座ヒトデ(2)★ふじつぼ
薄く水の張られたタッパーを覗き込む。
直径1~3㎝の小さな丸い殻の上に、オレンジ色の星が浮かびあがって――どこぞの銘菓みたいである。
集め始めると――意外となかなかあるものだ。
もう、軽く100個体は集めただろうか。
古生代らしいデザインにもようやく目が慣れてきて
――少しずつ、あたりまえのようにも思えてきていた。
古生代の海にいる、という状況の、噓くささが抜けてきた、というか。
足元の岩も、礫も、潮の香りも――いつしか、地に足がついたもののように感じ始めている、自分に気づく。
頭の中で勝手に、座ヒトデを「★フジツボ」と変換しだしたのも一つの兆候だった。
分類的にはおかしいことこの上ない。
座ヒトデは大きさも生態も、フジツボに似ている。
しかしその正体は、まるでウニの殻にヒトデを逆さまに括り付けたような、棘皮動物だ。5本の、管足の出る部位が、手裏剣のように曲がりながら広がって、星のように見えるのである。
――それでも、名前というものが頭の中で自生してくる。そんなように、感じられたのである。
この感触はたぶん、ある種自然なプロセスの一つ、きっと、かつて世界を旅してまわった19世紀の博物学者も、そう感じていたのではあるまいか。そんな、気がした。
そして、そうした、歴代の博物学者が残した沢山の”変なあだ名”が残されて
――人はそれを、学名と呼ぶ。
この座ヒトデにも、まだ学名がついていないものがいるのだろうか。
古生物学者の”掘り残し”が、まだこの後期石炭紀の海にいるなら、私はぜひ、”Balanoaster”、という学名をつけたい。
フジツボのようなヒトデ、という意味である。
たしかまだ、誰も使っていないはずだ。
はじめは10㎝間隔でもたくさんいる、と思っていたのが、もう気づいたら、足元はもう★ふじつぼ…いや座ヒトデでいっぱいだ。
一個一個を踏みつぶさないように歩いていたけど、もう、踏まずには歩けないほどの数で。
その時だ。
座ヒトデの群れが無残にも、大きな、ひとの足の形をした形に、踏みつぶされたギンナンみたいに、あの愛らしい姿からは似ても似つかぬ姿へとなり果てていた。
点々と、オレンジ色の足跡が海へと連なっている。
魚類採集のために先行していた、アリアがつけた足跡だった。
踏みつぶされた座ヒトデの生殖腺が、まだひくついている。
ふと振り返る。
わかっていたから振り返らなかったけれど――もちろん、私も、そうしたものを残していた。
踏みつぶした数のほうが、回収したサンプルの数十倍にいたるだろう。
2回りほど大きなアリアの足跡に足を載せて、せめてもの犠牲者を減らそうと試みてみたけど、今度は踏みつぶされた贓物に、足がぬめった。
どうしても足跡を残してしまう自分が畏れ多く感じて、ただでさえ40㎏を切り出した体重を、ゼロまで持っていきたくなった。
――いや、消えてなくなりたい、とかそうではない。
それをただ眺めて、必要なサンプルだけを回収する、特殊な気体になりたかった。
ああ座ヒトデ、せめてフジツボくらい頑丈であってくれれば、もしくはもう少し、心の痛まない姿をしていれば。無残に踏みつぶされた★型の歩帯は、やっぱり目に悪い。
あぁ、あれだ。
すごくかわいいテディベアのクッキーを、頭から食べるにしても、足から食べるにしても罪悪感がわく感じに、ちょっと似ている。せめて、踏みつぶすだけでなくて、ちょっと有効な使い方ができれば、なあ…
と、ふと思い立って、踏みつぶされた座ヒトデを少し集めてみた。
ただ踏みつぶして野ざらしにするより、せめて塩漬けにでもしておけば、釣り餌くらいにはなるのではないか。
そう思うと、なぜかちょっと気が楽になった気がした。
まったく理性的でない。
その場に無残に残しておけばここの生態系に還るものを、こうやって持ち出す収奪行為にすぎないというのに。
もう、後ろを振り返らないことにしたかった。
ザクザクと足の裏側に伝わる、高マグネシウムカルサイトのくだける感触も、それの意味も、もう考えない。
私は、透き通った、地平線まで広がる、熱帯の浅海を見渡した。
この古生代の海にはもちろん、幾千幾億もの同胞がいるだろう。
それこそ、ありとあらゆる海岸線に。
そして、今日も無数の幼生を海に溶かして、あいたスペースをいまかいまかと、探しているはずだ。
この一面に広がる大陸中央海に、人の入植はまだ、ほとんど進んでいない。
海全体がまるで一つのネットワークのように、壊れた部分を相互補完し続ける――それが、海の本来の姿だったはずだ。まだ自然がある、と切り刻まれ続けた、私の知る現代の自然とは比べ物にならないくらいの、再生力を持っているはずだ。
私が知っているのは、痛めつけられ尽くして連携を失い、孤立して滅びゆく自然だけ。
だから、私はどうしても…そう、自然を壊れ物のようにとらえてしまう。
でも――本来自然とは、そういうものではないのだ。
見て、採集して、標本にする――それがせめての弔いでいい、そう思いたかった。
とはいえ、私はその感覚に馴染むことが、やっぱり怖かった。
私たちの遠い先祖は――海の回復力を無限と信じて、切り刻まれた海を喰いつくし、保護の手段を講じないまま調査を規制することにより、自然の破壊を存在しないものとして封印したという。
「資源量よりもはるかに多く設定された漁獲枠」
「調査、飼育、人工繁殖は禁止だが、生息地の破壊はノーガード」
「野生絶滅した種の域外保全は、生息地が野生復帰困難になった場合、打ち切られる。」
――これらは私の呪われしご先祖様、某海洋国家がなしたという、数知れぬ悪行のひとつとして語り継がれた、だいぶ(のちの支配者によるプロパガンダ交じりの)俗説である。
たぶんかなりの誇張が入っていることであろう。
しかし、俗説と言っても、皆が知る常識は、もはや真実と変わらないものになっている。
それに事実、タイヘイヨウサンマー現生のニシサンマと違って嘴は長く針状に伸長せず、下顎の先が黄色く色付いていたらしい―などが絶滅してしまったというのは、確かな事実である。
古書堂にあった絶滅直前の資料をあさると、採れるだけ採っても漁獲枠に届かない、という状況や、例年比の1割も獲れていないのに豊漁と報じる様子が確かに確認できたから――上記の俗説も認めたくないことに、真実を多く含んでいるのかもしれない。
そして私の名に流れる、遠い先祖の足跡は、どうあがいてもぬぐえそうにない。
私という一人に流れているその血筋を辿れば、いずれは彼らに行きつくのである。
そして私は、そんな呪われた国家を思わせる名前をぶら下げ、かれらの文化を受け継ぎ、良い面では憧れてすらいる。ただ、そうであるというだけでそうした原罪を背負い続け、後ろ指を指され続けて、ここまで生きてこざるを得なかったし――何か不祥事があれば、血筋や生まれを揶揄されてきた。
だから――忘れてはいけない。
私はまた後ろを振り返り、私の血塗られた足跡を目に焼き付け、カメラに収めた。
すると、ふっと気が楽になった気がした。
気を取り直して、採集に戻ろう。
潮間帯でも上部から下部に至るまでに、種類に幾らか違いがある。
現生のフジツボに似た、垂直分布が形成されているのである。
――というのも、その帯の配列や、そこから出る無数の”触手”の色、はたまた模様などが明らかに違っている。
一番陸側にいる小さくて地味な灰色のものと、もう少し海沿いにみられる紫がかったものはたぶん、別種だろう。大きい個体と小さい個体が本当に同種かどうかもはっきりしない。
となると――無数にいる直径数ミリの座ヒトデもまた、回収せねばならない。
採集数は、そろそろ桁が一つ増えそうであった。
海に近づくにつれ、段々と形態的な多様性も上がってくる。
たとえば、柄のように基部が伸びて、まるで電球のような形になるタイプ。
大きさも形も、どこかカメノテに似ている――しかし、亀の手のような先端の代わりに、マイクのようなドーム状の先端と、そこに絞りのような、ぐるりと巻いた★があった。
そんな、基部の長さにも数タイプある。
長いものでは、マツタケのような形のものもあった。
薄茶色をベースにして鱗片状の骨片が茶色く色付いて、本当にそれによく似ていた。
名づける権利があるならぜひ、種小名にMatsutakeとでもつけておきたい。Trichlomoidesもいいな。
ひとによっては――Priapusとかつけてしまいそうだから、そういう下種な輩が手を出す前に。
――あ、これもご先祖が喰いつくしかけた種であった、嫌なことをまた、思い出した。
その中に、平たい殻に覆われ、飛びきり変わった、エボシガイにも似たものもある―と思ったら、本物のエボシガイの仲間だった。
本当にこの海は、3億年後に繋がっているのだ。
そして、これはまだ、知られていない属であるとしか言いようがない。
笹の葉のような殻が非常に美しい。”Sasanoha”――いや、やめとこう。
やるにしても種小名だな。でも、Lanceolataよりはちょっと、私らしいと思う。
このように、弁明ではないのだが、ずっしりと詰まった採集容器は、ただたくさん乱獲したというわけではない。標本用に、各種、必要な最低限の量を集めていたら、これだけの量になってしまったのだ。
生きたまま写真を撮って、各タイプごとに集めて、それぞれについて別々に袋詰めして――
別種と一緒にパッキングしたせいでDNAがコンタミするのは、ごめんだから。
さて――そうこうするうち、こちらの姿を、静かにうかがうものがあるのに気づく。
それは硬く、静かで、動かず――それが生きたものであることすらも、伏せたまま。
その並んだ甲皮にあいた穴で、こちらを知覚しているようである。
――見えているのか、もしくは、見えていないのか。
見えていたとしても見えていなかったとしても――そうは、変わるまい。




