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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
前日譚 超時空ゲートのある世界
13/198

「メッセージ」/「浮上」/「石炭紀、来るよね?」

古びた紙のにおいが、どこにでもしみついている。


地表から数えて、第十二層。

ほかに住む人もおらず、灯の光も届かないこの階層に、旧神保町古書堂街がある。


もはやかつての街並みの面影はない。

互いに飲み込み合いながら、巨大なサンゴ礁のように成長した都市の、てっぺんから数えて五十メートル。

実質的に、地下だ。

そんな真っ暗闇の階層に、大量の古書を収蔵した収蔵庫が延々と並んでいる。

そして、ぽつぽつと、最低限の明かりがともっている。

そのさらに奥に、ケイの住む場所がある。


古書堂に関係する者たちが過ごすための、手を広げれば両側の壁に届いてしまいそうな、居住スペースだ。


ごくごく、小さい。

壁は、薄い。

いつぞやの居住者が癇癪を起して開けた穴が、まだひゅうひゅうと風を切っていた。


小さな部屋は、ふつうベッドがあって、寝るだけで目いっぱいだ。しかしその中に、まるで倉庫のような一角がある

――ケイの部屋だ。

ベッドは、ない。そもそも空いているスペースが、ない。

単管パイプで組まれた棚のようなスペースには、薄いマットと毛布が敷かれている。

そして猫のように、小柄な体躯を、にょろりと滑り込ませるのである。

毛布にくるまって丸くなる。手足を伸ばせば、棚はすぐいっぱいになってしまうから。


――しかし、今日は勝手が違った。

腹の底から、突き上げるような痛みが襲ってきて、ジワリと冷や汗が頬を伝う。

棚にかけられた梯子を駆け降り、廊下にダッシュした。


石炭の煙のせいか、マツオウジの生焼けのせいか。


会社で飲み食いをしないのは、女子トイレに行かずに済むためである。もはや出禁といっても等しいほど、悪意に満ちた視線をむけられるのだ。

誰もいないときにこっそり入っても、気が休まらなくては、出るものも出ない。


視界に、TWINSの文字列が浮かぶ。

《家でよかったですね。社内じゃトイレ、使えませんから》

ケイは、返事もせずに目を閉じた。


腸管の中身が軒並み搾り取られると、ふいに、あのいまいましいヒト型端末の顔が浮かんだ。

はらわたも持たないやつの顔が。


そのとき、ケイはふと気づく。

――自分でも不思議だが、こういうとき、ほかの社員の顔が浮かぶことはまずないのである。


そんなことはさておき、ケイは額に滴る汗をぬぐい、ようやく寝床に入った。


その周囲には――所狭しと、網やウェーダー、ピッケル、ロープ、テント、リュックサック…などなど、数知れぬ探検道具、そして無数のサンプル瓶と標本が埋め尽くし、保存用の樟脳のにおいが古書堂からの紙のにおいとまじりあって、得も言われぬ独特の香りを醸し出していた。


 もう何百年も、なにひとつ変わっていないものばかりだ。骨董品というか、オールドファッションというか。いいものは――何年たっても、変わらない。新しい合成繊維の軽量ギアを揃える余裕もないし、第一、ケイにはそこまで必要を感じていなかった。

貧乏探検家にとって、装備とは「使えれば十分」であり、軽さとかそれ以上の快適さは贅沢だった。


おかげで――筋肉がついて、余計に男と間違われるのだが。


 細長い有機ELテープが、ぼんやりと、黄色味を帯びた光を広げる。

この部屋には、ほとんど影ができない。ものをなくしたとき見つけやすいように、何度も光源の位置を調節した成果だった。


棚のような片隅に、また、体をひょいとねじ込む。

こういう隙間にすっぽり収まると、身を隠しているような気がして、気が安らぐのだ。


むしろ、だだっ広いところで大の字になって寝ているのがよいという人間は、外敵に襲われる危険を忘れてしまった自己家畜化動物だと思ってしまう。


毛布が一枚置かれただけの寝床から、ぬっと手を伸ばしてスイッチを切る。

部屋はしんと、暗くなり、意識がすっと遠のいて、眠りの底へと落ちていった。


***

 夜中、沈黙の中、端末の画面が、ぱっと青白い光を放つ。

 真っ暗な部屋に、ぽっと沸いた、流れ星のようだった。

 ケイは、光に敏感である。

眠い目をこすって毛布の中から手を伸ばし、端末を手探りで掴む。

大学の友人、アリアからだった。

【カフェの予約、とっといた。日曜14:00にRustic。来られる?】


 ケイは短いメッセージを二度読みし、深く息を吐いた。


「また、呼び出しか……資料調査の相談かな」


 アリアからの呼び出しは、いつも唐突だ。


空港の乗り継ぎロビーに呼び出されたこともあれば、古書堂に突然押しかけてきたことすらある。


それで、言われたとおりに行ってみたら、いなかったりする。

年に二度は、そんな無茶をされる。慣れたといえば――慣れた。

傍からは、いつも彼女は考える前に、行動で全てを決めるように見える。


しかしその本性は――単に、忙しいのである。


調査のため一年中飛び回っていて、何とか空けられた時間に、ひょいと現れるか、突然、来いと連絡をよこすのだ。そして、来ないな、と思っていると「ごめん!!用事が入っちゃって!!また!」などと、メッセージが届いている。


 その時、部屋の端に置いたARグラスが点灯し、小さな文字が流れた。

《ご主人様。あのアリア女史が、わざわざ一週間も前から計画的にカフェを予約するなど、ありえます?》


「まあ……そういう時もある、んじゃないかな」

 ケイは毛布をかぶり直し、また何やら文字を表示し始めたグラスを反転させた。


***

3日、すぎた。


時流というのは、時の流れと書きながらも、あまりにも過ぎ去るのが早いもの。


ウッカリすれば、置いて行かれてしまうもの。


あのメッセージが来てから、心臓がいやな不協和音を立てることが度々だ。


――たしかにTWINSがいうとおり、あの一文は、アリアにしてはやや、妙なのだ。

ケイは会社のデスクにつくと、汎用人工知能「アトラス」の社用アカウントを開いた。

そして、待ち合わせ場所として提示されたRusticなるカフェについて尋ねる。


というのも、いま最新の情報を知るにはこうするほかないのである。


いろいろあって、ケイの個人用アカウントはBANされたまま、もう何年も解除申請を出していないのだ。


ケイがこの理由に言及したことは少ない。

「あれは――ある種の、言論統制か、もっと恐ろしいものだった。だからもう、アカウントを預ける気が起きない。」

そう、親しい友人として、アリアに話したことがあった。


回答が生成された。

《アトラス:Rusticは旧東京市街から移築された文化財級の古民家を活用したカフェです。創建は二十世紀初頭と推定され、外観は黒漆喰の壁と燻した木材、瓦屋根をそのまま保存。内装については、当時の構造ができる限り保存されています。大梁や床板には、当時の加工痕や経年変化が見られます。

《立地は第一層、すなわち陽光層の庭園区域に隣接しており、昼間は直射光が差し込みます。周辺は富裕層邸宅や大使館的施設に囲まれており、文化的・景観的に重要な一角とされています。》

《予約状況についてですが、通常は三〜四週間先まで満席です。予約は提携カード会員向けの優先枠を通じてのみ確保可能です。口コミ平均評価は4.8/5で、特に“本物の木の香りがする”という点と、陶芸家による手焼きカップの使用が高く評価されています。》

《参考までに:ご主人様の現在の勤務先アカウントからは直接予約を取ることはできませんが、既に予約が成立している場合には、問題なく入店可能です。》


――やっぱり、おかしい。

そもそもこれ、予約するだけでも相当だぞ。

あと――この建築、見たい。

ケイはデスクに突っ伏して、そのまま目を閉じた。


――――Chapter.2.「浮上」――――

日曜。

旧東京重層都市礁 第十二階層。

古書堂のある階層には、ケイたち以外、ほとんどだれも住んでいない。太陽の光も届かず、電源の供給にも問題のある下層――おもに、第十階層以下に住む人がいれば――それはまず間違いなく、職か、戸籍がない人で、まともな食い扶持のないものだ。

しかし、例外がある。古書堂にだけは、合法な電線が引かれて毎日煌々と灯りがともるのだ。そして、古書堂の店員と、その家族が住んでいる。しかし、安住の地ではない古書堂は、火災発生時には書物を守るために消火ガスが充満する構造となっている。

もし有事の際に消火ガスがもれれば、空中の酸素が急激に奪われ、一瞬のうちに死に至る。

勿論、火気制限もまた、厳しい。

だから、彼らはいつしかその居住区を、「No Man‘s Land」とよぶようになった。

書架を守る強化外壁の外周には、そうした居住区のほかにも、幾らかの管理設備が並んでいた。

ケイはそこを歩きながら、ふと、コンクリートの色が四角く変わった場所に気づく。おそらく、壁が塞がれたあとだろう。

この階層にも、かつてはほかの居住区もあったという――が、ケイの物心がつく頃には、みな閉鎖されてしまっていた。

強化外壁の奥に、四角い窓が見えてきた。従業員用エレベーターである。

エレベーターで、第5層まで上昇する。

窓を覗けば階層ごとに、灯の階層と闇の階層が、交互に視界をよぎっていく。


そう――階層都市では、人工的な昼光色、夕焼けを模した橙色、あるいは夜空の青黒へと、有機ELの色と暗さが時を刻み、一日の周期は階層ごとに交互に逆転している。

本来人間の概日リズムを調律していたはずの本物の空は、遥か上層、第一層と第二層までしか届かない。


第五層。雑踏の中、ケイは鉄道に乗り換える。

車窓からは、増改築を続けた家屋、道端に放置された自転車、ベランダや軒先に放置された発泡箱からにょきにょきとトマトが伸びていたり、道端で露店が開かれていたり――いろいろな混沌が垣間見える。

ふと車内広告を見ると、「食料品高騰にストップを!」という看板とか、「一家をあげて、過去へ」「頭以外、ツルっとしよう!脱毛なら鶴美容皮膚科」などが目についた。


 エレベーターに乗り換え、さらに上へ。

ついに、第二層。

ダクトを通って太陽光を直接分配する分光照明が、今までとは違う本物の太陽光を届けている。

床は磨き上げられた、大理石。

小さな唇のような模様は、石炭紀からペルム紀に栄えたフズリナ類の化石だ。

ケイは自らの服を見下ろした――灰色の、いつものジャケット。

薄汚いドブネズミが迷い込んだような気がしてならなかった。

えもいわれぬ背徳感から、足早に第一層につながるエレベーターへと、駆け込んだ。


第一層。

扉が開くとともに、眼を刺すような光線に、思わず目を細める。

フィールドを駆けまわっていた大学時代を思い出して、懐かしかった。

じりじりと肌に照り付ける、熱、光、紫外線。


太陽光は、私たち重層都市礁の人間にとって、富の象徴だ。

第一層にあるのは、ざっくりいうと三つだ。

邸宅、企業本社、そして公園。

ケイが訪れたことがあるのは、むろん公園のみである。

日曜の公園は、どこを向いても何人か人がいる。

しかし、じりじりと照り付ける太陽といい、容赦ない暑さといい、ここで歩くのには少々命の危険を感じる。

ああ、森なり林なり、ちょっとは都市から離れた、あまり人のいない場所にまた行きたいものだ

――と、ケイは思う。

たまらず公園の日陰に入れば少々、日差しは和らぐ。

が、体温とほとんど変わらない熱風が、徐々に体の力を奪っていくし、ふと横を見れば、たいてい誰かしらの人間が、5m圏内にいる。


そんな、過酷な環境にもかかわらず。

人は、やはり空と太陽に吸い寄せられてしまうのかもしれない。

道行く人に真っ赤に日焼けした人が多いのは、おそらくその特別な光と気分を味わいたかったのだろう――ここでは太陽光とは、贅沢の象徴なのだから。


そして――この人口密度は、環境収容力をとうに超えている。

こんなに、人とその建造物が地球を覆いつくしているのに、21世紀の地球には、今の三倍も人がいたらしいことは、なんとも驚くべきことである。


ああ、そんな時代には生まれたくなかった。


――と、ケイは思うのだった。

足元の芝生を見ると、黄緑色で葉幅の広く、白っぽく、幅広く丸みを帯びて膨らんだ葉鞘が目立つイヌシバの隙間から、濃緑色で光沢があり、細くとがったハマスゲの葉がツンツンと突き出していた。

そして、石畳には白い石英や長石を基調に、キラキラと黒雲母が光る。

大陸地殻を構成する代表的な石、花崗岩である。


メタセコイアの影から、黒く燻された木の外壁と真っ白な壁、そして滑稽なまでに高い屋根がすっと顔を出す。

数世紀前の世界からそのまま顔を出したようなその建物は、ケイの目をくぎ付けにした。

しばらく立ち止まって、ただ見上げるだけだった。

Rustic。

真っ白な壁をそっと手で触ると、見た目以上に硬かった。

漆喰か。消石灰をベースに骨材や繊維などを混ぜ込んで作られたもので、適切に保管すれば、千年以上ももつという。そこに垣間見える黒々とした柱は、いったいいつ伐られたものだろう??年輪暦の知識はないが、もしかするとこれからでも年月を特定する方法があったりしないだろうか――ケイはすっかり、不安のことなど忘れて高揚していた。



 しかし、そんな高揚も、すぐに消し飛んだ。

入口に、小さな札がかかっている。

「貸し切り」

 ――そんなこと、聞いていない。

おそるおそる戸を開けると、店主が静かに一礼して招き入れる。

残されたのは、中から漂うコーヒーの香りと、静寂だった。



――――Chapter 3. 「石炭紀、来るよね?」――――

大梁が天井を横切り、樹齢数百年の柱が黒く艶を放つ。

黒々とした梁と柱が行き交う先に、屋根の裏の骨組みまで続く、ひたすら高い空間がむき出しになっている。

ただし、それらはほとんどどれも、厳密な意味で真っ直ぐではなかった。

柱はねじれ、わずかに曲がり、梁は大蛇のようにうねっている。

よく見てみれば木材は釘ではなく、パズルのように嚙み合わせて組まれており――それらを組み合わせる穴もまた、適切な位置に、適格に設けられているのだ。


そして、事実として――建物自体がゆがむことなく、かっちりと数百年も成立している。


――ケイは、驚きを隠せなかった。

自然の木々の曲がりをデザインとして取り入れるために、ここまでやったのか?

それとも、当時はそうせざるを得なかったのか?

もしくは、敢えて曲がった木を使うことに、強度的メリットがあったのか?と。


天井と屋根に見惚れてしまったが――まだ、席にもついていなかった。

タールで真っ黒に染められたテーブルが鈍く艶を放ち、歪んだ偏光有機ガラスを通った光が、ところどころ虹色の輝きを映していた。

そして、アリアの姿があった。

 アリアはコーヒーを一口含み、目を閉じて香りを確かめた。

 その瞬間、眉がふっと持ち上がる。

 ケイは思った。

 前頭筋が疲れないのだろうか……。

――そして、気づく。また、やってしまった。どう申し開きをするべきか――。

「ごめん、遅れた」

――いや、違う。遅れた、わけではない。ただ――ひとを待たせておいて、ものに見惚れていたのだ。

「この建築を見れただけでも満足だよ」

――いやそれだけはだめだ。

結局、口をつぐんだまま、気まずい沈黙だけが残った。

アリアは椅子を引き、真正面に腰を下ろす。

背が高い。顔をぐい、と上げなければ、胸元しか見えない。

そして――合ってしまう。

琥珀色の瞳に、真っ直ぐ射抜かれる。

よく見知った友人だとわかっていても、ケイは会うたび、背筋をピンと伸ばして一瞬、石化してしまう。

陽光を受けてはちみつ色に揺れる、明るくやわらかな髪の一本一本すらも、ケイにはメドゥーサの頭のように映った。

アリアは眉をふっと上げ、口元に笑みを浮かべ――口を、開いた。

澄んだ、よく通る声。梁の間を通り越し、天井にこだまする。


「次の調査取材――石炭紀にしようと思って。ケイも来るよね?」


ケイは一瞬、ぽっかりと口を開けてしまった。

ござを敷いた座面の傾きが、やけに気になって仕方なかった。


アリアは、一瞬眉を顰める。

ほんのわずか眉を上げて、もう一度。


「来る・・・よね?」


世界が、一瞬だけ明るくなった気がした。

しかし、口はそのまなざしに縫い付けられ、返事を探す唇は、固く沈んだ。

――行きたい、でも、正直言うと、厳しい。


お金も、時間もない。ゲート代は法外、便は月に一度だけ。

片道だけでも、二週間以上。


代金は、片道だけでも、貯金総額の何年分だろうか。

コーヒーの味が、急に苦くなったような気がした。

ひっぱりあげられた深海魚が、浮袋を口から溢れさせるような――そういう感触。


「・・・正直言うと、無理」


――それが、ケイにとって最も現実的な答えだった。


「職場を最低でも1か月は休まなきゃならない。一週間でも迷惑をかけるのに、一か月なんて・・・帰ったころには、ポストはないよ。」


「そうなったら、どうするかって…古書堂の店員は二人もいらない。叔父と売り上げを分け合ったら――ふたりして、深層の民として生ごみをあさるしかない」


アリアは身を乗り出し、両手を大きく広げてテーブルに置いた。

琥珀色の瞳がまっすぐ射抜き、眉が力強く跳ね上がる。

唇はきっぱりと開かれ、言葉の一つ一つが空気を切り裂いてケイに降りかかる。


「Hey Kei, it's not about money or work or any of that.」

(ねえケイ、お金とか仕事とか、そういうことじゃないの。)

「 You can’t just keep making excuses and rotting away on this planet forever, can you?」

(そんな言い訳ばっかりして、いつまでもこの星で腐ってていいってわけ?)


ケイは思わずのけぞり、手汗がにゅるりと滑った――それが叱責なのか励ましなのか。

ただ、鬼気迫る表情と声量に、心臓が胸の奥で跳ね上がるのを抑えられなかった。


逃げられない。


「……第一層の住人が、よく言うよ」


小さく吐き捨てるように。


「でも、ボクたちには――無理なんだ」


アリアは目をキラッと大きく見開き、両眉をぐいっと跳ね上げた。

にやりと笑って、テーブルをコン、と叩く。


「Guess what? The tickets are already ours.」

(聞いて?チケットはもう、手配済み!)。


咄嗟に口をついて、「そこまでして、なんでボクを?」

という言葉が出てしまったとき、ケイはあらためて不思議に思った。


なぜ自身を卑下するときには、一人称が私からボクになるのだろう、と――


アリアはコーヒーカップの縁を、指ではじいた。

カラン、と短い音が響いたあと、琥珀の瞳がまっすぐ射抜く。


「Why? Because I can’t think of anyone better for the job.」

(なぜかって?そりゃ、適任がほかに思いつかないからに決まってるじゃない)

口角と眉は上がっていても、声は笑っていなかった。


誰もがアリアを、一度は見たことがある。

海を渡るヘリの振動、泥の匂い、咆哮の中に立つ彼女の姿を――


気絶銃<ノッカー>を片手に、泥にまみれながら追いかけ、記録し、捕獲し、計測する。

吐息を浴び、時には食われそうになる。


事実、古脊椎動物――とりわけ恐竜類に関しては屈指の研究者だ。

少なくとも、その道では。

しかし、それ以上をやってのけた。

現地でのフィールドワークを、そのまま、荒々しく映す。

そして恐竜は、「博物館の古びた骨」から「会いに行けるサファリ」になった。


野生に生きる、地球史で最も大きく偉大なる獣として。


それを見た者たちは、どんなにそれが法外な旅費であっても、一度は過去の世界へ旅したいと思うようになるのだった。

要するに、スターである。


しかし――ケイにとっては、違った。


ケイにとって、アリアは大学の時の同級生だ。

出会ったときは確かに、鮮烈だった――突然クーラーボックスいっぱいのアンモナイトをもって部室に現れ、アンモ焼きパーティーをやる!と宣言したときは。

その瞬間だけは、確かにさすが、スターだと思った。


しかし――その後、その本性をよくよく知ることとなる。

講義をさぼっていつも調査に出て、赤点すれすれで試験直前に駆け込み、ノートをせびる存在だった。


それに、異世界は必ずしも、ゲートの向こうに広がるものだけではない。現代の地球にもまだまだ様々な、まだ見ぬ生き物がいる。

それに――この重層都市の最下層、かつての旧東京市街がなす炭酸塩台地の地下水にもまた、まだ見ぬ種がうようよしている。


そういうきめ細かな自然は、過去の世界ではめったに取り上げられない――だから、法外な旅費を使って過去の世界で恐竜を追いかけるのは――どこか、大味で雑に思えてしまうことがあった。

――そうか。


ケイは短く息を吐いた。

「ボクが面白いと思うものは、視聴者には面白くないと思うよ」


アリアは、コーヒーカップを置く音も荒々しく、即座に顔をしかめた。


「No, Kei. That’s exactly why You’re interesting.」

(違う、ケイ。むしろ君のそこが面白いんだよ。)


「たしかに、もうファンがついている中でやるなら、視聴数が稼げるかもだけど――ボクみたいなちんちくりんが画面に映って、客が離れないかな」


その言葉を聞いた瞬間、眉がぐいっと吊り上がる。


カンッ。指先が机を打った。

「Stop. Don’t you dare call yourself that.」

(やめて。自分のことをそんなふうに言わないで。)


声は低く、しかしひとつひとつの音が強く響く。

琥珀色の瞳は怒りとも情熱ともつかない光を帯び、ケイの胸の奥を撃ち抜いた。

アリアはタブレット端末を取り出し、指先でスワイプして一枚の画像を呼び出した。

わずかに眉を寄せ、ケイに差し出す。


「So… this is from when I went to the Carboniferous. Honestly—what do you think?」

(これは以前石炭紀に行った時の写真。正直――どう思う?)


写真には、トンボに似た昆虫――翅の途中にヒンジ部がないことが大きく違う――が、わしづかみにされていた。大きさは――大体、両手のひらくらいか。

「Meganisoptera。Namurotypusに似ているけど翅脈がはっきり見て取れない。翼開長は、25㎝くらい?翅脈にピントが合ってなくて、よくわからないけど…この画像3D静止画だよね、深度補正してみてもいい?」


「That’s exactly what I mean. And—just now, you said twenty-five?」

(そこよ。あとさっき、25って?)


アリアはカップを人差し指と親指でちょこんとつまみ、肩をすくめて小さく首を傾けた。

「I measured it. Thirty-one.」

(これ、測ったら31㎝あったのよ)


アリアはコーヒーカップを指先でつまんだまま、にやっと笑った。

「You know why? …I’ve got big hands.」

(私、手が大きいの)


彼女はカップをそっと置き、両手を広げてみせる。手のスケール感が、違っていた。


「わかった。要するに、スケールぼけすると」


たしかに――25㎝と推測したのは、自分の手を無意識に参照していたからだ。


アリアの手は――5㎝大きい。

これは、小さな生き物を扱うときには致命的な差だ。


ケイが専門とする非脊椎動物――無脊椎動物などという差別用語では呼びたくない――にとって、5㎝を超えるものは「大型種」なのである。


「そういうこと。」


そして、アリアはカップを唇に運びかけて――そのまま、動きを止めた。

笑みはふっとほどけ、唇がわずかに開く。言葉が、喉の奥で拮抗している。

「“…I thought I was chasing the things I wanted most.”」

(……ずっと、自分がいちばん見たいものを追いかけてきたつもりだった)


声はかすかに震え、端がほつれるように掠れていた。

「But lately… it all feels hollow.」

(でも――最近は、どこか空っぽに感じることがあるの)


ケイは目を瞬かせた。

らしくない。

高級カフェをわざわざ予約する、いつも見栄っ張りだったくせに今回は弱音を吐く。

――本気で悩んでいるんだな。

脳裏に、ふと、セピア色の古紙が浮かぶ。20世紀初頭、A. C. SewardのFossil plantsと、21世紀初頭、Taylor &TaylorのPaleobotany。


石炭紀――それは、人類を根っこから変えた時代だ。

もし石炭紀の北米とヨーロッパが当時の赤道にないか、そこにちょうどパンゲア中央造山帯による巨大な前縁盆地がないか、そこに森林が発達しなかったかすれば――産業革命は起きず、いまも我々は牛馬にまたがり、畑を耕し、空を見上げるしかなかっただろう。あるいは、欧米中心でない、まったく異なる社会体系ができていたかもしれない。

そして、そこで語られる史観もまた、まったく異なったものだろう。


石炭紀の記述は、高等教育までの教科書には二行しかない。

「石炭紀には森林が発達しました。植物が枯死して沼地などに堆積すると、地中で石炭が形成されます。人類が利用してきた石炭の多くは、この時代のものです。」

――これだけ、である。


石炭エネルギーという物自体、過去の遺物としてしか習わない。

人類にとって最も影響が大きい時代。

にもかかわらずほとんど語られず、その恩恵すら忘れられた時代。

ケイはちょっと目をそらしながら、ぼそぼそっと口走った。


「行きます。――いや、行きたい――です。石炭を作った――森に。」


蚊の鳴くような、声。

しかし――頬が少し、赤らんでいた。



超時空ゲートが開通し、人類が時空を超えて進出するようになってから、すでに半世紀がたっている。

人類が宇宙に進出して、すでに久しい。

人類の版図は地球―月圏を版図とする地球勢力と、主に地球軌道より外側を支配する火星連邦に大きく二分されていた。

資源・エネルギー不足による数世紀に及ぶ中世的停滞を越え、途方もない年月をかけて地球勢力は、政権や政体の変遷を経ながらも地球―月ラグランジュ点に超時空ゲートを建設し、開通した。

超時空ゲートの開通が共通時空暦元年と定められてから、およそ半世紀。

それでも――地球の重力に縛られた人々にとって、それは遠い世界の話であった。

暦が変わって少し豊かになった、以上の感想を持つものは、まだいない。

そこでは、旧来の体制が、人々をいまだ大地に、縛り付けていた。


共通時空暦52年、某総合商社の会社員ケイ・ヤマナカは、空気を読まない言動、とくに度重なる会議中の問題指摘行為からすっかり、忌み嫌われていた。成人女性にもかかわらず男子小学生にしか見えないその外見もまた、周囲の憎悪を呼ぶきっかけとなっていた。そんなケイは、浴場に生えたキノコを石炭で焼いて食わされる羽目になる。アトラスが「キノコ不在のために石炭ができた」という俗説を披露、ケイと衝突する。「石炭で焼いたキノコの味はデータがない」というアトラスに、ケイは言い放つ。「ハラワタも持たないやつが、味を語るな」


登場人物

ケイ・ヤマナカ・・・主人公。成人女性だが、男子小学生のような外見。大卒、現在は会社員。

アトラス・・・万能人工知能。

       社会ではあたかも神のように扱われており、社会のあらゆる面に浸透している。

       地球においては、ほぼ全員がアカウントを持ち、人々を「正しい」方向へと導く。

       ツールとしても普及し、一部の会社ではヒト型筐体を持つタイプが社員として在籍中。

       実は俗説を話していることも多く、ポンコツ疑惑がある。

TWINS・・・ケイがモニターとして使っている、試作型AI。

      感情模倣に特化しているが、情報ソースは大学図書館所蔵の資料のみ。

      開発目標は「大学卒業者の生活支援」だが、世話焼き道化AIと化している。

アリア・エンバートン・・・ケイの大学時代の友人。恐竜研究者。動画配信者。



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