ボタンに浮かぶ星-座ヒトデ-
座ヒトデ文学。
陸と海のはざまほど、生き物にとって過酷な環境はないかもしれない。
ただ、水が多い、少ないという問題だけでない。
太陽に照らされた岩は生き物にとって致死的なまでに高温となり、たんぱく質を変性させるに至る。蒸発は周囲の浸透圧を激変させ、濃縮された塩水は、たとえ水に漬かったままででも、水分をひしひしと奪い去っていく。
磯とは、そもそもそのような極限環境なのだ。
さて――この3億1000万年前の磯において、どのような生き物が目につくか、と思い見てみれば、最初に出会ったのは実に奇妙な生き物であった。
岩にこびりつく、ドームのような、指先ほどの小さな生き物である。
ちょうど、服のボタンと同じくらいだ。
それに、大きな五芒星の形をした溝が入ったようないきものである。
それが、目の前に何十個体もいる。10センチおき、くらいにいるレベルではないか。
覗けば細かな骨片がビッチリと覆い、鎧のようにかっちりと組み合わさっている。
ある種の、強固な鱗にも似ていた。
大きさは、フジツボ、形は、ジンガサウニに似ている。
しかしながら――その背側には、5本の放射状の、大きく緩やかに時計回りに曲がった、星形の溝が口を開けていた。そしてその間の一つには、小さな穴。
小さなボタンのようで、濃い灰色の体の中、その溝だけがひときわ黒く、その内側が少しオレンジ色を帯びている。地味ながらじつに、美しい。
ボタンにでもしたら、いい古生代なりの、海土産になると思った。
いうまでもない。これは座ヒトデ類――Edrioasteroidである。
さて、どう採集したものか。
オーソドックスな方法であれば、へらを用意して、すっと差し込んで引っぺがすだろう。現代のフジツボ類だったらまず迷いなくそうするし、コツをつかめばほとんど損傷なく採集することだってできる。マツバガイやジンガサウニなんかも、にらめっこして、うまく相手がひるんだすきをついて、すっとヘラを差し込めばいい。
3億年前に来たって、磯遊びの基本は同じものが通用するはずだ。
しかし。
実は困ったことに――私は、この座ヒトデがどのような方法で岩に吸い付いているのか、知らなかった。
――本当に誰も知らないのである。
座ヒトデは、全体が残って化石化する場合、ほとんど必ず基質にくっついたまま見つかる。
にもかかわらず、基質に対して明らかな固着構造があったとする証拠は乏しい。
カンブリア紀の一部の種にしかみあたらない。
座ヒトデが動いたとする証拠は希薄であるが、まったく動けなかったという保証もない。
――要するに、よくわからないのだ。
数世紀にわたる古生物学が座ヒトデの吸着について出した答えは、以下のようである。
「座ヒトデの腹側には、全体を囲むように帯状に特殊化した骨片が並んでいる。この骨片を基質に密着させることにより吸着したのであろう。」
しかし――そのような、ヤモリの吸盤のような構造で、いいのだろうか。
ほんとうに外れなかったのか不安になる――事実、外れてしまった形跡がまるでないのだ。
事実として激しい波に洗われた痕とともにみつかるし、基質自体が壊れて押し流されたような場合でも、しっかりと座ヒトデをくっつけたまま保存しているのである。
化石記録は、この謎の吸着構造の信頼性を、バッチリと保証していた。
――だから、どうやってくっつくのか、興味があった。
となれば、固着構造をつけたまま採集するほかあるまい。
となれば――金槌とタガネだ。
保護メガネをつけて、タガネを構える。
それ、と金槌を叩けば、想定された手に痺れる反動は、なかった。
あっけなく、タガネは柔らかい石灰岩に、ざくり、と刺さった。
それを何度か繰り返せば、座ヒトデをつけた岩のブロックが10個ほど確保できた。
潮だまりに、漬け込んでみる。
その時だった。
それは、小さく震えながら、膨らんだ。
きっちりと組み合わさった骨片の隙間が、わずかに広がって、待ちわびた潮にゆるんでいるようである。
次の瞬間、細い線のように見えていた、時計回りに曲がった星形が、ふわりと花開いてオレンジ色の、溝の中身をみせた。
まさに、つぼみが花開くようであった。
何がオレンジ色なのか理解するまで、少しかかった。
えんじ色の管足が、炎のようにめらめらと揺らめいているのだ。
あるいは、火の玉が爆発しそうにも見えた。
水が浸るとともに全身のキャッチ結合組織を軟化させ、軟化したからだから、零れるようにあふれ出している。潮が引いている間は筋を引っ込めて縮こまっているわけではなく――縮こまったうえで、真皮を硬化することで固めている、ということなのであろう。
――なるほど。
フジツボが羽毛のような付属肢で海中のプランクトンを集めるように、この座ヒトデは管足を使って水中のプランクトンを捕集する、というわけらしい。
さて、ジンガサウニに似ている、と、私はさきほど書いた。
しかし――それは見た目だけであることが、よくわかる。
なにせ文字通り――上下が、逆であった。
ジンガサウニは、言わずもがなウニである。
ウニにしても、ヒトデにしてもそうだが――口は体の真下にあって、管足で移動し、覆いかぶさった餌を口に詰め込むという点では、似たようなものだ。
しかしこの座ヒトデは――口が真上を向いていて、管足があるのはそれを取り囲む、時計回りに歪んだダビデの星だけなのである。
いわば――そこまで正確ではないが――
裏返しにしたヒトデを、背中越しに岩にくっつけたような生き物なのである。
この哀れにも磔になったヒトデのような部分を、「歩帯 Ambulacrum」という。
アンビュラクルムというのはローマ建築において、街路樹が立ち並んだ遊歩道を指す。桜並木なんかも、広い意味で言えば日本圏のアンビュラクルムといえるだろう。
その“並木“なるものに管足を見立てている、じつに洒落たセンスであると思う。
ヒトデならこの歩帯をぺったりとつけて歩き、ウニなら歩帯が前面を覆って四方八方から管足を出しながら移動する――座ヒトデとこれらに直接の類縁関係はないけれど、棘皮動物はある程度、一般化できる。
そう、、、、そう思うと、座ヒトデはとても興味深い形をしている!
そう――じつはウニも、ヒトデも、いちどは固着する。
ヒトデの、ブラキオラリア幼生がとくに印象的だ。
ブラキオラリア幼生は背中ごしに固着して、上からヒトデ原基が生えてきて、それが他を吸収してヒトデになる。
ウニのプルテウス幼生なら、同じく背中越しに固着して、ウニ原基が他の部分を脱ぎ捨てて飛び出していく。
彼らはいわば――座ヒトデの、ヒトデのように見える部分を脱ぎ捨てて逆さまになって生きているようなものなのだ。
――あくまでも、正しい系統関係を意味しているわけではないけれど、棘皮動物のもっと深い系統関係を示唆している。
ウニやヒトデというものは――じつは我々“脊椎動物“―私はこの名前が大嫌いで、有頭脊索動物と呼ぶべきだと常々主張したいのだが――を含む、脊索動物に極めて近い。
私たちとウニのほうが、私たちとミツバチよりはるかに近いのだ。
そしてそれらは――背中越しに固着した、ウミユリや座ヒトデのような段階を経て、“裏返しになって“歩き回るようになったと考えられている。
その、最初に背中越しに固着ありき――ということは知ってはいても、いざ実際に生きた座ヒトデをみると、なるほどと思わせられる面があった。
そして――どうも、フジツボのことが頭に浮かんでならない。
フジツボもまた、背中越しに固着するようになった生き物であって、甲殻類である。
今のような、富士山状のフジツボが化石記録に現れるのは、新生代に入ってから。
いまでは磯といえばフジツボというくらいには、繁栄している。
では――いつかフジツボが殻を脱ぎ捨て、“フジツボ原基”が歩くようになったら?
と、ふと思いを馳せてしまった。
未来に行く方法があるのかどうか、私は知らないけど――今こうして過去に来ているのだから、安全性の問題をさておけば、もしかすると手段はあるのかもしれない。
そこにはもしかすると――ヒトデのような異形の節足動物が、這い回っているのかもしれないと思うと、ふと打ち付けた波しぶきにあたって、石炭紀の現実に引き戻される。




