Roots―あぁ、素晴らしき、ぼろ宿。安物コーヒーは湿地帯の味―
華やかな場所は、苦手だった。
そういう場所に、穢れを持ち込むような気がしたから。
本気で調査をしようとすれば、汚してしまうのが必至だから。
綺麗な場所、豪華な場所というのは、私にとっては歩くにも困るロングドレスみたいなものに思えてならなかった。
採集と観察に一生をささげたく、服装といっても山登り用みたいなものしか持ち合わせていない私にとって、そうした煌びやかさはみな、拘束具のように思えてならなかったのだ。
だから内心、私は警戒していた。
行きに、アリアはこの星にとって賓客扱いだと聞かされた。
えぇ、このえらく金がかかる時空調査にポンポン行けてしまい、さらに旅費全部もちで友人を誘えるやつがいれば、この貧しい星で、賓客として扱われないわけがないだろう。そして、アリアは本人がどう否定してもエンバートン家の娘であり、エンバートン財団といえば現状、火星出身者で一番の有力者である。
となると賓客として、すごく豪華でピカピカに磨かれたホテルに泊まることになるだろう――と。
しかし、目の前にあるホテルを一目見て、私は思った。
――最高じゃないか。
まず看板が傾いてる。
ホテルの前に竹垣のように並べられた板材は、ところどころ歪んで隙間が空いている。
覗きたい放題もいいところだ。
露天風呂のプライバシーは、見掛け倒しである。
「うわぁ懐かしい!何回来ても、全然!変わってない!
アリアが飛び跳ねた。
リリィが、
「あいのかわらず、ね。見ての通りぼろ宿なのに、いつも来るたびはしゃぐんだから」
というと、
「だって、ずっとそのまま!あの頃にタイムスリップしたみたい!」
「でも、景色は高くなってるでしょ」
「そうね!あの頃は、いまケイが見てるくらい、だったかな?」
そういって、アリアは身をかがめて、私の顔に。頬ずりするんじゃないかというくらい近づいた。
私は思わず、後ずさりした。
――定宿とは聞いていた。
15年前。
アリアとリリィを見上げながら、
そのころの(まだ小さかったらしい)姿を思い浮かべると、ちょっと可笑しかった。
扉をがらりと開けると、ちょっと酸っぱい、本の臭いにも似た――泥炭の香りがした。
この植民市では当たり前に飲まれている、あの、茶色い液体の香りだろう。
ロビー階にはソファーとちょっとした椅子やテーブルがあり、すくなくとも、個人宅ではないことを主張しようとした形跡があった。
そして頭上には、誰の写真だろうか、顔写真がずらりと並べられていた。
そして、集合写真の横に掲げられたプレートには、
「ゲート開発公社 石炭紀植民市開拓記念祝賀」
と書かれていた。
そして、張り巡らされていたのは太く、排熱フィンと思しき金属板を突き出したパイプライン。
おそらく地熱、温泉を使った、温水循環式の暖房だろう。
伊豆あたりの温室でよくみるやつだ。
ほとんど、音はしない。
人がいるのかすら疑うほどであったが、放送のかすれた声だけが、そこにあった。
その発信源を目で追えば、
ほこりがかって黄ばんだ書類が無造作に積まれた空間が目についた。
フロントだった。
そして、おそらく支配人であろう男は、泥炭コーヒーをデスクに置いたまま、映像放送の画面をぼんやりと眺めていた。
「予約していた者です」
といった旨を告げると、男は無精ひげを撫でつつ、ちらりと目配せしただけで
「好きな部屋を」
とだけ、かすれ声を漏らした。
「飲むかい」
そう言って差し出された泥炭コーヒーを、3人で飲む。
「サムは小川へ駆けて行き、やかんに水を汲みました。そしてシダや苔をひとつまみ水に入れ、レプラコーンにアイルランドを思い出させてやりました。ビルは火に泥炭をくべて息を吹きかけ、立派な、炎を作りました。彼は火を大きくあおぎ、その煙をひと吹きやかんに送り込み、水に特別な香りをつけました。アンは沸いたお湯を古い茶色のティーポットに注ぎました。」
ピート・コーヒーとして現代地球圏においても持て囃されるようになったこの飲み物。
その発祥がこれだ、と、旧日本圏のサンバースト・コーヒーが売り文句にしていた。
アリソン・アトリーの「ぶたのサムのおはなしThe Sam Pig Storybook」だそうだ。
――が、これはピート・コーヒーの発祥というより、アイルランド生まれのレプラコーンに故郷を思い出してもらうための話のように思えてならなかった。
だって20-21世紀に泥炭コーヒーがあったなんて記述、見たことがない。
さて何を言いたいのかといえば――
きのうパラーで飲んだものより、色が薄いのに、シダのような青臭さや鉄臭さが浮かび、見事なまでに「湿原」を彷彿とさせる泥水――いや失礼、ブラックウォーターそのものの味であった、ということだ。
地球圏の泥炭コーヒーは泥炭を厳密に蒸留したもので、マキアートにしたりして楽しむものだったから、このまんまブラックウォーターには思わず、アイルランドを思い出さざるを得なかった。
しかし、飲めないものではなかった。2人も特に動じる様子はない。
あぁ、これがこの星のふつう、ということか。
アリアはグイっと飲み干して、にっと笑った。
「これこれ!昨日のは地球でも飲めるもの。」
それを見た店主の唇が、少しだけ笑った。
その雰囲気と態度、顔立ちは、パラーで見たやけに陽気で、やたらぺたぺた触ってくるラテンアメリカ系の人々とはあまりにも異なっていた。
スペースコロニー居住者の、どのコロニー出身かすぐにわかるくらい互いに個性的な顔立ちではない。
おそらく、地球出身――そう、私は直観していた。
超時空ゲートの開発が完了し、半ば強制的に開発にかかわらされた人々もまた、各々の時代で、そこそこ自由な暮らしを送れているのだろうか。
そして、もしかしたら、まだ会ったことのない両親も、どこかでよろしくやっているのだろうか。
しかし、それを聞いている時間はなかった。
Time is Money.
機材と再会できなかったせいで、石炭紀にまで来て、まだフィールドワークできていないのだ。
そして、機材をいち早く受け取るために、この寒い町までやってきたのである。
ホテルの隅には、錆びた台車が3つほど、置かれていた。
その上に、鍵のかかった搬送コンテナがごろりと置かれている。
手荷物として運んだ採集器具群と、初日用の旅行道具である。
残りの食料などは、まだ空港に置いてあるという。
ほこりこそ積もっていなかったが、台車を動かそうとしたら、ハンドルを触った手が黒くなった。
ホテルの部屋、とでも呼ぶべきもの。
ほとんど、ベッドらしき台の置かれた独房のごときありさまだった。
どこか煤けた、ほこりというよりも灰色の香りがする。
コンクリート、いや石灰岩の、あれ。
行くまでに寝袋は持ってくるように、と言われた理由がよくわかった。
野宿するためではない――ベッドが、ろくでもないのだ。
いや、本当にないわけではないのだが。
木くずを使ったかのようなゴワゴワなクッションが敷かれていて、上に毛布を敷いたとしても、上に寝るとあからさまに木くずの感触がチクチクと肌を打つ。
私は特に気にしないレベルだが、普通の人間なら閉口するものだろう。
壁には、ちょっとした落書きがあった。
棒人間、だろうか?
幾つも染みになって、のこっていた。
消そうと試みた痕跡はあったが、コンクリートの壁にしみ込んだインクはなかなか消えなかったようで、何やら人らしきものが描かれた輪郭が、かすれながらもしっかり残っていた。
アリアはそれを一瞥すると、一瞬、くすりと笑って目を背けた。
荷物をとっととほどいて、採集用の一式をおさめていたリュックサックを取り出す。
あぁ、ほっとする。
大きなリュックサックを背負うと、貝殻を失ったヤドカリが住処の貝を得たがごとき、心地。
コンテナに残りの荷物を詰め込み直して、鍵を閉めると、今日の探索が始まる。
まだ日が暮れるまで、3時間ほどは有りそうだった。
*おまけコラム①:The Sam Pig Storybook (邦題はサム・ピッグだいかつやく)、先日アニメ化されたサイレント・ウィッチに出てきた「サムおじさんの豚」を思い起こさせます。事実作者のアリソン・アトリーは物理学専攻でしたから…
*おまけコラム②
ところで、現在の人口の流動スピードを考えると、千年後には国家間の遺伝的差異は殆ど消失する可能性があります。国際移動者は現在3910万人/年。国別でみると、人口に対して0.63%/年の国際移動が発生しているようです。
勿論隣国間の移動が多いのですが。たとえば大陸間移動を0.2%/年、一世代25年、人種国籍関係なく婚姻が進むとした場合、移住による大陸間移動だけで千年もたたずに人種間の遺伝差異が初期の1%まで低下するようです。しかしこれも人口の大部分を抱えるアジア圏を平均化してしまっているので、人口比重を考えるとさらに早い可能性すらあります。未来の地球人を考える場合、人種は殆ど通用しないのかもしれません。いっぽうで、それより以前から宇宙に移住した人々がいるならば、創始者効果も相まって、未来の地球人とはそうとう異なった顔立ちになるべきでしょう。そして、宇宙圏でのスペースコロニーにおいて疫病は大敵です。コロニー間での人の移動は厳しく制限されるでしょう。数十世代もたてば、地球圏の人々は標準化され、宇宙圏の人々は先鋭化する方向に動き、外見的差異はとりわけ際立ったものになるはずです。




