田植え
その柱にそっと手を触れると、しっとりとした湿り気とともに、内に秘めた温かさが通っている、そんな気がした。
目の前に立ち並ぶ、“ミニ鱗木”のことである。おそらく、Bumbudendronか。
「昨日のミニ鱗木の3倍くらい?」
そう、アリアはいう。
「うーん、太さにすると5倍くらい?」
畑の足元には、小さな草のようなものが、ぽつぽつと生えている。
――雑草、だろうか?
中に手の平ほどの、ウニにも似たロゼットがあるものもあった。
爺はそれを見ると、棒の上にスコップをつけたような、独特の器具をさっと伸ばす。
いとも簡単に、抜けた。
泥は水をたっぷり含んで、トロトロになっていた。
「こういうのが生えてくるからな、手のひら大になったら移植して施肥すんだ」
そう言って、爺は押し車にそれをバサッと詰んだ。
押し車には、そうした小苗どもが山積みされている。
「株間はどんなもんです?」
そう、私は尋ねた。
「おおよそ30㎝から50㎝はあれば十分だな。あんましスカスカにすると、かえって乾いちってうまく育たねえんだ。あと冬に覆いをかけたとき、数が多けりゃいいんだが、一本だと折れることがあってなあ」
――なるほど。
たしかに、昨日みた野生の株も、密生して生えていた。
「大きいのはその、育て方なんです?」
私が尋ねると、爺は大きく首を振った。
「いんや、大きいやつは大きくしか育たん。ここの親株はとりわけ大きな株が群生する、あのカルデラのふもとから持ってきたもんよ。だからな、小さいここの土着のやつはこう、抜かにゃならん」
そう言って、爺は袋に、小さな小苗に見えるものを詰め込んだ。
「…その、どこが違うんです?」
「あー、畝ごとに見回る日を決めていてな。次に回る時までにどの大きさまで育ってるかで見る。成長が早いやつは大きくなる、遅いやつも大きくなるかもしれんが、もし大きくなったとしても売り物にならんからな」
――なるほど。
もう少し、分類に使えるような違いが見いだせるのなら、役に立ったかもしれないのに、と思うがまあ、仕方がない。
「あぁ、この葉に毛が生えるやつはまた別のだから」
そう言って、爺はまた違った、ウニに似た植物を取り上げる。
葉の縁には、細かい毛が生えていた。
「こいつは根元に水が漬かるとよくないからな」
そういって、取り分けていた。
――苗床がうまくいっていないのに、栽培ができている理由がよく分かった。
胞子が蒔かれたまま放置して、生えてきた小苗を回収して、植え直しているのだ。
野放図な栽培に見えるかもしれない。
しかし、栽培方法がわからない植物を相手にするには、よくできている。
「これ、植えてみるかい?」
何も植えられていない区画の前で、爺は手押し車を差し出した。
水はほとんどない、一見したら湿った陸地のようなものであった。
――しかし、こういう、一見歩けそうに見えるときほど、一番まずいパターンである。
「本当に沈まないですよね、これ」
そう、こうやって迂闊に踏み込んで、腰まで埋まってしまうというのは湿地の常だから。
そして、いかんせん土壌の水分量が少ないものだから、一度埋まってしまうと泥が重くて硬く、そう簡単には抜けなくなってしまうこともある。
湿地探索に慣れていないやつがよくやる――と言いたいところだが、困ったことにベテランほどはまっている印象もある。
なんというか、はまっても気にしないせいかもしれない。
いずれにしても、環境を荒らすのでやめてほしいものなのだが。
そう、3億年後の現在のフィールドワークを思い起こしていると、
「対策はしとるわな、チビどももいるからよ」
と、爺の声。
その言葉を信じておそるおそる田んぼに足を踏み入れれば、思ったほど深くはない。
べとつくのは表層15㎝ほどの、大量の腐植をすきこまれた泥層だけであった。
ずっしりとした、土の重みを感じる。
湖岸の灰色の泥と、ここの茶褐色の田土。
見比べれば、いかに爺が土を愛し、変えてきたかがよくわかる。
堆肥と腐葉土を漉き込んで、腐植たっぷりの、かつ適度なミネラルを含んだ泥は、少しべっこう飴の香りがした。
そしてその下には、しっかりとした礫層がある。
「案外沈まないんですね」
すると爺は、
「そりゃあ、深さを決めとるからな。15㎝より深くしてもわしらが足をとられるばかりで、収量が上がらんのですな。」
――そのデータを、栽培してまとめたということか。
渡された苗は、あの、葉の縁に線毛があるほうのものだった。
線毛が白く輝いていて、美しい。触っても刺さるようなことはなかった。
そして、いざ手にしてみると、手のひら大の苗というのは思ったより大きい気がした。
苗をつかむと、根元にごろっとした、塊を丸く触れる。
一種のイモのようだ、とも思う。
真のリンボク類に見られるような、放射状に突出した担根体は、ない。
ただただ、ミズニラのものに似た、丸みを帯びた塊茎があるのみである。
下側をなぞると、襞のような突出部を触れた。
そこからもじゃもじゃと茂る根は、根は灰色がかった半透明で、細かい。
水にほぐしてよく見れば、塊根のような塊から、放射状に根が萌出していた。
均等な2分岐を繰り返している。
ああ、これこそ小葉植物の根だ、と思う。
そしてこれもまた、ミズニラ類に見られるものそっくりで。
私が植えているものが、ミズニラなのか、リンボクもどきなのか、いまいちわからなくなっていた。
滑らかに触れる泥の向こうに、3億年の時を感じた。
3億年後の現生ミズニラ類は、それほどまでに、この鱗木もどきの幼木と極めてよく似ているのである。
リンボク類が縮んでミズニラになった――という古典的な説も、たしかに納得であった。
そして、この植え付け作業もなんというか――田植えに似ていた。
「根元の根を沈めて成長点の頂点だけ出しとく。沈めすぎるとだめだし、浅すぎると太らん」
――なるほど。
言われた通り、先端の成長点だけ出して埋めておいた。
ただ、ある程度浅く植えすぎても、地面に引っ張り込んでもう少しロゼット成長を続けてくれそうな気はした。なぜなら、現生ミズニラ類は成長に伴って根の基部が外側に向かって移動していき、これによって株の基部を地面に据え付けるからだ。
それに、あの鱗木もどきにみられる根元の襞は、おそらく吸盤のように細かい泥をつかむのであろう。となると、あの襞に沿って根が移動していくのだろうか?
成長段階に沿った標本が欲しかった。
ところでいま植えた――葉の縁に毛があるほうの鱗木もどきは、湿原にいたものとも、先ほど見た塔のような”ミニ鱗木”とは別属だ。それらよりずっと葉が長く、葉の基部の形も違っている。
おそらくは、Brasilodendronのなにかであろう。




