ふたたび
なぁあんた
「今なんて言いました?」
ボクは自分の内側から溢れそうになるドス黒い感情できるだけ言葉に乗せないよう、気を使いながら軽薄そうな男に訊ねる。
「ん?……あぁ、アンタと同じような異世界人を見かけたんだが、知り合いかって聞いたの……さ。ってどうした?気分でも悪いのか?病気なら帰れ。邪魔なだけだ」
……ボクはどんな表情を浮かべているのだろう、もしかしたら顔色が悪いのかも。
怒り、とも違う臓腑の奥が締め付けられるような嫌な感じ。これはそう、吐き気に近い……。
「おい、聞こえてんのか?邪魔だから帰れって――」
キャッチの男がボクに触れるか触れないか、といったところで『ボクは時間を止めた』。
咄嗟の判断だった。
別にこの男がボクに暴力を振るおうとしているとか、そんな恐怖を感じたわけではない。だというのに、なぜかボクは《醤油》のチカラを利用して、時を止めた。
……この男には聞きたいことがある。
せっかく時間を止めた訳だし、有効活用しよう。
ボクは止まった時間の中で自由に動き回れることをいいことに、キャッチの男を地面に倒し、その上に乗ってみた。正直あまり気分が良くない。
『やられる側』だったからだろう。
……こんな失礼な行為をされる痛みがわかるからだ。
「すみません」
聞こえるはずのない謝罪を小さくして、能力を解除する。
「――言ってるだるぉおおおお?!なんじゃこりゃやぁあ?!」
地に伏させられた男はありったけの大声で、自身の身に起きた『ただならぬ出来事』を叫んだ。
「なんだこれはッ!俺は立ってたはずだ!何が起きてる?!なんだこれは!?なんだこれはぁぁあ」
「……申し訳ない。何が起きたか理解できないのは
、アナタとボクの間にある《差》のせいだと分かってもらいたくて――」
「――どれだけのっ!どれだけの差があればこんな事になるんだっ!」
ボクの尻に敷かれたまま、男は絶叫を続ける。
あまりのテンションの高さに笑ってしまいそうだ。
「アンタぁ、よっぽど有名なお方なんですね!スゲーや!ナメた態度とってた事、謝るよ!違う!謝らせてくれ!俺が悪かった!!」
「……いえ、謝らなくて結構です。それよりアナタの言っていた『異世界人の女の子』について聞かせてもらえますか?」
「あぁ!もちろんだ!なんでも話すよ!俺はアンタの為ならなんでも話すさ!」
「……そ、そこまで言わなくてもいいんですけど……」
「それでよぉ、一つこっちの頼みも聞いちゃくれねぇか?」
……頼み?
あまりいい予感がしない。
この手の……表の道とは違う、裏社会に身を置く男の頼み事を二つ返事で返していいものなのか、ボクは疑い、逡巡する。
「……退いてもらえやしねぇか?」
「退いて……?」
「俺の上からその体を退かしてくれって話ですわ」
…………あぁ。
ボクが退くと男は立ち上がり服についた汚れを払った。「自己紹介がまだでしたね、俺の名前は――」
「――なにしてる。ポートマン、お前知ってる」
「え?」
ボクらの立っている道のすぐ脇、薄暗い建物の間からそんな声と共に現れたのは……。
「あの王都一と名高い《情報屋》グラスマン様のお付きであるポートマン様に俺のような者が覚えていただけだなんて、恐悦至極でございます!」
キャッチの男がポートマンに駆け寄る。
……ボクに話しかけてきたと勘違いしてた。危ない、いらぬ恥をかくところだった。
「……?ポートマン、お前知らない。ポートマン、知ってる。そっちのメガネ」
「……え?」
「こんにちは、いえ、こんばんは。あの時はおせわになりました」
……ボクに声をかけてきたのであってたか。
みるみるうちに耳が赤くなるキャッチの男を見ているとコッチの胸も苦しくなる。なんだっけこれ、共感性羞恥とか言うんだっけ?
「…………じゃあ、あっしはこれで失礼いたしやす」
キャッチの男は恥じらいからか、先ほどまでとは打って変わった言葉遣いでそそくさと退散しようとし始める。
「……ちょっ!待ってください!ボクはアナタに聞きたいことがあるんですよ!」
ボクの制止も効かず、男はあっという間に走り去ってしまった。……くそッッ!!聞きたいことがあったのに……。
「メガネ。安心する。あの男、知らない。グラスマン、知ってる」
「…………??…………もしかして、あの人よりグラスマンさんの方が情報屋だから色々知ってるって言いたいんですか?」
「ポートマン、そう言った」
言ってないだろ。
……この前会った時よりは喋れてるけど、それでも全然、まだまだ意思の疎通がこっち任せだぞ!
「ついてこい」
ポートマンはそう言うと彼が先ほど出てきたであろう路地裏へと進んでいく。
…………、ついていかないという選択肢もある。
正直な気持ちを話すと、『ゆいすんは大人だ』という思いもある。アイドルとしての彼女と違い、《芦名小結》という一人の女性はすでに成人している。
……らしい。
もしそうなら、ボクが勝手に彼女を被害者として扱い、救おうだなんて考え、行動するのは失礼に値するのではないか。という考えだ。
ボクには正解が分からない。
マトモな人付き合いから避け、楽な方に楽な方にと逃げて生きてきたからだ。
コチラの世界に来てから、なんの目的もなく人生を消費してるのだってそうだ。
『目標を立て、それに向かって邁進する』という、大人ならみんながやってる事が怖くて、逃げているのだ。
中学受験に失敗した、あの時のことが今もトラウマに……。
「――こないのか?」
先に進んだはずのポートマンが戻ってきて、ボクに訊ねる。
「……行きます」
ここで足を止めて戻ったら、何も変わらずただ後悔するだけだろう。
ボクはポートマンについて路地裏へと向かい、その先で封鎖された扉の前に立つ。《旧地下水路》という看板が近くに捨てられていた。
……ここから情報屋グラスマンの住処まで繋がっているのだろう。
ポートマンが松明に火を付けるのを見ながら、『今、今日ここからボクの人生を変える』という強い覚悟を心に刻んだ。




