シリュウの呼び笛
《シリュウの呼び笛》とマダムが呼んだ《笛》をボクは全力で吹いてみたのだが、『ぷすー』と息の漏れる音が出るだけで笛らしい音はしない。
「なにあれ?なにしてんの?」
「……レオナ殿、今のうちに逃げるでござるよ」
「あっ、ホントだ!監視がいなくなってるじゃん!ラッキー!ってダメ!あたしの戦斧を取り返さないと……」
「何よそ見してんだボケー!」
「ぐわっ?!」
レオナたちの会話を聞くのに集中していたら目前まで迫ってきたマダムに思いっきりぶん殴られた。
「……いっ、ちち……え、痛い……」
どうやら、さっき少しだけ舐めた《お酢》の効果が切れてしまったらしい。やはり調理せず直接摂取だと効果時間が短いっぽいな。
「テメー!マジで何考えてやがる!?そんなもん吹いたらテメーも含めて全部オジャンになるんだぞ!クソボケ!」
「ええぇ……」
マダムの口調が大幅に変わっていてちょっと引いちゃうや。こわぁ……。
「シリュウが来るのが問題じゃねぇ!親がついてくる可能性があんだよッ!」
殴られ、倒れているボクの胸ぐらをグイッと掴み、マダムは無理矢理に起こした。
息がかかるほどに顔を近づけての恫喝。ボクじゃなきゃ漏らしちゃうね。
「死にてぇなら勝手に死んどけよ!クソ異世界人!」
「マダム!」「マダム!」「マダム!」「マダム!」
……ミノケラスを倒したマッチョメンがマダムの背後から声を上げる。
「……分かった。こいつはもういい、勝手にここで死んどけ!逃げるよ!アンタ達」
「逃げる!」「逃げる!」「逃げる!」「戦斧!」
マッチョメンの1人が違う事を言ったのでボクは驚いた。彼らは連動してるわけじゃないのか。
「……ちっ、ティグレか。……もういい!命の方が大事だからね!」
そう言ってマダムとマッチョメンはコロシアムから去って行き、観客席には誰もいない。
「ふぅ……なんとかやり過ごせたみたいだな……」
ボクはレオナ達と合流しようと、彼女たちのいた方を見た、が2人ともいない。
まさか、見捨てられた!?と前のボクなら考え、自暴自棄に陥っていただろうが、今は違う。
「戦斧がどうとか言ってたな」
おおかた、レオナが戦斧を騙し取られたとかって話だろう。今は2人で探し回ってるの――。
ブワッと強い風が吹き、体勢を崩す。
「なんだこれ……浜風か?」
いや、ここいらに海はなかったはず、ここは確かに川沿い、というか川の上に造られているが……。
バサッバサッ!
何かが飛ぶような、羽根をはためかせる音。
不意に落ちる大きな影で辺りが暗くなる。
「うそだろ……」
空を見上げるとそこには大きな飛行物体、え?いや生物……ドラゴンッ?!
シリュウの《リュウ》って《龍》?!なんで漢字?!さっきまでいた解説おじさん達も《お酢》とオスを聞き間違えてたけど、よく考えたらアヤメ達にはビネガーって聴こえてるはずだから、冗談とは言えあり得ないんだけど。……もしかして、この辺にボクと同じ言語を使う人たちがいたりする?そうか、このは複数の国境が混じってるからおかしくないんだ!――って今そんなこと考えてる場合じゃない!
ボクはテレビで見た短距離選手のフォームを真似して全力疾走。なんとかアレに踏み潰されず済んだ。
……まさに間一髪。
『グルルウゥ……』
倒れたままのミノケラスを食べ始めたドラゴン。
「ミノ――」
『ギャルゥゥゥッ!!』
ほんの一言漏らしただけで、ドラゴンはボクに全力で威嚇してきた。そしてボクは漏らした。どっちかは言わない。
「ちょっと、さっきから何の音――」
「――ドラ……ゴン……?考えうる限り、最悪のモンスターでござる……」
戦斧を抱えたレオナがアヤメと戻ってきた。だが、状況は以前変わらず、悪化したと言っても良い。
軽く一口でミノケラスの頭部を食いちぎり飲み込んだドラゴンはボクら三人に標的を移してくれたらしく、コチラをジッと見てる。ボク、一人の時は気にしてなかったのに。
「ドラゴンに遭遇した時の対処法はっ?!」
「そんなのあたしが知るわけないでしょ!あんなもん普通、逢いたくても逢えないんだから!」
「大型の魔獣相手なら、焦らず、目を逸らさず、背中を見せずに後退しろ。と言われてるでござる、しかし……ドラゴンと遭遇することなんて想定してないでござるよ!」
そりゃそうだ。
「アヤメの案でいこう!刺激しないよう、ゆっくりと後退りするんだ」
「アンタさっきの、お酢の力でなんとかしなさいよ!アンタが相手してる間にあたし達逃げるから!」
「体が柔らかくなっても打撃に強くなるだけで、あのキバに噛まれたらなんの意味もないじゃん!」
「じゃあどうすんの?!アンタがあの笛吹いたせいでこうなってんだから!責任……、」
ボクらは言い争いになる。
当然だ、命がかかってるんだから。
でも、レオナは最後のラインを越えずに踏みとどまった。アンタの責任なんだからアンタが責任取りなさいよ。
きっとそんな事を言いかけたんだと思う。
言ってもおかしくないし、言われても反論できないそれを……レオナは言わなかった。
すり足でゆっくり後退してた脚をボクは止める。
「バカ!何止まってんの?!」
「サダオ殿?!こんな時にふざけてるでござるか?!」
「このドラゴンを呼んだのは多分、ボクだ。その責任はボクが取る。2人は逃げてくれ!」
「はぁ?!意味わかんない!……そもそもここに来ちゃったのは、……あたしが原因だし」
「レオナ……」
「拙者も逃げないでござる!なぜなら、《疾風のアヤメ》は仲間を見捨てないからでござるっ!」
ドラゴンは足を止めたボクらに向かって猛進。
意気はいいが手段がない。どう対応する?!
『グオオオオオ!!』
ダメだ!躱せない!避けきれない!
「あたしが受け流す!」「無理でござるよ!とにかく一旦避けないとでござる!」
大型トラックよりも大きな物体が、それ以上のスピードで突っ込んでくる、掠っただけで絶体絶命。ボクは思わず目を閉じ、カミサマ(仮)に祈った、死にたくない――。
ドゴンッ!と何かぶつかる衝撃音と共に強く風が吹いた。足元を見るとボクの身体は地に足がついたまま。どうやら生き残ったらしい?
「――おかしいな、この辺りにドラゴンが出るなんて話、聞いたことないんだけどな」
「え?!なに?どういうことっ!つーかだれっ!?」
一足早く状況に気がついたレオナが叫ぶ、その声を聞いてボクは遅れて顔をあげる。
「あー、自己紹介は後でいいかな。今は私、こっちを片付けるのに忙しくなりそうだから」
ドラゴンの突進を真っ正面から『剣一本』で受け止めていたのは、見知らぬ剣士だった。
背中しか見えないが黒髪に白髪混じりの頭、痩せた長身。手に持った白く、大きな剣と傷1つない輝かしい鎧がなければ普通に普通の日本人のような後姿だ。
まぁ普通の人はドラゴンの攻撃を受け止めることなどできないんだけど。
「……よっ、と!」
男性が古臭い掛け声と共に剣を持たない手を振り上げるとドラゴンは後退した。それを見て即座に自身が前進し、すぐにドラゴンの懐へと入りこみ切り上げる。
『ギャォーンン』
腹部を斬られたドラゴンは呻き声をあげて暴れ出す。
「……ここにいたらマズイ!逃げよう!」
「はぁ?!あの人、置いてくの!?助けてくれたのに?それってどうなの?ほら、倫理観とか……?」
レオナに諭された。
「でも、今ボクらがここでできる事なんて限られてるだろ!いない方が邪魔にならない可能性もあるし!」
「っ、そうかも……。あーもう!わかった!逃げるよ!ちくしょー!……あたしに力があれば!」
レオナは後ろ髪を引かれているらしく、チラチラと後ろを確認しながらなので足が重い。
「……あの青白いマント、どこかで……」
アヤメはアヤメで何やら考え込んでいる。どうしたの?なんて聞いてる余裕は残念ながらなさそうだ。
暴れるドラゴンが無造作に火球を吐き散らし、コロシアム内のあちこちに火が付いたからだ。
「消火が大変だな……」
この大惨事を見て、その程度の感想しか無いなんて相当な実力者だ。ボクはそう確信してこの場を離れる。
「はぁはぁ……」
「………………ぁあ……、疲れた……」
「……ふぅ……ふぅ……。それにしても、……凄かったでござるな」
『ギャオオォォォォッ!』
なんとか怪我なくコロシアムの外へと逃げ出すことに成功したボクらの耳にドラゴンの咆哮が聞こえた。
あれはおそらくだが、断末魔の叫びだろう。
何処となくだが、悲哀に満ちた声色のように聞こえた気がする。
「やぁ、無事で何より。私はちょっと消化活動をしなきゃならないから、悪いんだけどここで待っていてもらえる?大変なのは分かるんだけど、聞きたいことがいくつかあるのでね」
先程の剣士が文字通り空から降ってきてボクらの前に降り立った。
「あ、は――」
い。と返事を言い終わる前に剣士はまた、跳んだ。
驚き上空を見上げると、剣士はまるで泳ぐように空を飛び、広げた両手が光る。あの光は魔法陣のものだろう、その魔法陣から大量の水が出ている。
「飛行魔法に水魔法?……どういうこと?」
レオナもボク同様、上空を見ながらつぶやいた。
「ドラゴンを弾き飛ばしたのは恐らく風魔法でござるよ」
「それって凄いの?」
ボクの質問に二人は心底呆れた表情を向ける。
「二属性魔法なんて見たことある?ないでしょ?つまり!そういう事」
「まず間違いなくゴールド以上の冒険者でござるな」
「そうなんだ、それはすごい――」
あれ?以上?
「――ゴールドが一番上なんじゃないの……?」
ボクの質問に二人は再度顔を見合わせる。こんどはさっきと違い、呆れていない。どちらかと言えば、思案に暮れるような表情だ。
「ごめんね、無駄に待たせちゃって。よく考えたらここって川の上だし、延焼の心配なかったね」
剣士が空から降りてきて、『タハハ』と乾いた笑いを浮かべながら頭を搔く。その立ち居振る舞い、疲れたサラリーマンを思わせる目の下のクマ、ボクには彼がどこからどう見ても日本人にしか見えなかった。
「さて、じゃあ早速なんだけど、質問良いかな?『誰がドラゴンを呼び出したの?』」
おぉ………………。
ボクは突如として投げられた火の玉ストレートに顔を背けることしかできなかった。




