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第9章

 周囲では、未だに戦闘の余波が轟いている。

 時折、地響きと共に天井の一部が崩落し、粉塵が霧のように舞い上がる。

 

 俺のすぐそばで、剥き出しになった魔力伝達管が、バチバチと青い火花を散らしていた。

 ここは、崩壊しつつある地獄の釜の底だ。


 だが、俺の目の前にいる女は、そんなことなどまるで意に介していないようだった。

 

 彼女は、すぐそばに転がっていた瓦礫の山に、まるで玉座にでも腰かけるかのように、優雅に腰を下ろした。

 埃一つ払うこともせず、ただ、その紫紅色の瞳で、床に座り込んだままの俺を静かに見下ろしている。


「……お前は、いったい何なんだ」


 俺の喉から、自分でも驚くほどか細く、掠れた声が漏れた。


 憎悪以外の感情を失ったはずの心に、今、唯一渦巻いているのは、目の前の女に対する「畏怖」と「好奇心」だった。

 俺の問いに、女は表情一つ変えずに答える。

 その声は、戦場の喧騒の中にあっても、不思議と明瞭に俺の耳に届いた。


「我はエリシア・ノクス。魔王アスタロート様に仕える者。そして、このヴァルハイム王国に復讐を誓う者」

「……復讐?」

「そう。そして貴方がその右眼に宿した力は、我らの悲願を達成するための最高の切り札となりうる」


 エリシアの視線が、俺の右眼に注がれる。

 まるで、その奥にある魂の在り処まで見透かすかのように。


「その眼は『災厄の赤眼』。伝説によれば、世界を創造した神が、その身を裂いて地上に残した七つの欠片が一つ。世界を滅ぼすほどの災厄を呼ぶ力であり、同時に、世界の理さえも書き換える、創造の力でもある」


 神の、欠片。

 その言葉が、俺の空っぽの頭蓋の中で、重く響いた。

 

 ああ、そうか。だから、あいつらは。


「貴方を玩具にしたこの国は、その力を喉から手が出るほど欲している。国王アルキメデスの真の目的は、『七つの災厄の眼』を全て集め、この世界を己の都合の良い、人間だけの歪な楽園へと作り変えること。そのために、彼らはこれまでも、多くの人間を実験台として使い潰してきた」


 エリシアは、淡々と、事実だけを告げる。


「我らは、その愚かで傲慢な野望を阻止するために、この研究施設を襲撃した」


 エリシアは、すっくと立ち上がった。

 彼女は俺を見下ろし、最後の選択を突きつける。


 その声には、憐憫も、同情も、何もない。

 ただ、冷徹な事実だけがあった。


「さて、貴方は、どうしたい?」

「……」

「このままここで、被験体として朽ち果てるか。それとも――」


 エリシアの紫紅色の瞳が、妖しく輝く。


「その憎しみを力に変え、牙を剥くか」


 それは、救いの手のように見えた。

 そして同時に、魂を代価に差し出せと囁く、悪魔の誘惑そのものだった。


 沈黙。


 俺は、自分の内側を、深く、深く見つめた。

 このまま死ねば、楽になれるのだろうか。

 この痛みも、苦しみも、全て終わる。


 脳裏に、日本の、ありふれた日常が蘇る。

 両親の顔。陽翔と交わした、他愛ない会話。もう二度と戻れない、失われた日々。

 それを思うと、いっそこのまま消えてしまいたいとさえ思った。


 だが。


 その感傷を、灼けつくような憎悪が塗りつぶしていく。

 脳裏に、新たな光景が焼き付く。


 俺をゴミだと断じた、国王の冷酷な目。

 俺を最高傑作だと呼んだ、ヴェルナーの狂的な笑顔。


 そして――俺を見捨て、光と栄光を選んだ、陽翔の裏切りの横顔。


 あいつらは、今も生きている。

 俺を踏み台にして、俺の犠牲の上で、のうのうと、その輝かしい人生を生きている。


 それを許せるのか?

 このまま、何もせずに、全てを諦めて、あいつらの勝利を認めるのか?


 冗談じゃない。

 冗談じゃない、冗談じゃない、冗談じゃないッ!!!


 死んでたまるか。

 俺から全てを奪ったあいつらに、安らかな生など、与えてたまるか。

 

 こいつらが俺を化物にしたというのなら、なってやろうじゃないか。

 その化物としての力で、あいつらの築いた全てを、根こそぎ、跡形もなく、破壊し尽くしてやる。


 俺は、瓦礫に手をつき、震える足で、ゆっくりと立ち上がった。

 身体はボロボロだ。

 だが、心は、かつてないほどに澄み渡っていた。


 迷いも、憐れみも、もはや何もない。

 あるのは、ただ一つの、絶対的な目的だけだ。


 俺は、目の前の魔女を、まっすぐに見据えた。

 俺の、赤く染まった右眼で。


「俺に力を寄越せ」


 声は、ひび割れ、獣の唸り声のようだった。

 だが、その言葉には、俺の魂の全てが込められていた。


「あいつらを皆殺しにするための、力を」


 俺の答えを聞いて、エリシアの唇の端が、ほんのわずかに、三日月のように吊り上がった。

 それは、獲物を見つけた捕食者の笑みか。あるいは、最高の駒を手に入れた遊戯者の笑みか。


「いい眼だ。実に、いい」


 彼女は、満足げにそう呟いた。

 俺の復讐の物語は、今、この瞬間、一人の美しい魔女を共犯者として、静かに幕を開けた。

 

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