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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
海洋編(1)石炭紀で磯遊び
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腕足類ー動かざる貝もどきー

むせかえるような海の臭い、じりじりと肌を灼いていく太陽、真っ青な空と海――

視界そのものがハイライトがかかったみたいなのに、私は舌をうつむきながら、ざくり、ざくり、と、石灰藻やコケムシを踏み砕く音をたてながら、潮だまりのあいだを海に向かって進む。

一歩、一歩と音を立てるうち、海が迫ってくるのを、目で感じる。

水面など見ていない――そもそも、前を見てすらいない。

しかし、足元だけでも、見ればわかる。

そういうことは、自分から探さずとも、生き物たちが、無言のうちに語ってくるのである。

このむせかえるような臭さを放つ海ですらもまた、そこに何がいるか、どのような環境なのかを語ってくれているに違いはあるまいし、それが何を意味するのかもなんとなく聞こえてくるような気がしていた。

耳を澄まし、うちつける波の音に混じる鳥や虫の声を聴き、その言わんとすることに意識を傾けるのもまた、フィールドワークの醍醐味と言えるだろう――が、残念ながら3億年前、後期石炭紀の海に声を出すものも、語るものもいない。耳を澄ましても聞こえるのは、静かな波の音と、パチパチという、あぶくがはじける音くらいであった。せめてカニでもいれば、ガチャガチャと騒がしかっただろうに、と思うが、そうしたものを求めるのはやや、求めすぎなのだろう。

いっぽうで、語っているのは足元の、姿であり、色であり、その集合である。

語っているとはいっても――「今日はいい天気だね」とか、踏まれて痛いですとか、擬人化された音声を発しているのではない。

ここは波が強く当たります、とか、潮回りがこの辺りはよくないです、とか、そういうたぐいの、何を言わんとしているのかの情報が吹入されてしまう感じなのだが、それを私が考えて思い出しているというわけでもない、飛び込んでくる。

見たことのない生物の形を見ているはずなのに、それが何を意味しているのか、どんな環境であることを意味しているのかが、ふと聞こえてきてしまうのだ。少し立ち止まって考えなおすべきだと思うのに、観察する前から聞こえてきてしまうのである。

それが、語りに近いように感じられる。

いや、語るという外からの経験というよりも、私自身の経験と知識が視覚刺激によって動員されて、私が語っている――私の頭の中で起きた自発的な語りを語りかけているように錯覚しているのであって、私自身が語らざる者の声を聴いているというわけではないのであろうが、私が語っているのではなく、私が聞いているように感じられてならないのである。こういうものを身についた知識と人は言いがちだが、それはむしろ、幻聴や幻覚の一種とシナジーを持っているのかもしれない。


さて、潮だまりをふとみやれば、足元に5㎜から1㎝くらいの小さな貝殻が、ぱらぱらと見えた。私が踏み荒らして回っている、干潮時に干上がってしまう岩々には、先ほども見た座ヒトデがぽつぽつとついていたり、小さなムール貝みたいな、ミアリナ科やプロミティルスPromytilusといった二枚貝がびっしりと密生したりしてしている。やはり少し海に近づいているからだろう、その大きさも、小指の爪よりは大きいものがぽつぽつと見えてきた。その間に今のウメボシイソギンチャクみたいに身を丸めた四放サンゴやイソギンチャク、さらにはレースの網目みたいなコケムシ類が、身を低くしてへばりついていて、ひらひらとしたセロファンのような緑藻らしきものや、小さな赤い糸くずのような紅藻類らしき軟質の海藻が、ぺったりと表面張力に負けて磔にされていた。岩にできたくぼみには、5㎝ほどの小さなウニが入っていて、どこか現在のナガウニ類にも似た、明るい茶色の棘が、黒い殻によく映えた。

いっぽう、いまの磯にありふれた、ゴカイの棲管のたぐいや、完全に固着性の二枚貝、巻貝――例えばイワガキやオオヘビガイのような――は、ほとんどいない。

そして、現代も見られるようなイガイ状の二枚貝類などにしても、その大きさが極端に小さいことは、やはりこの磯をミニチュアに感じさせる要因であった。

海の大きさは、むしろ広いくらいだというのに。

潮だまりに向けて、付着動物でごった返す、またそれ自体も生きて死んだいのちの塊である岩を降りれば、また足の跡に踏みにじられた跡を見る。――そして、サンプルを拾うのである。踏みつぶしてそのまま帰るのは、勿体ない。


ざりざりと足元の感触を感じながら覗き込めば、潮だまりの底は一面の貝のようなものに埋め尽くされそうなほどであった。これまでも沢山見てきた、イガイのような二枚貝も確かにいる。

しかし、より小さく丸っこく、つぶらでかわいらしい印象を与えるものが多くいた。

鳥が2枚の翼を広げたようなもの、赤貝をうんと小さくしたようなもの、傍からはほんの小さな石の塊にしか見えないもの。――種類がわからないものもまた、多かった。中には針のような突起を持つものもあった。それらは岩にへばりついていたり、岩の間に溜まった砂に半ば埋もれたり、貝殻の上にまたくっついたりしながら、ほんのわずかに口を開け、じっと佇んでいる。

ちょうど、すぐ目の前で、口を大きく開けている個体がいる。

比較的滑らかな、丸っこいもので、殻の真ん中には独特の溝と畝があり、あたかも上から押されて両殻がともにへこみ、ひとつの山をもつような形をしている。

そっとカメラで拡大すると――その中に、歯車のような、すこしジェットエンジンのファンにも似た触手冠が、見事なまでの工業的芸術をなしていた。

すこし、ドライヤーをのぞきこんだ姿にも似ていなくもない。

私はそっと、驚かせないように、それを撮ろうとした。

――しかし。

その瞬間、殻がぱっと、瞬く間に閉じた!

ああ、じつに残念。

私はがっくりと肩を落とすと、それを採集した。

なにせ、腕足動物はいちど殻を閉じてしまうと、そう簡単には口をきいてくれない。

いや、口をきけないのだ。

二枚貝の素早く、単純な貝柱と違って――腕足動物には殻を閉じる筋肉と、殻をひらく筋肉が、それぞれついている。そして、殻を閉じるほうの筋肉はそこそこ素早く、そして開く方はというと…生物界でもトップクラスに、遅い。

現在のホオズキチョウチンなど、完全に収縮するまで3時間もかかる。

つまり一度閉じてしまったら、開き切るまで3時間は待たないといけないわけで――

それを待っていたら、潮が満ちてしまう。

常時冠水している場所においては、腕足動物が最も多くみられる固着生物のようだ。

そしてそのほとんどが、炭酸カルシウムで硬化した、あたかも二枚貝そっくりな有関節類である。

数が多いだけでなく、種類も多い。

砂底に半分埋まって、転がるようにしているものもあれば、肉茎を立ち上げて、堆積物から体を目いっぱい伸ばしているものもある。

その“置かれ方“もあまりにも多様だ。

殻の向きだけみてもさまざまだ。

砂や泥に埋まっているものはといえば、餃子のように開いた口を上に向けて座っているものと、膨らんだ腹殻を埋めるものの2タイプといえそうだ。しかし、ただ埋まっているだけのものから、細い棘を絡めながら乗っているものもいる。

固着しているもののほうも、どれも現在のホオズキチョウチンに似ている…と思いきや、よく見るといろいろある。肉茎をのばして固着するものにしても、肉茎の生え方や向きが違う、殻ごとくっついているものもある。

同じような形に見えても、よく見ると違いがどんどん見えてくる。

表面にすじのような隆起の走るもの、滑らかなもの。小さな棘が密生しているもの、両肩が翼のように発達するもの…「山折り」のように折り曲げられた開口部の曲がり加減も色々だ。

そして不思議なことに、特定のタイプの腕足動物は比較的同じ場所に固まっているように思われた。…何か集まるか、もしくは現在の腕足動物と違ってごく近くに子個体が定着するような大卵型ないし胎生、なのだろうか…?とも一瞬気をかすめたが、多分違う気がするのでまずは、採集を始めるとする。

腕足動物の2枚の殻の基部からは、柄のようなものが突出している。そしてその先端は根のように細かく分岐して、酸を分泌して石灰質の基質を溶かして貫通している。

そっと、傷つけないようにタガネで基盤を穿つと、ようやく殻の付け根が見えた。

そこでそっと、手に取ってみる。

コインのようで、放射状の細くくっきりした溝に彩られた2枚の貝殻のつなぎ目は、丸みを帯びていながらも、殻の付け根で一直線の蝶番になっていた。

ほっと息が漏れた。

現代の腕足動物には見られないデザイン。ペルム紀末に絶滅したオルチス目Orthidaの一員で、おそらくリピドメラRhipidomellaの一種だろう。

ほかにもアチリス目Athyrididaの、コンポジタCompositaの一種なども多く採集された。つるりとした丸っこい、一見すると何の変哲もない腕足動物である。一見したところ現在も生きているテレブラチュラ目Terebratulidaの、たとえばホオズキチョウチンなどにそっくりだが、中身はまるで別物だ。先ほど触手冠を撮影したものがまさにこれで、複雑怪奇なコイル状の腕骨と触手冠をもつ。スピリファー目など古生代に栄えたほかのグループは、これをもっと究めたような形態を持っている。

――そのわりに現在まで生き延びた有関節類の腕足動物はといえば、腕骨が退化的なリンコネラ目と、腕骨があまり発達しておらず、単純な形態をとどめるテレブラチュラ目なのであるのは、ちょっと興味深いと思う。

古生代に多様性を極めた腕足動物は、水流の中で安定しやすい殻の形、殻の中にあって触手冠を支える腕骨の形状、基質に固着するための肉茎の出かたと角度…そういった、ハードウェアの面できわめて洗練された生き物であると思う。

そのほんの、ごくわずかな違いが、無数に飛び交う幼生の中で適した微細な水流環境に定着し、そこで生活することを成立させるのである。

その結果として、さまざまな微細な水流環境に適した場所に着底した幼生のみが成長を許されるのだろう。

そして、磯という環境は陣取りゲームである。陣取りゲームにおいては、速く成長したほうが優位に立てる。そのためには代謝を低く保ち、得られた栄養をできるだけ多く成長に回すことが有利になるのだろう。

いま目の前に広がっている光景は、まさにそのよい例である。

種々の二枚貝は、干潮時に干上がることで腕足動物の生育に適さない場所では勢力を広げているように見える。しかし、水没状態が続く場所ではすっかり腕足動物に押されてしまって、ぽつり、ぽつりと見かけるのみだった。

筋肉ポンプで能動的に水を出し入れする方法は、私たち足で歩いて動く生き物にとっては効率的で、能動的に思えるかもしれない。

しかし、地に根を張る生き物にとってはむしろ、逆である。

多種多様なライバルがいる中では、最適化された設計のほうが、汎用性よりよほど優位に立てる。

だから、莫大な多様化と、最適化した生来の設計によって、最大の成長率を競う。

それが、古生代スタイルなのだ。

正直、後期石炭紀中期は腕足動物の多様性においてはそこまででもない時代である。

後期デボン紀とデボン紀末の大量絶滅はその影をまだ残し、それに乗じて二枚貝の勢力が伸びはじめてきているはずの時期ですらある。

けれど――それでも、そうしたことを感じることができた。


もし次があるなら、次はおよそ、ここから3000万年後――腕足動物が多様化を極めた、前期ペルム紀に行きたいところである。そこには櫛のようにくびれた殻を内蔵したり、棘を蔓みたいに固定に使ったりする、珍妙な腕足動物がわんさかいる。腕足動物にとって、古生代の海はまさに、進化の実験場なのだ。


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