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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
海洋編(1)石炭紀で磯遊び
195/230

潮だまりパラドックス

後期石炭紀中期(モスコビアン)約3億1000万年前。大陸中央海(現イリノイ州)。

砂浜に発達した、ビーチロックの潮だまりにて。


――海洋の生き物の記録には、潮が引いて、歩いて行けるまでの水深と、それより深い水深の間に、いかんともしがたいギャップがある、と読んだことがある。

たしか、21世紀初頭に書かれたものだったと思う。

リンネが18世紀半ばに二名法によって身の回りの生き物を片っ端から名付け始めて以来、21世紀中盤までが新種記載の黄金期であった、と思っている。

目につくあらゆる生き物に対して、その行為がいかなる利益をもたらすかをつべこべ問われることもなく、名をつけ、研究することが貴ばれた時代であった。

――その後何百年も続いた暗黒時代の末裔からすれば、まったく信じがたい話である。

しかしそのおかげで私たちは、身の回りの生き物には名前がついていて当然という世界観を共有している(じつは、いまだにそうではないのだが。)。

もっとも、21世紀にはいると人手不足と研究資金の目減りがめだつようになり、21世紀も中頃になると、利益を生まない研究が研究予算をはじめとして排斥されるようになって、いわゆるAcademia Collapse Eventとその後の暗黒時代への予兆が見えるわけだが。

さて、そんな21世紀前半の時点でさえ、潮間帯の記録は多くとも、それより深い水深の記録が足りない――という問題は、厳然としてあったということ自体が、興味深いように私には思われる。

スキューバダイビングや調査航海による採集が行われてもなお、この問題が完全には解決しなかったことには、やはり人間が地に足をつけて歩く陸上動物であるという制約を感じさせられる。

さらには、身の回りの生き物が何もかも名前がついてあたりまえになり、新種といえば熱帯の秘境で見つかるものか、見た目の多様性や面白さに乏しい物ばかり――と信じる人々が多くなり始めた一方で、海洋、特に潮下帯においては都市近郊においてなお、目を引くような新種が見つかり続けていた。

特に海洋ベントスの研究者の間では、採集された種類の多く、時には殆どに名前がついていないか同定不能…という状況が、21世紀を通じてそこかしこに見られ、ヤビーポンプや採泥器を背負って海に潜り、未記載種の山に頭を悩ませていたという。

潜れない範囲は漁網で採集されていたわけだが――底質や大きさによる採集バイアスが大きく、網羅性に欠けていた。よって、すべての生物種に名前を付けよう、という試みはそうそう、成功しそうにない――というのは、その道にいる人ならば(一般の認識とは裏腹に)誰もが痛感することであったらしい。

さて、そんな状況は、それから何百年もたち、ようやく暗黒時代を抜けつつある現状においても、まだ存在している。

――21世紀までに名付けられなかった海洋生物の“掘り残し”はまだまだ沢山いて、環境DNAであたりをつけて、その正体を探るためにスキューバで標本を採りに行くのである。スキューバで潜れない範囲にもまだまだ、掘り残しが沢山あるのだろうけど、予算と環境影響審査と倫理委員会を通すのは、絶望的だ。

特に困るのが倫理委員会(という名のAI)で…対象種を絶滅させるリスクを伴い、かつ名づけることがメリットをもたらすとも(“それ”なりに)思われない標本採集と命名は倫理的に認可できない、と研究自体をシャットダウンさせにかかるのである。

環境破壊や生息地攪乱に対してケチがつくなら、まだ理解できるのだが、採集して名前を付ける行為にメリットが見当たらない、というのはいただけない――彼らAIにとっては、DNAで識別してコードを割り振れるのだから、それがどんな姿で、どんな名であっても、どうでもいいらしい。


ところが。

超時空ゲートを通って過去の海に来てみれば――浅瀬や砂浜といった、ありふれた環境こそが、まったくの未知であることに、痛いほど気づかされる。

かえって、ある程度深いところのほうが、よほど古生物学的にわかっていて――

この、古生代の潮間帯で見かけるほとんどすべての生き物が未知であって、化石からすでに知られる種とは類縁関係こそあれど、幾らかの点で違っていた。


それを見て思う――波があると化石は破壊され、綺麗には残りにくくなる。当たり前のことだが、化石の保存には潮間帯より、やや深場や貧酸素な汽水域の、きめ細かい泥底のほうが向いているのである。

そしてなにより、化石に残るということは、他の生き物に食べられて分解されなかったということでもある。

結果、化石で見つかりやすい種と、実際に過去の世界に足を運んでフィールドワークにより見つかりやすい種が、まったく違うことをいたく学ばされた。

これを、潮だまりパラドックスとでも呼んでみようと思う。


そんな磯の生き物の中には、まったくもって予想外のものすらいた。

それまで大量絶滅で命脈を絶ってしまっていたと思われていたグループの生き残りであったり、まったく何のグループか見当もつかないものも。多種多様なホヤの仲間などは、その好例である。正直、ホヤであっているのかどうかすら、全然わからない。少なくとも1つは、触ってみてから触手をみて、刺胞動物だったと後悔するはめになった。ほかにも謎の固着性有櫛動物らしきものとか、水底を這いまわるヤムシの仲間(のようなものであっているか自信がない)、色とりどりの、さまざまなヒモムシ類…

もう何でもありで、目がちかちかしてくる。

これでいて、この時代に絶対いるはずの三葉虫やカブトガニ、ウミサソリ類などをまだ見られていないというのが、また滑稽なところである。

しかし、これら奇妙な生き物たちに関しては、新種記載を要する案件のそろい踏みであって、一般向けとして書き残す場においてつらつらと残しておくわけにもいくまい。


ので、他の話をする。

そんな中にも確かに、見慣れた姿のものもたしかにいて、ほっとする。

まあしかし、それも計測してみれば少しずつ違う可能性もあるのだけど。

たとえば、小指の爪くらいの“ムール貝“である。

ぽつり、ぽつりとビーチロックの隙間などに足糸を伸ばして固着していて、その姿は本当に現在のムール貝そっくり――だが、サイズは遥かに、小さい。

ここまで石炭紀の海を見てきて、思ったことがある。

――この海は、平均サイズが現在よりも基本的に、数サイズ小さいのではないか?と。

それがあっているかはともかく、この二枚貝はおそらくミアリナ科 Myalinidaeのものだろう。ムール貝のように食べる気がしない――シジミ汁のように具にするにも、ちょっと無理がある。カワヒバリガイより小さいくらいだし。

それに、決して多いものでもない。

一つ一つ削り取るとき、少しの罪悪感と、ちっぽけな優越感があった。

そもそも石炭紀のミアリナ科、海水にもいるんだ。ペルム紀ならともかく、石炭紀のは汽水だと思ってたよ。

そんなことを思いながら採集する。

あれ、結局予想外の出現ではないか、などと考えていると、時々、手を滑らせて潰してしまうものがあるし、避けようもなく踏んづけてしまうこともあった。

そうしたものを見つけ次第、潮だまりに落としておく。

すると、潰れた貝に夥しい数の生き物が集まるので、それを採る。

潰れた座ヒトデと貝とで集まるメンツが異なるのか、と気にしてみた。

しかし、殆どがキクルス類と、微細なカイミジンコの仲間という、あまり変わり映えしない様子である。ワンワンと滑らかに水中を飛び交うカイミジンコ類の群れが、ちょっと肉にたかるハエみたいだ、と思っていると、それに混じって少しカクカクとした動きのものが混じっている。

スポイトで吸い上げて拡大してみれば、ごく原始的なカイアシ類であろう。

ほかにもいくらか、幾らかの肉食性環形動物が採集できた。

――と、採集しながらふと気づく。


同じ水域、狭い範囲なのに、あまりにも環境によって差がありすぎる。

たとえば――ミアリナ科があるところには座ヒトデがなく、逆も成り立つようであった。高さじたいは、そう変わらないように見える。

あるとすれば、岩の形によって…だろうか?

波が強く打ち付けるところと静かなところで差が出ている?

いや…もう少し考えてみることにしよう。

厚手のグローブをはめて、やや不安定な岩と岩の間、いまや陸となった岩々に手をかけ、歩みを進めることとした。


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