「歩ける」地質時代、石炭紀 ーもっともよくわかっている、過去の世界ー
さて、ここまで石炭紀について極めて誤解が多いことを述べました。
しかしながら、小説として描くにあたり、石炭紀ほど世界を「歩ける」時代はあまりないのです。新生代以外なら唯一でしょう。
たとえば中生代は恐竜のイメージが非常に強く、歩いてみよう、という印象も持ちやすい時代と言えます。
しかしながら、中生代のフローラはびっくりするほどよくわかっておらず、その植生だけでなく生態も謎だらけです。
つまり、「植物を踏みしめて歩いた」だとか「木を仰ぎ見た」にしたって、漠然とした木spやシダspにせざるを得ない面が多くあり、具体的な植物一つ一つに関しても、姿や生態をイメージしながらそこを「歩く」のは困難です。中生代の代表的な植物一つ一つにすら、調べるのに莫大な労力を費やし、しかも調べた挙句よくわからないという面があります。ケイロレピディア科が低木なのか高木なのか、低木だとしたらどう茂ったのか、そして「頭が低い」恐竜たちはどんな高さのどんな植物を主に食べていたのか、という時点で詰みます。恐竜がシダの葉を……「ねえ、そのシダってどんなの?」「何科?」「どういう条件を好むの?」「何を求めて移動するの?」──そう問い詰めていくと、たいていは机上の空論になってしまいます。植生の知見が少ないことは致命的に描写の密度を下げ、科学的描写を困難にし、空想の世界に逃げ込まざるを得なくさせます。
いっぽうで、石炭紀はまるで違います。
どのような環境を属レベルでどの種類が好んだのか、どのグループがどんな形でどんな繁殖生態を好んでいたのか、そういったことが湿潤地から乾燥地にいたるまで、はてには河川の微地形における植生のすみわけや樹林の階層構造にいたるまで、極めて情報が多く出そろっています。
近縁属にいたってすら、ニューラレトプテリスはアレトプテリスより川寄りで――とか、ラヴェイネオプテリスの幼形葉は赤銅色じゃないかって推測もあるよね、とか、そんな感じです。
ようするに、描くにあたっての引き出しが段違いに多いのです。
緑を描けるだけじゃないか、と思われそうです。
しかし、植生がわかれば、自然と環境の全体が見えてきます。どの地域が乾燥していてどこにどういう降水量の広がりがあったのか見えてきます。さらに古土壌に関しても石炭紀はよく調べられているので、どこのあたりの土がどんな色だった、この地域の降水量は何ミリ、なんてことすら言えちゃったりします。
さらに、古気候のシミュレーションも行われており、いかんせん海洋がパンゲアのせいで非常にシミュレーションしやすい形態をしていることから、海流や季節風すら語ることが可能です。山脈にしても、こことここの間は通るのによさそうだとか、とにかく情報が豊富なのです。
海の生物に関しても石炭紀は圧倒的です。
幸か不幸か海洋生態系は石炭紀後期を通じてあまり変わりがなく、さらに前期石炭紀からも(比較的柔らかい生物に関しては)あまり変わっていない上に、メゾンクリーク、Stark頁岩、やや時代は遡るもののBear Gulchと、微細でしばしば軟弱な海洋生物の記録もきわめて豊富です。これは大陸中央海が北米の大部分を覆っていた点が大きく、近接した同じ海域の極めて高精度な情報を取り入れることができます。
――でも決定的な問題点が。
巨大な動物の不在です。
後期石炭紀に、人間を襲って食ってしまうような大きさの生き物はほぼいません。
そのため、猛獣や恐竜の襲来のようなことを描くことはできません。
ただそのぶん、安心して観察を楽しめるというメリットがあります。
例えば恐竜うごめく白亜紀の地球でリター調査とか虫取り網とか――
小説としてはたしかに面白いかもしれませんが、やる側の身にもなれ。
石炭紀の高酸素環境は、SFとして描くうえで極めて魅力的です。さらに泥炭湿地や脆弱地盤、パンゲア中央造山帯の形成に伴う地盤沈下や地震の頻発――石炭紀で脅威になるのは、生物ではなく自然そのものです。そして、そう言ったこともまた、「歩ける古代」として石炭紀を唯一無二の存在にしているのです。
石炭紀は、世界に関する情報が多すぎる上に緻密すぎて、描くにあたって非常にハードです。
よくわかっていすぎているだけに、ちょっと間違えると、考証違いになってしまいます。
しかしだからこそ、説得力を持って古代の世界を考えられる、最も面白い時代と言えるでしょう。




