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第6章

 意識が、奈落の底から引き上げられる。

 最後に見たのは、親友だった男の背中と、全てを閉ざした重厚な扉。

 その絶望的な光景を最後に、俺の精神は自己防衛のためにシャットダウンしていたらしい。


 だが、安息は一瞬で終わった。


 最初に感じたのは、肌を刺すような寒気。

 次に、消毒液と、嗅いだことのない薬品、そして微かな血の匂いが混じり合った、吐き気を催すような異臭。


 ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは、無機質な金属の天井と、俺の顔を直視できないほどに照らしつける、手術灯のような眩しい光だった。


 身体が動かない。

 手足が、分厚い革のベルトで、冷たい金属の台座に雁字搦めに拘束されている。


 ここは、どこだ。何をされる?

 

 パニックに陥りかけた俺の視界に、ぬっと白い影が入り込んできた。


「やっとお目覚めかな。気分はどうだい?」


 それは、骸骨のように痩せぎすの老人だった。


 よれよれの白衣は、あちこちが不気味な色のシミで汚れている。

 伸び放題の白髪は、寝癖なのか元々なのか、四方八方に跳ねていた。


 だが、何よりも異常なのは、その目だ。

 常に興奮しているかのように血走り、狂的な探究心の光を宿した赤い双眸が、俺を値踏みするように、ねっとりと見つめている。


「私の名はヴェルナー。君を、最高の芸術品に仕立て上げる、天才科学者だ」


 ヴェルナーと名乗った老人は、不気味なほど楽しげに、歪んだ笑みを浮かべた。

 

「さて、早速始めようか。まずは君の身体に、魔力を循環させるための『魔法回路』を刻み込んでいく。既存の魔法体系を覆す、私の最高傑作だ。多少痛むかもしれないが、すぐに慣れるさ。なに、人類の進化のためだ。光栄に思うといい」


 多少、痛むだと?


 ヴェルナーが手に取ったのは、メスや注射器ではなかった。

 それは、柄の先に、光を凝縮して作ったかのような、青白く輝く一本の針がついた、奇妙な器具だった。

 器具は、キィン、と耳障りな高周波を放っている。


「やめ……やめろ……」

「はは、怖がらなくていい。すぐに、快感に変わるだろうからねえ」


 ヴェルナーは、俺の懇願などまるで子守唄のように聞き流し、その光の針を、俺の胸の中央に、ゆっくりと突き立てた。


「――ッッッギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」


 絶叫。

 

 それは、今まで生きてきて、俺の喉から発せられたことのある、どの叫び声とも違っていた。 

 痛み、という言葉ではあまりに生温い。

 

 これは、焼灼だ。

 皮膚も、筋肉も、骨も無視して、神経そのものを直接焼き切られるような、絶対的な苦痛。


 まるで、体内に超新星が生まれ、内側から全身を破壊し尽くすような感覚。

 俺は拘束された台座の上で、魚のように全身を跳ねさせる。


 視界が白と黒で明滅し、脳がこの致死的な苦痛から逃れるために、強制的にシャットダウンしようとする。


 だが。


「おっと、意識を失ってもらっては困る。回路を刻むには、君の生命活動が活性化している必要があるんでね」


 ヴェルナーが指を鳴らすと、別の研究員が俺の腕に注射器を突き立てた。

 注入された液体が、血管を通じて全身を駆け巡る。

 

 遠のきかけていた意識が、無理やり現実へと引き戻される。

 痛みの地獄へと、再び。


 それから、どれほどの時間が経ったのだろう。


 一日か、三日か、あるいは一週間か。

 時間の感覚はとうに麻痺していた。


 俺は、ただ絶叫し続けた。

 ヴェルナーの狂的な笑い声と、俺自身の悲鳴だけが響く、地獄のような実験室。


 助けを求める声は、すぐに意味のない獣の咆哮へと変わり、やがてそれも、ただ息が漏れるだけの喘ぎになった。

 意識を失いかけるたびに薬物を投与され、強制的に覚醒させられる。


 逃げることも、死ぬことさえ許されない、無限の拷問。


 やがて、施術が終わった。

 ヴェルナーは、芸術品を眺めるかのように、汗だくでぐったりとしている俺の身体を見下ろし、満足げに頷いた。


「素晴らしい…! なんと美しい回路だ!」


 もはや、その狂人の言葉は、俺の耳には届いていなかった。

 研究員たちが、まるで汚物でも運ぶかのように俺を台座から引きずり下ろし、部屋の隅に立てかけられていた大きな姿見の前に、ぐいと立たせた。


「見なさい! 君の新しい、輝かしい姿だ!」


 ヴェルナーの歓喜に満ちた声。


 俺は、力なく顔を上げた。

 鏡に映っていたのは、もはや俺の知る風間レンではなかった。


 痩せこけた身体。死人のように青白い肌。

 そして、その全身を、まるで呪いの紋様のように駆け巡る、青く、禍々しく輝く魔法回路。


 だが、そんなものはどうでもよかった。

 俺が絶望したのは、自分の、髪だった。


 見慣れていた、平凡な黒髪。

 その、生え際から頭頂部にかけての一帯が、ごっそりと、色を失っていた。


 それは、雪のような純白ではなかった。

 光を一切反射しない、まるで死んだ細胞のような、灰と骨の白。

 絶望そのものを塗りたくったような、忌まわしい色。


 それは、俺の心が、完全に折れて砕け散ったことを示す、動かぬ証拠だった。


「…………あ」


 声が、出た。


「あああああああああああああああああああ!!」


 もはや、それは声ですらなかった。

 魂そのものが、裂ける音だった。


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