泥、礫、ねじ
舞台は石炭紀の地球です。この世界では、超時空ゲートによる過去の地球への植民が進められています。
木立を抜けると、そこには広大な圃場があった。
「ぬかるむから気をつけな」
そう言ってロドリゲス翁は、長靴を薦めた。
けばけばしい色の子供用で、皮肉にもサイズは、ぴったりだった。
履いてみると、少し、ぐちゃっとした感覚。中にちょっと、泥が入っている。
ブーツのほうがましだったな、と思いながら、灰色に滲む靴下を見下ろした。
肌を舐める風はまだ冷たく、見上げれば雲の隙間から、浅葱色の空が見える。
畑は木立の中、楕円形の弧を描いて広がっていた。
見回せば、緑色の、柱の列。
昨日湿原で見たものの何倍もある、棒状の植物が立ち並んでいる。
鱗木に似た、植物である。
枝は一本もなく、ただの棒状。高さは、2mほどはあるだろうか。
それが、びっしりと、株間30㎝くらいで並んでいた。
「うわっ、ものすごいべちゃべちゃ!」
アリアがぺたぺたと長靴を踏みながら、悪態をついている。
――見た目は長身でクール、それでいて。
踏むごとに靴についた泥がどんどん増えているのが、可笑しかった。
ふと、私のほうも見下ろしてみれば、きめ細かい泥が、長靴の底にべったりとこびりついていた。
「ここは湖か沼だった、ってことかな」
砂を細かくすれば、粘土になるわけじゃない。
長年水に浸されて――ようやく風化が進んで、粘土になる。
圃場は、びちゃびちゃに水で飽和し、細かい泥に覆われた、小さな田であった。
「沼を切り開いてな、礫を積んでな…畑なんて作ったことなんてなかったからなぁ、見よう見まねで、チビどもと、な。こちらを歩きなされ」
爺はその中に走る、石積みのあぜ道を案内した。
角ばった小石が積まれている。
手作業とは思えないほど、びっしりと、まっすぐに詰まれていた。
もちろん、上を歩いてもびくともしない。
そして、この角ばった形状――氷河堆積物に違いあるまい。
氷河に削られた石ころは、川の流れに運ばれたものより角が立つ。
だから、うまく組んでしまえば、石垣のようによく安定するのである。
「あの小石も…泥に混じっていたものです?」
そう聞くと、
「この泥もな、掘り返すと…」
そう言って、爺は泥に腕を突っ込んだ。
引き上げられてきたのは、ごつごつとした石ころである。
それにしても、これが見よう見まねとは――
「この畔、全部手で積んだんですよね、かっちり組まれてて、まるで昔の城壁みたい」
すると爺は手の泥をはらいながら、にっと歯を見せた。
「ま、技術畑なものでなぁ。こだわり始めるとついつい、ねぇ。田からチビどもがどんどん石を掘りあげるもんだから、この石をここに入れたらちょうどいいんじゃないか――とか思いだすと、組みたくてうずうずしてくるんだなぁ、これが」
そう言いつつ、さっき拾い上げた小石を一つ、隙間にねじ込んだ。
「技術畑?」
「なに、超時空ゲートの開発に駆り出された、ねじの一つに過ぎんよ。」
そういう爺の目は、口調とは逆に、寧ろ輝いているようだった。
――ゲート開発公社。千年以上にもわたって地球の知的階層の拉致と強制動員によって超時空ゲートを作り上げたという、あれだ。その、「ねじの一つ」。
そう揶揄する爺の目が、なぜ輝いているのか。
それが気になって、ならなかった。
――なぜなら、私も拉致されていたかもしれないからだ。
聞くまでもなく、爺はぺらぺらと喋りだした。
「つらいつらい言うやつもいるけどな、まあ今生きてるやつがいた頃はな、ほとんど完成が目前、ゲートから降りた後にどうする?って話だわい。月面で自動建設住居の試作品を並べたりな、実際に住んでフィードバックを送ったりな。夜な夜な集って、あれはよかった、あそこは改善すべきだと談義してな――。そうだな、ちょうどお前さんみたいな好奇心の強い連中が集まる場所だったからな。昔を思い出すと、なぁーー今は刺激が足りん。刺激が足りんなら、新しくやってみる。なんでもな。」
爺はえらく、饒舌だった。
「―-そうですか。」
私は、出発する前に、地上の宇宙空港で見たメモリアルホールを思い出していた。
「強制動員で辛いことばかり、じゃ、なかったんですね。」
「そりゃ、強制動員よ?突然棒持った警官が突入してきて連れ去られるもんだからたまったもんじゃねえなあ。地球の管理AI――アトラスだっけな?に記録の抹消が支持されるからよ、文字通り地上から消えるわけよ」
「――そこはほんとなんですね。きっかけって何なんです?」
すると爺ははぁ、とため息をつきながら。
「俺のときゃあ、ポリシー違反のためBANされますってんで個人情報を打ち込んだら来たなあ。ってんで同期で話し合ったらよ、BANされて再発行手続きで住所や虹彩認証やその他もろもろを打ち込んだら連れてかれる、ってのは共通よのう。中にはアダルトサイトの過剰閲覧でしょっ引かれたやつもいて、いや―あいつは面白いやつだった。それで女なんだぜ?」
「…まるで少年院かなんかですね。あとやっぱり、BANなんですね。アトラスにBANされたら再発行手続きを絶対にやるな、“消される”ぞ、ってやつ」
「実際流刑みたいなもんじゃねえか、と言われりゃあ、そうかもしれんなあ。――少年院ってのは違うがな、10代とかはむしろ稀、二十歳から三十代が中心、ときに50代のおっさんまで同期でな。っておまえさん、なんでそんなこと知ってるんかい」
「いや…その、噂で」
「アトラスはそんな噂を野放しにするほど腐ったんか、時の流れは速いなあ。俺のときゃ、文字通り神様面してたんだがよぅ。ムカつく神だが、そこまで腐って地球は大丈夫かね。」
――大丈夫じゃない、気もする。
「それでも地球は、回ってますよ」
「そりゃあ、周りはするさ、惑星だもんな。」
「で…その、連れていかれたら、どうなるんです?」
「俺のころはな、かってに連れてかれて月面にロケットで打ち上げられたと思ったら、今度は猛勉強させられて。みんな目に光を失ってくわけさ。その中でも光るやつだけが残っていくわけよ。まぁわしは落ちこぼれだったけどよ、楽しむことと新しいことについたあ、目がなかった。」
悪くないじゃないか、と、思ってしまった。
私もまた、アトラスにBANされたまま、アカウント再発行をしていない身である。
唯一の家族である叔父は、再発行手続きをしたら「両親みたいに」連れていかれると、私を脅した。
両親には、会ったことがない。
その具体的な所在を、確実に知っているわけではない。
けれど、おそらくは――そうであろう。
「その…それは、どちらかといえば、楽しかったということですよね」
おそるおそる、私は尋ねた。
爺はためらわなかった。
「俺は気づいちゃったわけさ。アトラスの「BAN」こそがあれの存在意義で、世界を監視して超時空ゲートを作るに値するだけのネジを遍く世界から集めてくる、登用システムが本体なんじゃないかってな。そう気づいてからは、楽しいぞ?
だってな、周囲に面白いやつしかおらん。聞けば俺より詳しいか、別の視点を持ってる。話も予想不能な方向に飛んでいっては、深まっていく。
そうだな、お前さんみたいのは、地球だと孤独だったろ。」
――孤独。
「はい…そうです」
…いまも、と言いかけて、口をつぐんだ。
「だろうな。お前さん…いや俺の勘でしかないんだけどな、俺の時代なら「登用」されたやつでしか見たことのない眼をしとる。お前、地球だとつらかろう。」
もしあのとき、「再発行」してしまっていたら、と頭をよぎる。
叔父は全力で止めたけど、もしそうでなかったり、もしくは聞かなかったなら。
――10年前の私もまた、ロケットに乗せられて、月の住民になっていたのだろうか。
そういう人生も、ある意味悪くはなかったのかもしれない。
そんな気がした。――少なくとも、この爺の表情からは。
「ケイ?話し込んでるところ悪いけど、そろそろ撮影始めないと――時間的に、ヤバいかも」
アリアの声で、ハッとわれに返る。
もしそうしていたら――彼女とも会う機会はなかっただろう、と。




