未知を釣る
クラーケン、という化け物がある。
イカのお化け、という印象が強いが、伝承としてはイカやタコといった分類学的ニュアンスより、水底から突き出して、船を沈めてしまう、得体のしれないものである。
それに、似ていた。
濁った水に佇み、根惚けて漂うパレオニスクス類の魚が、水中から伸びた腕によって、突然水中に引き込まれる。
何か、30㎝ほどの大きさがありそうな影が水中をよぎるのだが、その正体がいまいち、つかめない。
「網届くかな、あれ」
「距離的に、虫網しかないけど…ヘッド交換でいけるいける」
アリアはネット入れからさっと目の粗い網を取りだすが、
網の部分をねじ込む手が震えて、3度、うまくはまらなかった。
「らしくもない。大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫よ、ちょっと寒くて焦っただけ。よし!照らすと逃げるんでしょ?今まだいる?」
ちらりとだが、見える。
「まだいる」
アリアがようやくネットをねじ込むと、ヘッドランプをつけてするすると網を伸ばしていく。
網に入ろうとした瞬間…
ひらひらと足を広げて、落下していった。白っぽい腹がよく目立つ。
「でかいでかいでかい、思ったよりでかい!」
逃がしたのに、アリアは大興奮である。
そのとき、気づいた。
船着き場のロープの影から今、足が何本か飛び出し、驚いた小魚が波紋を立てている。
「また見つけた」
「えっどこ!?」
「あそこの船着き場のロープの間」
「えーどれどれ」
「いた!」
その瞬間、ヘッドランプに照らされたそれは、ざばり、とまた沈んでいく。
「らちがあかない」
「釣れないかな、あれ」
「うーん、ちょうどいい釣り糸が必要ね…宿にはあるわ」
そう言って、アリアは何匹かのパレオニスクス類を掬って、袋の口を縛った。
夜の宿は冷たくて、どんどん、と戸を叩いてようやく、フロントでうたた寝していた宿の主人が目を覚ました。ほぼ、締め出された格好である。
「おう、こんな寒い夜中に」
「釣り道具使いたくて。ちょっと荷物あけさせて!」
「ってあの大荷物を今から開けるのかい?釣り道具ったら、あれでいいんじゃねえか?」
そう言って、彼は無造作に立てかけられていた竿を出した。
先端には、ルアーがついている。
「ありがとっ!ほんと助かる!」アリアはにっこりと笑みを浮かべると、「じゃあ行くよ!」とまた走っていく。
何とか遅れながらもついていくと、アリアはさっき釣ったパレオニスクス類を、針金でぐるぐるとルアーに巻き付けている。
「釣れるかなあ、こんなので」
「いけるってたぶん。多分傷ついた魚のにおいに反応するんじゃない?だからこう」
そう言って、竿先に鈴をつけて餌を放り投げた。
静寂。
普段なら耐えられ、寧ろ好むくらいの静寂が、今日は何か、気まずかった。
「さっきは、せっかくのプレゼントだったのに…ごめん」
そう、改めて口に出た。
「いいって。だってこう、髪飾りとかついてたら、こういう時不便でしょ?」
そう言って、アリアは頭につけたヘッドランプを指さした。
「まぁ、それもそうだね」
そして、ちらりと見えた表情は――あれ、全然落ち込んでない。
寧ろ、なにか幸せそう…?
それがかえって、不安にさせた。
その時、鈴が鳴った。




