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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
凍てつく地でも、採集を。
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皮の記憶、骨なき背骨、そして知覚の鎧

自然を教訓的ないし内面の成長に資するものとして受け取るとき、そこにはほぼ必ず誤謬がある。

そういうものがある、と受け取るべきであり、そこに正しさを求めるべきでない。

帰納せよ、演繹は慎重に。

予測されたものが正しい保証はない。

それでもなお、観測されたものを記憶に紐付け、妥当でない観察や記述に体感的な、不快な感情を惹起させるため、理論を学ぶのである。

予測が外れたとき、ぞわりとする、違和感と疑念、ときには敵意といった感情を抱き、予想が当たれば喜ぶ。これが学びの原動力であり、感情を排して考えるのが理性的であると自称するものは、偽善者ならぬ偽理者であると言わざるを得まい。


理論は神ではないし、自然科学は神学の後継者ではなく、理性は感情と対立しない。

(「古代魚を食す」中略 に相当する全文。)

――そういえば、レピドテスの鱗らしき化石がバリオニクスの胃に相当する部位から産出したという話がある。レピドテスかどうかは、いまいち怪しいにしても。

ガノイン鱗が恐竜の胃酸にも耐えるレベルであることは、化石でしか恐竜を知らない私にも知られた事実だった。それだけではない。カリブ海沿岸のネイティブアメリカンは、ガノイン鱗を持つ淡水魚であるアリゲーターガーの鱗を、鎧として用いたという。

ところで。

魚の鱗は、真皮から生えてくる。そもそも真皮とは何ぞや、という話をせねばなるまい。皮膚というのは薄い表皮と、それを支える真皮、さらに下に皮下組織がある。

豚の角煮を思い浮かべてもらうとよい。

表皮は薄く、(手のひらや足底だとやや厚いが)ヒトだと0.2㎜しかない。この層は陸上動物においては、乾燥からの防御に用いられるし、水生動物であれば粘液の分泌により外界から保護する。薄くほとんど透明ながらも、バリアーとしての機能は底知れない。しかしそこには血が通っていないので、表皮を切っても傷口から血はでてこない。そんな薄い層は見えないので、豚の角煮に見られる「皮」は真皮層なのである(ヒトの真皮からするとビックリする厚さで、2~3倍はある!それではイノシシに襲われたら助からないわけだ)そして、その下には皮下組織――ほとんど皮下脂肪と同義――がある。皮下脂肪の存在も実は当たり前ではない。たとえばサメやエイには、皮下脂肪がない。

さて、ヒトの毛は、真皮に突き刺さっているように見えるけれども、表皮から内側に向かって伸びていく、明らかに表皮由来の器官である。これの起源は感覚毛だといわれていて、犬のヒゲのように三叉神経に支配される鋭敏な感覚器だったものが、全身を覆って感覚機能を概ね失ったものである。

いっぽうで、鳥の羽毛は表皮の一部が真皮と相互作用しながら、表皮が角状に伸びた中を真皮が進んでいって、表皮の中に真皮層が詰まった筒が突出するように生えてくる。だから毛には血管がなくて、生えたての羽毛にはしばしば血管がある。毛で空を飛ぶ哺乳類がいないのは、たぶん真皮層と血管を毛の内部に作れないために、複雑で頑丈な構造を作れないからだ。

**

哺乳類の毛は毛包で増殖した死細胞を押し出していくだけで、羽毛のような形態を作るだけでも極めて困難を伴う。生体での酸素拡散距離は0.1-0.2㎜といったところで、真皮からそれ以上離れて構造を成長させるには距離が長すぎる。毛がどのように変化したとしても、血管が分布する毛包周囲から0.1-0.2㎜より先で分岐を新しく作ることは酸素供給の面から困難になる。羽毛が枝分かれするのは、羽毛が真皮と血管を中に内在させているからこそ可能になったことである。ここでは発生様式および上皮シグナルについて深くは述べない(羽毛の分岐は上皮組織のBMP2やShh発現が重要だが、哺乳類の毛や爬虫類の鱗でもよく発現するものの転用である。それを可能にするインフラの存在――血管網を含む真皮の内在――こそが、鳥の羽毛と哺乳類の毛の運命を最も分けるのである)。

**

さて、鳥の羽毛の発生は爬虫類の鱗のそれとよく似ていて、しかし哺乳類の毛とは全く異なって見える。これが真皮由来なのか表皮由来なのか、毛と相同かどうなのかについては長らくの議論があった。

外からの見た目には当たり前に同じように見えるのに、である。

同じであると受け止めるよりも、構造的にも発生的にもかなり異なる、と受け止めることが大事だろう。


さて、現在の魚類に見られる、薄く重なり合った鱗は、私たちの皮膚の祖先形からは程遠く、そこから私たちの皮膚の原始形態を探るには適していない。

そのカギを握るとすれば、ガノイン鱗であろう。

ガノイン鱗には重なり合いがあまりないが、これは真皮に埋め込まれたような構造をとっているためである。ぴっちりと並んだガノイン鱗は、成長につれてその大きさが大きくなり、配置も数も変わらず生え変わりもしない。そして、歯に似た構造を持っている。特に原始的なパレオニスコイド鱗では、皮骨、象牙質、エナメル質=ガノインの3層構造がはっきりしている。この3層構造は真皮中胚葉由来の皮骨、外胚葉神経堤細胞由来の象牙質、そして表皮外胚葉由来のエナメル質が合体している。そしてさらにさかのぼって無顎類をみてみれば、象牙細管が発達して神経支配もまた充実し、感覚機能としての機能が重視されていくのである。鱗と歯の起源はおそらく、こうしたセンサーを兼ね備えた装甲板であるらしい。

古くは真皮はもともと骨質であったとみなし、我々の柔らかい真皮はミネラル沈着を欠く骨なのではないかと考えた人もいた。それのどの程度が正しいかはさておき、かつて真皮においては骨化があたりまえにみられ、脊椎動物はしっかりとした装甲で身を固めるのがふつうであった。

いっぽう、脊椎動物において大抵おざなりにされるのが、逆説的にも脊椎だ。

石灰化した骨質の脊椎、というのは、何度も退化傾向になっては(ほとんど骨化しなくなっては)復活してきた経緯があって、現状の魚で脊椎が退化しているのはシーラカンスくらいにしても――いや、チョウザメとかギンザメだってそうか――、古生代には割と当たり前に“退”化した脊椎を持つ魚がいる。パレオニスクス類にしても椎体の骨化はかなり弱くて、鱗はしっかりと生前の配置を保つのに、まるで骨なし魚のように保存されることがままある。その姿をよく残す現在のポリプテルスにしたって、幼魚には実質的に石灰化した椎体が殆どみられない。

パレオニスクス類は現生魚類のほとんどを占める条鰭類の原始形態をあらわしているから、魚の骨はいちど退化傾向になってから再度石灰化が進んだものと考えられる。シーラカンスなどの肉鰭類にしても椎体は退化的で、両生類と爬虫類においてすら椎体を作る骨化中心が“入れ替わって”しまっているし、オタマジャクシにも石灰化した椎体がない。古生代の脊椎動物は思ったほど「脊椎」ではないし、むしろ鎧に身を包んだ生き物たちであって、現在あたりまえにみられる「背骨」もまた様々な系統で独自の道を歩んできたのだ。

などと、食べながら思った。

―中略終わりー





サイエンスとしても、哲学としても取れるかもしれない。

ただし。

自然が、もし私たちに大事な何か教訓や教えを教えてくれるような気がしたとき、理解が誤っている、もしくは観察が誤っていると疑う、ざわりとした不快な感覚を身につけねばならない。それは文字面を追いかけることよりはるかに重要なことだろう。

自然は聖書ではないのだ。

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