斧と森とゴブリン 1
斧と森とゴブリン 1
「……あったよ、足跡」
レオナが投げてきた小石が足元に落ち、それに気づいたボクが振り返ると彼女はボクだけに聞こえるように小さく呟く。
ボクらは今、王都から少しだけ離れた農村の近くにある森へ来ている。農村の畑を荒らすゴブリンの巣穴を見つけるためだ。
ボクはレオナの元へと近寄り、彼女の指差した方を見る。……たしかに、人のそれと違う。指が異様に細長く、爪も長い。二日前に降った大雨でぬかるんだ地面にそんな足跡がしっかりと残っていた。
「これが……ゴブリンの?」
「多分ね」
ボクは緊張から、手に持った買ったばかりの杖を強く握りしめる。
「これを辿ればゴブリンどもの巣穴がわかるワケでしょ?……はぁ、簡単なクエストだなぁ」
レオナはつまらなそうに頭の後ろで手を組む。
ボクは彼女と違い楽観視していない。
「……こちらが向こうの痕跡を見つけたってことは、……ここはすでにゴブリンの行動範囲内ってことだよ?油断しちゃいけない気がする」
「だからなに?あたしがゴブリンなんかに遅れをとるワケないでしょ?あんな小鬼、その辺のガキンチョと大差ないんだから」
僕の今、着ている防具《革の外套》を買った店の店員さんも同じように言っていたな。
『ゴブリンなら家畜の皮製で十分ッスよ。そりゃまぁ高いもん買ってもらえるならコッチとしては有難いっスけど……。お客さん召喚術師なんでしょ?……じゃあコレで問題ないっスよ』なんて具合に雑な接客だったのを思い出す。
「……でも、店員さん言ってたよ。『応援を呼ばれて複数体に囲まれたら危険』だって」
「それはウソ。どうせホントは『応援呼ばれて複数体に囲まれたらちょっと困る』とか言われたんじゃないの?……つーかアンタ、ビビりすぎなのよ?あたしより5つも年上なんだから!もっと、こう……リードするとかさ!」
「ね、年齢は関係ないだろ。それよりもう少し声を落としてくれない?どこで聞かれてるかわからないんだから……」
辺りは見た事ない木々が鬱蒼として陽の光が遮られ、視界が悪い。死角だらけだ。下手すると自分が今、どちらから来たのかすらすぐに分からなくなるような森の中。コンクリートに囲まれて生きてきたボクがこの景色に恐怖を抱かないはずがない。
「はぁ……。アンタのこと冒険者に誘ったの失敗だったかも……」
「えぇ……、一昨日の夜みんなで話した時、その話で感動的な感じになったのにそんなこと言う?」
「……あれはホラ。雨とか夜とか、そういうのが合わさって出来た雰囲気に流されただけだから!」
「赤面してたくせに――」
パキッ。
「アンタねぇ、あたしのこと馬鹿にしてるワケ?」
「――今の音……なに?」
ブンッ!と続けて聞こえたが、それがなんの音か判断する前にボクは痛みに襲われた。
「がっ!?」
背中に、肩甲骨付近に何かが当たったのか、衝撃が加わり体勢を崩すボク。痛みは膝をついてから遅れてきた。
「ちょっと、サダオ!?」
戦斧を背中に背負ったまま近寄るレオナが傍目に入った。ボクの心配をしてくれるのは有難いが、今はそれどころじゃない!
「て、敵襲、敵襲だ!レオナ!すぐに武器を!」
初めて吃らずに彼女の名を呼べた。
「え?!あっ、ハイ!」
突然の出来事にレオナは普段とは違う言葉遣いになる。彼女にはたまーにこういう瞬間があるのだが、おそらく修道院で仕込まれたのだろう。
「あっ、アレ?!なんでっ……?!」
背負った武器を上手く取り出せず、もたつくレオナ。ボクは痛みに耐えながら立ち上がり、攻撃が来たであろう方向を探る。
追撃はこない。……投げられたのは……?
と、地面をみると……石!?
『グギャグギャグギャ!!』甲高い鳴き声……いや、笑い声が響いてきた。
「ゴブリン……?」
「……っ、よし!準備できた!敵は?!」
「……わからない。とにかく今はここを離れて――」
「あっちね?!っうおおおおっ!サダオの仇ぃっ!」
「なんでっ!?」
ボクは一人突貫していくレオナの背中に驚き、思わず大声を上げた。
レオナの後を追うため足を前に出すと、ただそれだけで肩のあたりに痛みが走る。革の装備、全然ダメじゃん!
「見つけた!待て、こらぁ!!」
レオナはもう止まらない。まさに暴走状態だ。
遠くに何か動くものが見えた。彼女の走る方向から見るにアレがゴブリンなのだろう。
あっという間にその背中との距離を詰めたレオナは両手で持った戦斧を振り上げ、「雷鳴断!」と叫びながら全力で振り下ろした!
その振りはボクの目では捉えられないほどの速さで、気づいたら彼女の戦斧は地面に突き刺さっている。
『グギャアアァァ!!』
と聞いたことのない断末魔をあげて倒れるゴブリン。
痛みに耐えながら走ったボクがその場へたどり着くと、レオナは『これぞドヤ顔』と言った表情でボクを迎えてくれた。お説教しないと。
「あ、相手が一体じゃなかったら……ど、どうするつもりだったんだ……」はぁはぁ……、肩の痛みと急なダッシュで息が切れるボク。
「はぁ、情けないなぁ。ちょっと走っただけでどんだけ疲れてるんだか」
「い、いやコレは……しょうがないだろ、普通あんな、いきなり走り出すなんて思わないし……」
「なにそれ?まるであたしが普通じゃないみたいに――」
レオナはそう言って倒れているゴブリンの耳を摘んだ。……ボクはなぜか違和感を覚える。
「――耳切り取って渡すと討伐数としてカウントされて、一定数でボーナス出るんだよね?アレってどっちの耳でもいいの?」
「はぁ……。今朝、オリヴィアさんから聞いたばかりなのにもう忘れたの?左耳だよ。右はダメ」
左は心臓側だから防御が堅いとかそんな理由らしい。
『はいはい』と雑に相槌を打つとレオナは片手をボクの方へ差し出してきた。
「……え?なに?」
「『なに?』じゃなくて、ナイフ!あたし持ってないから貸してよ」
……渋々ボクは昨日職人街で買ったばかりのナイフをレオナに渡した。あのナイフを造った人もまさか、最初に切るのがゴブリンの耳になるなんて思ってなかっただろうな。
……あぁ……新品なのにっ!
「……あれ?上手く切れないな。サダオ!これ、ちゃんと研いであるの?全然切れないんだけど!」
「ちょっと!雑に扱わないでよ!それまだ――」
「……あーもう!イライラする!アンタこれ安物摑まされたんじゃないの!?」
「――レオナ……?」
レオナは中腰をやめ、手に持った動かぬゴブリンを引っ張り起こした。ボクはその瞬間、違和感の正体に気がついた。
「あーもうほんとにイライラするなぁ!このナイフどこで買ったの?あたし返品してきてあげるから――」
「レオナ!」
「――な、なによ?アンタが小声で喋れって言ってたのに」
「……キミ言ってたよね?『ゴブリンはその辺の子どもと同じくらいの大きさだ』って」
言葉選びは違うかもしれないが、ニュアンスとしてそう言ってたはずだ。
「……?なにそれ?まぁ言ったかもね。あたしが修道院にいた時、訪ねてきた冒険者がそんなこと言ってたってワケ」
だとしたら……。
「だとしたら、そいつは小さすぎるんじゃない?」
ボクの質問にレオナは眉を顰める。
「意味わかんない。あたしが一撃で倒せたのは敵が弱いからって言いたいワケ?馬鹿にしてるの?」
「違う、そんなはず無いだろ!そうじゃない、そうじゃないんだ!」
レオナは手を離し、事切れたゴブリンは地面に落ちる。
「……じゃあなんなのよ!あんたの話はわかりにくい!もっと分かりやすく喋る努力をしなさい!」
……確かに。
レオナの言う通りだ。でも、もし違ったらという思いから二の足を踏んでしまう。過剰に失敗を恐れる自分。変わるなら……きっと今だ。
「……もし違っても、文句は言わないでよ?確信はない話なんだけどさ」
「そんなもん聞かなきゃわかんないじゃない!いいからさっさと話して」
「……そのゴブリン、明らかに小さくない?見たことあるワケじゃないから勘でしかないんだけど……。まるで成熟してない、子どもに見える――」
「え?それって……」
「――もし本当に子どもだと仮定すると本来、一定数の群れで行動するはずのゴブリンが、何故単独でいたのか、という謎の答えが出る気がする。それに二対一という不利な状況で攻撃してきたのもわかる。幼いが故の好奇心が暴走したとか――」
「一理ある。というかそんな気がしてきた」と言ってレオナは辺りを見回す。
「――そして問題は、……もし、この仮定が合ってたなら……」
ビュンッ!と風を切る音。
ドスンッ!と鈍い音。
「あっ、ぐうっ!痛っ!」レオナは背中、腰のあたりを押さえて倒れる。ボクがさっき投石を喰らった時の比じゃない痛がり方をするレオナ。
間髪入れずに放たれた『それ』はどちらにも当たらず地面に刺さる。
矢だ。……投石じゃない。
「痛った……なんなのよコレ……」
最悪だ。想定が、想像が当たってしまった。
「やっぱり……親が近くに……」
「くっ!痛い……」レオナが患部に手を伸ばす。
「レオナ!ダメだ、抜くな!抜くと出血で大変なことになるって医療系のドラマかなにかで言ってた!」
「なに……それ?……ドラマ?」
「ごめん、それを説明してる暇はないから後にして!とにかくすぐにここを離れないと!立てる!?」
「……なんとか」
レオナは立ち上がるが満身創痍なのが見てとれる。ボクはそんな彼女の手を引き走ろうとするが……。ダメだ、こんなんじゃすぐに追いつかれる。
「……よしっ!ボクが背負う!背中に乗って!」
「馬鹿!いくらなんでも、無理に……決まってるでしょ!」
レオナは動かない。手に戦斧を握りしめたまま、ボクを睨みつける。
「それ……ごめん。大事にしてるのは分かってる。分かってるけど……その戦斧をここに置いていってくれ!そうしたらきっとボクはキミを抱えて走れるから」
レオナの握りしめる戦斧。
彼女の身の丈ほどもある大きなソレは彼女にとって、特別で大切なものだ。
ルーキーランクのクエストには不釣り合いなソレを、クエストを受けるたび、銀行の貸金庫へ預けているのをボクは知ってる。夜寝る時に抱いて寝てるとも言っていた。
手入れを怠っていない証拠か、ソレはいつも輝いている。さっきだって子どもとはいえ、ゴブリンを一撃で屠っていた。威力も申し分なしだ。きっと安くないだろう。
ボクは彼女と戦斧の出会いや思い出について知らないが、彼女はソレを明らかに『ただの武器』としては扱っていないのを感じている。
それはまるで、誰か……大切な人の形見かのように扱ってる。
――のを知った上でボクは言った。
「ふざけた事、……言うなっ……ぐっ……っはぁはぁ……っ!」
ボクの胸ぐらを掴もうとレオナは手を伸ばし……咳き込む。
「レオナ!?まさか、……さっきの矢、毒?!」
「うるさい……うるさいっ!置いてかない……。ティグレを置……いて……」
『ギギィ!ギシャァアア!』
『ギエギィ!ギイシャア!』
……響き渡る鳴き声、なんとも言えない不快な音が遠くから聞こえた。もう、悩んでる時間はなさそうだ。
「…………ごめん」
グッタリと力なくボクの腕に掴まり休むレオナへ謝罪する。
「……お願い……置いて……いかないで……」
それがボクに向けられた言葉なのか、うわ言なのかはわからない。
ボクはレオナを抱き抱えて、さっき来た道を必死に戻る。
斧を……その場に置いて…………。