最果てアフタヌーンティー
「収録、おっつかれさまーっ!ほんっとうにありがとう!
──はいこれ!本物の紅茶ね!前のリクエスト!」
アリアが声を張り上げると、ぼろ宿の埃が、声圧ではらりと落ちた。
「まずは道具からね!割れ物だから、けっこう梱包が大変だったのよ〜」
梱包をほどくと、ティーセットが姿を現す。
埃がかった宿には似つかわしくない、色艶だった。
ティーカップが四客、それにティーポットがひとつ。
「ねぇねぇ、このポット包んでるやつ、セーターみたい!これ何??」
「ティーコージーっていうの。お茶が冷めないように包むカバーね。ま、見た目も役目も、セーターみたいなもん?」
魔法瓶のふたを開けると、白い湯気がふっと立ちのぼる。
それをティーポットに注ぐと、まるで命が宿ったかのよう。
華やかな香りが、あたりにふわりと、広がった。
「いい香り……!これ、なんて言えばいいのかな。甘くて、ちょっと焦げたような……香水みたい。でも、もっと優しくてあったかい」
「地球ではそれ、“花の香りみたい”って言うの。でも、特別な香りって思ってくれればいいかなって!」
「もしかして……香水の香りも、紅茶から来てるの??」
リリィは興味津々である。
「いやいや、香水が花の香りを模してるってわけ!あなたの名前も、花の名前よ。大きな白い花がふわっと咲いて、甘い香りが広がって、でも静かで──それでいて、しなやかで倒れない。そんな、強くて美しい、花」
「花って、こんなに綺麗な香りなのね……。絵でしか知らなかった。花も、私の名前も」
声がすこし、震えていた。
この星の人々は――花を、知らない。
もちろん、フルーツという概念もないのである。
「さ、注ぐわよ」
アリアは、ゆっくりとポットを傾けた。
琥珀色のぬくもりが、そっと3つのティーカップを満たしていく。
「ミルクとお砂糖は、お好みで!」
「ミルクって……ほんとに、牛の……あれ?え、それって……」
リリィはぷつんと口をつぐんで、胸を覗き込む。顔が真っ赤だった。
「“あれ”って……言い方!ミルクはミルク、牛の乳に決まってるでしょ?」
――酪農も勿論、ないのである。
「おやっさんも、どうぞ」
埃っぽいフロントに腰掛けていた宿の主人は、
「おぉ、俺の分もあるのか」
宿の主人は両手でそっとカップを受け取り、香りに目を細める。
そして、
「懐かしいねぇ…」
と一言漏らした。
「おやっさんね、地球にいたころは“紅茶党”だったんだって。」
リリィがそっと耳打ちした。
カップは一つ、空のままだ。
「ケイは来ないって。少しでも時間あれば、採集したいらしいの。」
「じゃあ、先に……いただきます」
リリィは紅茶を一口含む。
口元がふっと緩んだ。
「なにこれ……すごい……」
「香りが、口のなかでふわーって広がって……飲んでるのに、吸い込んでるみたい」
「ふふっ、でしょ?」
「これすごい!渋くないし、鉄っぽくもない、酸っぱくもない!」
――それ、単に泥炭コーヒーの問題では……と喉まで出かかったが、アリアはぐっと飲み込んだ。だって、ここではせめてもの嗜好品なのだ。
「そうそう、お茶菓子も持ってきたの!ビスケットとマカロンくらいだけど……いる?」
「お茶…菓子?」
リリィは、そっとビスケットを手に取る。
指先で押すと、かすかにサクッと割れた。
一片を口に運んだ瞬間、リリィの目がぱっと見開かれる。
「っ!!」
声にならない声が、紅茶の香りの中に弾ける。
「なにこれ……すごい……!」
「香ばしさが、口いっぱいに広がって……しかも、この歯ざわり!パリパリって……どうやったら、こんな風になるの?」
「たぶん、ココナッツ?それか……ショートニングってやつかも」
リリィはもう一口かじる。
小さくサクッと音がして、ふたたび目を見開いて、口を押えた。
「へぇ……そんなのがあるんだ!なんか、音までおいしいって感じ!ねえ、こっちでも作れないかな?こんな食べ物があるなんて知ったら、みんなびっくりするわ!」
アリアは興味津々に、尋ねた。
「どういう味だと思ってたの?」
リリィは少し考えて、ちょっと照れくさそうに言った。
「……団子の、小さくておしゃれなやつ、みたいな……?」
アリアも思わず、苦笑する。
「こっちの「団子」って、味ないもんね……味のないタピオカ、みたいな」
リリィがふっと微笑む。
「今日の撮影、ほんと楽しかった。」
「こういう時間って、なんかさ──ほんと、「旅行してる」って感じ、しない?」
「それって…いい意味で…だよね?」
リリィは、ほんの一瞬だけ間を置いて、首をかしげた。
「そりゃそうに決まってるじゃない、だって旅行だもん!」
アリアの一言に、リリィはふっと息を漏らす。
「よかった…!私、アフタヌーンティーって、憧れだったの。映画や本の中に出てくる、遠い星の、遠いお話…って、感じ?いつかできたらな…って」
「じゃあ、リリィにとっても、「旅行」?」
「えぇ、とっておきの。」
「全員、そろえばよかったんだけどね」
アリアは窓の外を見やった。
カップは一つ、空のままである。
紅茶の香りが、静かにたゆたう。
しばし、言葉はなかった。
リリィは目を伏せたまま、指先でカップの取っ手をなぞっていた。
その瞳がふと、アリアにまっすぐ向けられる。
いつもの無邪気さより、少しだけ迷いを含んだまなざし。
「ねぇアリア、聞いていい?」
その声は、ふだんの明るさよりも、ほんの少しだけトーンを落としていた。
「ええ、なんでも!」
リリィは、おそるおそる口を開いた。
「…なんか、アリアっていま、ちょっと無理してるように思うの。…気の、せい?」
アリアはカップを口元に運ぶ。
少しだけ、笑った。
「まあね、年々立場も責任も重くなってるし。ラボのこと、論文、配信……学生の頃みたいには、いかないのよ、まったく。」
「そっかぁ。大人になった、ってことね。配信ももう、ビジネスよね?こんな田舎でも、アリアのこと、みんな知ってるもん…」
「もうビジネスよ、ビジネス。動画一本取るだけで、旅に何回か出られるくらいの金が動くようになっちゃった。
もう下手なこともできないって、プレッシャー。
あとはラボのPR。
ボスも最近、研究室に来たくなるような動画を撮れー!って、圧力かけてくるし。
まったく。」
「うわぁ…それはお疲れ様ね…。道中のアリア、ちょっとテンションが乱れてたし……普段なら言わないようなことも、言ってたなあって。」
「ほんっとそれ!みんな、期待しすぎ!」
「“なんでもできます”と“なんでもやります”は違うって、何度言えば……」
「無理すれば、そりゃあっちこっちに綻びが出るし、スケジュールはパンパン。休めるの、調査と調査のあいだの移動中くらいよ? やってらんない!」
「……お疲れ様。でも、今のアリアは、ちゃんと“昔のアリア”に見えるわ」
「そ!リフレッシュできたし、リリィと話してると昔を思い出せるみたいで」
リリィはカップを両手で抱えたまま、目をそらして、ひと呼吸置いた。
「……アリア、ケイさんのこと……どう思ってるの?」
アリアは、すぐには答えず、紅茶をそっとひと口。
口元に、かすかに笑み。
「……どうって、どういうこと?」
「……だってアリア、ずっと様子が不安定だったのに。この宿に来たとたん、急に……“昔のアリア”に戻った気がしたの。ちょうど――ケイさんと離れた、その時から」
アリアはカップの縁にそっと指を添えた。返事は、遅かった。
「そりゃあ、まあ……意識は、しないとは言えないよね」
リリィの目がきらりと輝いた。
「優秀な後輩ってこと? それとも……そういう、意味?」
「──ねぇ、ケイって、何歳なの?」
「えっ?」
アリアは吹き出しそうになるのをこらえて、カップを置いた。
「大学で知り合ったのよ。同級生」
「えっ、大学!? 飛び級どころの話じゃないでしょ!?」
「「身分証を提示してるのに、アルコールを買ったら通報されちゃったよ」って、何度も泣きつかれた。」
「アルコール…?もしかしてだけど…まさか、年上?」
「うん、リリィよりたぶん2つか3つ上。びっくりでしょ?」
「うっそ……でも、あの博識っぷりなら納得。大学の先生とか、そういう人でしょ?」
「シーッ。それ、地雷なの。年齢よりこっちのほうがずっと根深いから」
「えっ、じゃあ……学者さんですらないの?」
「私は学者なんて高尚なもんじゃない、そのなり損ないだ、って…ね。キレるのよ。学問じゃ食ってけないって割り切ったくせに、その選択を、ずっと……恨んでるみたい」
「実際どうなの?学者って。そんなに報われないの?」
「――からっきし。ケイの言うことも、すごくまっとうなのよ。」
アリアは一度、紅茶を見つめてから、ぽつりと続けた。
「でも……うちのラボは、どうしても欲しいみたい」
リリィはその表情をしげしげと覗き込んだ。
「ねぇアリア、本当に…それだけ?今朝、ケイが髪切っただけで、見るなりピタッと動きが止まったり…」
アリアはむくれて紅茶をすする。
「だってさ、いきなりばっさり。びっくりしただけよ」
「ふーん? それだけ?」
「……それだけよ」
「なら、いまその“それだけ”のことを思い出して、なんで顔が赤いのかな?」
リリィはカップを両手で持って、いたずらっぽく笑う。
「~~っ、リリィ!」
アリアは考え込んでいた。
──ケイのことだ。
私はきっと、ケイを"珍しい生き物"のように見てしまっている。
人と話したりつながることより、世界を知ることに興味があるところとか、全部ひっくるめて、愛おしいとすら思っている。
ラボが欲しがっているのも、そういうところだ。
“ああいう人はいまどき滅多にいないから、絶対に手元に置いておきなさい”
ケイが大学を去るとき、ボスはそう言った。
――意識するようになってしまったのは、それからだ。
アリアはぶんぶん、と頭を振った。
いいや、確保とかラボとか。
そんなの、どうだっていいじゃない。
全部を取っ払った――ただ、旅がしたかったんだ。
「ほんと、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫よ」
そう言って、アリアは残りの紅茶を、ぐいと飲みほした。
その時だ。
がらがらと扉が開き、喧噪が宿の中に押し寄せる。
子供たちの群れ。
笑い声と、土の匂い。
そして、その真ん中に立っていたのは――ケイだった。
「これ…もらっちゃった。食べられる…んだって」
それは、大根より一回り太いくらいの――鱗木の幹だった。




