二人
朝起きてメガネを探し、最初にするのは顔を洗うことや、歯磨きより先にもストレッチだ。あいも変わらず鬼のように硬いベッド、ボクはひと月経った今も慣れない。
さすがにホコリ臭さは最初に比べればかなり軽減されたか、もしくはボクの鼻が慣れたので問題ないのだが、朝起きた時の背中の痛みというのは、この先も慣れることなさそうだ。
軽めのストレッチを終えると、ほんの少し空が明るくなって来たので階段を降りてマーヤさんに挨拶をする。日が暮れて、再度昇り、オリヴィアさんが出勤してくふまでは基本、このマーヤさんが受付、その他雑務を単身で担当している。日中は日によってギルドマスターのギルバートさんや、近所の人が手伝いに来ているが、深夜は常にマーヤさん一人だけだ。……本当に人間じゃないのかもな……。怖いので触れないでおこう、触らぬ神に祟りなしだ。
「ん……しょっ!」
勝手口を通り、裏庭へ出て井戸から水を汲む。
ベッドの硬さにも慣れないが、これも同じだ。この井戸は、水を汲む桶が大き過ぎて毎度、全力を出し切らないと上がってこない。もちろん水の量を減らせば良いだけの話なのだが、筋トレも兼ねて毎日満タンで汲んでいる。
「おう、おはようさん。今日も早いな」
「あ、おはようございます」
柵の向こうから声をかけられる。オリヴィアさんのお兄さんだ。……お互いあまり社交的な振る舞いが得意な方ではないので、特に会話はなく、挨拶だけで終わる、毎朝こんな調子で個人的にはちょうどいい関係だと思う。
汲んだ水で顔を洗い、うがいをし、オリヴィアさんのお兄さんに別れを告げてギルドハウス内へと戻ると、「はい。ちょうど出来上がりましたよ」とマーヤさんはいつもの朝食をカウンターに置いてくれる。
ライ麦っぽいパンに、スクランブルエッグ、謎の肉。……毎度同じメニューだ。嫌なわけではない、が……本音を言うと、少し飽きた。淡白なので朝にはちょうどいいのだけど。
「コーヒーが欲しくなるなぁ」
「……コーヒー、ですか?」
おっと……思わず、口に出ていたらしい。
「聞いたことはございますよ。この国では《超高級品》なので味はおろか、見たこともないのですけど」
「コーヒー、あるんですね。いつか飲んでみたいなぁ」
ボクは向こうにいた時、コーヒー好きだったわけではないが、ごく稀に身体が欲してる気がするのは何故だろう。コーヒー豆が調味料だったらよかったのに。
「あの、話変わるんですけど、この肉って……何の肉なんですか?」
「《ディアトリー》のムネ肉でございます。ディアトリーとはエアレー同様、この国の食生活を支える鳥の種類ですね。繁殖、飼育、そのどちらも容易らしく、安価で市場に出回っています。王都南部では『ディアトリーで家を建てる』という表現があるとか」
ディアトリー、……なんかの漫画で出てきた大昔に絶滅した巨大鳥みたいな名前だな。
「その言葉の意味ってなんなんですか?」
「『よくあること』だとか」
あー、そんなに南部ではありがちってコトなのか。……普通によくあるコトって言えば良さそうなのに、元より長くなってて使いにくそうな表現。
ほとんど毎日こうして、朝、レオナが起きてくるまで、もしくはオリヴィアさんが出勤してくるまでボクはマーヤさんから『この世界の歩き方』を習っている。別に実際、役に立つような話ではないが、共通意識的に知られていることを何も知らないよりはマシ。との思いで、この日課のようなものを繰り返してる。
早い朝食のあと、一人、裏庭で『塩』と『砂糖』以外の召喚を練習しているとアヤメがやって来た。猟師という元職の影響か、約束してるわけでは無いのに朝早くからこうして集まるのが定例となりつつある。
彼女は、父親の兄弟が近くで肉屋をやっているらしく、そこに居候していてギルドハウス2階のボロ宿は借りていない。ここから歩いて数分、毎日こうして通って来ている。
『どうせなら三人で借りれる場所を探そう』と言い出したのは彼女だったはず。
ボクと違いレオナとアヤメはこだわりが強く、住みたい場所を探すことそのものすら楽しみ出してる気がする。文字通り、住めば都なのにね。
アヤメが来て、ボクと二人、ギルドハウスのカウンターで談笑しているとオリヴィアさんが出勤、マーヤさんは知らぬ間に消えるよう、退勤していた。
オリヴィアさんに昨日のクエスト内容を詳細に伝え、次のクエストについての相談をしていると、アヤメが気づいた。レオナが降りてこない、と。
………………。
「まだ、……でござるか?」
「みたいだね。いつも割と早起きで、朝が弱いイメージはなかったんだけど……珍しいな。ボクが起こしに行くのは良くないし、アヤメにお願いできる?」
「……拙者もまだ良くないでござる。もしかしたら疲れが溜まってるのかもしれないでござるし、もう少し待ってみるのはどうでござるか?」
『まだ』という表現に気を取られたが、とりあえず頷いておく。……まだ?ってことはいつか、問題がなくなるのか?
「修道院育ちというのもあってか、意外にもレオナちゃんは朝に強いですよね?」
ああ、そうか。たしかにオリヴィアさんの言う通り、そこら辺が関係あるのかもな。
「そう言えば、たしかレオナ殿は《森林教会》系の修道院出身だとか言っていた気がするでござる。森林教は朝早くから、畑仕事やお祈りやらで忙しいはずでござるからレオナ殿が朝に強くなるのも分かるでござる。」
「――しんりんきょう?」
また聞き覚えのない単語が出てくる。残念ながら、いつも通りだ。
「『森と共に生きるべき』という考え方ですね。エルフの方々が興したものだったと記憶してます。彼らの生き方を他の人たちにも伝えようとした結果、宗教として広まったのでしょう。まぁこれは私の持論に過ぎないんですけど……」
オリヴィアさんはあまり詳しくない、というよりどちらかと言えば好きじゃなさそうな言い様だ。……やめておこう。宗教は人それぞれだからな、うん。
しかしエルフか。……、だから前にエヴァさんと偶然遭遇したとき、レオナは変な感じの反応をしていたのか?……そういえば、あの時なにか気になる話をしていたハズだ……。
「サダオさんのいた世界にもエルフの人たちはいたんですか――」
「――ちょっと待ってほしいでござる!」
アヤメがオリヴィアさんの話を無理矢理止める。
「しっ!」と言って口に手を当てたアヤメの真剣な表情に、ボクとオリヴィアさんは口を閉ざした。
いったいぜんたい、なんだってんだ。
無音、機械のないこの世界では、ふとそんな瞬間が訪れることがままあり、今がその時。何もおかしくない。外から小鳥か何かが囀る音が聞こえるくらいだ。
「……やっぱり、おかしいでござる!さっきから気になって探っていたのでござるが、どうも上の階からなんの気配もしないでござるよ!これは見に行った方がいいかもしれないでござるッ!」
アヤメは逼迫した雰囲気で、ボクに真剣な眼差しを向ける。でもボクはさっきの話通り、成人男性であるボクとアヤメが、まだ少女にしか見えない、というかボクの世界ではまだ、未成年の歳であるレオナの部屋に行くのは憚られてしかたがない。
「わかりました、私が行きます!」
空気を読んでくれたオリヴィアさんが先陣を切るかたちで二階へ登り、最奥の部屋の扉を叩くも、返事はない。
「どうしましょう?」
オリヴィアさんがボクらに不安そうに訊ねると、アヤメは返事よりも前に、扉に耳を当て、中の様子を確かめる。
「何の音もしないです!絶対変ですよ!」
「……レオナ!返事してくれ!しないなら入るぞ!…………なぁ!レオナ!」
ボクの必死の呼びかけにも無反応。無意識のうちにドアノブに触れていたらしく、鍵のかかっていなかった扉が開いた。
「……オリヴィアさん、中の確認お願いできますか?」
レオナのことだ、服や……下手したら下着すら放置してある可能性が高いので、女性であるオリヴィアに託すことにした。
「はい、…………うわっ、」
「大丈夫でござるか!?」
オリヴィアの驚く声に反応したアヤメが部屋の中へ入ろうとするのを、ボクは肩を掴んで制止する。
「たぶん、部屋が汚くて驚いただけだろうから、大丈夫だよ。ここは任せよう」
「え?そんな……」
「はい、……すみません、その通りです。足の踏み場もないくらい物が散乱してたので驚いちゃいました」
お約束通りの展開というわけだ。
「中に誰もいませんよ」
「っ、……誠でござるか?!」
「はい。言葉通りの意味です」
……こちらの世界の人が知るはずのないゲームの単語が奇跡的に飛び交ってる。なんたる偶然。
「……じゃあ一晩、帰ってこなかってござるか?」
アヤメだけでなく、部屋の中でなにやらゴソゴソと音をたてているオリヴィアさんにも聞こえるよう、ボクは昨日の帰り道で起きた出来事について伝えた。
「……レオナ殿のついて行った、その御老人は見窄らしい古衣を纏っていたでござるか?」
「うん。この辺りじゃ見かけない雰囲気の……怪しい人だったよ」
今思えば、あんな怪しい人について行くレオナに、なにかしら声をかけるべきだった。恥ずかしいことに、これもいつも通りだ。
いつも通り、後悔し、あとからするべき事を自覚する。
「スラムに向かった可能性がありますね……」
部屋の中から出て来たオリヴィアさんは、少し残念そうに言い、「行き先を示すようなものは何も見つかりませんでした……」と続ける。
スラムか、ボクの育った国にはなかったから想像に過ぎないが、確かにあの老人はそんな風体をしていたと思う。
「……いったい、レオナは何を考えているんだ」
「レオナ殿の《探し人》について、その後老人が何かしらの情報を持っている。と言ったのだとしたら、レオナ殿がついて行くのも理解できるでござるな」
「そうですね。私たちの方でも他のギルドに頼んだりして、ツテを辿って探してはいたんですけど、足取りがてんで掴めなくて……。そうなると裏側の人たちを頼ってしまうのも、……仕方ないんですかね」
オリヴィアさんは寂しそうな、暗い表情で沈んでいく。
「……とにかく、ここで待つのもなんだし、探しに行ってみます」
「え?危険ですよ!?他の都市に比べればココは王都なので比較的安全ではありますけど、さすがにスラムは憲兵の目が届かない場所もありますし……」
「いや、サダオ殿の言う通りでござる。ここで手招く意味は拙者たちにはないでござる!拙者たちは冒険者!スラムよりももっと怖い相手を普段から相手してるんでござる!」
……アヤメが期待以上に盛り上がってる。もしかして『東方絵巻物語』なるものに、似たようなシチュエーションの話が書いてあったのかもしれない。
……理由はなんにせよ。心強い。
こうしてボクはアヤメと二人、レオナの居場所を突き止めるべく王都内のにあるスラムへと向かう事にした。




