

現在の泥炭林でも起きていること。


偽りの大地、安住の地は、水の上だけ

なんとカリマンタンなどの泥炭林では現実に川沿いの半水上集落くらいしか人が住めなかった。なにせ道路をひこうにも地盤沈下し、人が歩くだけでも膝以上まで埋まるからである。そして干拓しようとした結果が終わりのしれない火災である。ましてや泥炭蓄積の規模が現在をはるかに上回り火災リスクの高い石炭紀ではどんなことになるかといえば、こうなる。




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