適切な言葉の運用について
人様に見せるものを書こうとするとき、できるだけ厳密に、文脈や意図に合致した言葉を使おうと腐心してきた。
しかし、あるときふと
『厳密に書いたって、読む人は同じ意味で理解していなければ無意味だなぁ』
と気づいた。
生まれ育った時代や環境、読んだ本が違うので記憶した言葉と意味の関連付けは各個人で違うはず。
難しい言葉を使えればカッコイイから使ったとしても、読んでくれなければ無意味だし、伝わらなければ無意味。
で、難しい言葉で難しい思想を持ってればいいけど、わざわざお知らせしたいような高尚な思想?そんなものは無い。
だから、できるだけ簡単な言葉で、できるだけ面白いものが書ければいいなと日々考えております。
ただ、語彙が少ないと読んでて(書いてても?)単調で退屈になるのも事実。
文章のリズムは文字数の多寡と繰り返し回数でコントロールできるし、時間の進む速さはその瞬間についての記述の増減でコントロールできる。
難しい熟語で一言で言ってしまえば一文で終わるから、わざと長く書いて、時間がゆっくり進んでることを示すとか?
わざと変な文章を書くと、読者が『これ何?どういう意味?』って一瞬考えるから、それについて答えを次の行で書くと、注意を引き付けられるんじゃないか?とか。
わざと違う使い方をしてみるとか?→例えば『この本吸収した!』って言ってみる?『この本読んだ!』の意味で。
曖昧な言葉で書いて、後でちゃんと詳しく説明するとか、曖昧なままにしておいて多義的に読んでほしいなぁとか。
テクニックを思いつきはしても、それを言葉で表現できてるか?と言われれば自信がない。
常識的な言葉の運用方法をまず知るべきでは?と思うが、それは日本語母語話者なのでクリアしてると考えて、そこから意図的に『外した』表現と、無知による『外れた』表現の区別が理解されないかも?という不安もあるので、まだ、ガッチガチに常識的な言葉の運用を心掛けているつもりです。
この『ですます調』と『した』の断言口調、体言止め、が混在する文章も気持ち悪いけど、気分を伝えるためには混ぜたいのよねぇ~~~。